倉渕村就農スケッチ・「寒さの夏」

和田 裕之、岡 佳子



 今年の夏は寒かった。寒さに加えて日照が少なかった。雨量が多いわけではないが、雨天小雨霧雨の日が続いた。6月中旬の入梅から8月上旬の梅雨明けまで、例年なら梅雨の中休みで2・3日の晴れ間があったりするものだが、今年は晴れの日は続かず、植物は徒長気味、畑はぬかるんだ状態が続いた。
 わが家の作物で一番影響を受けたのはズッキーニだった。雨で受粉が進まず実の成りは少なく、やっと受粉した実も低温でなかなか大きくならない。例年の3分の1くらいの収量しか取れなかった。ズッキーニはわが家の収入の柱となっているのでこれは痛かった。そして茄子。もともと茄子は寒さに強いわけではなく標高700メートルの畑で露地栽培はギリギリの線なのだが、この寒さで生育は思わしくなく実の成りも悪い。ゆっくりと大きくなる実は皮が固くなって茄子らしくない。これは昨年の4分の1くらいの収量。オクラは8月中はほとんど取れなかったし、ピーマンの生育も今ひとつだった。くらぶち草の会の仲間では、低温多湿できゅうりに病気が蔓延して収量が例年の半分以下とか3分の1とかの人が何人もいた。
 よくできたと思ったカボチャは猪に食われ、その後の被害をどう食い止めようかと私たちを悩ませた。山でも食べ物が少ないらしく、今年は例年以上に獣害の噂を耳にする。8月9日には台風10号が接近。収穫が始まったばかりの遅まきのズッキーニ約500本を折り、不作ながらも寒さに耐えつづけた茄子の枝を揺さぶって行った。泣きっ面に蜂とはまさにこのこと。
 10年前の冷夏・凶作の年、私は有機農産物の流通の仕事に携わっており、生産者になんと声をかけていいかわからずとまどいもしたが、はたしてあの頃の私は今の痛みを想像できただろうか。
 梅雨明け後、お盆の頃も冷たい雨が降り続き秋作の準備もままならず、気象予報士は連日「あさってからは晴れるでしょう」を笑顔で繰り返した。この時ほど天気予報のお兄さんお姉さんが憎らしく思えたことはない。「8月にして今年度の減収は確定か?」と歎いたり、「こんな年もあるさ」と自分たちを慰めたりもした。
 だが、こんなことでへこたれていては百姓なんて務まらない。オロオロ歩いているばかりでは食べては行かれない。収穫が少ないということは、収穫時間が短く例年ほどは忙しくもないということ。例年の夏には忙しくてできない種まきや育苗などの仕事をどんどんして、夏に取れなかった分を秋冬に取り返すのだ。秋作の予定になかったレタスとサニーレタスの種を蒔き、人参、小松菜、ほうれんそう、春菊、チンゲン菜、カブ、大根、白菜他を予定以上に多く蒔き植付け、残暑に期待する。たくさん出来過ぎても「野菜が余ってもったいない」なんて言っていられない。予定(作付契約)外で売れない野菜、余った野菜は車に積んで直接売って歩く「引き売り」をするのだ。おそらく就農7年目で最も忙しい秋になることだろう。転んでもタダでは起きないのが百姓のしたたかさというものだ。
 9月に入ると期待以上の残暑が続いた。遅霜のために多目に蒔き直した遅蒔きのインゲンが予想以上に実り、7・8月の寒さを耐え抜いたピーマンがなんとか取れだした。カボチャ畑には愛犬のケン太を繋いで猪の侵入を食い止めた。ぷらっと農園(坂本さん)と共同で育てた雑穀、アワ、キビ、タカキビ、アマランサスが豊かな実りを見せ、その収穫作業に忙しくなった。たわわに実ったアワの穂はまさに豊かな実りの秋の象徴。そして寒い夏にも充分耐えうる雑穀の力強さに感慨ひとしお。田んぼでは稲が金色の穂を垂れる頃となった。今なら寒かった夏を笑顔で振り返ることもできる。


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