2000年3月3週


3月15日(水)
曇り。水底朝から外出。私は終日仕事。途中、豆餅、お茶漬け、レトルトカレーと冷凍していたご飯、メークインの茹でたものなどを食べる。夜は、水底が作る。セロリとタマネギをたっぷり利用したスパゲッティ、ゆでたカボチャと、メークイン。一休みして、また夜明けに向かって仕事する。

食:10時、豆餅、お茶漬け。
食:13時、レトルトカレー、ご飯。
食:22時、スパゲッティポモドーロ、カボチャサラダ、茹でメークイン。


3月16日(木)
多摩地方、朝から雨。気温も低い。水底を駅まで送る。その後、ご飯を炊き、玉ねぎ、キャベツ、桜エビ、卵でチャーハンをつくる。カボチャとともに食べる。一仕事してから私も出る。水俣へ出張。途中、『証言 水俣病』(岩波新書)を読む。現代社会に生きる人間が、どのようにしたら生命を取り戻せるのか、生命としての尊厳をとりもどせるのかを考える。私は、食べものを通して、モノを考えるようにしているのだが、食べものさえ、「システム社会」の中でしか存在を許されていない。「システム社会」とは、同書の中に出てくる言葉である。実体のない、しかし、歴然とすべての人をからめとっている今の社会をこの言葉は指している。個人の尊厳の中の食べもの、人と人、人と自然との関係性、コミュニケーション、交流、相互作用としての食べものの姿を再生することはとても難しい。しかし、すべてのヒトは食べる。食べるからこそ、そこには望みがあると思う。
実家で味噌汁を作る。イリコ、ゴボウ、里芋、ニンジン、大根、白菜、わかめを入れる。キンピラゴボウ、手作り開きアジ、塩サバ、キュウリの漬け物などでご飯を食べる。

食:11時、チャーハン、カボチャ、ジャガイモ。
食:10時、ご飯、味噌汁、開きアジ、キンピラゴボウ、納豆、キュウリの漬け物、ブロッコリー、生トマト、もずく酢、焼酎。


3月17日(金)
実家の人吉から水俣に行く。朝5時に朝食。朝市の取材。7時からだが、地元の人が6時半から奪い合うように野菜などを買っていく。旬の野菜の間に、さらりと海の生ひじきが数点置かれているところが、海が生活の場にある町である。海の畑も山の畑も感覚的に近いのだ。知っているお母さんに会ったので、長居してだらだらとしゃべる。夏豆(空豆の丸いの)のダンゴなどを食べさせていただく。サトウキビから作った手作り黒砂糖を焼いた餅にくるんで食べさせていただく。うまい。赤芋という里芋、キンカンのシロップ煮、生ひじき、サツマイモのガネアゲ、赤飯、ダンゴなどを購入。その後、市役所でミーティング、たけんこというレストランでだご汁とおにぎりの昼食。水俣病歴史考証館で打ち合わせ。別の場所でガラカブ(カサゴ)、タチウオを購入し、実家に戻る。ガラカブは味噌汁、タチウオは煮付けになる。ご飯は、生ひじきの炒め物、白菜と油揚げの煮びたし、刺身など。

購入:赤芋、キンカンのシロップ煮、生ひじき、ガネアゲ、赤飯、夏豆ダンゴ、タチウオ、ガラカブ。

食:5時、ご飯、昨日の味噌汁、塩サバ、キンピラゴボウ。
食:9時、ダンゴなど。
食:12時、ダゴ汁、おにぎり、寒漬。
食:19時、ご飯、赤飯、ガネアゲ、刺身、タチウオの煮付け、ガラカブと豆腐の味噌汁、白菜と油揚げの煮びたし、生ひじきの炒め物。


3月18日(土)
水俣は快晴。桃が咲いている。6時に車で人吉から水俣に戻る。駅前の朝市は、新田九州男さんひきいる自然農業グループたちが出している。ここには杉本水産も出していて、杉本栄子さんがいた。『証言 水俣病』にも出てくる語り部で、漁師である。売り子の手伝いなどをしながらお話を聞く。いろんな人がやってきて会話を交わす。昨日もそうだが、人々の日常的な会話を聞いているだけでおもしろい、楽しい。いろんな暮らしがある。ちょっとした知恵、ちょっとした噂話、知人の心配、天気の話、季節の話、料理の話、明日の都合…。寒いが晴れていて陽が背中にあたると暖かい。ツワブキが出ていて、杉本さんに料理方法を教えていただく。花粉症には、同じ時期に花が咲く菜種の花(菜の花)の開きかけをゆでて食べると効果があるそうである。栄子さんの夫が今年はじめて花粉症になり、それで直すことができたという。孫が「苦い」というのを、ちょうど孫が遊んでいたカルタがあったので、「良薬口に苦し」の意味を教えたそうだ。昔から、春の山菜の苦みが、冬の毒を消すと言ってきた。子どものころ、何かで読んだ覚えもある。なるほど、理がある話である。
その後、久木野地区に行き、林業センターの館長を訪ねるが、休みだったので、底の名物タイカレーを食べて人吉に戻る。タイカレーは、タケノコの代わりに干しタケノコが使ってある水俣風。だがおいしかった。
実家に戻った後、ツワブキを教わった料理方法で調理してみた。皮ごと煮るのである。あくぬきのための下ゆでもしない。ただ表面の毛を落として、醤油、酒、黒砂糖でくつくつと煮詰めるだけなのだが、いつの間にか、あくや苦みが消えて、やわらかくなる。一晩置くとよい。おいしい。夜は、焼鳥屋へ両親と行く。経済連につとめている高校の同級生に遭遇。

購入:干しひじき、イリコ、冷凍カタクチ、ツワブキ(生)、ツワブキ(ゆで)、生シイタケ、サツマイモ、醤油、ニンニク入りゆずコショウ。

食:6時、おにぎり。
食:10時半、タイカレー(外食)
食:18時、焼き鳥、おでん、ビール、焼酎(外食)


3月19日(日)
人吉、雨のち晴。終日、父のパソコンメンテナンスと仕事。朝ご飯は実家で簡単に。昼は、チャンポンと餃子を食べに外出。夜は、実家にて、母の手作り料理をたくさん。父に子どものころの食生活についてまとめるようにそそのかす。父は、海に近い山に生まれた。貧農であり、祖母はずいぶんと苦労している。食うのに苦労した日々でもある。しかし、海があり、川もあった。海、山、川は、季節の恵みをもたらしてくれた。貧しさの中の自然ゆえに、鮮烈な舌の記憶を持つ。父が子どものころ遊び、私もごく幼いころに数度親しんだ豊かな川は、もはやこの時空に残っていない。囲炉裏に木をあぶり、その皮の内側の木酢の酸味でご飯を食べた日のこと。貝を拾い、ツワブキを煮、漁師の親類が持ってきた新鮮なイワシをカメに入れ、塩漬けしておき、夏にカライモ畑で焼いて食べた。フナを手でとり、川エビをとって食べた記憶。父の母が作り続けた味噌やタクワンの味。それらはすべて失われたが、父の舌の記憶として強烈に残っている。私が覚えているのは、蒸気機関車に乗り、バスとタクシーを乗り継いで囲炉裏のある祖母の家を訪ねたこと。畳のない家の中心に囲炉裏があり、鍋が上からかかっていた。中には汁が煮えていた。外には犬がいて、便所は外の小屋だった。夜、小便に行くのが恐ろしかった。小屋のまわりはカライモ畑だった。昭和40年代半ばの光景である。私は5歳だったろうか。私には、その舌の記憶はない。たったひとつ覚えているのは、満員の冷房もない蒸気機関車で座席に座れず、木のドアのついたステップのところに腰かけ、売りに来た半分とけかかったオレンジシャーベットを食べたこと。その人工着色料と甘味料、香料の強烈な味。1965年に生まれ、それは高度成長期の波がようやく届きはじめた農村地区の風景である。

食:9時、ご飯、味噌汁、ツワブキの煮付け、ヒジキの煮物、漬物、サバの塩焼き。
食:12時、チャンポン、ご飯、餃子(外食)
食:18時、ご飯、ヤマメの塩焼き、ヤマメの南蛮風、ポテトサラダ、煮しめ(こんにゃく、シイタケ、ニンジン、トイモ、里芋)、スズキの刺身、ツワブキ、ヒジキ、焼酎。


3月20日(月)
祝日である。晴れ。5時起床。朝ご飯を食べ、熊本空港へ。熊本から伊丹を経て出雲空港へ。出雲市までバスで行き、JRで大田市へ。そこからタクシーで三瓶山まで行く。昼は大田市のスーパーの2階にて。三瓶山到着後、竹田氏と水俣関係の打ち合わせ。その後、夕食を食べ、地元に住む放牧牧畜の研究者と話す。その後、竹田氏と仕事を続ける。深夜就寝。

食:5時、ご飯、味噌汁、ポテトサラダ、ヤマメの南蛮風。
食:13時、カツ丼、味噌汁(外食)
食:19時、茶碗蒸し、白身魚の刺身、焼き魚、地鶏と鮭のバター焼き、おひたしなど、日本酒少々(国民宿舎にて)


3月21日(火)
島根県大田市、三瓶山、晴。終日国民宿舎にいる。午前は、一時、三瓶山を回る。午後はシンポジウム。夜は、放牧牛で10歳、8産の牛を半年肥育してつぶしたものをみんなで食べる。地場牛の大会である。料理の例を挙げると、しゃぶしゃぶ、チーズフォンデュ、テールスープ、タンシオ、一口ガーリックステーキ、ローストビーフ、ミートローフ、牛肉と大根の煮込み、牛肉のたたきなどである。コクはなかったが、10歳牛にしてはやわらかく、またスープはおいしかった。でも、野菜が欲しい。

食:7時30分、ご飯、シジミの味噌汁、目玉焼き、揚げ豆腐、焼きシャケ、かまぼこ、海苔(国民宿舎)
食:12時、割子そば(国民宿舎)
食:18時〜10年ものの放牧廃牛を肥育した牛肉の料理を様々に(国民宿舎、イベント)


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