いまさら聞けない勉強室
テーマ:胃袋が変える日本の風景〜ご飯と水田

牧下圭貴


●ご飯、食べてますか?
 ご飯を1日何回食べますか? そのうち「ごはん」、お米を炊いたご飯は何回食べますか。1回の食事で、ご飯はどのくらい食べますか? 1合? 2合? 今の多くの日本人はそんなに食べません。お茶碗1杯ですか。
 お茶碗1杯で、お茶碗にもよりますが、だいたい150gだそうです。
 お米1合というのもだいたい150gですが、こちらは白米の場合。1合のお米を炊飯すると、約2.2〜2.3倍になります。
 1合のお米で330〜350gぐらいのごはんが炊けることになります。
 お茶碗2杯から2杯半あたりです。

 今の日本人は、1年間にどのくらいのお米を食べているでしょうか。政府の食糧需給表によると2000年のデータでは、国民ひとりあたり64.6kgです。
 5kgの米袋で13袋ぐらいです。
 よく時代劇などにでてくる米俵が、だいたい60kgです。つまり、今はだいたい1年間に米1俵ちょっとを食べているということです。
 ちなみに、同じ食料需給表でみると、日本人が戦後もっとも米を食べたのは、1962年のことで、1年間に118.3kgを食べていました。5kgの袋で24袋。米俵約2俵。
 今の倍です。
 第二次世界大戦後、米の大増産時代に入りました。戦時中の化学工業の転身で、農薬や化学肥料が大量に生産され、区画整備などもすすんで米の生産量は増え、それにともなって、日本人の米の消費量もだんだん増えていきました。
 しかし、1960年代に入り、高度経済成長時代を迎えると、肉や油分の摂取量が増えていきます。主食中心からおかず中心の時代がやってきました。経済が上向きになり、所得が増えていくと、穀類の消費が減って、肉類の消費が増えるのは、世界共通に見られる傾向です。今、ちょうど中国の肉類消費量が増えています。
 ずっと下降傾向にあった米の消費ですが、1993年の凶作、米パニック、輸入米の抱き合わせ販売が行われたとき、米の消費量はさらに落ち込み、その後回復することなく、さらに消費量は減り続けています。

●米の生産と減反
 1969年、米の生産調整がはじまりました。いわゆる減反政策です。1963年から4年間、豊作が続いたことと、消費量が減り始めたことで、米余りが起こりました。この頃、米は基本的に全量を政府が買い上げ、販売していましたから、米余りは、そのまま政府の在庫となり、財政負担となりました。そこで、減反政策がとりいれられたのです。
 米余り対策の緊急措置だったはずの減反政策は、国内の消費量が減り続けたことと、生産性がさらに向上したことから、以来ずっと行われています。
 全国一律の減反政策は、専業農家も、兼業農家も、広い田んぼの生産者も、棚田や山間部の生産者も、同列に扱うものでした。そのため、作りにくいところ、つまり、山間部や棚田のようなところから事実上、米を作らない田んぼ、荒れた田んぼが増えていきました。
 1993年、大凶作の年、国際間の貿易問題を協議するガット・ウルグアイラウンドで、日本は米のミニマムアクセス方式による輸入を受け入れました。同時に、それまでの、原則として米を政府が全量を買い上げ、販売する制度の食糧管理法をあらため、食糧法をつくって、原則的に、生産者が自由につくり、販売する道を開きました。
 しかし、実際には、新しい食糧法のもとでも、生産者にとっては強制力のある減反政策が続けられ、今は日本全体の水田の30数パーセントが減反されています。
 2000年に日本国内で約949万トンの米が生産されました。約88万トンが輸入され、約46万トンが輸出されています。実質輸入量と国内生産量を合わせて約1000万トンが国内消費などに使われています。

●風景が変わりました
 1962年に日本の水田の作付面積は、313.4万ヘクタールでした。2001年の作付面積は155万ヘクタールです。ほぼ、半分になりました。
 生産性の向上や人口の変化、輸入量の増加などの変化はありますが、大まかに言って、1962年に比べて食べる量が半分になったのですから、田んぼが半分いらなくなりました。
 よく、日本のふるさとの風景が失われていったという声を聞きます。棚田の保全活動も盛んです。田んぼをめぐって繰り広げられる動植物の生態系の豊かさにも注目が集まっています。新潟県佐渡で行われているトキの野生復帰にも水田が欠かせません。
 雨の多い日本で、田んぼは洪水調整機能や水の浄化、保水などの機能があり、重要だという意見もあります。東京都日野市や千葉県市川市では、生産者に田んぼを維持してもらうことで、洪水対策にしようと工夫しています。
 水田を守ろうという取り組みは、数多く行われ、成果を上げています。
 しかし、日本全体で見れば、田んぼは半分になりました。
 それは、日本人が米を食べなくなったからであり、私たちの胃袋が、この風景の変化をもたらしたのです。
 胃袋の力、食の力をまざまざと思い知らされる数字です。
 そして、今、さらに田んぼが減っています。輸入米の増加、米の価格の低下、生産者の高齢化、水田を大豆や麦、野菜や果物などの畑に変える政策…1995年まで200万ヘクタール台で徐々に減ってきた水田は、2002年までの5年間で50万ヘクタールが作付されなくなるなど、減少に拍車がかかっています。


●学校給食で地場産に注目
 今、学校給食の現場で、地場産農産物が注目を集めています。学校給食をつくる栄養士や調理員からも、農協や地域の人々からも、学校給食で地場産農産物を扱って欲しいという声が高まり、努力と工夫がはじまっています。
 総合的な学習の時間が導入され、生活している地域を学ぶ工夫のひとつとして、また、農業や自然環境を学ぶ教材として学校給食の可能性が見直されています。地場産農産物を使った学校給食をきっかけに、田んぼでの米作りの学習や自然観察などを行っている学校もあります。
 お米の場合、単純に量としても学校給食への利用は大きな影響があります。
 そのことを数字で考えてみます。

 文部科学省の学校給食実施基準では、ご飯給食の場合、小学校中学年でご飯80g、中学生110gとなっています。これは、炊飯したときのご飯です。白米に変えると36g、50gぐらいです。
 東京都の学校給食標準食品構成では、小学校中学年34g、中学生44gとなっています。こちらは、白米の量です。ちょっと少な目です。
 学校給食は、年間約190日行われています。パン食がなくて毎日ご飯給食だとすると、
 小学校中学年で、190日×36g=6840g=6.8kg
 中学生で、   190日×50g=9500g=9.5kg
となります。

 全国的な平均収量は、10アールあたり518kgです。
 10アールというのでは分かりにくいので、畳の数で考えてみましょう。
 だいたいの面積です。
 1反=300坪=600畳です。6畳ならば100部屋、10畳ならば60部屋を想像してください。
 1反はだいたい10アールです。
 つまり、600畳で、だいたい500kgぐらいはお米が生産できます。
 有機栽培や減農薬栽培などの場合は、だいたい1反で8俵ぐらいだと言います。
 そうなると、8俵×60kg=480kgとなります。

 小学校中学年で1クラス35人だとします。1クラスが1年間に食べるお米の量は、
 35人×6.8kg=238kg です。
 2クラスでは、476kgです。
 ちょうど、有機栽培の1反ぐらいになりました。
 12クラスの小学校で6反の水田が必要ということです。

 1つの小学校が学校給食だけで、田んぼ6反、3600畳分も維持することができます。
 食べる力を集団で発揮すると、風景を変化させることは、それほど難しいことではありません。

●食べる環境保全
 お米を食べないことで、水田のある風景が失われつつあります。ならば、もう一度、食べることで、風景を取り戻すこともできます。自分が暮らしている地域の米、あるいは、自分が守りたい水田の米を選んで、食べることだけでも、その水田を守る力となります。
 何を食べるか選び、食べることが、そのまま、地域の環境保全につながります。
 大人が年間1俵しかお米を食べなくても、8人から10人で1反(600畳)、80人から100人で1町(6000畳)の田んぼになります。
 環境保全活動に取り組むとき、ぜひ、食と農、環境保全との結びつきをうまく活用してください。きっとおもしろい効果があると思います。

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