自立をめざす手作り学園「スワラジ学園」
橋本明子

 来春、八郷に小さな手作りの学校がスタートする。「スワラジ学園」と称し、学園生12名を募集する。指導にあたる教職員のほうが人数では多くなるだろう。
 スワラジとはヒンズー語で、マハトマ・ガンジーがインドの独立を決意して著した著書に使われた言葉で、日本語では、「自治」「自立」を意味する。歴史をひもとくまでもなく、ガンジーはインドの人々にそれまで失われていた自立の精神にもとづく行動をよびかけ、それがみごとに結実したのであった。
 ひるがえって日本の現実をみてみよう。敗戦ののち56年、工業大国となった日本は経済的には勝者の地位を獲得したかのようにみえるが、真のスワラジをかちとったとは言い難いのではないか。
 お金ともの至上主義にもとづく競争は社会の隅々にまで浸透し、大人も子供も「人」としていかに生きるべきか」を考えずに「いかに生きれば競争に勝って勝者の生活を送れるか」に全力を傾けている。
 この流れのなかでは、「きつい、汚い、危険」のトツプとして農業は一貫して粗末にされてきた。国の政策でも安楽死がもくろまれている。が、それでいいのだろうか。自然に従い、人として自立した生活をとりもどすには、農業の世界にもう一度目をむけ、農業がかってもっていた活力をみずからのものとすることが先決ではないか。」
「スワラジ学園」の基本構想は、要約すれば右のような考えを長年温めてきた筧次郎さんがたてたものである。筧さんはおつれあいの陽子さんと長年八郷で有機農業を営み、「次の世代を守る会」を結成して活動してきた。その著「百姓入門」には、「奪わず、汚さず、争わず」の考えが詳しく述べられている。
 さて、早くから構想されてきた「スワラジ学園」も、具体的なかたちをとるには長い時間が必要であった。八郷には筧さんの考えに共鳴する人も多かったが、それらの人たちは学園設立に必要なお金とものに恵まれなかったのも事実であった。
 が、3年前から筧さんの構想をふくらませて実現にもっていこうというメンバーが現れた。合田さんと野口さんである。合田さんは元編集者で、東京から八郷へ移って十五年、自らも「筑波山麓ムラ暮らし」を書き、八郷の生活を楽しんできた。「ゆう」という年1回刊行の八郷町民誌を編集してもいる。合田さんは、住居の一部、飼っている鶏、牛、山羊など、耕している田畑などを学園の使用に当てることを申し出た。
 野口さんは大学の基礎医学の先生で、筑波山の麓に建てたログハウスに住み、その下の田圃を耕している。人柄も経歴も異なる3人の組合せはユニークである。その3人が学園のこととなると、こまかいことまで、ていねいに話しあって納得の上できめてきたという。

私と「スワラジ学園」
「スワラジ学園」予定地は、私の住む家から2軒おいた隣りである。牛の鳴き声は風にのって流れて来、合田さんの耕す田圃も畑も、家の窓から眺められる近さである。「スワラジ学園」の立ち上げのことを私が知ったのは、半年ほど前のことで、筧さんから「少し手をだしてみませんか」と誘われたのがきっかけであった。
 私は自分の経験を振り返ってみた。娘を一人育てたにすぎないが、一人を育てるには愛護する両親のほかに子供をとりまく他の子供、大人で構成される小社会が必要である。学齢に達すれば、先生やクラスメートへと社会はひろがる。成長につれてその輪がひろがり、その一つ一つが人格形成に大きな影響を及ぼすのだということを身にしみて知った。また一定の知的達成度を極端に重視する学校教育、先生自らも管理されているシステム、一つの枠にはめられている息苦しさを、私は娘を通して知った。
 もう少しのびのびと楽しくなければと思い、近所の中学生を集めて、少人数の英語教室をはじめた。異文化にふれる楽しさ、手だてとしてのちがう言葉の成り立ち、それらを子供の知識欲と好奇心に訴えることで、強制するまでもなく、子供たちはじぶんで勉強を始めだしたのであった。その後、農業に活動の中心を移したが、「スワラジ学園」の計画は、私にかっての英語教室の経験をよみがえらせた。現在かかえている「減反差し止め裁判」も近く判決がでる。今まで裁判にかけていた力を他に振り向けることができる。多少とも自分も役にたつならうれしい、私はよろこんで筧さんのお誘いに応じた。

「スワラジ学園」の内容
「スワラジ学園」では、18−19歳位の若者12名を募集して、1年間全寮制で生活を共にする。終了しても資格が取れるとか、就職の斡旋を受けるとかの世間的なメリットはない。そのかわり、どういう将来を選ぶべきか判断力を身につけ、体力と気力をも養って、自信をもって巣立てるようにするのである。
 基本は自立、自給である。食べ物の主なものは自給する。そのために田圃や畑を耕す。それもできるだけ機械に頼らず体を動かすための簡単な農具、鍬や鎌を使うこととする。体力をつけること、自然の様々な生き物や、季節の移り変わりもじかに感じ取ることがねらいである。
 また、鶏や豚、牛、山羊などの動物を飼い、タンパク質を自給すると同時に技術を学ぶ。収穫した米や大豆で餅を作ったり、味噌を作ったり、季節毎の加工の技術を身につけながら、食べ回しや保存の知恵を学ぶ。
 学科では自分の考えをしっかりまとめるため、作文や討論を重視する。先人が自立のためにいかに戦ったかという視点から歴史や哲学の学科を重視する。また八郷に住む様々な職業の人たち、とりわけ古老から手がけてきた数々の技や知恵の体験談を聞き、身につけていく。
 さらに八郷に住む専門職−−−陶芸、彫金、絵画、書道、−−の人たちからも、時には実習も交えながら学んでいくことを考えている。このように、1年間学園生も教師も一体となって、ともに学びあう姿勢をつくりあげ、真摯な人間関係の構築をめざしている。学園生は、寝食のための経費、教育を受ける謝礼を必要とするが、教育にあたるほとんどの人は無償のボランティアであることも特徴の一つである。

「スワラジ学園」の生活
 学園は合田さん提供の地でスタートする。八郷町は筑波山を頂点とする山々に三方を囲まれ、霞ヶ浦 に流入する恋瀬川の源流地であり、水と緑にあふれる町と自負している。東京から80キロメートル、町の主産業は農業である。昔から山では椎茸、丘陵地では畑作、川べりの平地では米が栽培されてきた。
 また有機農業がさかんな町で、最近数年で新しく就農した若いカップルが4組、若者が一人定着した。また、自給生活を送るため、定年退職後の人たちの移住も目につくようになった。
 合田さんの住居は町の真ん中に座る富士山の中腹にあり、右手に筑波山を望み、眼下に集落を見下ろす景観の雄大な場所である。いまその一角に新しい学園の寄宿棟が、基礎工事にはいった。施工は同じ集落の農家のおじさん、屋根と骨組み工事は千葉県から二人の大工さんが、ボランティア的にかかわってくれることになった。が、工事は手作り部分を、あえて残すことになっている。このように、学園の生活はオールラウンドをこなすように計画がすすめられている。
 食べ物もできる限り自給する。有機農業の米、野菜、卵、肉、自分たちで加工した味噌なども食卓にのぼる。そのうちに、自分たちでつくる加工品も増えていくだろう。梅が実れば梅干しや梅酒、スモモの時期にはジャムやプラム酒、梨のシロップ漬け、ワイン、ブルーベリーのジャム、秋の干し柿と、数えあげるだけでも楽しい。
 さらに豊かな実りをもたらしてくれるのは米である。春の育苗、田植え、除草、水管理と日が移って、秋の刈り取りは楽しい共同作業である。餅米は餅にするほか、お赤飯にしたり、はれの日の主役となる。うるち米はふだんの主食のほか粉にして団子やくさもち、たがね餅、クズ米は麹にしたり家畜の餌にしたりする。籾殻は、燻炭や被覆材に。稲わらは敷き料や堆肥に、と何一つ捨てることなく生かしきることができる。
 また、大切なことの一つは体力をつけることである。日々の農作業はもちろんのこと、心がけて野外の学習を大切にし、自然に親しむ機会をつくる。筑波山にのぼったり、霞ヶ浦に船でこぎ出したり、も楽しみながらの体力作りである。

学園生募集
1.開講日 2002年4月10日。
2.対象者 18歳以上。性別はとわない。
3.募集人員 12人
4.期間 4月から翌3月までの1年間
5.費用 学費60万円、寮費60万円の計120万円・年額
6.入学を希望する理由を文章で提出していただき、本人と面接を行って入学可否を決めます。

「スワラジ学園」は、手作りで心をこめた教育の場を全員で作り上げることをめざすが、研修期間を1年としたのは、ひとつは季節の変化に対応した自給生活をひととおり体験するには最低1年間が必要だからである。もうひとつは、高校を卒業したものの進路がきまらない人、在学中でも休学して研修しようとする人の受け入れも考えているからである。「スワラジ学園」の1年間の経験は、将来どんな道を進むにしても、本人に生きる自信と体力、広い視野を与えるものと確信している
現在、学園では、建設の資金や資材をひろく募っている。

連絡先は、茨城県新治郡八郷町須釜838 合田農園内
スワラジ学園設立準備委員会 TEL&FAX0299-42-2240
E-mail goh38827@maple.jp

(提携米通信より許可を得て転載)

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