1999年12月3週

18日のパダン飯。手前がテンペ。緑はタロ芋の葉

12月15日(水)晴れのち雨
ウブッを出てロビナビーチに行くので、朝から大忙し。電話をかけたり、両替をしたり、チェックアウトをしたり、人をおこしに行ったり、果物を持ってうろうろしたり、洗濯物をとったり。
朝食は、バナナエッグジャッフル。味付けは、塩・こしょう。宿のスタッフは挑戦好きであり、これは新しい組み合わせらしい。私の好みではない。水底は好きらしい。
ラハユをチェックアウトし、Hをニョマンおばさんのところへ連れていく。ついでにHに荷物を預かってもらう。ARIに行き、Kと3人で昼食。Hはギャニャールへ行き、買い物。しばし別れる。バスに乗り、北部のロビナビーチへ。途中、山越えをするのだが、チャンディクニンというところに立ち寄る。ここは日本の長野、軽井沢といったところで、湖があり、標高が高くてとても涼しい。キャベツやレタスなどの野菜がたくさん売られている。涼しさを楽しんでみたいインドネシア人にも人気の場所らしい。たしかに肌寒いくらいである。水底がマルキッサを買う。パッションフルーツである。種ごとがりがりと食べる。甘酸っぱくておいしい。
約3時間でロビナへ。プラマ社のバスステーション付近で宿をとる。CHIKOという。掃除がきちんとしてあるので、ここに決めた。もうひとつ、プラマの敷地内のホテルもなかなかすばらしい。海に面してはいないが、きれいで、防犯体制もしっかりしている。チェックイン後、シャワーをあびてだらだらしていたら突然の土砂降り。雷雨である。1時間ほど降り続き、8時前に小振りになる。ウブッから一緒だった日本人女性と夕食の約束をしていたので外へ出るが、足首まで水があふれている。どうもすぐに水をかぶる一帯らしい。日没前にレストラン以外は店を閉めていたが、こういう訳か。飯はプラマ社の中にあるレストラン。カツオの切り身を揚げ、黒豆味噌の唐辛子和えというようなソースで食べる。この黒豆味噌がとてもうまい。日本人向きの味噌味。水底は、チキンカレーを食べていた。チキンカレーだが、チキンカレースープのようなもの。それでもおいしかったのでよし。早めに寝る。

食:8時、バナナエッグジャッフル、フルーツ、テ(ラハユ)
食:11時半、ナシソトアヤム、エステ(ARI)
食:16時、ビール、ミーゴレン(CHIKO)
食:20時、カツオ揚げ黒豆ソース、ご飯、エステ(プラマ社)



12月16日(木)晴れ
6時前にたたき起こされる。水底はすでに起きている。イルカ見物である。小さな木造6人乗りカヌーには、両脇に竹の支持棒がついていて、安定した走行ができる。それに裸のエンジンがつまれている。4人と若い船頭が乗り込んで出発。10隻近くの船に観光客が乗り込んで、あちこちから船出をしている。寄られるイルカも大変だが、時折大胆なジャンプを見せてこちらを喜ばせてくれるやつもいる。1時間ほど見物し、往復2時間。我々以外のふたりがシュノーケリングをする間、ぼんやりと空や海面をながめる。帰ってから朝食。しばらくぼんやりする。海とはぼんやりするところなり。ホテルの人たちは、海砂をコンクリートと混ぜて壁を作ったり、洗濯物を干したりと忙しい。我々はぼんやりしているだけ。
とてもよく晴れているので、散歩に出かける。海側ではなく、海からちょっと入った幹線道路を歩く。目標は、約4km先のモスクとする。イスラム教が多いインドネシアだが、バリ島でモスクを見るのはめずらしいからだ。10時過ぎに出発し、広がる畑や街路樹のタマリンド、ドリアン売りのおばさんや、魚売りのおばあさん、犬などを冷やかす。モスクの周辺には、イスラム教との集落があり、ハラールフードの食堂がいくつかある。開放的な食堂もあるが、中にはドアがついていて外からは見られないようになっているタイプの食堂もある。同じ道沿いでも少しだけ雰囲気が違っている。
昼は、ちょっと豪華な中華風レストランに入る。客は誰もいない。風が気持ちよかった。ナシチャンプルーを食べる。フライドチキンと卵焼きと野菜炒めが出てきた。どれも作りたてなのが、客がいない証拠。でも、おいしかった。水底は、山羊を所望したが市場まで買いに行かないと食材がないと言われ、バリ風鶏揚げにする。
夕方、ビールを飲み、さらにお茶を飲む。夜は、近くのワルンでナシチャンを食べる。昨日の日本人女性が同行。こういう店ははじめてらしい。飯の盛りがよく、鶏、野菜、テンペゴレンのシンプルなもの。辛い。なかなかおいしかった。そこの親父にゲストブックを見せてもらう。96年から続いている。日本人もちらほらいる。
おいしい、親切、押しが強すぎる、などなど、読んでみるとおもしろい。
その後、プラマの食堂に行き、ビールを飲み、フライドポテトを食べておしゃべり。

食:8時半、バナナパンケーキ、フルーツ、コピ(CHIKO)
食:12時、ナシチャンプルー、ミックスジュース
食:13時、ビール(BOMBAI)
食:14時、エステ、水(PERAMA)
食:18時、ナシチャンプルー、パイナップルジュース
食:19時、ビール、フライドポテト(PERAMA)



12月17日(金)晴れのち夜雨
移動日。昨日ずいぶん歩いたので8時頃までぐっすりと眠る。不思議なことだが、ふだんは水底の方が長く眠り、私の睡眠時間は短いのに、旅行に出て規則正しい生活になると私の方が長く眠り、水底は意外に早起きである。
朝食にCHIKOのフルーツとお茶をとる。その後、PUTUワルンに行き、ナシチャンプルーを食べる。飯が炊き立て。おかずも昨日より種類が多く、鶏、鶏皮、野菜、サバの焼いたの、テンペ、ミーゴレンなどが入る。ここの飯は盛りがよい。ぶっかけ汁はない。朝作ったおかずを夜まで使うのだろう。しばらく雑談してPERUMAのバスオフィスへ。すぐにバスが来て、まずは他の客を乗せるために昨日歩いた方へ進む。数人のアングロサクソン系を乗せて逆方向へ。途中シガラジャを通過する。シガラジャは、先の大統領選挙の際にメガワティが敗れたため暴動の起こった地域である。町並みは、バリヒンドゥーの門構えと中華風仏教風門構えにムスリムが混在している。歩いている人にムスリムも多い。そして、明らかに政府施設と見られる大きな建物がいくつも焼け落ちていた。今も取り壊されずに放っておかれている。シガラジャは昔からの貿易港であり、言葉も荒く、気性も荒いと、シガラジャ出身のバリ人と結婚した女性が語っていたのを思い出す。
ウブッに戻り、ラハユへ。すぐに部屋に案内される。一息ついてしばらく歩いたらHにばったり会った。飯を食い、Hがいるニ・ニョマン・ワリニバンガローへ行く。ニョマンおばさんは、気管支の調子が悪いようで昨日までふせっていた。今日はよいというがまだ本調子ではなさそうである。しばらく雑談。近年、田んぼを売って車を買ったり、観光客用の安宿を作る人が増えているが、私は田んぼを売らないという。売ればすぐに部屋を増やせるが、売ればなにかあったときに大切なものをなくすからだという。堅実な考え方である。
ラハユに戻り一息。Hが来て、食事へ。ラハユに3人で戻り、フルーツパーティ。ミカン、リンゴ、パッションフルーツ、トマトのような柿のようなザクロのようなもの、サラックなどを食べながらHと水底が会話をしている。私は疲れていたので横になっていた。夜10時過ぎ、Hが帰る段になって雨が降り出す。しだいに雨足が強くなってきた。
昼は、酢豚とご飯。豚の揚げたのに、パイナップル、ニンジン、長豆などが入っているもの。夜は、キエフ風チキンカツの添え物ポテトに代えてごはん。味はそれぞれそれなりに。素材がよい分おいしい。

食:8時、フルーツサラダ、テ(CHIKO)
食:9時、ナシチャンプルー、エステ(ワルンPUTU)
食:14時、酢豚、ご飯、ミックスジュース(カフェデワタ)
食:20時、キエフ風チキンカツ、ご飯、ミックスジュース(アルティニ)



12月18日(土)晴れ。夜に雨
ラハユからニ・ニョマン・ワリニ・バンガローに移る。ラハユの若いスタッフと日本語会話。その後、ラハユの長期滞在踊り教わり中女性二人組のところに日本人が集まる。Hと日本人女性、それにAが夕方からデンパサールに行き、クタを経由して空港に行くことになる。帰国するのはH、日本人女性はクタに行き、Aは時間があるのでついていく。時間までニョマンおばさんの店でだらだらと買い物。H、Aがいろいろ買う。我々も物色しておく。夜は、ニョマンおばさんが今度こそ唄いに出るというのであらためてサンディスワラのケチャへ行く。目的はひとつ。今日は雨が降らなかったのでフルバージョンで行われる。ケチャの構成も違っていた。同じ楽団でもいろいろなパターンがあるようだ。おばちゃんの写真をとる。満足。
食事は、朝、ラハユのバナナパンケーキ。昼と夜は別々のパダン料理屋に行く。昼は、Hとの別れの食事なので豪華に。Hがいろいろとおかずを頼む。つられて水底も私もいつもより1品多く頼む。ごはんが足りなくなり、ごはんもおかわりする。鶏のサンバル煮、テンペゴレン、コロッケ、野菜、唐辛子、ソース。夜は一番ひいきにしているパダン屋へ。アヤムゴレン、コロッケ、オムレツと野菜、唐辛子、ソース。やはりこちらの方がおいしい。ついついおかずを頼みすぎてしまうものだ。これらとは別に、夕方一息付きにカフェに入る。ミックスジュースを頼むが、ついでに変わったものを頼んでみた。デザートであるが、パイナップルとバナナをココナッツ砂糖とココナッツミルクで煮て、醤油で味付けしたようなもの。みたらし団子やしいたけだし汁のような味がする熱い果物スープははじめてだ。バナナを食べたときとパイナップルを食べたときでスープの味が違ってきておもしろい。
今日からしばらくニョマンのバンガローで過ごすことになる。

食:8時、バナナパンケーキ、コピ(ラハユ)
食:12時、パダン屋でご飯、エステ(パダン屋)
食:16時、ミックスジュース、果物煮スープ(スリーブラザーズ)
食:21時、パダン屋でご飯、ミカンスープ(パダン屋)



12月19日(日) 曇りのち雨
バリヒンドゥーの最大の祝祭はガルンガン。210日ごとにやってくる。次は1月5日であり約3週間後と迫った。そのため、ガルンガンに向けたお供えづくりがはじまっていて朝や午前中はみなそれぞれに忙しい。小さな方のキッチンでお供えのお菓子を作っていたので写真を撮らせてもらう。これから3週間、忙しく準備をして約100万ルピーを費やすことになるという。ガルンガン、クニンガンという大祭に加え、3日に1度とも言われる数々の中小の祭りでも少しずつお金を使う。年にいくらぐらい使うのだろうか。経済を循環させ、持てるもの、持たざるものへのある程度の分配を行うためとは言え、大変な労苦を要する。
朝は、ワリニでナシチャンプルー。野菜炒めと目玉焼きはここで作り、鶏のおかずとご飯は市場で買ってきたもの。がつがつと食べる。
日本人が実質経営するドリップコーヒーの店アンカサに新聞を読みに行くが、ない。残念。アンカサの正面、王宮裏では大きな発電器や衛星中継施設が置かれ、扉が新調され、石段が塗り直されていた。NHKのせいである。今日、ヌガラのジェゴクなど3カ所の中継をするらしいのだ。ずかずかとあちこちで傍若無人なテレビスタッフが目撃されている。これ以上、バリに日本人を呼んでどうしようというのだろう。
ヌードルズに行き、昼飯に麺を食べる。麺が細くなり、ちぢれている。量も増え、スープも多くなっている。ごま油も使われ、すっかりラーメンっぽくなった。うまい。
夕方雨が降り出す。BENDIに行き、飯を食う。水底がずっと風邪気味なのでジンジャーティーを頼む。私もならう。ナシゴレンを今回はじめて注文。スペシャルなので、クルプックの大きいのや目玉焼き、サテもついている。うれしい。水底はメニューにない春巻きを頼む。頼まれて作るところがBENDI。春巻きが来る頃に店に来た西洋人が「あれは何だ」と聞くが、店の子が「スペシャル料理だ」と返していた。
その後王宮のレゴンダンスへ。前の席に韓国人男子2人が座っている。ずいぶん日本人に間違えられているらしくちょっとかわいそう。見やすい席をゆずったりして、ちょっとだけ罪ほろぼし。ダンスは、ひとりの踊り子がやたら上手だったので他がかすんでしまい、後半眠くなる。戻るなり寝る。

食:8時、ナシチャンプルー(ワリニ)
食:12時、イリアンジャヤミルクコーヒー(アンカサ)
食:13時、スープ麺ワンタン入り、エスレモン(ヌードルズ)
食:18時、ナシゴレンスペシャル、ジンジャーティー(BENDI)



12月20日(月)晴れのち曇り一時雨
朝は、ワリニバンガローでバビグリンナシチャンプルー。バビ=豚、グリン=焼く。子豚の丸焼きをベースにした料理である。豚の皮や肉と内臓の唐揚げ、ソーセージ、野菜と血の和え物などがつく。これに、バンガローのニョマン君が野菜を炒め、目玉焼きをつけてくれる。うまい。今日をバビグリンの日とする。
ウブッが属しているギャニャール県の県庁所在地ギャニャールに行く。目的はもちろんバビグリン定食。大きな町であり、市場も大きい。とりあえず散策する。どうも休みの店が多い。むむむ。目的のバビグリンを食べる。顔がみるからに中華系のオバさんが豚をさばき、ご飯の上におかずを盛っていく。ここの豚は毛を完全に剃っていない。少し産毛が残ったパリパリの皮を食べる。うまい。腸詰めもスパイスが利いていてうまい。ここはその日に焼いた皮と肉の他、おそらくさばいた後の骨の周りを翌日揚げているのだろう、骨付きカリカリ揚げがついてくる。これもまた美味。市場近くのスーパーに寄ってから帰る。現像を頼んでいた写真をとってから、しばらくだらだらする。夜は、できたばかりの楽団で4回目の公演というものにいく。日本の羽衣伝説とほぼ同じものがあるのだが、それを分かりやすい音楽劇に仕立てたもの。天女の踊り子が洗濯をしたり、干したり、子どもがたこ揚げするシーンなど、分かりやすくて笑える。まだ新しいせいか有料外国人観客は少ないが、まだ新しく分かりやすい内容なので地元子ども大人観客は実に多い。あふれかえっていた。
夜は、今回行っていなかったパダン料理屋へ。私は、牛肉の佃煮ルンダンとテンペを煮たものを食べる。今回牛肉料理ははじめて。水底は鶏肉を食べている。バビの日だが、パダン屋はムスリム食堂なので豚は当然ない。よって、バビの日のしめくくりは非バビの食事となった。

食:8時、バビナシチャンプルー(ワリニ)
食:12時、バビグリン定食、エステ(ギャニャールにて)
食:15時、スイカジュース(チャンデリ)
食:21時、パダンの飯、ミカンジュース(パダン屋)



12月21日(火)晴れ
暑く晴れた日。ニョマンおばさん夫婦が市場へ買い物に出かけている。朝から忙しい。宿のスタッフ・ニョマン君が我々の朝食を準備していたら、誰かがやってきてニョマン君に彼のおじいさんが亡くなったと告げにきた。我々の朝食を出した後、彼はあわてて近所の自宅に帰っていった。しばらく誰もいない家。来客あるもいかんともしがたし。隣のドイツ人長期逗留客が朝食を食べたそうな顔をしているが、こちらもいかんともしがたし。しばらくしてニョマンおばさん戻る。ニョマン君に頼まれていたので、ことの次第を伝える。ニョマンおばさんの顔曇る。それでなくてもたくさんの正月の準備でたくさんの買い物をしたばかりである。ニョマンおばさん、米、白布、お金などをカネのボウルに入れて不祝儀衣装の頭の上に荷物を載せて運んでいった。我々はメールチェックをしたりあちこちで買い物。休憩やら昼飯やらをすませる。ついでに日本の新聞も読む。大したことはない。父からメールが来ていて、横山ノック氏が辞職するぐらいしかニュースはないという。その程度。なお、九州の山の中でも雪がちらついているらしい。寒そう。いったん戻って水底は昼寝。私は写真を取りに行ったり、洗 濯を出したりする。明日宿替えをする予定だったのだがニョマンおばさんが隣の親戚のところにするといいいと言う。少々古いが本当に隣であり、朝食も食べに来いというのでそこにする。夜、ヤマサリの公演。とても遠い。しかも日本人10名ほどだけ。日本では知られているが他では、この村の中でも知られていない。見てみたらそれほどでもなかった。がっかりして帰る。水底とても疲れた様子。腰が痛いという。帰ってから熱を出す。頭も痛いと言い出す。困る。
朝は、野菜と目玉焼きのごはんに昨日から煮ていた豚の足や肉のスパイス煮。これがうまい。塩辛いのをちょっとずつご飯につけて食べる。昼は、ワルンカチュでナシチャンプルー。こちらは、ナンカ(ジャックフルーツ)の鶏スープ煮がある。味付けゆで卵や野菜、サテ、鶏肉など。これもまたうまい。夜はワルンデワで焼きそば。水底はテンペカレー。安いがふうんという味。

食:8時、ナシチャンプルー、豚スープ(ワリニ)
食:12時、スマトラコーヒー(アンカサ)
食:13時、ナシチャンプルー(ワルンカチュ)
食:17時、焼きそば(デワワルン)


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