ちれぢれ草  「社会・文化編1」 2001.12.21
池田久子

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〜〜〜〜  ちれぢれ草 〜〜〜〜 5巻  「社会・文化編1」 2001.12.21
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「 ちれぢれ草」は、チリ共和国に青年海外協力隊の村落開発普及員として
赴任しているわたくしが、日本から17000キロ離れた任国チリを少しでも知
っていただきたく、日々雑感を徒然なるままに綴ってお送りさせて頂きます。
ご不要の方はお手数ですがご連絡ください。   送信者:池田久子
 
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暑い、暑い! ついにこちらは真夏。こちらでは日本の冬至から夏という考え
です。月曜は職場も35度を越し同僚らも裸足で仕事してました。学校も20日
から休みに入り、日本ではちょうど7月下旬というかんじの雰囲気です。
 さて、この暑さをさらに増していたのが街中で見かけるクリスマスの飾りつけ
と日曜に投票が行われた選挙でした。

 こちらはカトリックのお国柄、クリスマスは私たちよりはずっと重要で、下宿の
家でもツリーの飾り付けをやりました。汗をかきながら飾りをつけていると暑苦
しくて、ピカピカのイルミネーションもサンタの白いヒゲや赤い衣装すらうっとうし
くて、マヌケな雰囲気を感じてしまうのは北半球育ちの人間だからでしょうか。


 そして選挙。4年に一度の下院議員の選挙が先日日曜に行われたのです。
選挙前からの選挙活動は日本の比ではありませんでした。
都市では町じゅう垂れ幕や大きなポスターが信号周辺の角という角にベタベタ
貼られ、置かれ、ビラが配られ、家の塀全面に候補者の名前がペンキで書いて
あったり、畳2、3枚ほどの候補者ポスターが広場にかかっていたりするのです。
サエナイ中年男性の顔写真が行けども行けども目に付くと、かなり食傷気味。
それも候補者と現議員や大臣が固い握手をしたり肩を組んだりと3人がかりです。
なかなかセコイ手だと思いませんか?また、候補者の名前が書かれた小さな
香水やカレンダーも無料で配っていたとか。公職選挙法とかないのでしょうか?

隣のチジャン市で見かけた選挙カーは若者らが荷台にのって太鼓や笛で、どん
ちゃんどんちゃん、渋滞の原因にすらなっていました。チジャン市を歩いていた
ら足元の歩道のブロックに「JARPA」という単語がまるで信号の横断歩道よろし
く30cmおきくらいにずっと続いているのです。はて?この単語は何を意味する
のかと思っていたら、それも候補者の名前だとあとで分かりました。
もうなりふりかまわず、といった感じの懸命さには呆れるどころか関心してしまい
ました。こんなに選挙で熱くなっているのだからテレビのニュースで、選挙前から
支持者同士の小競り合いが起き、怪我とかもあったようでした。

 田舎の選挙活動はさすがにもっとのんびりしていて、候補者が村のロデオ大会
や夜中2時半まで続いたビンゴ大会にも来て、お付の人もなくラフなスタイルで知
らない人に気さくに話し掛け、席をあちこち移動して売り込んでいました。ある土曜
の夕方は村の広場の脇で田舎の産業祭の無名歌手のようにトラックの荷台を特設
ステージにしてノリノリで歌って踊ってました。ここまでするか!と半ば呆れ、半ば
尊敬したのですが、捨て身の作戦が功を奏したのかその候補者が当選し、うちの
村長が応援していた同政党の候補者は落選しました。


 さて、肝心の結果ですが、中道の社会主義者ラゴス大統領の政党が伸びず、現
体制に不満を持つ人の票が右派に集まり議席を伸ばしました。次の大統領は右派
になるだろうと下宿のマリアおばさんは言いました。

1970年初頭に国民によって選ばれた社会主義政権が軍隊によって崩壊し、その後
1989年まで軍政が続いたチレ。こちらに来るまでは、軍事政権=非民主的・圧政と
いう印象だったのですが、かつてたった3年だけの社会主義政権時代には農民の
協同組合が無理に作られたり、経済政策に失敗し物不足で配給生活になったりと
国民は不便を強いられ、共産主義、左派を敬遠する傾向が強い印象を受けます。
マリア小母さんはあんな不便な配給生活は2度とごめんだと憎憎しげに語り、軍事
政権時代のほうが今よりもずっと良かったと言っています。

 他の南米諸国に比べずっと豊かで発展し安定した国という印象のチレですが、
やはりまだ民主化移行12年しかたっていないという事実を、派手な選挙活動の影で
ふと考えさせられたのでした。

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