DEUX ANS DE VACANCES
ジュール・ヴェルヌ
1888

「SFの祖」ジュール・ヴェルヌの数ある作品の中から、久しぶりに読んだ1冊「十五少年漂流記」。これは今日的にはSFではなく冒険小説といったところだが、架空の島、想像上の生態系での冒険譚ということで、とりあえず海外SFのカテゴリーにいれておくことにした。読んだのは1993年に出版された荒川浩充訳の創元SF文庫版である。「十五少年漂流記」はたくさんの訳、あるいはジュブナイル版が明治時代以来出版され続けている。日本でとても人気のある作品と言える。
私も最後に読んだのはもしかすると小学生の頃だったかもしれない。ジュブナイル版であることは間違いないが、いったいどこの出版社のものだったか記憶さえない。ネットで画像を探してみたりしてもたくさんでてくる。おそらく1950年代か1960年代に出版されたものだったであろう。
今回完訳版を読んでみて、あらすじはたしかに覚えていた。幼い少年たちの乗った大型のヨットが難破、無人島にたどり着き、仲間たがいなどをくり返しながらも何人かのリーダーたちが生き延びるための工夫をしていく。しかし、月日は経ち、そして新たな遭難者は大人の荒くれ者たちだった。少年たちはその危機も乗り越えなければならないのだ。
いま読んでもおもしろい。わくわくする。
最初のリーダーとなったもっとも大人びて冷静なアメリカ人の14歳ゴードン。彼が最年長である。
もっとも活発で利発なフランス人の13歳ブリアンと、なにかの影を持ってしまった10歳の弟ジャック。
良家出身で頭が良いが他人の上に立つのが当然だと思っている13歳のドニファンをはじめとする8歳から13歳までの11人のイギリス人。
さらに、唯一のスタッフであり水夫見習いの黒人のモコ。
モコを除く彼らはみなニュージーランドの寄宿学校の生徒たちである。夏休みに大人たちと一緒に航海の旅をするために乗り込んでいたのだ。しかし、モコ以外の船長以下の乗組員がいないまま出航予定の前日の夜にもやいは解かれ、折からの嵐で誰も操船しないままに出港してしまったのである。
19世紀の終わりに書かれた同時代を舞台とする少年たちの「2年間の夏休み」の物語である。
子供たちだけが困難な状況に取り残され、苦難を乗り越えていくという設定はSFでも定番。ハインラインの「ルナ・ゲートの彼方」などはよく引き合いに出されている。
たしかに、そのままヨットを宇宙船、孤島を無人の生存可能な惑星、寄宿学校の生徒の設定をスペースコロニーの学生に置き換えればほぼそのままSFに仕立て上げられる。そんなことをいえば、SF化可能な物語は無数にあることになるが、「SFの祖」の後期の作品だからこその親和性もあるだろう。
いずれにしても、古典中の古典であり、海外SFを読む上では必須の作品であることは間違いない。21世紀であっても決して色褪せないのである。