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2004年10月30日土曜日 水俣の自慢料理 (はる食日記)

10月30日(土)
1030-1曇りのち晴れ。東京から水俣へ。本日より、私だけ熊本県水俣市に出張。午前中に水俣に着くには、 スカイマークの1便に乗らなければならない。5時前には家を出る。羽田空港に着き、きつねそばを食べて一息つく。ああ、 わが家のカレーを食べたかった。
昼、水俣に着き、さっそく、イベントの水俣の自慢料理を食べる。まずは、ノンホモパスチャライズのビン牛乳・湯野牧場の水俣エコ牛乳である。 自家搾乳、ノンホモ低温殺菌を200ccビンで水俣市内に宅配しているのである。500ccでも120円、200ccだと60円である。 値段はともかく、私もあちこちの牛乳工場や酪農家を知っているが、なかなかここまでやっているところは少ない。味は文句ない。 ほのかな甘みのあるさらりとした飲みやすい本物の牛乳である。水俣の人は、望めば毎日、この牛乳を宅配で飲めるのである。 最初にがつんとやられる。
到着したのは、午前11時半頃だが、すでに料理には長蛇の列ができていて、皿を持って並ばねばならない。 みんな首を伸ばしてテーブルに並ぶ料理に目を皿のようにして見つめている。その顔は真剣そのものである。料理を出したり、 並べるスタッフの動きはすばやいが、それ以上に並ぶ人たちの熱気が伝わってくる。
私も列に並び、手の届くものを皿に乗せていく。
1030-2湯豆腐、干し竹の子のきんぴら、がねあげ(さつま芋の短冊揚げ)、おからのひじき和え、酢ごぼう、 アロエベラの刺身、といものサラダ、なすの甘辛煮、煮しめ、漬物、鶏ごぼうおこわ、天ぷら(つけ揚げ)、いきなり団子、しただご、 さつま芋のかりんとう…などなど。
テーブルには、乳児を連れた若い夫婦や老夫婦、他市町村の視察職員など年齢も性別も組み合わせも様々な人たちが座って、わいわい食べている。
「あの煮しめがおいしかった」と、聞きつけてテーブルに皿を持っていく人あり、といものサラダを食べながら「これ何だろう」 と首をひねる青年あり、団子やまんじゅうのおいしい店や場所の情報を交換する人もいた。
食べ終わると、皿を返し、汁もの、生ごみ、もえるごみと分けて捨てるのだが、生ごみ類はほとんど出ていない。バイキング形式だったのだが、皆、 自分が食べる分を大皿から取り、取ったものは1030-3どれもおいしかったのだろう。残食がほとんどないというのは、作り手にも、 食べ手にも喜びを与えた料理の証拠である。
私はモニターということもあって最後まで残っていたのだが、予定時間より早く、すべての料理はなくなってしまった。 きっとスタッフは腹を空かせたことだろう。実は最後の方で大きなパエリアパンで焼いた海鮮のパエリアが登場したのである。
水俣の海でとれたイカやアサリがたっぷり入っていて、これがまた、うまかった。

そ の後、竹籠細工職人の若いIさんを訪ねる。竹籠細工職人を目指し、全国を歩いて師匠となる人を捜し、 水俣で師匠に出会って修行し独立した職人である。今は、古い民家を借りて仕事を続けている。作品は写真に撮ってあって、 アルバムを見せていただく。おや、これはわが家にある。人吉の実家で 以前、飾ってあった古い竹籠をもらってきて、 今はわが家の玉葱置きになっているものとそっくりだ。ご飯じょけというのか。聞くと、ふきんを敷いてご飯を入れ、 日陰の木にひっかけておくもので、冷蔵庫や保温ジャーのなかった時代に、ご飯を保存し、猫などにも食べられないようにする道具だという。 なるほど。その新品の写真である。わが家にある物も作られてから40年は経っているだろう。この写真に写る新品は、 これから先何十年も使われるのであろう。Iさんがいる限り、もし、竹がほつれたりしても、修繕して使い続けることができるだろう。 今のプラスチックの道具では、そうはいかない。黙っていても、日光の紫外線で劣化し、数年で使い物にならなくなる。捨てるときは、埋め立てるか、 設備の整った焼却炉でダイオキシンなどが出ないように焼かなければならない。一方、こちらは竹である。もし、 運命のいたずらでその使命をまっとうしても、燃料になり、肥料になる。炭にすることもできる。いったい、 Iさんがどのようないきさつで竹籠職人を目指したのかは聞きそびれたが、なんと智恵の満ちた道具を生み出す人だろう。

 水俣の東部地区を散策する。稲刈りはとうに終わり、ひこばえが切り株から青く生えている。田んぼのそばの作業小屋には、 稲わらの隣に案山子がふたり立てかけてあった。今年作ったものであろう、まだ服は白いままである。一仕事ご苦労様であった。小屋の壁には、 鍬や代かきにつかうトンボのような道具が並べられていた。古いものから新しい物まである。米作りは、変わることなく毎年行われているのである。

たまたま近くで棟上げ式があると聞き、他の参加者とともにその家をお邪魔した。よく晴れた水俣の夕方の空に、神主の声が響き、男たちと、 その小さな孫が屋根に上り、餅を巻き、リボンを付けた五円玉やお菓子がまかれる。近所のおばあさんや子どもが歓声を上げながらそれを拾う。 投げる方も、拾う方も、とても楽しそうである。祭りだ。
私が最後に棟上げ式を見たのは、30年も前だろうか。
近隣とともに祝い事を行うことが、少なく なっていることを気づかされた。

案内をしていただいた水俣市のYさんが、「一番好きな屋敷畑」だという畑は、いつもの年なら実に多くの野菜が育っているころであるが、 今年は何度も襲った台風のために、何度か植え直しただろう大根などの苗が広く植わっていた。これから天候がひどくならなければ、 大根の冬になることであろう。年によって、台風などの状況によって、何を、どう植えるか、それを考えて毎年姿を変えるのが、 屋敷畑の美しさでもある。このマルチが敷かれた苗ばかりの畑も、そう思うと美しく見えてくる。

1030-4夜は、石飛地区のAさんのところにやっかいになる。お茶の加工場で、囲炉裏があり、 夜な夜な水俣をはじめ、熊本県内、九州内、いや、日本国内、世界各地から人が集まる世界のへそのような場所である。ここには、 主のAさんとその息子、娘に加え、しばらく前から滞在している女性、水俣の人々の写真を撮るために住み込んでいるカメラマンがいて、 我々をもてなしてくれた。すでに囲炉裏には薪がくべられ火が燃されていて、その上には羽釜がかけられ飯が炊かれつつあった。 近くの銀杏が入った翡翠ご飯である。部屋の中が薪の香りに満ちている。時折煙いが、心が落ち着くにおいでもある。
最初に出てきたのが、長芋の天ぷら。すりおろした長芋をまとめて軽く下味をつけ、揚げたもので、アクセントにあおさがちょっとのっていて、 何もつけなくてもあおさの香りでおいしくいただける。テーブルには、かぼちゃのサラダ、干し竹の子のサラダ、人参と大根のなます、 干し芋がらの煮浸し、干し大根の炒め煮、ごぼうのサラダ、きんぴらなどがのっている。茹でた里芋と親芋が出てくる。
囲炉裏の火にフライパンをかけて、細かく刻んで塩と胡椒をした鶏肉を炒り炒めにする。これがまた美味い。
そして、名物のおでん。卵、干し竹の子、里芋、厚揚げ、こんにゃく、大根、竹輪、天ぷら、いわしの燻製(かまぼこ)などがぎっしり入っている。 これもまた囲炉裏で温める。
あとは、焼酎と紅茶。
小屋のすぐ前にあるお茶畑は無農薬。肥料もほとんどやらない。「肥料がたりないから、木がなんとかしようとがんばっている」お茶である。 緑茶だけでなく、ここには自家製の紅茶もある。これがなんともいえず甘くておいしいのだ。
ここでは、焼酎を紅茶で割って飲むのが通である。囲炉裏の煙と紅茶の香りがからみあい、良い感じに酔わせてくれる。
一段落したら、五右衛門風呂に入る。小屋の外に五右衛門風呂があるのだ。以前、台風で水俣のインフラが止まったときも、ここの五右衛門風呂に、 小川から水を入れて薪でわかして入ったものである。外には満月あけの明るい月。絶景、極楽である。

食:6時半、立ち食いそば。
食:12時、牛乳、パエリア、がね揚げ、煮しめ、きんぴら、じゃが芋、天ぷら、湯豆腐、おから、五目豆、よもぎ団子、いきなり団子、しただご。
食:19時、ひすい飯、おでん、長芋の天ぷら、鶏の炭火焼き、かぼちゃのサラダ、干し竹の子のサラダ、人参と大根のなます、干し芋がらの煮浸し、 干し大根の炒め煮、ごぼうのサラダ、きんぴら、里芋、焼酎、紅茶などなど。

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[はる食日記 |2004年10月30日 ]

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