戸沢村角川だより7
炭焼きと里山仕事の流儀


出川真也



 今回は、角川地区の炭焼きについて書いてみたいと思います。炭焼きについては、筆者は角川に住み込んで以来、土地の古老から何度となく話を聞いていました。角川はかつては炭焼きコンテストで内閣総理大臣賞を獲得したと伝えられる程の炭焼きの里です。しかし、『ねもはも』の執筆を依頼された時、本紙面には「実際に見て、体験せねば書かない!」という決意(!?)を固めていましたので、これまで書けなかった訳です。今年度筆者の所属する角川里の自然環境学校では、炭焼きのプロジェクトがスタートすることになり、一部始終を見て体験することができましたので、レポートしようと思います。

 前置きが長くなりました。それにしても、炭焼きは大変精巧な技術です。筆者は里山での炭焼きというのは、もっと原始的なものだと思っていました。しかしその予想はことごとく裏切られました。
 角川の炭焼き窯は石窯です。石とそれを接着する粘土選びから作業は始まります。角川の沢中探し歩きました。そして窯の設置場所の選定。湿気を抜くための暗渠掘り。並行して窯を取り囲む小屋の木材の切り出しと加工をします。ここまでで2週間かかりました。そしていよいよ窯本体の作成です。石を積みながら、並行して粘土に水を含ませよくこねて接着していきます。窯の天井の作成はまさに圧巻。柳の木で固定しながら積んでいくのです(写真参照のこと)。そして窯が完成。すぐに窯に火を入れてあたため、一度中に入って手直しをします。その後(あるいは並行して)、窯を取り囲む小屋建て作業をします。これも窯のサイズに合わせて柱の位置がきちんと決まっています。最終的に屋根に茅を葺いて完成するのは秋の予定です。
 このように、炭焼き窯の精密なこと、作成に要する時間も半端なものではありません。作業工程も細かく分かれていて、そのそれぞれの行程で特別の注意を要するのです。まさに炭焼きは里山の知恵と技術の結晶体と言えるでしょう。
 今回は、村人の共同作業の原風景を垣間見た気がします。この炭焼き作業を進めるにあたって、お年寄りを中心に10名程の村人がかかわっていますが、そのコミュニケーションはとても緊密です。それぞれの意見を言い合って、完全な合意に近いものになって初めて次の仕事に取りかかる。たとえわずかな水路掘りであっても石の積み方のちょっとした変更でも、しっかり議論した上で試行錯誤の中で作業を進めるのです。このお年寄りの息子さんは「見ていると、俺がやれば10分くらいでぱっと終わってしまうような溝掘り作業も、ああだ、こうだといいながらずいぶんやり取りをして時間をかけてやっていたよ。けど、その結果、本当にきちんとしたものができたようだったな」と言います。
 こうした山里での仕事は確かに忍耐のいるものかもしれません。仕事自体手間がかかるし、多くの人々と共同で作業を行わなければならないし、何度もお互いにやり取りをしていかなければなりません。その上、その場その場で刻々と変化する自然条件の下での仕事は、マニュアル通りにはいかないので、その場での判断をまたいちいち皆に求めなければならないのです。そういうわけでなかなか意見がまとまらないし、正直言って、手続きの煩雑さに閉口することもあります。こうしたやり方は、ことによると現代社会の早い流れについていくには不向きなのかもしれません。その反面、スピードと効率性を要求される現代において我々が忘れかけている何かを思い出させてくれるようです。
 こうした作業は確かな「形」を生み出します。筆者が属する自然学校では、実体のない名誉職などはいっさい存在しません。みんなが作業者です。これが山里の流儀だから。それぞれ独自の役割を持ちながら同じ作業者として一緒に汗を流して仕事をし、終わった後は一杯やりながら緊密な意見交換を行う。その一連の手順が確かな「形」を創り出していくのかもしれません。
 山里の仕事は、やり遂げた後の満足感が言葉に言い表せないほどすばらしいものです。なぜなら、山里の仕事は確かな「形」になるからです。そしてその『形』とは、多くの人々が心を合わせようと努力し、同じ作業者(主役)として誠実に取り組んだ結果なのだからでしょう。



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