友人Kとサナダ君
潮田 和也


 少し、いや、かなり、汚い話題で失礼する。
 7〜8年前のある日、会社に高校時代の同級生Kから電話があった。
「潮田、たいへんだ。ウンコをしていたら、変なものが出てきた」
 僕は、有機野菜業界にいて、消費者から寄生虫に関する質問が多いので、ふつうの人よりは寄生虫にくわしいが、それが友人の間でもなぜか知れ渡っているらしく、潮田に聞いて見ろ、ということになったらしい。
 僕は、友人から出てきたものの大きさなどを聞いて、「それは、おそらくサナダムシが切れて出てきたものだろう。目黒に病院があるからそこに行ってみろ」と言ったら、かなり的確な指導だったようで、その通りだったらしい。Kは魚介類からレバサシなどの内臓ものまで、生のものがものすごく好きで、天然スッポンの生き血までぐいぐい飲むようなやつなので、「いつか湧くな・・・」と僕も心配をしていたのである。
 寄生虫の本で有名な藤田教授の弟子かなんからしい医者だったようだが、Kがその切れ端を袋に入れて持っていったわけだが、医者はそれを一目見て、「あ、サナダですね」と事も無げに言った。さらに、「大した悪さをしませんが、どうしますか?」「は?どうしますかって?」「いや、飼いますか?」と言ったらしい。
 それを聞いて、高校の友人が集まってその話題で大変盛り上がった。そして、本人以外は全員、飼え、という意見だった。「ペットにしろ、名前は、ヒロユキがいい」「いや、ユキムラの方がいい」サナダだけに、サナダヒロユキやサナダユキムラをもじったわけだが、人ごとだと思ってみんな勝手である。
 結局本人は駆除してもらうことに決めて、会社には黒板に「帰省中(寄生虫)」と書いて仕事を休んで入院した。
 サナダムシは、でっかいやつでは体調が8メートルくらいあって、腸のなかに住んでいるわけだが、胃から出てきた食べ物をただ口をあけて待っていればいい、とても楽しながら生活する、まるで寄生虫のようなヤツだ(そのものだ!)。口のある頭の部分が腸壁にひっかかっていて、しぶとくて、体が切れても、頭が残っていればまた体の節が増えていってもとにもどってしまう。虫下しを飲んで、大量の水を飲んで水の勢いでこの頭を落とすわけだが、ちゃんと頭が出たかどうか、Kの出したものを、学生らしい若いあんちゃんがザルのようなものでこして調べるらしい。Kが「すいませんね、大変ですね」とねぎらうと、彼は「仕事ですから」と事もなげに答えたらしいが、若いおかげで出す水の勢いが強かったおかげで、頭は一日で出てきた。「出ましたよ、おめでとうございます」と出産の時のような言葉をかけてもらったらしい。
 サナダムシを飼っている間、確かにKはいくら食べても太らないので、そういう体質だと思っていたらしい。
 何でこんな話題を思い出したかというと、きのうKに会ったが、ぜんぜん懲りずに、やっぱり生のものを食べているからである。
 O−157が問題になったとき、飲み屋からレバサシが全く出なくなったことがあったらしい。Kはどうしようもなくレバサシを食べたくて、10軒くらい探してやっとあったらしい。
 そして今は狂牛病である。僕は、先日の土曜日、近所の、焼き肉のファミリーレストラン、安楽亭にまったく人が入っていないのをみてびっくりした。いつもだったら土曜日だったら満員に近いはずである。
 しかしKは全く気にしていない。ホルモン屋が空いてていい、などと言っている。それどころか「いやー牛の脳みそってうまいんだよね」とまで言っている。
 確かにヤコブ病などにかかる確率などより交通事故で死ぬ確率の方が何千倍も高いわけで、そんな確率なら好きなもの食った方がいい、ということである。
 食べ物なんて、何かしら危険な場合があるもので、もちだってのどに詰まらせて死ぬ人が毎年でるという、確率から言うと狂牛病よりはるかに危険な食べ物なのだが流通が禁止になることはない。
 数年前飼っていた犬が死んだが、死ぬまでいかにもまずそうなダイエット用ドッグフードを食べさせていたのが、今でも僕は後悔している。うまいものを食いたい、という欲は、かなり上位の欲である。僕も、ロシアンルーレットのようにそれを食べたら6人に一人死ぬ、というなら絶対イヤだが、一万人に一人、くらいなら、好きなものなら食べることを選ぶかもしれない。

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