A ROBOT IN THE FAMILY
デボラ・インストール
2020

「ロボット・イン・ザ・ガーデン」「ロボット・イン・ザ・ハウス」「ロボット・イン・ザ・スクール」に続く第4作である。というより「ロボット・イン・ザ・スクール」と合わせて1作品と考えても良いかもしれない。
扱われているテーマは3作目と引き続いている。すなわち、同質を求める社会関係の中でそもそも同質にはなれない属性を持つマイノリティと社会の関係性と問題、矛盾、あるいは差別、あるいは無知をめぐる問題である。それにもうひとつ、そのような同質性を求める社会における最大のマジョリティであるはずの中年男性が持つ「大人になることができない」問題である。後者は1980年代にさかんに登場した「ピーターパン症候群」をどう克服するかという問題と言い換えても良い。
さて、物語は進む。いろいろあって東京のロボット専門家の元に残ることになったジャスミンを置いて日本からイギリスに戻ってきたベン、エイミー、タング、ボニーの家族。ベンは相変わらず、ジャスミンを置いてきてよかったのかどうかとうじうじしているが、家に着いてみるとそこには「捨てロボット」のフランキーが。どうやら扱いに困った所有者が記憶(メモリー)を消して、ベンに勝手に託したらしい。元の機能に改造を加えていた形跡はあるし、はっきりしないがタングやジャスミンのように自我を持つAIであると思われる。ベンがジャスミンを東京に置いてきたことに怒っていたタングは、フランキーを受け入れることでその心の傷を癒やそうとするかのようにフランキーの世話をはじめてしまう。ベンもエイミーも、それを受け入れ、ふたたび一家は大人ふたり、人間の子どもひとり、子ども状態の(成長過程の)ロボットひとり、よくわからないロボットひとりの5人家族として新たな関係性を生み出そうとする。ベンの仕事の環境、エイミーの仕事の環境も大人としての社会的成長とともに変化していく。タングは学校という新たな場で持ち前の(子どもらしい無垢な)積極的コミュニケーション能力を生かして人気者になっている。しかし、ボニーは幼少期から別の個性を持ち、人とのコミュニケーションはとりたがらないが冷静な観察力、集中力、そして描写力を持つ子どもに育っていく。ボニーの唯一の友人のイアンが家族の判断で学校に行くのではなく家庭での学習に切り替えることを知ったベンとエイミーは、そもそも学校に行きたがっていないボニーのことを考え、イアンの両親とも相談して同じように家庭学習に切り替えることを選択する。イギリスでは、義務教育は必要があれば家庭教育に切り替えることも制度として認められているからである。
そうして家族関係は変化していく。そこに、記憶を失った捨てロボットフランキーとの新たな家族構築の物語も挿入されていく。
それだけではない。ベンの姉であり、弁護士仲間としてベンとの出会い以前からのエイミーの親友であるブライオニーとその夫、息子、娘の家族問題、ふたつの親戚間の問題、姉弟関係と友情関係、さらには、人間とロボット間の恋愛関係の問題、性的マイノリティの問題と社会関係性にまつわる問題大噴出である。
次々と起きる日常の中の問題は、多かれ少なかれ誰でも目や耳にするし、自覚があるなしにかかわらず身近なところに存在する。
大人になりきれないベンは、しかし、悩みながらも他者を大切にし、自分も他者もできるだけ息がつけて楽になる道を考え続ける。
今日のマイノリティ、差別問題と直結する課題である。
付録として、短編「ロボット・イン・ザ・パンデミック」が収録されている。COVID-19(新型コロナウィルス)パンデミック初期の隔離と自粛の時期、それを目の当たりにした生体ではないタングの選択とは? 小さな勇気と小さな希望の物語。