水菜、全国へ

成田 国寛




 ここ最近、安い水菜が出回っている。いつも定点観測しているスーパーでは、小さな水菜(茨城産)が3〜5株ほど入って1パック(200g)100〜150円ほど。平台に積みあげられ、ホウレンソウやコマツナより目立っている。
「暑い時期の水菜って、おいしいのかなぁ」と訝りながらも買ってみると、意外とクセもなくあっさりしている。サラダでもいけそうだ。夏にホウレンソウを食べたいとは思わないが、これなら食べてみようという気がする。
 水菜と言えば鍋物の具や漬物のイメージがあったが、知らぬ間に1月の東京市場の売れ筋No.1にもなっていた。地方野菜の水菜に何があったのか、ちょっと調べてみた。

■品種改良、周年栽培、そして各地へ
 伝統野菜の水菜は京都の冬野菜(漬菜)として古くから栽培されている。分けつが多く、収穫期には4kg前後と大株になる。そのため普段の家庭用食材としては使い勝手が今ひとつの野菜であった。
 かつて京野菜の消費が減り存続が危ぶまれたとき、水菜も消費回復をねらって新しい料理法の提案や小株出荷が試みられた。その結果、消費は増えたのだが、今度は生産が追いつかなくなった。そこで近郊に水菜栽培を呼びかけ、品種改良が行われ、周年栽培もできるようになった。生産技術が高まると、関東などでも導入が始まった。先の水菜もそんな関東の新興産地から入荷されたものである。
 現在の水菜は小株が主流。早生品種だと夏場で播種後1ヶ月程度で収穫でき生産効率も良い。(ハウス栽培だと年に6〜7作が可能)サラダや洋食にもあい、手頃な価格も手伝って全国的に水菜消費量が増えているらしい。
 ちなみに、現在の主な品種は交配種。水菜といえば固定種ばかりと思いこんでいたのだが、生産効率を考えたら当たり前かと納得。

■茨城の伝統野菜?
 今年の春、先のスーパーで袋に「茨城の伝統野菜」と印刷された水菜を見つけた。「おやっ?」と思い、地方野菜大全などで調べたがそのような事実はない。気になって茨城の産地の様子を聞いてみた。
 茨城の農協や生産者が水菜を積極的に導入した結果、安定して周年栽培できるようになったのだが、生産過剰から安い水菜が市場にあふれ、すでに一部では再生産可能な価格とは言い難いところまできているらしい。
 そのような背景の中、なんとか付加価値をあげたいとの思惑があり、昨今の伝統野菜ブームにあやかって「茨城の伝統野菜」とつけたのではないかと推測している。「こりゃ、クレームがくるぞ」と思っていたら、しばらくして店頭から撤去され、違う生産者の水菜に置き換わっていた。消費者を欺くようなやり方は、水菜全体の信用を落とすことにもなる。自分たちのクビをさらに絞めるようなことはすべきではないと思う。

■水菜よ、どこへいく
 京都の老舗の八百屋「錦かね松」の店主は、今の水菜ブームを快く思っていない。サラダ感覚で食べられるクセのない改良水菜は、本来の水菜ではないからだ。京の食文化との接点が薄れてしまい、水菜が単なる低価格の野菜になりさがってしまうのではないかと危惧している。実際、京都の水菜産地でも低価格の影響が出始めていて、自治体がブランド強化に動き出していると聞いている。
 個人的には改良水菜の味は嫌いではない。品種も栽培体系も違うので、本場の水菜とは別の野菜と思っているぐらいである。錦かね松店主の心配もわからぬでもないが、一般家庭で水菜が食べられるようになり、認知度が高まることで京の水菜のブランド力がかえって高くなる可能性もあると思う。
 ブランドを囲い込みすぎるよりも、多くの消費者に水菜を食べていただくことも大切ではないだろうか。野菜の消費が減っている日本人にとって、食べやすく新鮮な国産野菜が増えることは望ましいことではなかろうか。茨城産の水菜を眺めつつ、そんな気がしてならない。

水菜の由来:
畑の畝間に水を引き入れ、畑の地力だけで栽培したことが由来といわれている。1683年の栽培記録があるが、一説によると平安時代の京都周辺でも栽培されていたようだ。関東では水菜のことを「京菜」とも呼んでいる。早生、中生、晩生があり、早生の葉色は淡緑色、中生はやや濃く、晩生は濃い緑色をしている。京都では今も自家種(家種)にこだわって生産している農家もいる。ちなみに壬生菜は1800年代に水菜が自然交雑してできたものと言われている。



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