「秘本三国志」「諸葛孔明」「曹操」「曹操残夢」(陳舜臣)
「蒼天航路」(原作・原案 李學仁、作画 王欣太)

じゃーん、三国志である。SFではない。ここのところ、陳舜臣の「三国志」ものをずっと読み直したり、新たに読んだりしていた。頭の中では、何回か読んでいる王欣太の漫画「蒼天航路」のキャラクターを思い浮かべながら、陳舜臣ならではの「三国志」に浸っていたのである。
さて、どこから話をしようか。そもそも、私はいわゆる三国志の原典とされる陳寿の「三国志」はもとより羅貫中の「三国志演義」も読んでいない。それゆえ偏っている。
たぶんきちんと最初に読んだのは「秘本三国志」で、その次におそらく「蒼天航路」を読み、その後になって陳舜臣の「曹操」や「諸葛孔明」そして今回、「曹操残夢」を手に入れてはじめて読んだのである。
まず、それぞれの執筆時期を確認しておこう。
「秘本三国志」文藝春秋「オール読物」1974年~1977年連載。その後単行本、1982年に文春文庫。
「諸葛孔明」季刊連載後中央公論社1991年。1993年に中公文庫。
「曹操 魏の曹一族」初期季刊連載、その後月刊連載、中央公論社1998年、2001年に中公文庫」
「曹操残夢 魏の曹一族」「中央公論」2004年~2005年 中央公論社2005年。文庫化もされている。
「蒼天航路」講談社「モーニング」1994年~2005年。単行本、文庫本ほか。
陳舜臣については書きたいことが山ほどある。もともとは、神戸を舞台にした推理小説ものや中国を紹介したエッセイなどをぽつぽつと読んでいて、文章がきれいで軽妙な語り口、緩急をつけた展開は読んでいて実に心地よい。戦前の神戸に生まれ、戦後に一時台湾で暮らし、その後、あらためて神戸に戻り、その後作家としてデビュー。その出自もあり、広くアジアを俯瞰した視点、戦前から現代までの時間をも俯瞰した視点、その上で、人間の機微やものごとの細部にこだわった作風。極微から極大を縦横無尽に、読者を置いてきぼりにせず読み切らせるすごい作家だと思っている。とはいえ多くを読んでいるわけではなく、思い立ったときに読みたくなる作家の一人だ。
さて、三国志であるが、おもしれーなーと思ったのが「蒼天航路」である。漫画ならではの表現を存分に生かして若き日の曹操から曹操の死までを連載話数409話でど派手に描ききっている。曹操を中心にしてはいるが、いとこであり盟友である隻眼の夏侯惇、軍師であり漢の名士の出である荀彧は少年の時代から登場し、トリックスター的な描き方がされている。曹操側の二大巨漢として典韋、許褚が描かれる。許褚は少年の頃に出会うまるで横綱のような設定で、曹操の死の間際まで最側近のボディーガードをつとめ、典韋は角のある巨漢で、途中戦死するが、それまで曹操のボディーガードの要であった男である。 そのほかにも、曹操側には軍師、戦士ともども人物がそろっているが、敵の描き方も、曹操側以上にすさまじい。
まずは、前半の姦雄である董卓と呂布。とくに呂布は本能の超人戦士として描かれ、印象的である。次に群雄の時代、幼なじみでもある袁紹と同じ袁家の袁術。最初に天子を僭称した袁術は、登場時はまだ人間的であったが、だんだんと猿顔に描かれ、天子僭称の際にはまったくの猿として描かれている。これぞ漫画である。袁紹もまた、当初は漢の名家として出自としても軍力としても最有力の大人物として描かれているが、袁紹が最後曹操と直接対決する頃には、姿形も変わり、それが曹操を本気で怒らせてしまう。これもまた絵の力である。
もちろん、「三国志」といえば蜀の劉備、関羽、張飛である。関羽、張飛はなるほどというキャラクターとなっているが、劉備の描き方には特徴がある。キャラクターそのものは、大耳と長い腕というくらいでそれほどの特徴はないが、行動としては逃げる、泣く、はったりをかます、時々、人の心を打つ檄を飛ばすといった具合である。劉備らしいといえば劉備らしいなあと思わされるところがさすがである。
そして、蜀と言えば、軍師・諸葛孔明も物語には欠かせないが、かの人こそ、「蒼天航路」最大のファンタジー的描かれ方をしている。曹操に出会うまでの間、諸葛孔明とその周りの事物、出来事はすべて幻想の中にある。中国幻想の世界、桃源郷、あやかし、それらすべてが混ざったもの、それが諸葛孔明とその世界である。かわいそうに曹操に出会うことでけがされ、人に落ちていき、我らが知る諸葛孔明となっていくのであった。作者の王欣太は諸葛孔明とは無意識に曹操になろうとしてしまった人物として描いている。
呉の孫権は、虎をペットとする少年として登場する。呉の人々も美男子として名高い周瑜はきちんと美青年として描かれているし、魯粛もまた魯粛らしい。ちなみに、諸葛孔明の兄であり呉に尽くした諸葛瑾はしっかりと騾馬面となっている。
「蒼天航路」は大きな正史や演義などを引きつつ、青年誌コミック向けに劇画になりがちなところを劇画調にならないよう、かといって斬り合いと謀殺の話にばかりならないよう戦いのシーンを中心にエロティックな要素も挟みつつ、荒唐無稽を荒唐無稽に読ませないぎりぎりのところで読ませる漫画文化の作品となっていた。現代的に言えばキャラ付けがしっかりしていて、なおかつ、数十年の年齢の変化をうまく物語に乗せることでキャラがさらに立っているといえる。そこが印象深く、小説である陳舜臣の「秘本三国志」ほかを読む上で、この王欣太の「蒼天航路」のキャラクターで脳内に動いてもらうことで、たくさんの登場人物が変容して生き生きとするのである。
まあ、正統な読み方とは言えないが、なにぶんにも似たような名前の人たちがたくさん出てくるのでちょうどよいのだ。
ということで陳舜臣の三国志である。
世の評価としては「諸葛孔明」を名著としてあげているようであるが、私としてはなにより「秘本三国志」を押したい。陳舜臣もまた曹操を推している。乱世の姦雄であり、悪名は高くとも、間違いなく漢を終わらせ、魏をもって中国を統一させた天才である。しかし、三国志は中国各地で同時期にいくつもの出来事が起こり、それが相互に影響を与えていく。それを作者が物語の神の目として筆を進めることもできるが、陳舜臣はここにふたりの架空の人物を登場させた。それは道教の一派である五斗米道のリーダーである張魯の母・小容と、小容の元で張魯とともに育てられた陳潜である。古典において張魯の母は美しく巫術にたけた人物として描かれているそうだが、これに名を与え、かつ、三国志の事件の現場にいることが不自然にならない存在として小容の遣い手に陳潜を用意した。陳潜に洛陽にある白馬寺と縁を結ばせることにより、道教と仏教、漢の人々と月氏をはじめ西方や北方の多様な人々との接点をもたせている。三国志の情報通、裏の操作者としてそれぞれの出来事に深みを与えるのである。小容はときに曹操や劉備、諸葛孔明らの相談役にもなり、ときに仕掛け人にもなるのであった。推理小説が得意で、人の機微や出来事の背景にある動機というものに関心の深い陳舜臣ならではの登場人物である。小容という存在をもって全体を俯瞰し、こんにちの中国の思想的背景にも関連させながら、登場人物の心を動きを描いている。まったくのフィクションだが、これが実におもしろい。
それだけではない。まだ若き作者・陳舜臣も登場する。小説の中で、裏方が楽屋話をするのである。これは下手をすればあざとく、あやうくなるが、陳舜臣のそれは実に効果的だ。正史や演義だけでなく、それまでに語られてきた話とのつじつまや戦時中、戦後、現代につながるまでの歴史の一端とのつながりや奇縁を短い言葉でさらりと伝え、連載の各話に花を添えるのである。ときには戦時中の帝国日本軍のふるまいについてちくりと触れることもある。連載されていたのは1970年代。第二次世界大戦終戦から30年前後のことである。まだ多くの人たちの記憶に残っている出来事だったのだ。
「秘本三国志」は、曹操の死後、蜀の諸葛孔明が亡くなるところで物語を終える。もちろん、小容もそこにいるのだ。
「諸葛孔明」は「秘本三国志」完結から14年後に上梓される。物語は諸葛亮の父で泰山郡の行政高官であった諸葛珪が次男の誕生の報を受け、執事の甘海に「亮」と名付けるよう言付けるところから始まる。この甘海こそが、その後長年にわたって諸葛孔明の師であり情報源となるのである。「秘本三国志」の小容、陳潜のような存在だ。ただここで違うのは、諸葛孔明自身が、曹操、劉備、孫権をはじめとする世の中の動きを把握し、ことを動かす能力を持っていたことである。諸葛孔明とその妻で有能な発明家でもある綬が表の存在であり、かつ、三国志全体の設計者となるが、そこには裏の存在の甘海がおり、そして、今回は五斗米道よりも白馬寺を中心とする浮屠(仏教)の思想が深く関わることになる。物語は諸葛孔明の誕生からその死まで。三国志のあらゆる局面を縦断、横断しながら描き出されていく。たしかに(本物を読んでいないけれど)いかにも三国志らしい三国志である。よくこなれた小説だ。「秘本三国志」と「諸葛孔明」の間には、日本の高度経済成長、オイルショック、バブル経済という大きな流れがあり、中国もまた大きな政治的経済的変容の時期でもあったのだ。そういった時代背景が小説にも反映されている。陳舜臣の時代感覚というところでもあろう。
「曹操 魏の一族」は、曹操24歳、任地を勝手に離れて故郷の譙県に行き、いとこの夏候惇に私兵の育成について聞くところからはじまる。「諸葛孔明」とはちがい曹操が後漢の没落と群雄たちによる乱世のはじまりを予感させる躍動感あふれる始まりである。この「曹操」でも、陳舜臣は裏の存在を用意する。その筆頭が紅珠である。曹操のいとこであり、幼なじみであり、同姓故に結婚はできない思い人であるという設定の女性だ。宋皇后の兄の嫁となったが、宋皇后失脚により宋一族が粛正された際に殺されることになる。しかし、曹操の父・曹嵩の暗躍により曹操と曹仁のふたりが身重の紅珠を救って匈奴に預けることとなった。つまり、死んだことにされた女性である。実在の人間だが名前は不明なので陳舜臣が紅珠という名を与えているし、死んだはずが生きていることにしたのだ。紅珠が「秘本三国志」の小容のような存在になるが、同時に陰の恋人で姉御肌の幼なじみという位置づけも得ることで曹操の政治、軍事、私生活のすべてにおける対話者ともなるのである。
もうひとり、浮屠(仏教)の寺である白馬寺に属していた群旋が登場する。「秘本三国志」の陳潜や「諸葛孔明」の甘海のような存在だが、曹操と同年生であり交易の民であるソクドの出自という位置づけを持ち、より深く曹操の覇道に関わる役割を持つ。そして物語は曹操の臨終の場面で終わるが、そこにもまた紅珠と群旋の姿があるのであった。
陳舜臣はこのような人物を登場させることにより、主人公の曹操をはじめ主要登場人物や歴史の流れの波をこしらえるのだ。そこが陳舜臣の技というところであろう。
直接の続編となる「曹操残夢」はおそらく陳舜臣自身も思っていたより執筆に時間がかかったのであろう。かなり時間が空いている。そのため出版されたことに気づかずにいて、今回が初読となってしまった。はじまりは、前作の直後からで、当然のように紅珠が出てくる。物語としては、曹操の息子・曹丕により漢から魏への禅譲がなされ文帝の世となり、曹一族の頂点を極めるのである。そこから先、呉、蜀を滅ぼし、中国統一を果たすが、魏は司馬氏によって晋へと禅譲され、短い王朝に幕を閉じるのである。「曹操残夢」では、さすがに紅珠も年をとったので、その息子の曹宙が物語の回し手として登場する。曹宙は本来は紅珠の死により生まれるはずのなかった歴史上架空の人物である。そして、物語として本来は紅珠の夫である宋氏の名を持つはずだったが母方の曹姓を使っていたのである。魏の時代において曹の姓は役に立つのだ。もうひとり意外な人物が物語の回し手になる。この人についてはここでは述べないでおくが、途中から「へええ」となる。曹操後の三国志はある意味で「諸葛孔明」の物語になっていくところもあるのだが、あくまで曹一族の物語であるため、曹植などの存在が大きく扱われたりもしている。題材としては書きにくいところもあっただろう。だからこその「へええ」だ。そして、ちょっとだけだが「倭」も登場する。そう「魏」志「倭」人伝なのだ。そういうのを楽しみに、陳舜臣晩年の円熟味を味わうとよいのだ。
ということで、楽しく流れに遊ぶならば「蒼天航路」、出来事の「背景」や人の機微といった深みを感じるなら陳舜臣三国志を。おもしろいぞ三国志。