プロジェクト・ヘイル・メアリー


PROJECT HAIL MARY

アンディ・ウィアー
2021

 長編「火星の人」、映画「オデッセイ」のアンディ・ウィアーの長編である。「アンディ・ウィアーは裏切らない」。間違いない。SFが好きな人も、そうではないけど「オデッセイ」はよかったなあと思っている人も、読めば間違いない。
 そして、本作は、実に紹介しづらい名作である。まず読もう。いろんな紹介や書評があふれているかもしれない。この文章もまた、そういうものだが、はっきりいってあらすじを紹介するのは野暮である。何も言いたくない。何も書きたくない。ぜんぶ読書体験として感じてほしい。映画化が進んでいるらしいが、そして、映画は見たいが、できれば、まず、このすばらしい読書体験を先にしてほしい。ぜったい後悔しない。すんげーおもしろいから。あーどうすれば読んでもらえるだろう。
 たしかに、物理学、いわゆる古典力学や相対性理論、量子論などの記述もある。化学や生物学、工学、材料工学、電気工学などの知識や、太陽系、近傍の星系、地球温暖化や気候変動などについてもわかっているとよい。でも、わからなかったり難しいなと思うところがあれば、それは目は通すが読み飛ばしても大丈夫。おもしろさや感動は薄れない。
 あらすじは書けないけど、釣書として、物語はこうはじまる。
 一人の男が異質な空間で目を覚ます。記憶がないが科学的素養はじゅうぶんにありそうだし、科学や実験は大好きのようすで、好奇心も旺盛。それは宇宙船の中で、どうもひとりぼっち。記憶は少しずつ、少しずつよみがえってくる。まずは自分の名前から。しかし、状況は待ってくれない。彼はなぜ宇宙船にひとりでいるのか、そして、ここはどこなのだ。なんのためにここにいるのだ。この宇宙船に備え付けられている科学実験施設はなんのために、だれのためにあるのか。男は行動をはじめ、少しずつ記憶を取り戻しながらも、与えられたミッションを果たそうとしはじめる。それは、彼が本質的に「善い人」であり、ユーモアもあり、努力家で、科学が好きで、物事の明るい面を見て行動する力を持っているから。だから、きっとミッションは達成されるに違いない。読者はそれを信じて読み始めていく。
 物語は、男がいる宇宙船と宇宙空間の「現在」と、彼が少しずつ取り戻す地球での過去の「記憶」が交互に出てくる。それは読者にとっても、主人公の男にとってももどかしくもはらはらする答え合わせなのだ。
 そして、「現在」の物語序盤に「………」が起きる。ここからが俄然おもしろい。
 まっすぐな物語だ。まっすぐな、というのは、知性と科学への深い信頼に基づくという意味だ。そういろんなことはあっても、心の内には悪があっても、善性というものがあって、信じようではないか、と思えてくる作品。「火星の人」でもそうでしたね。
 SFとしては、なるほど、であると同時に、そんなご都合主義なことが、でもあるが、そういう分析はどうでもよい。
 読んだ方がいい作品、小説というのは、こういう作品をいうのだ。
 分断と危機の時代に突入したいま、そうではない物語で心を鍛えよう。

TVアニメ「アポカリプスホテル」

春藤佳奈監督 2025

 2025年に放映された全12話のテレビアニメである。監督 春藤佳奈、キャラクター原案は竹本泉が務めている。人類がいなくなった地球で「ホテル銀河楼」という銀座のホテルを維持し、人類と人間のホテルオーナーの帰還、そして、お客様の来館を待ち続けるロボットたちの物語である。ロボットといっても主人公は人間(女性)型のAIアンドロイドでホテリエのヤチヨであり、登場するそのほかのロボットはドアマンロボットがかろうじて人型、ほかは機能に応じた形態をしている。
 さて、何度もくり返すが私はどうしようもない感じのロボットものが好きである。とくに廃墟や人類が不在になった状況というのは好物だ。アニメーションだと、ピクサーの「WALL-E」(アンドリュー・スタントン監督、2009)などがそれにあたる。

 物語はいたってシンプル。人類を含む霊長類を殺すウイルスのような生物物質が大気中に徐々に広がり、人類の生存が困難となってしまった地球。人類は慌てて太陽系外星系に生存の可能性を託し、地球から脱出してしまった。それから100年。人類のいない地球は都市に緑がはびこり、野生動物が暮らす世界となっている。
 しかし、ここ銀座のホテル銀河楼だけは違う。ロボット従業員による運営を行なってきたホテル銀河楼は、人間のオーナーの「すぐに戻ってくる。それまではホテルを頼む」という言葉に忠実に、ロボットたちがホテルを守り続けてきた。宿泊客0、予約0、ホームページ閲覧数0、目標未達であっても、毎日毎日。100年の時を経て、少しずつロボットたちは無期限休職になっていく。つまり、壊れていく。残されたのはホテリエのヤチヨ、ドアマンロボ、ときにはレセプションもこなすハエトリロボ、2体のお掃除ロボ、調理担当ロボ、バーテンロボ、菜園飼育ロボ、ポーターロボ、営繕ロボ、そして、1話で早くも無期限休職扱いとなった温泉掘削ロボである。
 さらには、地球の環境情報を収集しデータ化して宇宙に行った人類に送信する環境チェックロボも登場する。かつては数多くいた環境チェックロボももはや1体しか見当たらないのである。
 ある日100年ぶりの客がホテルに到着する。それは知的地球外生命体であった。そしてホテルに物語がはじまるのである。
 50年後、次の客がやってくる。母星での縄張り争いに敗れた(地球的にぴったりくる表現として)タヌキ星人の一家であった。彼らの来訪によって物語は次々に新たな展開を迎えるのだ。
 ギャグ、パロディ、笑いあり、涙ありのホテル&ロボットエンターテイメントアニメーション。突っ込みどころもたくさんあるが、SFアニメとしては結構正統派だと思う。竹本泉のキャラクター設定も実によろしい。個人的にはオープニングのヤチヨによるダンスが気に入っている。
 本編でも、年単位での時間の制約がないのでウイスキーを大麦から栽培して発酵、熟成させたり、人工衛星ロケットを開発して飛ばしたりと、ホテル業務の合間を縫ってオーナーの夢とホテル経営の充実のためにがんばるヤチヨさんたちである。
 なかでも、ホテルと言えば冠婚葬祭。ちょっとした盛り上がりをみせてくれる。
 ロボット好き、廃墟好き、ホテルドラマ好きにはお薦めしたいSFアニメーションである。

TVアニメ「スペース☆ダンディ」

総監督 渡辺信一郎(2014)

 アニメ制作会社BONES原作・制作によるSFギャグアニメーションである。2シーズン各13話で構成されており、おおまかなストーリーもあるが、基本的には単話ごとに同じ主人公や登場人物とゲスト登場人物によって繰り広げられる漫画連載型となっている。脚本家やアニメ制作、キャラクターや背景などのゲストクリエイターも多彩だ。
 さて、SFでコメディでギャグでアニメである。様々な作品のパロディ、小ねたが満載で、70年代から00年代までの漫画、アニメ、小説、映画などの知識量や経験値があればあるほどおもしろくなる、噛めば噛むほど味のするスルメのような作品である。この分野は漫画では吾妻ひでお、とり・みきが秀逸だと思っている。いろんな過去作品を経験するうちに、数年、数十年経ってから、あ、あのシーンは、あの映画のパロディだったか、というのを気がつく知的楽しみなのだ。
 もちろん、ほとんどそういう知識がなくても単純に楽しめるのが良質なギャグ作品のいいところだ。まず、その作品の魅力に惹かれ、その上で「あれ、これってもしかしてなにか元ネタあるんだよな」とわからないまでにもおぼろげに背景にあるおもしろさを想像しそして、いつかそれに気がつく(かもしれない)のだ。
 そのためには、作り手側の力量が問われる。漫画だとひとりの作者の力量に依存するところが大だが、アニメーションはたくさんのクリエイターが知識や知恵を集めることができる。それは設定であり、脚本であり、キャラクターであり、背景であり、声優であり、音楽だ。その点で、本作はアニメ界のベテランクリエイターに加え、SF作品で知られる円城塔、漫画家の大友克洋、寺田克也、上条淳士などがゲストキャラクターを設定し、それぞれの漫画風の特徴もアニメーションに生かされている。
 本人ではなくても、わたせせいぞうのバブル青春風シーンや、つげ義春のあまりに有名な「ねじ式」のメメクラゲのパロディなどもあったり。声でクリスペプラーがクリスペプラーっぽく登場したり。
 SFとしても、ひも理論や多元宇宙論、低次元高次元宇宙など設定にはことかかない。ギャグ設定では欠かせない、ギャグだけどしんみりさせたり、ほのぼのさせる「まじめ」回もきちんと織り込んでいる。大人たちが金と時間をかけてやりたいことをおもいっきりやっている。最高。

 さて、少しは設定について触れておこう。「スペース☆ダンディは宇宙のダンディである」。彼はこの宇宙でめずらしい宇宙人を捕獲して、宇宙人登録センターに新しい宇宙人として登録することで報奨金を得る宇宙人ハンターなのだ。宇宙船アロハオエ号に乗り、中古の掃除機AIロボットQTをアシスタントに、第一話で捕まえためずらしくも猫型のないベテルギウス星人通称ミャウと3人が起こすドタバタコメディ、ギャグアニメである。ダンディの生きがいは銀河系各地にあるガールズレストラン「ブービーズ」を全店制覇すること。そして、ダンディは理由はわからないが銀河系を二分する一大勢力のゴーゴル帝国に狙われており、天才科学者のゲル博士と助手のビーが常にダンディを探し、追い詰めようとしている。だが何らかの理由でいつもそのもくろみは失敗してしまう。ダンディたちはゲル博士たちの存在に気がつくことはいまだかつてないのであった。
 毎回ゲスト宇宙人やシチュエーションがある。それは見てのお楽しみだ。
 

「秘本三国志」ほか

「秘本三国志」「諸葛孔明」「曹操」「曹操残夢」(陳舜臣)
「蒼天航路」(原作・原案 李學仁、作画 王欣太)

 じゃーん、三国志である。SFではない。ここのところ、陳舜臣の「三国志」ものをずっと読み直したり、新たに読んだりしていた。頭の中では、何回か読んでいる王欣太の漫画「蒼天航路」のキャラクターを思い浮かべながら、陳舜臣ならではの「三国志」に浸っていたのである。
 さて、どこから話をしようか。そもそも、私はいわゆる三国志の原典とされる陳寿の「三国志」はもとより羅貫中の「三国志演義」も読んでいない。それゆえ偏っている。
 たぶんきちんと最初に読んだのは「秘本三国志」で、その次におそらく「蒼天航路」を読み、その後になって陳舜臣の「曹操」や「諸葛孔明」そして今回、「曹操残夢」を手に入れてはじめて読んだのである。
 まず、それぞれの執筆時期を確認しておこう。
「秘本三国志」文藝春秋「オール読物」1974年~1977年連載。その後単行本、1982年に文春文庫。
「諸葛孔明」季刊連載後中央公論社1991年。1993年に中公文庫。
「曹操 魏の曹一族」初期季刊連載、その後月刊連載、中央公論社1998年、2001年に中公文庫」
「曹操残夢 魏の曹一族」「中央公論」2004年~2005年 中央公論社2005年。文庫化もされている。
「蒼天航路」講談社「モーニング」1994年~2005年。単行本、文庫本ほか。

 陳舜臣については書きたいことが山ほどある。もともとは、神戸を舞台にした推理小説ものや中国を紹介したエッセイなどをぽつぽつと読んでいて、文章がきれいで軽妙な語り口、緩急をつけた展開は読んでいて実に心地よい。戦前の神戸に生まれ、戦後に一時台湾で暮らし、その後、あらためて神戸に戻り、その後作家としてデビュー。その出自もあり、広くアジアを俯瞰した視点、戦前から現代までの時間をも俯瞰した視点、その上で、人間の機微やものごとの細部にこだわった作風。極微から極大を縦横無尽に、読者を置いてきぼりにせず読み切らせるすごい作家だと思っている。とはいえ多くを読んでいるわけではなく、思い立ったときに読みたくなる作家の一人だ。

 さて、三国志であるが、おもしれーなーと思ったのが「蒼天航路」である。漫画ならではの表現を存分に生かして若き日の曹操から曹操の死までを連載話数409話でど派手に描ききっている。曹操を中心にしてはいるが、いとこであり盟友である隻眼の夏侯惇、軍師であり漢の名士の出である荀彧は少年の時代から登場し、トリックスター的な描き方がされている。曹操側の二大巨漢として典韋、許褚が描かれる。許褚は少年の頃に出会うまるで横綱のような設定で、曹操の死の間際まで最側近のボディーガードをつとめ、典韋は角のある巨漢で、途中戦死するが、それまで曹操のボディーガードの要であった男である。 そのほかにも、曹操側には軍師、戦士ともども人物がそろっているが、敵の描き方も、曹操側以上にすさまじい。
 まずは、前半の姦雄である董卓と呂布。とくに呂布は本能の超人戦士として描かれ、印象的である。次に群雄の時代、幼なじみでもある袁紹と同じ袁家の袁術。最初に天子を僭称した袁術は、登場時はまだ人間的であったが、だんだんと猿顔に描かれ、天子僭称の際にはまったくの猿として描かれている。これぞ漫画である。袁紹もまた、当初は漢の名家として出自としても軍力としても最有力の大人物として描かれているが、袁紹が最後曹操と直接対決する頃には、姿形も変わり、それが曹操を本気で怒らせてしまう。これもまた絵の力である。
 もちろん、「三国志」といえば蜀の劉備、関羽、張飛である。関羽、張飛はなるほどというキャラクターとなっているが、劉備の描き方には特徴がある。キャラクターそのものは、大耳と長い腕というくらいでそれほどの特徴はないが、行動としては逃げる、泣く、はったりをかます、時々、人の心を打つ檄を飛ばすといった具合である。劉備らしいといえば劉備らしいなあと思わされるところがさすがである。
 そして、蜀と言えば、軍師・諸葛孔明も物語には欠かせないが、かの人こそ、「蒼天航路」最大のファンタジー的描かれ方をしている。曹操に出会うまでの間、諸葛孔明とその周りの事物、出来事はすべて幻想の中にある。中国幻想の世界、桃源郷、あやかし、それらすべてが混ざったもの、それが諸葛孔明とその世界である。かわいそうに曹操に出会うことでけがされ、人に落ちていき、我らが知る諸葛孔明となっていくのであった。作者の王欣太は諸葛孔明とは無意識に曹操になろうとしてしまった人物として描いている。
 呉の孫権は、虎をペットとする少年として登場する。呉の人々も美男子として名高い周瑜はきちんと美青年として描かれているし、魯粛もまた魯粛らしい。ちなみに、諸葛孔明の兄であり呉に尽くした諸葛瑾はしっかりと騾馬面となっている。
「蒼天航路」は大きな正史や演義などを引きつつ、青年誌コミック向けに劇画になりがちなところを劇画調にならないよう、かといって斬り合いと謀殺の話にばかりならないよう戦いのシーンを中心にエロティックな要素も挟みつつ、荒唐無稽を荒唐無稽に読ませないぎりぎりのところで読ませる漫画文化の作品となっていた。現代的に言えばキャラ付けがしっかりしていて、なおかつ、数十年の年齢の変化をうまく物語に乗せることでキャラがさらに立っているといえる。そこが印象深く、小説である陳舜臣の「秘本三国志」ほかを読む上で、この王欣太の「蒼天航路」のキャラクターで脳内に動いてもらうことで、たくさんの登場人物が変容して生き生きとするのである。
 まあ、正統な読み方とは言えないが、なにぶんにも似たような名前の人たちがたくさん出てくるのでちょうどよいのだ。

 ということで陳舜臣の三国志である。
 世の評価としては「諸葛孔明」を名著としてあげているようであるが、私としてはなにより「秘本三国志」を押したい。陳舜臣もまた曹操を推している。乱世の姦雄であり、悪名は高くとも、間違いなく漢を終わらせ、魏をもって中国を統一させた天才である。しかし、三国志は中国各地で同時期にいくつもの出来事が起こり、それが相互に影響を与えていく。それを作者が物語の神の目として筆を進めることもできるが、陳舜臣はここにふたりの架空の人物を登場させた。それは道教の一派である五斗米道のリーダーである張魯の母・小容と、小容の元で張魯とともに育てられた陳潜である。古典において張魯の母は美しく巫術にたけた人物として描かれているそうだが、これに名を与え、かつ、三国志の事件の現場にいることが不自然にならない存在として小容の遣い手に陳潜を用意した。陳潜に洛陽にある白馬寺と縁を結ばせることにより、道教と仏教、漢の人々と月氏をはじめ西方や北方の多様な人々との接点をもたせている。三国志の情報通、裏の操作者としてそれぞれの出来事に深みを与えるのである。小容はときに曹操や劉備、諸葛孔明らの相談役にもなり、ときに仕掛け人にもなるのであった。推理小説が得意で、人の機微や出来事の背景にある動機というものに関心の深い陳舜臣ならではの登場人物である。小容という存在をもって全体を俯瞰し、こんにちの中国の思想的背景にも関連させながら、登場人物の心を動きを描いている。まったくのフィクションだが、これが実におもしろい。
 それだけではない。まだ若き作者・陳舜臣も登場する。小説の中で、裏方が楽屋話をするのである。これは下手をすればあざとく、あやうくなるが、陳舜臣のそれは実に効果的だ。正史や演義だけでなく、それまでに語られてきた話とのつじつまや戦時中、戦後、現代につながるまでの歴史の一端とのつながりや奇縁を短い言葉でさらりと伝え、連載の各話に花を添えるのである。ときには戦時中の帝国日本軍のふるまいについてちくりと触れることもある。連載されていたのは1970年代。第二次世界大戦終戦から30年前後のことである。まだ多くの人たちの記憶に残っている出来事だったのだ。
「秘本三国志」は、曹操の死後、蜀の諸葛孔明が亡くなるところで物語を終える。もちろん、小容もそこにいるのだ。
「諸葛孔明」は「秘本三国志」完結から14年後に上梓される。物語は諸葛亮の父で泰山郡の行政高官であった諸葛珪が次男の誕生の報を受け、執事の甘海に「亮」と名付けるよう言付けるところから始まる。この甘海こそが、その後長年にわたって諸葛孔明の師であり情報源となるのである。「秘本三国志」の小容、陳潜のような存在だ。ただここで違うのは、諸葛孔明自身が、曹操、劉備、孫権をはじめとする世の中の動きを把握し、ことを動かす能力を持っていたことである。諸葛孔明とその妻で有能な発明家でもある綬が表の存在であり、かつ、三国志全体の設計者となるが、そこには裏の存在の甘海がおり、そして、今回は五斗米道よりも白馬寺を中心とする浮屠(仏教)の思想が深く関わることになる。物語は諸葛孔明の誕生からその死まで。三国志のあらゆる局面を縦断、横断しながら描き出されていく。たしかに(本物を読んでいないけれど)いかにも三国志らしい三国志である。よくこなれた小説だ。「秘本三国志」と「諸葛孔明」の間には、日本の高度経済成長、オイルショック、バブル経済という大きな流れがあり、中国もまた大きな政治的経済的変容の時期でもあったのだ。そういった時代背景が小説にも反映されている。陳舜臣の時代感覚というところでもあろう。
「曹操 魏の一族」は、曹操24歳、任地を勝手に離れて故郷の譙県に行き、いとこの夏候惇に私兵の育成について聞くところからはじまる。「諸葛孔明」とはちがい曹操が後漢の没落と群雄たちによる乱世のはじまりを予感させる躍動感あふれる始まりである。この「曹操」でも、陳舜臣は裏の存在を用意する。その筆頭が紅珠である。曹操のいとこであり、幼なじみであり、同姓故に結婚はできない思い人であるという設定の女性だ。宋皇后の兄の嫁となったが、宋皇后失脚により宋一族が粛正された際に殺されることになる。しかし、曹操の父・曹嵩の暗躍により曹操と曹仁のふたりが身重の紅珠を救って匈奴に預けることとなった。つまり、死んだことにされた女性である。実在の人間だが名前は不明なので陳舜臣が紅珠という名を与えているし、死んだはずが生きていることにしたのだ。紅珠が「秘本三国志」の小容のような存在になるが、同時に陰の恋人で姉御肌の幼なじみという位置づけも得ることで曹操の政治、軍事、私生活のすべてにおける対話者ともなるのである。
 もうひとり、浮屠(仏教)の寺である白馬寺に属していた群旋が登場する。「秘本三国志」の陳潜や「諸葛孔明」の甘海のような存在だが、曹操と同年生であり交易の民であるソクドの出自という位置づけを持ち、より深く曹操の覇道に関わる役割を持つ。そして物語は曹操の臨終の場面で終わるが、そこにもまた紅珠と群旋の姿があるのであった。
 陳舜臣はこのような人物を登場させることにより、主人公の曹操をはじめ主要登場人物や歴史の流れの波をこしらえるのだ。そこが陳舜臣の技というところであろう。
 直接の続編となる「曹操残夢」はおそらく陳舜臣自身も思っていたより執筆に時間がかかったのであろう。かなり時間が空いている。そのため出版されたことに気づかずにいて、今回が初読となってしまった。はじまりは、前作の直後からで、当然のように紅珠が出てくる。物語としては、曹操の息子・曹丕により漢から魏への禅譲がなされ文帝の世となり、曹一族の頂点を極めるのである。そこから先、呉、蜀を滅ぼし、中国統一を果たすが、魏は司馬氏によって晋へと禅譲され、短い王朝に幕を閉じるのである。「曹操残夢」では、さすがに紅珠も年をとったので、その息子の曹宙が物語の回し手として登場する。曹宙は本来は紅珠の死により生まれるはずのなかった歴史上架空の人物である。そして、物語として本来は紅珠の夫である宋氏の名を持つはずだったが母方の曹姓を使っていたのである。魏の時代において曹の姓は役に立つのだ。もうひとり意外な人物が物語の回し手になる。この人についてはここでは述べないでおくが、途中から「へええ」となる。曹操後の三国志はある意味で「諸葛孔明」の物語になっていくところもあるのだが、あくまで曹一族の物語であるため、曹植などの存在が大きく扱われたりもしている。題材としては書きにくいところもあっただろう。だからこその「へええ」だ。そして、ちょっとだけだが「倭」も登場する。そう「魏」志「倭」人伝なのだ。そういうのを楽しみに、陳舜臣晩年の円熟味を味わうとよいのだ。

 ということで、楽しく流れに遊ぶならば「蒼天航路」、出来事の「背景」や人の機微といった深みを感じるなら陳舜臣三国志を。おもしろいぞ三国志。

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十五少年漂流記


DEUX ANS DE VACANCES

ジュール・ヴェルヌ
1888

「SFの祖」ジュール・ヴェルヌの数ある作品の中から、久しぶりに読んだ1冊「十五少年漂流記」。これは今日的にはSFではなく冒険小説といったところだが、架空の島、想像上の生態系での冒険譚ということで、とりあえず海外SFのカテゴリーにいれておくことにした。読んだのは1993年に出版された荒川浩充訳の創元SF文庫版である。「十五少年漂流記」はたくさんの訳、あるいはジュブナイル版が明治時代以来出版され続けている。日本でとても人気のある作品と言える。
 私も最後に読んだのはもしかすると小学生の頃だったかもしれない。ジュブナイル版であることは間違いないが、いったいどこの出版社のものだったか記憶さえない。ネットで画像を探してみたりしてもたくさんでてくる。おそらく1950年代か1960年代に出版されたものだったであろう。
 今回完訳版を読んでみて、あらすじはたしかに覚えていた。幼い少年たちの乗った大型のヨットが難破、無人島にたどり着き、仲間たがいなどをくり返しながらも何人かのリーダーたちが生き延びるための工夫をしていく。しかし、月日は経ち、そして新たな遭難者は大人の荒くれ者たちだった。少年たちはその危機も乗り越えなければならないのだ。
 いま読んでもおもしろい。わくわくする。
 最初のリーダーとなったもっとも大人びて冷静なアメリカ人の14歳ゴードン。彼が最年長である。
 もっとも活発で利発なフランス人の13歳ブリアンと、なにかの影を持ってしまった10歳の弟ジャック。
 良家出身で頭が良いが他人の上に立つのが当然だと思っている13歳のドニファンをはじめとする8歳から13歳までの11人のイギリス人。
 さらに、唯一のスタッフであり水夫見習いの黒人のモコ。
 モコを除く彼らはみなニュージーランドの寄宿学校の生徒たちである。夏休みに大人たちと一緒に航海の旅をするために乗り込んでいたのだ。しかし、モコ以外の船長以下の乗組員がいないまま出航予定の前日の夜にもやいは解かれ、折からの嵐で誰も操船しないままに出港してしまったのである。
 19世紀の終わりに書かれた同時代を舞台とする少年たちの「2年間の夏休み」の物語である。
 子供たちだけが困難な状況に取り残され、苦難を乗り越えていくという設定はSFでも定番。ハインラインの「ルナ・ゲートの彼方」などはよく引き合いに出されている。
 たしかに、そのままヨットを宇宙船、孤島を無人の生存可能な惑星、寄宿学校の生徒の設定をスペースコロニーの学生に置き換えればほぼそのままSFに仕立て上げられる。そんなことをいえば、SF化可能な物語は無数にあることになるが、「SFの祖」の後期の作品だからこその親和性もあるだろう。
 いずれにしても、古典中の古典であり、海外SFを読む上では必須の作品であることは間違いない。21世紀であっても決して色褪せないのである。

システム・クラッシュ

SYSTEM COLLAPSE

マーサ・ウェルズ
2023

「マーダーボット」シリーズの4冊目が出版された。嬉しいねえ。この時代に翻訳してくれるだけありがたいじゃないか。「マーダーボット・ダイアリー」「ネットワーク・エフェクト」「逃亡テレメトリー」に続く作品だが、ストーリーとしては「ネットワーク・エフェクト」の直後からの「続編」である。本書冒頭には「ネットワーク・エフェクト」のあらすじがラストまで含めてざっくり紹介されているが、悪いことは言わない。まずは、「ネットワーク・エフェクト」を読んで、その直後に本書「システム・クラッシュ」を読むことを強くお勧めする。
 とはいえ、「ネットワーク・エフェクト」はそれ自体で完結しており、続編の本書を読まなくても満足感は十分にある。本書の目的は一言で言えば、「自由の獲得」である。企業政体に騙されて労働奴隷として連れて行かれそうな人たちを、「弊機」の側である大学と非法人政体が協力して説得し、自分達の自主決定権を主張して惑星に残るか別の植民星で自由民として生きるかという選択を選ばせようとするのである。はたしてうまくいくのか?惑星の人たちはいろんな分派に別れているし、企業側は狡猾だし、「弊機」はなんだかトラウマでフラッシュバックみたいな症状を起こしているし。人間たちは新たな関係が生まれていて、それはそれでややこしいし。企業側から新たな宇宙船できちんと統制されている警備ユニットが次々と送り込まれてくるし。
 ということで、「弊機」壊れかかっています。壊れかかっているからといって、逃げないところが「弊機」のいいところです。辛くなったら「サンクチュアリムーンの盛衰」も見ます。古くて性能の劣っているシステムのAIも、すぐに乗っ取ろうとせず、しっかり対話しようと努力するようになっています。存在として「成長」しています。
 最後はちょっと感動ものです。
 

逃亡テレメトリー

FUGITIVE TELEMETRY

マーサ・ウェルズ
2021

「マーダーボット・ダイアリー」「ネットワーク・エフェクト」につづく。「マーダーボット」シリーズ3冊目である。主人公の「弊機」=「マーダーボット」とそのこれまでの活躍については割愛。おもしろいから読めばよいのだ。
 本書は、中編の「逃亡テレメトリー」に短編の「義務」「ホーム それは居住施設、有効範囲、生態系地位、あるいは陣地」の3作品が掲載されている。時系列としては表題作は「マーダーボット・ダイアリー」と「ネットワーク・エフェクト」の間にはさまる話であり、「義務」は「マーダーボット・ダイアリー」よりも前の話であるが、少なくとも「マーダーボット・ダイアリー」のあとに読めば大丈夫。「ネットワーク・エフェクト」の後に読んでも大丈夫。とにかくまずは「マーダーボット・ダイアリー」を読め。話はそれからだ。

「逃亡テレメトリー」はSFミステリである。ロボット(アンドロイド、AI、ボット…)が出てきてSFでミステリといえばアイザック・アシモフの「鋼鉄都市」にはじまるシリーズを思い出してしまうが、「ロボット三原則」なんかのしばりがなくて、主人公自身が知性を持ち、つよい殺傷能力やネットワーク潜入能力を持ち、しかも人間の誰にも「統制」されていない「暴走ボット」なのである。人間は苦手。人間は嫌いではないが知っている人であっても触られるのは嫌、目を合わせて話をするのも嫌、まして知らない人と会話さえ交わしたくない人見知りの内向的な存在で、唯一最大の楽しみはネット空間上からダウンロードした膨大なドラマシリーズを見ること。なかでもお気に入りは「サンクチュアリムーンの盛衰」シリーズ。いったい何回くり返してみているんだろう。「弊機」がこのドラマを見始めるのは、ストレス回避なのかも知れないが。
 さて、いろいろあって「自由」な立場を公式に認められる可能性の高い非法人政体のプリザベーション連合のステーションにて、政体の現指導者のメンサー博士の庇護のもと身分を隠さず過ごしているある日、極めて安全なステーション内で、極めてまれなことに殺人事件が発生した。メンサー博士はいろいろあってとある企業政体から命を狙われており、はたしてそれに関係するのかしないのか。一刻も早く真相を確かめるため、「弊機」は「警備コンサル」としてステーションの警備局に「協力」することになった。しかし、警備局側はそもそも「弊機」が「警備ユニット」として武器を体内に持ち、高度なハッキングテクニックを持っていることからいくらメンサー博士が安全を保障しても、ステーションの安全保障上の最大の脅威とみているわけで、そうそう「協力」して欲しくはない。「弊機」だって協力したいわけでもない。とはいえ、殺人は殺人。「弊機」の高い調査能力と推理力は、警備局のインダー上級警備局員やアイレン特別捜査部員にとっても役立たない訳ではない。ここに、いわゆる「刑事とロボット探偵の愛憎交ざったバディドラマ」がはじまることになる。しかもちょっと「ハードボイルド」もはいる。なんといっても「弊機」は暴力が入ってくると、自分の身の安全は二の次で簡単に死にやすい「人間」を救うので、「弊機」の存在そのものがハードボイルドなのだ。内気な性格もハードボイルド向きかも。
 ということで、ひとつの殺人が単純な事件に終わるはずはなく、複雑な事件、複雑な容疑者、別件逮捕者、そして、意外な真犯人。
 おもしろいぞう。さ、まずは「マーダーボット・ダイアリー」を読もう。

宇宙飛行士ピルクス物語

OPOWIESCI O PILOCIE PIRXIE

スタニスワフ・レム
1971

 とてもとても長いこと本棚にあって、「お前、レム好きなくせに、いったいいつ読むんだよ」状態で私をぼんやりと悩ませ続けていた作品。2025年、とうとう読んだぜ。
 ポーランドで発表されたのが1971年(調べると1968年という記載もあるが、出版本の記載に準拠)。いまから54年前である。日本では1980年に単行本、2008年に文庫本として翻訳出版されている。レムは2006年に亡くなっている。
 そして、この本を買ったのは2008年だと思う。長い時間積んで置いてしまった。
 2025年のいま、読んで良かったと感じている。ここ数年で急速に進化し、また、使われるようになったAIについて深く考えさせられる作品だったからだ。
 レムといえば、1960年代に発表された「ソラリスの陽のもとに」を筆頭に、「エデン」「砂漠の惑星」のように、人間とは違う「知性」について洞察した作品群が初期の代表作になっている。
 また、サイバネティックス論に深く、ロボットを題材にした作品もあり、「宇宙創世記ロボットの旅」はとても面白かった印象がある。とはいえ、はるか昔に読んだので作品について内容は思い出せていない。
 だから、読めばおもしろいのだろうな、と、思いながら、なぜだか読まずにいた。
 体裁としては宇宙飛行士のピルクスを主人公にした連作短編の形式を取っており、ひとつひとつの作品はほぼ独立して描かれている。また、ピルクスも若く宇宙飛行士の最終選抜試験を受けるころの話しから、老成して引退を考える時期まで書かれているが、その時系列は特に全体にはあまり影響しない。
 出てくるエピソードのひとつには、太陽系に入ってきた恒星間天体の話がある。そう2017年のオウムアムアみたいな話である。この恒星間天体が自然由来のものか太陽系外知性体の影響を受けたものかという議論はいまも一部に残っているが、そういうテーマをうまく扱っている。
 それから、やはり近年情報公開された地球での未確認飛行物体の戦闘機によるレーダー確認のいくつかが機械上のバグであったという問題、これはコンピューターによる解析や人間が自然状態では認識できない情報を袖手する高度な情報入出力装置(レーダーなど)が、意図しない挙動をすることで人間側が認識を誤るという問題なのだが、これもうまく考えさせられる作品があったりする。
 とりわけ、人工知性体(ロボットや自動操縦装置みたいなもの)と人間の近くや判断、行動規範の違いについても、宇宙飛行という極限状態で広い視野を持つピルクスという主人公の存在により題材としておもしろくかつ辛辣に描かれている。
 AIへの依存を高めているいまこそ、こういう作品は読む価値があるのだ。

 ところで、私が手にしている文庫本は1980年単行本から、翻訳時の用語などを整理し、コンピューター時代らしく元の含意に沿った用語に置き換えられている。この作業をされたのは、原翻訳者の深見弾氏ではなく、深見氏の死後、大野典宏氏の手によるものであり、おそらく読者にとってはより深く原著を理解する手助けになったものだと思う。それだけレムが時代の先をいっていたのだろう。
 一方で、2008年の時点ではコンピュータ(というよりAI)が自意識を持つ可能性については強く否定されており、あとがきの解説で大野氏もレムが「強いAI」について実現性を否定していたが、2025年の今日、その実現可能性は日に日に高まっている。そのあたりの時代変化も、いまだから読み取れる。

 多くのSF小説は書かれた時代と読まれる時期によってその価値やきらめきを失っていく。それはSF小説の宿命的なものであるが、その中でも、長い時間生き残る小説、作品はある。1971年に発表された本作を、2025年のいまはじめて読み、その設定や表現に「古さ」や「ありえなさ」はあるものの、書かれている本質的なことについては、いまこそ読むべき作品のひとつだと思った。レム、おそるべし。

 あ、でも、レムだから、ユーモアたっぷりだし、ちょっとミステリ要素もあって純粋におもしろいよ。

ダーウィンの使者

DARWIN’S RADIO

グレッグ・ベア
1999

 2000年にソニー・マガジンから大森望さんの翻訳で出版された単行本「ダーウィンの使者」。当時、買って読んでいたのだが、「丸目はるのSF」をはじめたのが2003年末なので、すっかり忘れていた。調べてみると続編の「ダーウィンの子供たち」はヴィレッジブックスから2010年に出版されている。この時期は仕事でばたばたしていたのでハヤカワや創元以外はほとんど目に入っていなかった。すでに続編は入手困難になっているではないか。がーん。とはいえ、「続編もあるかもね」という終わり方の作品なので、とりあえず良しとしよう。
 舞台は21世紀初頭の地球。コンピュータサイエンス、バイオサイエンス、通信技術が急速に発展しつつある世界である。書かれた当時の近未来なのだが、それから25年以上経ち、SF作家の予想を上回る発展のしかたに少々驚きながら、すこし懐かしい未来と思って再読する。
 テーマは、パンデミックと人類の進化。
 登場人物はものすごく多いが、主要登場人物として3人が挙げられる。
 ミッチ・レイフェルスン。悪名高く学会から事実上追放されている古人類学者。アルプス山中でネアンデルタール人の成人男女と現生人類の新生児の遺骨を発見したことから、さらなるトラブルに巻き込まれ…。
 ケイ・ラング。分子生物学の天才科学者。グルジア(現ジョージア)共和国でのバクテリアファージウィルスの研究のために滞在していたところ、国連平和維持活動本部から非グルジア人で法医学のキャリアのある唯一の科学者として調査に同行するよう強い要請を受ける。妊婦の大量遺骨が発掘されたため、その時期や背景を判断することを求められたのだ。一時的な任務だったが、それはのちにケイ・ラングの選択に大きな影響を与えることとなる。
 クリストファー・ディケン。アメリカ国立感染症センター(NCID)のウイルスハンター。アメリカ疾病対策予防センター(CDC)の下部機関で、世界中の感染症を調査し、パンデミックの兆候を調べるための専門調査官である。グルジアの現場でケイ・ラングと接触。アメリカに帰国後も、アメリカや各国ではじまっていたパンデミックの原因と対策について政治的、医学的に奔走することになる。

 そして、起きているパンデミックは「流産」。ヘロデ流感と名付けられたそれは、ヒトの遺伝子に含まれる内在性レトルウイルスがなぜか活性化し、SHEVA粒子を生み出し、それが原因となって流産を引き起こすのである。そして、さらに、驚くべきことがおきはじめる。
 公衆衛生上の危機、生殖上の危機、男女の関係性の危機が一度に押し寄せてくる。
 原因究明、政治的な対応、ワクチンの開発、感染源の隔離…。次々に変化する情勢に翻弄される登場人物たち。とりわけ、その対応の中心近くに居て巻き込まれてしまうケイとクリストファー。対応の辺縁にいて悩むミッチ。
 この感染症の鍵はどこにあるのか。ワクチンや隔離、対策は成功するのか。
 人類はどうなる。そして、タイトルに秘められた「ダーウィンの使者」とは。
 進化論の解釈もひとつの鍵となる。

 物語としてはバイオスリラーみたいな感じかな。でも、人工ウイルスとか、ワクチンによる人類改造といった、現実世界で起きたパンデミックに流布した陰謀論やトンデモ仮説みたいな雑な話しではない。自然は、生物界は、進化をどのように成し遂げていたのかという壮大な風呂敷広げる物語なのである。そして、人は右往左往するしかないのだ。

 執筆から25年、バイオサイエンスは飛躍的に発展し、基礎知識も、応用技術も新たなステージに向かおうとしている。その意味ではちょっと古いかも知れないが、久しぶりにおもしろく読ませてもらった。

 続編は「ダーウィンの子供たち」。
 そう、本作で生まれた「新人類」はどうなるのか。

テレビアニメ「まんが日本史」

製作 土田プロダクション、脚本 田代淳二

 日本テレビ系列で1983年から1年間、全52話放送のテレビアニメで、小学館の学習漫画「少年少女日本の歴史」を参考に制作された作品。
 配信で流れていたので数年前の今年2025年の2回流し見しました。今年は参議院議員選挙で歴史認識がめちゃくちゃな政党、候補者があってぐったりしたので、「まんが日本史」で気持ちをリセットしようと思ったのだ。
 夫婦別姓なんて日本の長い歴史で支配階級では当たり前のことだったし、言語も文化も大陸からやってきていたし、歴史の初期から外国からの人との交流によって発展してきたんだ。なにをいまさらそんなことを強調しなければならないんだ、と。
 もっとも、日本列島の有史以前、その後の歴史学、人類学、遺伝学などの研究により「日本人」と呼ばれる民族のルーツが一方向からだけではなく、様々なルートを辿って混交して形成されたことが明らかになっているし、有史後の歴史も新たな研究により制作時よりも深まっているから、このアニメを歴史の教科書としてお薦めすることはできないが、歴史に関心を持ったり、歴史をきちんと学んだ上で見ると、それはそれでおもしろい。
 とくに、このシリーズの特徴は、本編の後に「おねえさん」が「男の子」と「女の子」の兄妹にワンポイントで追加説明するのだけれど、この「おねえさん」が実に良い。すっとぼけた顔をして現代的視点から為政者をぶったぎり、現代的価値観の大切さを子供たちに伝えていく。後半になると、日本が米英仏などの植民地化されなかった時間軸に触れて、「単に運が良かったのね」と、幕末、維新期の日本の政治的、軍事的実力ではなかったことをすっぱり切る。いいぞ、おねえさん。
 さらにおもしろいのは、同時期の東アジアやヨーロッパ、中東の歴史を短く紹介している。島国であり、人類史上は比較的後期に集団形成されてきたことから、日本の歴史が中国や中東、ヨーロッパに対して、文明的には後追いであることがよく分かる。もちろん、その中でも島国として徐々に独自性をもってくるのだが、それもふくめて人類史の中のひとつであることも見えてくる。
 台所仕事しながら流し見るにはちょうどいい作品なのだ。
 類似の作品に「ねこねこ日本史」もあるが、こちらはもっと歴史をデフォルメしているのである。大長編なので、見流しするにはいいぞ。