自家採取とナス

潮田 和也

 らでぃっしゅぼーやでやっている、「いと愛づらし野菜百選」の話題は何度か書いたが、この関係の仕事をやってもらっている、部下の女性が、以前から、自家採種の勉強会を開催したいと言っていて、ちょうど、「財団法人 自然農法国際研究開発センター」で、Iさんという研究員の方が好意的に協力していただいたようで、希望する生産者を集めて勉強会を開催する運びとなった。
「いと愛づらし」ではずいぶん協力していただいている、自家採種で有名な長崎の岩崎さんも、わざわざ長崎から来ていただいた。
 正直言って、僕は、自家採種自体は、経済活動としての農業の中ではとっても非効率で、広がっていくのは難しいだろうなーと思っていて、あまり積極的にはなれなかったのだが、意外だったのは、勉強会にはたくさんの、しかも若い生産者が参加したことと、僕自身がとっても目からウロコのことが多く、大いに興味をそそられたことだった。

 種というのは、最初は、同じ種類の種を蒔いたつもりでもけっこういろんなものができてしまう。なるべく同じ形質のものを選んでそこから種を採り続けていけば、だんだん形や性質が同じようなものに揃ってくるわけである(これが種を『固定させる』って意味だ…と思う)。そして、その場所の気候とか風土の中で生き抜いたものから種を採るわけだから、その地域で種を採れば、ちゃんとその地域に向いた性質を持っている、いい野菜ができるはずなのである。
 今、世の中にあるレタスは、種苗会社が海外のかなり乾燥したところで育てて種を採っているらしい。だから、乾燥の中、生き残って種をつけた「乾燥に強いレタス一族」をいきなり湿気の強い日本で育てるのは難しいはず、ということだ。
 確かに、レタスは雨が降った後晴れたりすると、すぐに「でろっ」って感じでとろける。僕たちは「この野郎!とろけやがって!」とレタス自身にあったったり、生産者には「とろかせやがって!」とイヤミを言ったりするわけだが、レタス側にしてみれば、乾燥にはとても自信マンマンなのに、気づいてみるとこのクソ蒸し暑い日本で育てられていて、むしろ迷惑している方なのである。
 開発センターの農場では、長野の気候の中でレタスを育て、種を採る実験をしている。しかしまだ、ちゃんと育つ種は採れていないらしい。ちゃんと育つやつが現れたらそこから種を採っていき、「湿気に強いレタス一族」が生まれるかもしれないわけだ。
 ちなみに話はそれるが、レタスは自分で結球しておいて自分で生長の邪魔をしている間抜けなヤツで、人間が球を割ってあげないとこれ以上大きくなれないのだが、生長したレタスというのはクリスマスツリーのようになって、かなり笑える姿であることをご存知だろうか。

 今年はなすが大豊作だった。2年連続で天候不順でなすが不作だったので、今年こそは、と生産者に、大量に作付けを依頼してしまった。普通は低温や、台風が一回通ったりして減っていくんだが、今年は何事も無く、大豊作だった。本来喜ぶべきなんだろうが、あまりに多すぎて頭が痛くなるほどだった。
 そのなすも、長なす、もっと長い大長なす、普通の千両なす、丸なす、小なす、青なす、白なす、米ナス、と今年はものすごく各地域の特徴あるバラエティ豊かに作付けをして、すべて順調に出荷された。
 何で日本各地で違ったナスになるんだろう? と不思議だったが、今回の勉強会で「これだ!」と思った。
 九州は長なす系が多く、山形や新潟は小なすが多い。九州は暑い。暑いところでのなすのおいしい食べ方は…そう、焼きなすである!そしてなすは長いほうが焼きやすい。つまり、なすの種を植えて、さまざまな形ができてきた中から、長年、「焼いてうまそうな長いやつ、長いやつ」と選んで種を採り続けてきた結果が九州のびろーんと長いなすの地域になったのではないか。
 そして、山形や新潟は雪国。貯蔵できる「漬物」が盛んな地域である。そして漬かりが良いのは小さいナスである。ここでも、「漬けてうまそうな小さいやつ、小さいやつ」と種を選んできた結果、「日本海小ナス地帯」ができてきたんだろう。
 種を採る、ということは、いわば、人間が人間の都合の良いように野菜を「進化」させているようなものなんだろう。

 今回、やはり種を採っていくことは大変だー、という思いには変わらなかったが、それによって、この野菜の種がどこでどういう風に育てられてきた種なのかを知る、つまり、「野菜の素性を知る」ことを考えるきっかけになるわけである。
「栽培技術」によってできることなんて、そう多くないんじゃないだろうか。栽培技術よりも、その地域の風土が野菜に影響する部分が大きいはずである。だとすると、種の素性を知って、そこの風土にあった種を植えることがもっと重要になるはずだ。

 最近、僕の仕事のスタッフたちが、ちょっと、「品質が悪いのは生産者の栽培技術が足りない、技術を得ていけば良くなるんだ!」と、「栽培技術至上主義」みたいな感じになってきていた気がしていたので、それにちょっと歯止めをかけようと思うよいきっかけとなったのであった。

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