トリインフルエンザで考えたこと
竹渕 進

 今年は正月明けからトリインフルエンザ報道がつづいている。平飼い養鶏をしている者として、ニュースや新聞、家畜保健所からのファックスを見るたびに、なにかもやもやした暗い気持ちで1カ月あまりが過ぎた。東南アジアや中国で感染が拡大しているのを見ると、感染拡大をなんとしても阻止しなければならないのは当然のことだ。
 しかし、発生のおおもとは何なのだろうか。私は、どんな飼い方をしていたのか、どんなエサを食べていたのかということを知りたいのだが、そういった報道はまったく耳にしない。ただ、発生農場の殺処分されたニワトリは、日本でも韓国でも、1カ所数千羽から数万羽だ。東南アジアの国々でも、日本に輸出されていた鶏肉がこの飽食な国の需要の数十パーセントになるというのだから、その飼い方はいくらか想像はつく。ニワトリに限らず、畜産全体、もっと言えば生命とのつきあい方を問いなおす時かもしれない。
 このところたてつづけに起きている人間と動物にまつわる感染症、SARS、鯉ヘルペス、BSE…O157、MRSA。今回のトリインフルエンザ報道を聞いていて、私はO157のことを思いだした。O157の食中毒発生以降急速に広がったのが、除菌、抗菌グッズだ。とにかく除菌すればいい。菌だけを悪者にして、お腹の中のことや食生活を問題にはしなかった。BSEでは肉骨粉だけを悪者にして、なぜそれを与えたのかという効率重視の畜産はあまり問題にならなかった。それに、肉骨粉だけが原因ではなく、有機リン系殺虫剤原因説もある。
 いつも何か起きると、その発生源(かならずそれは、外敵として現われる)をつきとめ、それをたたき、封じこめるという方法だけがとられる。ちなみにブッシュもこのやり方でフセインをたたいた。いま人と動物のあいだで起きていることは、ひとつの象徴的なできごとなのだと思う。生命とどうつきあうか、効率や生産性最優先の社会や暮らしをどう変えてゆくのか。いままでも、水俣病や公害問題が起き、その中で有機農業が少しずつ広まってきたのだと思う。それは暮らしを問いなおすことからであり、認証を受けることからではない。今回は、ファーストフードや牛丼チェーンのお世話になっているより多くの人たちも含めて、よく考えていけるチャンスかもしれない。

copyright 1998-2004 nemohamo