リトルタジャン 育苗場づくり
昨年は、植林をしていますが、今年は、まず苗作りです。まずは自生していたザボンのような大きな柑橘を食べ、種を取ります。また、マホガニーやイピルイピル(豆科の木)など見つけたら、種を確保しています。 育苗場の建築は、鈴木氏が書いているとおりですが、私も2日間、もっぱらカメラマンとして立ち会いました。 借りた敷地の草を払う。 斜面を重い木を2本も3本もかついで運ぶ。 堅い土に穴を掘り、杭を打つ。 豚や水牛が入り込まないように鉄条網を二重、三重に巻いては釘を打つ。 人が通れるように木のドアを立てる。 苗に強い日差しや強風が当たらないよう網のフードで囲いをつくる。 囲いの中に平らな面を作っていく。 雨が降ると流されるので、溝を掘る。 山の乾いた土と買ってきた有機たい肥を混ぜる。 プラスチックポットに土を入れる。種を入れる。 そして、水をかける。 山火事で、育苗場が燃えないよう、周囲に火入れをする。 2日間、第一号試験育苗場の完成です。 NGO・CORDEVのスタッフ、グレッグとジュリオス、それに、ジュリオスのお父さんはずっと参加し、あとは入れ替わり、立ち替わり人が参加します。 育苗場は、リトル・タジャンに最初に入植してきた人の敷地を借りています。しかも、井戸のすぐそばです。育苗場は水の確保が大事。水やりも大変です。育苗場の第一条件です。 2日目の夕方、土をプラスチックポッドに入れる作業をやっていると、カラバオ(水牛)に水を浴びさせようとやってきた少年が興味深そうに近づいてきて、じっと見ています。作業をしている大人達は知らんぷり。少年は、たまらず、鉄条網の内側に入り、やがて手伝いはじめました。 当の大人達は、全員が男性ということもあって、女性の話や冗談に花が咲きます。時々、グレッグが翻訳してくれましたが、きっと、あたりさわりのないものだけだったのでしょう。 日本でも、男性だけのとき、女性だけのとき、農作業や力作業をしていると、そういう話で盛り上がるものです。みんな疲れているようでしたが、笑いの力で最後まで楽しく作業を続けていました。 夜のひととき ![]() 以前にも紹介しましたが、ジュリオスのお父さんは、元鉱山労働者。入植後に、家族総出で半年以上かけてため池を手作業で掘り、それにより、カラバオの水遊び場、小さな田んぼ、ため池での魚の収穫、ため池周辺の木陰や果樹などを得て、自給することができるしくみを作っています。 もちろん、換金作物として飼料用のトウモロコシも作っていますが、まず、主食である米を自給し、魚などタンパク質も自分で確保して最低限の生活を築き、その上で子どもの学費などのために換金作物を育てたり、牛を飼っています。 この強い意志と現実の池や田んぼを見て、リトル・タジャンでのプロジェクトはスタートしました。 ジュリオス自身も、そのお父さんの元で、農業カレッジまで進み、そこで伴侶を得て、リトル・タジャンに戻り、CORDEVのスタッフとして各地を回りながらも、ふるさとであるリトル・タジャンを何とかしようと頑張っています。 陽が落ちてあたりが暗くなり、満天の星がまたたくころ、日本から持っていった日本酒を酌み交わしつつ、グレッグがジュリオスのお父さんの言葉を英訳してくれます。 「日本から友人が何度も訪ねてきてくれ、一緒に考え、働いてくれる。そして、長い夢だった木を植えて将来のために森をつくり、水の心配をなくすことが、少しずつ回りの理解を得て実現していく。このことに感謝したい」 一度、完全に伐採され、表土が流れるような山でため池を作り、安易に換金作物に走らず自給に軸を据えて生活を作るジュリオスの一家。その暮らしの姿勢を学ぶことができて、私もとても感謝しています。 ソラノの市場 ![]() マニラの商業施設 ![]() これもまた、今のフィリピンのひとつの姿です。 |