倉渕村就農スケッチ・「WWOOFと農園たお」

和田 裕之、岡 佳子



 昨年の11月2日から16日まで、農園たおにはアイルランドからジェ二ファーという女性が滞在していました。(わが家の小さな太緒は「ジャニファー」と呼びます。なぜか一番発音が上手!子どもの耳は正直ですね)彼女には、小松菜や春菊、大根の収穫や袋詰め、米、そば、雑穀の脱穀作業などを手伝ってもらいました。ほとんど日本語がしゃべれないのですが、私たちの、辞書を片手のかたこと英語、身振り手振りで意外にもとても会話が弾みます。農業の事、自給自足の事、新規就農の事、アイルランドの事、遺伝子組み替えの事、狂牛病や鳥インフルエンザの事、イラクの事、原発の事、自然エネルギーの事などなど。(老荘思想の「道(たお)」の説明には苦労しました)こんなにも相手に自分の気持ちを伝えたい、相手の話を理解したいと切に願った事はここ最近ありません。これは説明が難しいからやめようと思わないのです。いろんな言葉や言い方を工夫して挙句には動物図鑑や魚図鑑(「ほっけ」の説明で使いました)も持ち出してジェニファーとコミュニケーションしました。

 ジャックはロンドン大学の大学院生。ガールフレンドのケイトが埼玉県の英語教師として1〜2年間日本に滞在することになったので、ジャックも大学院を1年休学して、日本を中心にアメリカやタイ、インドを旅行する計画です。わが家には11月14日から12月4日まで滞在しました。身長が187センチあり、小さな狭い我が家では、初めはとても窮屈そうでしたが、あっという間になじんできた。彼と一緒にした仕事は大根、カブ、小松菜の収穫。大根はイギリスにはないらしく、彼は、土の中から太くて長い大根を抜く作業をかなり楽しんでいた。畑の片付けの時期でもあり、インゲンとキュウリの支柱2反分の片付けを黙々としていた。そしてジャックといえば大和芋掘り。名人と呼んでもいいかもしれない。地中深く、いろんな形をした大和芋を傷つけずに手作業で掘っていくのだが、彼は誰よりもきれいにしかも短時間で大和芋を掘り上げていった。わが家の最後に残った収穫作業で「厄介だなあ」と思っていただけにとても助かった。しかも彼は本当に楽しそうに「考古学の発掘のようだ」とその仕事をしていた。時に少し芋を傷つけてしまったときなどとても悔しがり、「今度は完璧に!」と意欲を燃やしていた。ジャックのいるときはちょうど消費者を呼んで石窯のイベントをする時期で、縦半分に切ったドラム缶を斜めに伏せて作る簡易石窯の設置やそれでのパン焼きの担当となって、たくさんのパンを焼いてもらった。倉渕村の小学6年生を集めてのドラム缶石窯作り&パン焼き教室でも大活躍だった。パン食のイギリスでも天然酵母を使ったパンや石窯焼きのパンは珍しいらしくパン作りにはとても興味を持っていた。
 ジャックは大学で哲学を専攻していて、一応哲学科出身の裕之とよく難しい話をしていた。かといって私たちはとても哲学の話をするほどの英語能力はないので、辞書を片手にぼつぼつと言ったところ。それでも結構話はできるものだ。ジャックの滞在が2週間を過ぎた頃、夜寝ていた裕之が突然英語で寝言を言ったときにはとても驚いた。翌朝本人に聞いてみたが何の夢を見ていたかはわからないらしい…(うなされていたわけではないので英語になじんできたということなのだろうか?その後この話は佳子の笑い話のネタとなっている)。太一はジャックによくサッカーで遊んでもらった。次にきたイースンもそうだったが子どもはとてもなじむのが早く、太緒は必ず助っ人たちのひざの上に乗っていく。肩車をしてもらったり、カルタやトランプ、すごろく、雪の日にはそりや雪合戦と子どもたちもとても楽しんでいる。

 ジェニファーたちはWWOOFというシステムで私たちのところに滞在していた。WWOOF(以下ウーフ)とは、Willing Workers On Organic Farmsの略で、お金のやり取りなしに「食事・宿泊場所」と「労働力」を交換するしくみだ。{有機農場や、自然が豊かに残っている所、環境を大事にしている所、人と交流することを大切にしている所など、オーガニックな場所}と{そこで働いてみたい人たち}をつないでいる。世界各地の多くの人が働き手(ウーファーと呼びます)となっている。

 イースンは12月20日から30日まで。収穫はすべて終った後。畑やハウスの片付けと大豆や花豆の脱粒が主な仕事。温床やみょうがの畑に敷くための落ち葉集めもいっぱいしてもらった。「アメリカでは落ち葉をみんな焼いているがとてももったいない。落ち葉にはこんな使い方もあったのか。」としきりに感心していた。仕事の合間には、集めた落ち葉の山に飛び込んだり、樹木の幹を流れる水の音を聞いたりして楽しんだ。彼はアメリカで太極拳を習っていたので、毎朝7時から裕之と一緒に畑で太極拳をした。朝の畑は真っ白に霜が降り、土は凍ってカチンコチンになっている。手も耳も凍りつきそうだが、毎朝欠かすことなく太極拳をしていた。イースンは日本食にもすごく興味を持っていた。彼はもともと家庭で玄米と味噌汁を時々食べていたようで、梅干や納豆もトライして食べる事ができた。
 我が家にやって来る助っ人たちの多くは、普通以上に食べ物のことに感心があり、大切にしている人が多いので、何もご馳走を作るまでもなく、普段わが家で食べているご飯を出すだけでとても喜んでくれる。だから食事作りはあまり負担にならず、むしろ「このご飯にはどんな反応を示すだろう」と私自身とても楽しんで作ることができる。日本の食事は、野菜も乾物も漬物などの保存食も魚も調味料も穀物も、また料理方法(炊く、焼く、蒸す、揚げる、鍋物やホットプレートでのテーブルクッキングなど)も、とてもバラエティーに富んでいる。外国人に食事を出すとそのことにあらためて気づかされ、私たちのこの食事を大事にしていこうと思うのだった。

 ウーフで来る外国人は3ヶ月や1年と長い休暇を取ってやってくる。日本だけでなく他の国もウーフで周っている。ジェニファーはアイルランドでは海洋生物学者でエビの研究をしているが1年間の休職を取って外国を周っている。目的は1年後アイルランドに帰ってからオーガニックファームをしたいという希望がある。ジャックは大学院を1年休学して将来やりたい事を探しているところだという。彼は今現在の夢はたくさん持っていた。ピアノでショパンを弾くこと。自分の家を自分で建てること。自給菜園をすること。などなど。イースンは大学卒業後1年間の旅に出た。目的は世界中のりんごの産地を見て周りりんごの研究をするため。スウェーデン、カザフスタン、日本、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、アルゼンチンと旅は続く。彼らを見ているととてもいい体験、勉強ができているなあと感じる。また私たちホストがウーファーに教わる事も多い。イースンからは語学習得の方法を教わった。(学校では教えてくれなかった!)彼は日本に来てわずか1ヶ月でかなり日本語ができるようになっていた。
 願わくば、私もいつか日本、外国を問わずウーフしたいと思っている(幸いウーフには16歳以上であれば年齢制限がないのです)。イースンが訪問したスウェーデンのウーフ農家はトラクターなどの大型機械を使わずに馬で畑を耕していたと聞いた。いろんな国、年齢、いろんな考えを持っている人たちや農家と出会いたいと思う。これからも農園たおにはイギリス人と日本人のハーフのカズノ、マレーシア人でオーガニックショップの仕事をしている男性、オーストラリアの新婚カップル、スイスの42歳の農学者と春から夏にかけて次々に訪問してくれる予定。

 以下、私たち「農園たお」のウーフホストリストでの自己紹介文です。
 大きな大きな自然と動物たちに囲まれて暮らしています。お金を得るための仕事ではなく、暮しの中の(生きる)仕事として有機農業を選びました。同じ志を持つ仲間が増える事を望んでいます。米、麦、雑穀、自給野菜ほとんどを作っています。子どもたちにその一つ一つのたくさんの手(仕事)を見て育ってほしいと思います。障害のある人もない人も共に働き、暮らす農場を目指しています。障害のあるウーファー大歓迎です。
 冬は石窯でパンを焼いています。夏〜秋には山羊の乳搾り。冬は太極拳もしています。働くことは楽しいことだと知ることができます。有機農業や新規就農者の知り合い、仲間が増えます。休日には本やマンガをたくさん読めます。


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