しずみんの まう・まかん
お題:おこめのごちそう

特集:熊本県水俣市 「食」をめぐるフォーラム参加記

水底 沈





■秋の水俣へ!

先日、熊本県の水俣市にうまいもんを食いに行くという夢のような機会に恵まれた。ヤッホー。
たまにはこんないいことがある。
水俣というところは、すごく広いわけではないのに、川の水源から河口まで、山から海までがひとつの市にぎっしり詰め込まれているところである。つまり、山の幸、海の幸が無理なく食卓に同居できる、とても豊かなところなのですな。
私がお邪魔したのは、久木野地区というところ。立派な棚田が自慢の米どころで、「万石」という品種の香りモチ米が特産。この香り米を、ごはんを炊く時に1〜2割混ぜると、タイのジャスミンライスにも似た香ばしいごはんになる。
あちこち田んぼや畑、山などの「食べものが生まれるところ」を見せてもらった後、お昼は地元のおかあさんたちのグループがしつらえてくれた。テーブルにぎっしり並んだ色とりどりの、ごちそう、ごちそう、ごちそう!
ここのごちそうは、実は普通ではない。

最近の旅館や和食レストランの「ごちそう」って、山だろうが海だろうが、えびフライに刺身盛り、なんぞを色とりどり取り合わせて出すだろう。松茸ごはんの松茸さんは大陸出身だったり、ひなびた温泉宿で伊豆産の伊勢エビが出たり…悪いとは言わないけど、「ここでなくても食べられるもの」で「ごちそう」が構成されていることが多い。
赤いものがあるとチラシ映えするからエビカニエビカニエビカニをばーんと飾り、ちまちま小鉢で客を煙に巻き、なぜだか必ず飛騨のミニこんろかちびちゃい牛肉の陶板焼き、もしくはどうにもならない紙鍋がアトラクションのようについている。山の中で刺身を出し、海辺できのこ釜めしが出たりする。本来彼らのふるさとのはずなのに、たいそう遠くからそばや山菜が船に乗ってやってくる。それが最近の外食産業の「おもてなし料理」のトレンドである。
ところが久木野のごちそうは、基本的に「そこでとれたもの」ばっかりでできているのだ。
下にメニューの全てを書き出してみる。

おむすび(万石)
太巻き(卵焼き、にんじん、しいたけ、きゅうり、桜でんぶ)
栗入り赤飯むすび
まんじゅう(夏豆&ヨモギ)
赤目柏のだんご
地鶏めし(地鶏、しいたけ、たけのこ、にんじん、ギンナン)
地鶏の照り焼き
卵焼き(地鶏の卵)
みょうがときゅうりのサラダ(みょうが、きゅうり)
煮染め(かぼちゃ、じゃがいも、しいたけ、にんじん、こんにゃく、大根切り干し、厚揚げ、ふき)たけのこきんぴら(干したけのこ、にんじん、ごぼう、)
ニガウリの佃煮(ニガウリ、ごま)
ニガウリの梅酢和え(ニガウリ、ごま、梅酢)
ピーナツ豆腐(ピーナツ、葛、味噌)
地鶏汁(地鶏、ごぼう、にんじん、しいたけ、ねぎ)
巨峰、梨
どうよ。ヨダレたれてきませんかね。(私の子供の頃の方言では「よどが出る」という。)


■あるものが、じまんです。

現代の食生活の一般においては、献立のメインに動物性たんぱく質を据えないとなかなか格好がつかないものである。ごはんとみそ汁に、鶏肉の照り焼きや刺身、煮魚、とんかつ、などなど。メインに肉か魚がどーん、とあり、それにサラダや和え物などを添えないと、「今日のごはん」というスタイルがつくりにくいのだ。さらにおもてなしの「ごちそう」となると、肉や魚はさらに重要な「おもてなしアイテム」になる。クリスマスのパーティーメニューがいい例だけれど、鶏の丸焼きやフライドチキン、唐揚げ、もも肉の照り焼きなどがないと、どうもピンと来ないような気がするものなのだ。
ところが、この日の久木野の「ごちそう」の主役は明らかに「お米」だった。白いきらきらしたおむすび、赤飯、地鶏めしに太巻き。それを取り囲むほとんどのおかずは野菜や山の木の実などでできたメニューだ。なのに、色とりどりで、わくわくして、「ごちそう感」にあふれている。
それは、この土地が豊かな食べ物にあふれていることももちろんだけれども、久木野の人たちが自分たちの作っているお米や野菜が大好きで、誇りを持っているからなのだろうな、と思った。料理してくれたおかあさんたちも、お米や野菜を作っているおとうさんたちも、料理のことを聞くとにこにこしながら身を乗り出して、きらきらと話をしてくれる。ああ、この人たちは、ほんとに自分ちのお米が大好きなんだな。野菜も子供のようにかわいがって大事に育ててきたんだな。社のギンナンや山の栗や柿も、子供の頃から大切に守ってきたんだな…と思いながらいただくおむすびは、倍うまい。
自分たちの作っている食べものことを自慢できるというのは、とても幸せなことだ。日本人は遠慮がちな民族なので、他人にものをあげる時に「つまらないものですが」「ご笑納ください」などとへりくだるくせがある。奥ゆかしい和の風習なのかもしれないが、ゆきすぎると嫌味だ。私の子供の頃など、田舎が過ぎるせいか隣のバーサンがおかずをおすそわけしてくれる際、「まずいから捨ててね」と言いながら持ってきた。もちろん謙遜なのだが、子供の私は「捨てるようなものを、なぜくれる」と思ったものだ。それより、「これ、すごくおいしいんだよ!食べて食べて!」とくれたものの方がよほどうまそうではないか。本当に自慢に思うもの、誇れるおいしいものには、もっと素直になってもよいと思うが、どうだろうか。










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