宇宙飛行士ピルクス物語

OPOWIESCI O PILOCIE PIRXIE

スタニスワフ・レム
1971

 とてもとても長いこと本棚にあって、「お前、レム好きなくせに、いったいいつ読むんだよ」状態で私をぼんやりと悩ませ続けていた作品。2025年、とうとう読んだぜ。
 ポーランドで発表されたのが1971年(調べると1968年という記載もあるが、出版本の記載に準拠)。いまから54年前である。日本では1980年に単行本、2008年に文庫本として翻訳出版されている。レムは2006年に亡くなっている。
 そして、この本を買ったのは2008年だと思う。長い時間積んで置いてしまった。
 2025年のいま、読んで良かったと感じている。ここ数年で急速に進化し、また、使われるようになったAIについて深く考えさせられる作品だったからだ。
 レムといえば、1960年代に発表された「ソラリスの陽のもとに」を筆頭に、「エデン」「砂漠の惑星」のように、人間とは違う「知性」について洞察した作品群が初期の代表作になっている。
 また、サイバネティックス論に深く、ロボットを題材にした作品もあり、「宇宙創世記ロボットの旅」はとても面白かった印象がある。とはいえ、はるか昔に読んだので作品について内容は思い出せていない。
 だから、読めばおもしろいのだろうな、と、思いながら、なぜだか読まずにいた。
 体裁としては宇宙飛行士のピルクスを主人公にした連作短編の形式を取っており、ひとつひとつの作品はほぼ独立して描かれている。また、ピルクスも若く宇宙飛行士の最終選抜試験を受けるころの話しから、老成して引退を考える時期まで書かれているが、その時系列は特に全体にはあまり影響しない。
 出てくるエピソードのひとつには、太陽系に入ってきた恒星間天体の話がある。そう2017年のオウムアムアみたいな話である。この恒星間天体が自然由来のものか太陽系外知性体の影響を受けたものかという議論はいまも一部に残っているが、そういうテーマをうまく扱っている。
 それから、やはり近年情報公開された地球での未確認飛行物体の戦闘機によるレーダー確認のいくつかが機械上のバグであったという問題、これはコンピューターによる解析や人間が自然状態では認識できない情報を袖手する高度な情報入出力装置(レーダーなど)が、意図しない挙動をすることで人間側が認識を誤るという問題なのだが、これもうまく考えさせられる作品があったりする。
 とりわけ、人工知性体(ロボットや自動操縦装置みたいなもの)と人間の近くや判断、行動規範の違いについても、宇宙飛行という極限状態で広い視野を持つピルクスという主人公の存在により題材としておもしろくかつ辛辣に描かれている。
 AIへの依存を高めているいまこそ、こういう作品は読む価値があるのだ。

 ところで、私が手にしている文庫本は1980年単行本から、翻訳時の用語などを整理し、コンピューター時代らしく元の含意に沿った用語に置き換えられている。この作業をされたのは、原翻訳者の深見弾氏ではなく、深見氏の死後、大野典宏氏の手によるものであり、おそらく読者にとってはより深く原著を理解する手助けになったものだと思う。それだけレムが時代の先をいっていたのだろう。
 一方で、2008年の時点ではコンピュータ(というよりAI)が自意識を持つ可能性については強く否定されており、あとがきの解説で大野氏もレムが「強いAI」について実現性を否定していたが、2025年の今日、その実現可能性は日に日に高まっている。そのあたりの時代変化も、いまだから読み取れる。

 多くのSF小説は書かれた時代と読まれる時期によってその価値やきらめきを失っていく。それはSF小説の宿命的なものであるが、その中でも、長い時間生き残る小説、作品はある。1971年に発表された本作を、2025年のいまはじめて読み、その設定や表現に「古さ」や「ありえなさ」はあるものの、書かれている本質的なことについては、いまこそ読むべき作品のひとつだと思った。レム、おそるべし。

 あ、でも、レムだから、ユーモアたっぷりだし、ちょっとミステリ要素もあって純粋におもしろいよ。