巨獣めざめる(再) 

巨獣めざめる(再)
ジェイムズ・S・A・コーリイ

LEVIATHAN WAKES
2011

 自分にびっくりした。以下の文章を書いてから保存しようとしたらファイル名(タイトル)がすでにあるとコンピュータ様が私に告げた。同じタイトルの作品あったっけ?とチェックしたら、なんと読んでいた。2013年のことだ。翻訳が出たばかりだから新刊を買って読んだのだろう。まったく完全に失念していた。だからネットで古本を買って読んだのだ。まっさらな気持ちで。内容も覚えていなかった。まったく。すごい忘却能力。

 2013年に読んだ記録はこちら。

 ではここからが2022年の私だ。

 2022年最初に読んだSF。モビルスーツの出てこない宇宙世紀のガンダム的世界といえば通りはいいだろうか。人工衛星コロニーの替わりに人々の主な生活の場は地球、火星、月、そしていくつかの小惑星をくりぬいてできた小惑星コロニーなど。そこには太陽系内の交易があり、政治があり、人々の暮らしがあった。ガンダム風に言えば「人はそこで子を産み、育て、そして死んでいく」場なのだ。それは特別なことではなく、世代は変わり、考え方も、体型も、それぞれの場所に応じて変わっていく。人類は新たな時代を迎えていた。

 最初に言っておく。おもしろいぞ。
 そしてもうひとつ言っておく。どうして続編を訳さないのだ?
 さらに言っておく。amazon prime video のオリジナル作品として映像化されシリーズが見られるぞ。The Expanse シリーズだ。読み終わってから気がついた。
 近々見るけどその前に続編が読みたい。

 さて。

 太陽系が人類の住処となり地球と火星の間に緊張が起きてから150年。当時は小惑星帯もまだ遠かったが、やがて鉱物資源にめぐまれた小惑星帯から木星衛星系、土星衛星系、そして天王星衛星まで人類の居住空間は拡張していった。あいかわらず二大人類惑星である地球と火星は緊張関係にあり、小惑星帯の人々はつねに両惑星からの圧力にさらされていた。そんな時代の物語。

 主人公はふたり。ひとりは土星と小惑星帯の間で氷の塊を運ぶ輸送船カンタベリー号の副長ジム・ホールデン。仕事は単調、船は100年超のおんぼろ。そこで働くのはわけありの者たちばかり。火星の小型輸送船スコピュリ号の救難信号を受けて数名のクルーとともに確認と救助に向かったところからホールデンにとっては休まることのない事件に巻き込まれていく。

 もうひとりは小惑星帯と外惑星系の玄関口となる小惑星ケレスの警察事業を請け負う民間企業に勤務する古株の刑事ミラー。いまは地球出身でなぜだかケレスの刑事として転職してきたハブロックと組んでいる。ミラーは通常の業務とは別に株主の便宜をはかるための仕事を命じられる。家出した一人娘ジュリー・マウを探しだし連れ帰ること。すなわち誘拐請負。うんざりするような仕事でも断れる状況ではない。しかし、ジュリーを追いかけるうちにミラーもまたとほうもない事件に巻き込まれていく。

 事件の舞台は小惑星帯。小惑星帯で起きた海賊事件は、小惑星帯と火星の緊張を生み、それを傍観していた地球と火星の緊張を生み、やがて全面戦争の危機が迫る。
 そのきっかけをつくるのは、そういう政治的な自覚のない素直で隠しごとの嫌いなおじさんホールデン。
 それが原因で起きる太陽系規模のできごとにふりまわされ刑事としての自信もなくしえらい目に合うのがミラー刑事。
 鍵を握るのはジュリー・マウの存在。

 果たして太陽系で壊滅的戦争が起きるのか、止められるのか
 そして、その影にある不審な動きとは。
 冒頭のプロローグでは、宇宙船内で起きた異様な状況が語られる。人体が変容し生きてうごめく肉となっている。そこにかろうじて頭が残っており助けをつぶやく。このプロローグが何を意味しているのか。大きな謎を残したまま物語はふたりの主人公を通して動き始めるのだった。

 作品としてうまいところをついている。主人公のひとりは世界情勢に大きく関わっているのだが、それはあくまでもきっかけであって本人にはまったくその自覚がない。そして、むしろ巻き込まれているだけだという思いがある。実際にその通りでただ巻き込まれただけなのだが、大声で「俺は巻き込まれたー、これはおかしいぞー」と太陽系中にアピールするもんだから「きっかけ」になってしまうだけなのだ。それも1度でなく2度3度。太陽系中で知らない者がいないぐらいの人間になってしまう。でも、本人には自覚がない。気にしているのはクルーのことと自分のことだけ。
 だから、この時代の非日常的な日常を通して太陽系時代を楽しめる
 もうひとりの主人公もくたびれた刑事という役柄上から時には体制側、時には知りすぎた男としてこの世界の日常を描く。
 起きている出来事は大きくても、おっさんふたりの動きは主体的というより流された結果に腹を立ててあたふたしているだけなのだ。しかも、その行動が世界の動きに影響を与えてしまう。このバランスがよくできている。

三体3 死神永生

三体3 死神永生
DEATH’S END

リウ・ツーシン
2010

 いまから15年ほど前、中国で中国語SFとして発表され、英語をはじめさまざまな言語に翻訳された衝撃の現代小説「三体」と「三体2 黒暗森林」はSF読みだけでなく、現代小説として世界的なヒット作となった。文化大革命の時代に物語はじまり、現代を超え、近未来につづく異星文明「三体世界」と、科学技術でははるかに遅れている人類の物語。三体世界は、太陽系・地球を新たな生存空間とするため、大規模な艦隊を発信させるとともに、高次元量子コンピュータを地球上に展開させ、人類の科学技術の発展を阻害し、世界に攪乱と混乱をもたらしていた。

 物語は、三体世界との遭遇と、脅威の認識(「三体」)、三体世界の近未来に約束された侵攻という状況にさらされた人類社会の変化と、対抗し人類を守るためのさまざまな動き(「黒暗森林」)、そして、本作「死神永生」では、かろうじて人類壊滅を避けられたものの三体世界との緊張関係が続くなかで、前作で明らかになった宇宙の知的種族の行動規範が人類のあり方を変えていく姿が描かれていく。

 第二部の前作でも風呂敷は大きかったが、第三部はSF的制限解除といった様相を呈していく。現代宇宙論の柱である高次元宇宙、ひも理論、多元宇宙論、グレッグ・イーガンばりの「物理法則」「数論」までも駆使して、荒唐無稽といえば思いっきり荒唐無稽だが、それを思わせない筆力と展開で最後まで押し切っていく。
 まあ、ちょっとはご都合主義的な部分を感じなくもなかったが、そのくらいご愛敬。一緒にだまされていこう。

 最後の解説で、この第三部は「あまり売れないだろうから、前2作とちがって一般受けは気にせずSFにする」みたいなことを作者が言っていたと紹介があった。まさにまさに。とはいえ、イーガンよりも分かりやすく、ヴァーナー・ヴィンジ(遠き神々の炎)、ジョン・E・スティス(レッドシフト・ランデブー)、スティーヴン・バクスター(ジーリーシリーズ)、デイヴィッド・ブリン(知性化シリーズ)、グレゴリイ・ベンフォード、フレデリック・ポール…。日本にも翻訳されてきた数々のSF作家が挑戦した宇宙を描ききる作品たち。これらのひとつの総集編のような作品である。

 もし、ハードSFは難しくて読みにくいと思って避けている人がいたら、ぜひこの「三体」シリーズを手に取って欲しい。
 2部まではぜんぜん難しくない。へええええ、なるほどおおお。ぐらいな感じでもうゲームとかスマホとかヴァーチャルリアリティとかデジタル時代に生きる21世紀人なら「現代小説」として読めちゃう。そして、第二部まで読んだら、そりゃあ続編が読みたくなるから。だって、さらにおもしろくなるんだもん。一緒に時間と宇宙を旅しようぜ。

(2021.12.30)

サイバー・ショーグン・レボリューション

サイバー・ショーグン・レボリューション
CYBER SHOGUN REVORLUTION

ピーター・トライアス
2020

 タイトルが80年代ポップス的じゃないですか。邦題だろうと思ったら、原題そのまま。
「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」「メカ・サムライ・エンパイア」に続く、歴史改変ロボットSFシリーズ第三弾。かの名作「高い城の男」(フィリップ・K・ディック)と同じように、日本とドイツが第二次世界大戦に勝利し、アメリカを分割支配する世界。同じように日本領アメリカが舞台。しかも、巨大ロボットもの。小競り合いを続け緊張が続く日独間。大日本帝国支配に対する抵抗運動も起きている世界。巨大ロボットが究極兵器として軍により開発され、そのパイロットは特殊な訓練を受けている。さらに、ドイツが開発したバイオロボットは機械と生体の融合体。もうどろどろ。
 第一作目は、「高い城の男」を意識した歴史改変ロボット小説、第二作目は、ミリタリーSF、それに続く本作「サイバー・ショーグン・レボリューション」は、タイトル通り、内なる革命の物語である。日本領アメリカの実効支配を行なう軍部での権力闘争と、ドイツ領アメリカと高まる緊張関係、大日本帝国本国と日本領アメリカ支配層の緊張関係、そこに登場した伝説のナチスキラー(暗殺者)ブラディマリー。彼女は、ナチス要人暗殺のプロとして知られてきた。いま、日本領アメリカでの権力闘争が実戦に発展した後、さまざまな陰謀がうずめくなかでブラディマリーがあるときは人を助け、あるときは組織を壊滅させていく。彼女は何者なのか、その動機は、そして、権力闘争がいきつく果てに、この世界の幸せはあるのか。
 基本は巨大ロボットと、そのパイロットたちの物語だから、安心して読んで。エンターテイメントよ
 それにしても、戦争に勝者はなく、正義はないけれど、大日本帝国やナチスドイツが勝利しなくてよかったと思っているよ。いかなる政治体制でも実権を持つ「王」を抱えた国や体制は責任を「王」に預けるため組織がピラミッド状になり、次第に抑制が効かなくなる。権力はなんらかの形で交換可能な「偽りの王」に一時的に預けるものであり、常に交換されることで社会を硬直にさせないことが大切だ。交換を武力などの強制力で行なうのは結局のところ倒す側も倒される側も「王」を志向することになる。
 だから、民主主義的システムが人類社会にとって有効なのだ。
 しかし、偽りの民主主義的システムが増えていることも事実。
 身近であっても、「王」を求めないことが大切。

(2021.12.10)

三体2 黒暗森林

三体2 黒暗森林
THE DARK FOREST

リウ・ツーシン
2006

 中国SF「三体」の第二部「黒暗森林」である。前作を読んでいるにこしたことはないが、本作だけでも十分に楽しめると思う。
 地球-人類は異星知的種族三体文明の侵攻危機を控えていた。すでに、高次元で人工知性を持ち低次元では陽子としてふるまう智子(ソフォン)によって地球上で人類が秘密を持つことができず、また、量子にまつわる研究や技術開発を発展させることができなくなっていた。物語は、人類が新たな紀元として定めた危機紀元3年に始まる。「三体艦隊の太陽系到達まで、あと4.21光年」であることは分かっている。
 いまだ地球重力圏を満足に越えることができない人類社会は、それでも、来たるべき宇宙戦争に備えるため、宇宙軍をつくり、地球全体が戦時体制へと向かっていた。
 さらに、智子(ソフォン)対策としての奇策・面壁者計画を発動させる。地球全体から選別された4人の専門家に、人類が持ちうる最大限のリソースと権限を与え、その要求についての検討は行なわれるが、真の意図については他の誰にも分からないようにしなければならないという驚愕すべき計画である。はたして、この4人の人間たちは何を考え、どう行動するのか。それは、三体文明との戦争に勝つことができるのだろうか。
「黒暗森林」では、冷凍睡眠技術を織り交ぜつつ、三体艦隊が着実に太陽系に進む200年以上の歳月が語られる。その間に、人類社会と地球は絶望、暗黒、再興の波を超えていく。
 それは、想像を絶する変容である。現代人と同じ思考を持つ冷凍睡眠から目ざめた人達と、新しい思考を持つ人達の違いはどうなのだろう。主要な登場人物の何人かは、時を越え、飛び飛びに未来を見ることになる。彼らは過去の英雄なのか、使い道のない石器時代の生き残りなのか。
 壮絶な人間ドラマの果ての宇宙戦争。
 前作とはまったく違うが、その風呂敷の大きさは前作をはるかに超えている。
 21世紀初頭のSF総集編という感じ。

 200年か。200年前は1821年。中米でヨーロッパからの独立がすすんだ年。伊能忠敬が日本地図をまとめた頃。蒸気機関が発達し、蒸気船や鉄道などが拡がり始める直前の時代。電気技術は基礎科学と基礎開発の時代。第1次の産業革命のさなか。工業化のはじまり。
 2021年。インターネットとコンピュータ技術の爆発の時代。人工知能が本格的に活動をはじめる直前の時代。社会、国家、生活、労働が大きく変わりそうな予感の時代。
 同時に人類活動の影響が地球の環境や生態系を大きく変え、危機が訪れようとしている時代。
 2221年。さて、どうなっているのだろうか?エネルギー問題と地球環境・生態系の問題がこれから200年の間のどこかで大きなギャップを生むことになる。解決が先か、破滅的事象が先か。人類はこの暗黒の宇宙で生き延びることができるのだろうか。

(2021.11.15)

映画 デューン(2021)

デューン(2021映画)
公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/dune-movie/

 生きててよかった。私の心の中にあった漠然とした「デューン」の風景が、具体的に、こうだよねっていう形で映像化されていた。見る前からわくわくしていたけれど、見ている間、ずっと静かな興奮状態だった。映画を見ていて、こんなにうれしかったことはない。最近の映画はとても映像が美しく、「ゼロ・グラビティ」や「インターステラー」「オデッセイ」など宇宙を描いた作品はいずれも映画館のIMAXで見た上に、ブルーレイまで買ってくり返し見ている。しかし、それらの作品では得られなかった喜びが、「デューン」にはあった。

 さて、まずは、小説版で概要を紹介しておこう。
「デューン 砂の惑星」は、フランク・ハーバードが1960年代に上梓したSF小説である。遠未来の人類史を描いたスペースオペラだが、砂の惑星デューンの生態系、惑星環境、そこで人類が生きるということについて実にみごとに描かれ、そのストーリーもさることながら背景描写がSFの範疇を超え、時代を超えて読み継がれている作品となった。小説の「デューン」については、初期3部作では、主人公のポウル・アトレイデを中心にアトレイデ家と砂の民フレーメンとの関わり、敵となった皇帝家、仇敵ハルコンネン家、古き謀略の修道会ベネ・ゲゼリットなどの魅力ある登場人物が描かれる。作品はそこで終わらず、後期4部作では、さらにその先の未来を描いた作品群だが、第6部で未完のままフランクの死を迎えた。今世紀になって、息子のブライアン・ハーバートが共著者とともに、父フランクの膨大なメモを基にしたと言ってフランクの第一部の前史3部作ならびに、第6部以降の作品3部作を発表しているが、その評価は分かれている。
 日本では初期3部作は早々に翻訳され、長く再版されてきたが、現在では第1部のみが再版されているにすぎない。後期3部作は翻訳されたものの発行部数は少なく、特に第6部は僅少だったようで、古本でも入手が非常に困難である。かくいう私も、第5部までは買っていたが、第6部は「もういいや」と手を出さず、のちに非常に後悔した。いまでは第6部の1、2巻までは入手したが、第3巻は古本のプレミアがすごくて手を出せていない。また、ブライアン作品(新デューン)は、前史3部作のみ翻訳されており、続編3部作については、第2~6部の再版がなければ意味をなさないので依然翻訳されていない。

 私が「デューン」と出会ったのは、14、15歳の頃だ。石森章太郎(当時)の表紙とイラストで、版を重ねた第1部を読み、繰り返し繰り返し読んだ。そして、長じるにつれて翻訳される続編の数々。第6部のころは、社会人となり最初の会社を辞めるちょっと前のことだった。中学生の私にとって、「デューン」で語られる生きるための格言は身にしみていくものだった。ざっくり書くと「恐怖は心を殺すもの、恐怖が通り過ぎるのをみつめとけ」ってな感じの言葉を、怖がりの私はデューンの風景とともに繰り返し心に刻み込んだ。
 それが映像で表現されたのである。泣くよ。

 映画の話に戻る。これまで「デューン」は映画化とテレビシリーズ化が行なわれている。映画版は有名なデヴィッド・リンチ(1984)だが、当時のSFX(特殊撮影)技術や限られた予算で、奮闘したものの、「そうだよね感」のある映画であった。実際、リンチ自身が失敗作だと認めていたのだ。2000年にテレビシリーズとして3部作がつくられ、それなりの評価を得たが、やはり当時のテレビシリーズであり、予算は限られたものであった。
 今回は、違う。
 マジだ。
 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、「メッセージ」で映像化不可能なSF作品を見事に映像化し、さらに、「ブレードランナー2049」で、リドリー・スコット監督が描ききれなかった原作者フィリップ・K・ディックの世界と前作「ブレードランナー」の世界を見事に融合した監督である。しかも、予算はたっぷり。
 本気だ。
 IMAXレーザー上映の期間が短かったので、無理をおして見に行った。どうしても、最高の映像で見たかったからだ。
 最高だ。
 ストーリーとしては、小説第1部の日本での4冊のなかの3冊目の途中ぐらいまでの進行で、主人公ポウルが、父レト侯爵や母ジェシカ、側近のダンカン・アイダホ、ガーニー・ハレックらとともにそれまで宿敵ハルコンネン家が治めていた砂の惑星デューンを皇帝の名によって治めるために、故郷の水の惑星アラキスを離れるところからはじまる。そして、レト侯爵がハルコンネンの陰謀により殺され、ジェシカとともに砂の民フレーメンの協力を求めて砂漠に向かい、フレーメンと出会うところまでである。物語としては、まさしく導入部分のみ。2時間半以上にわたり、美しい映像で、複雑な物語の込み入った人間関係や惑星の姿が少しずつ描き出されていく。
 これぞ、デューンである。
 遠未来の恒星間航行技術をもつ世界で貴族社会が営まれ、砂の惑星デューンでしか産出されない謎に包まれた微量生体生産物「スパイス」をめぐっての権謀術数。その中心にいるのがポウル・アトレイデという若者の存在。秘めた力を予感させるポウルの予知夢。若き侯爵となり、フレーメンと出会うことで、ポウルを軸に人類世界をすべて巻き込む動乱が訪れようとしている。ポウルの運命の人、フレーメンのチャニとの愛もまた、予感の中にしかない。そんな物語の気配をたっぷりとふりまいて、映画「デューン」は幕を引く。そして、ちょうど映画を見に行った日に、続編制作本決定との一報が。日本ではそれほど盛り上がっていないのでちょっと心配していたが、欧米でのフランク版小説「デューン」の人気は衰えていなかったようである。
 よかった。
 どこまで続くか分からないが、全部見るまで死ねない。

公式トレイラー youtubeより。 こんなもんじゃない。本編最高!

プランク・ダイヴ(再)

プランク・ダイヴ(再)
THE PLANK DIVE

グレッグ・イーガン
2011

 イーガンの短編集、日本オリジナル5冊目、ハヤカワで4冊目となる。編訳者は同じく山岸真。ばりばりのハードSF集である。ある意味ほっとする。

「クリスタルの夜」Crystal Nights (2008)
「エキストラ」The Extra (1990)
「暗黒整数」Dark Integers (2007)
「グローリー」Glory (2007)
「ワンの絨毯」Wang’s Carpets (1995)
「プランク・ダイヴ」The Planck Dive (1998)
「伝播」Induction (2007)

クリスタルの夜」は、21世紀初頭の現在、世界で繰り広げられているAI開発競争がテーマ。「順列都市」ともつながる作品だが、より先鋭化されている。
 最速のプロセッサを開発した男、彼の夢は神に並ぶようなAIを誕生させ、その創造主となること。コンピュータ内にヴァーチャルな世界をつくり、競争空間で知性ある人工知能生命体を生み出せ、進化させる。急速に進化させるために、男は次々と厳しい条件を彼らの世界に導入する。それは猛烈な進化をもたらし、知性が誕生し、世界を理解し、そして、AIは「外」すなわち実世界の存在を知り…。表題は、ナチス・ドイツが先導し、ユダヤ人の迫害、虐殺が行なわれた1938年11月9日の夜のことを意味するのだが、プロセッサの「結晶」ともかけてある。さて、その表題に込められた意味は。

エキストラ」、クローンと生体移植がテーマ。「先天的に脳損傷を負わせた自分自身のクローンの一群」を「エキストラ」と呼び、世界の極めて限られた富裕層の一部が所有する自分自身の移植用整体である。主人公の男は、エキストラを大勢所有し、生体移植を超えて、いずれ脳移植先として、エキストラを使い、若い肉体を取りもどそうと考えていた。そして…。漫画・アニメの「攻殻機動隊」ではアンドロイド化だが、こちらは生体。しかも、クローンとの関係である。ドナーに(魂)はあるのか? 

暗黒整数」は、「ルミナス」の続編。「ルミナス」は短編集「ひとりっこ」に収録されている。オリジナル短編集ではよくあることである。先に「ルミナス」を読んでいた方が分かりやすい。長編「シルトの梯子」のアイディアと同じように、違う数学体系をもつ別宇宙と接点をもったことで、両世界は相互確証破壊のような状態に陥ってしまった。しかも、こちらの世界ではこの重要な情報は共有されず、数人の人達が秘密を守っていた。もしこの情報が人類世界に伝われば、おそらく猜疑心と恐怖心から相手の世界に攻撃をかけ、その結果悲惨なことになるだろうから。しかし、コンピュータ科学と数学の発展で、無自覚に相手世界を攻撃する可能性が出てきた。同時に、科学の進展している相手世界でもまた、こちらの世界に対する不信がつのる。さてさて。

グローリー」は、「融合世界」関係の作品群のひとつ。融合世界の初期の頃の話のようである。まだ惑星系から出ることもできず、大きく2つの国が激しく対立している惑星ヌーダーには、現在のヌーダー人よりはるか以前、3百万年に続く文明を築いてきたニア人の存在があった。彼らの遺跡は存在していたがヌーダー人はニア人を宇宙にも進出しなかった愚か者としかみておらず、遺跡は次々の失われつつあった。しかし、融合世界のアンとジョーンは、ニア人が残したであろう数学の偉業を確かめたいと、本来接触が禁じられている未発達のヌーダー人に、融合世界のことが分からないよう慎重に慎重な計画をもって、彼らの世界に「彼らの似姿を借りた異星人」としてふたつの国にひとりずつ姿を現し、その目的を告げた。激しい戦争状態にある2国は、それぞれに、その異星人が持つ隠された高度な科学文明を知りたいと、その背景にある「武力」を疑いながら、ヌーダー人の論理で彼らと接する。それは。
 高度な異文明と接したとき、われわれはどうするのだろうか。

ワンの絨毯」、長編「ディアスポラ」の4章に改変された組み込まれた作品。つまり「融合世界」関連作品のひとつ。イーガンの世界についての思考が端的に表れている作品かもしれない。「クリスタルの夜」とも似ているが、ある数学体系で計算と記録が可能なじゅうぶんな空間が存在すれば、そこには「世界」が誕生し、生態系ができ、場合によっては知性が生まれるのではないか。もしかすると、私達が存在する現実の宇宙もまた、そのような計算と記録の場で、そのなかの知性のひとつとしての人類ではないのか。

プランク・ダイヴ」、こちらも「ディアスポラ」と同じ世界の作品。難しいぞう。ブラックホールの事象の地平線に分離した人格で飛び込み量子力学からみての究極の疑問を調べようという人達のもとに、人間的伝統を重んじる親子が移送してきた。子は、物語が重視される世界の中で物理学に惹かれていたが、親は、物語化こそが人間の文化だという信念のもとにいた。彼らはその親にうんざりしながらも、子の知的好奇心をていねいに満たしつつ、自らのプロジェクトをすすめていく。それは、「行った者たちにしか知ることのできない科学的真実」への旅だった。遠い未来、人間は何を考えて生きていくのか。「好奇心」は、イーガンの著書の多くに潜む重要なキーワードである。

伝播」、未来のお話し。宇宙はひろくて、光速の壁はおおきくて、そこに相対性理論による主観時間の問題があって。はるかかなたの星系でも、十分な時間をかければ物質を送ることはできる。それがナノロボットであれば、到着後、受信機を設置することも可能だ。10光年先を、平均して光速の10分の1で送れれば、送り手から見て100年後には到着し、それからしばらくすると受信機が完成する。たとえば10年。そうしたら、ちょうど到着したと思われる頃に、10年後にできるはずの受信機に向けてデータを送る。それが人格データで、受信側は、その人格を入れるアンドロイドをつくっておけば、ダウンロードした人格はそこで調査などの活動ができる。では、その先には。タイトルが語る意味深な展開。

 これから先、人間という知的生命体は、肉体と精神の不可分な状態からどのように変わっていくのだろう。仮想化されていくのだろうか。そのとき、世界は仮想化された内なるものと、広大な実宇宙という外なるものの大きくふたつの窓を持つことになる。内なる世界にこもるのか、実宇宙の時空に向かっていくのか。イーガンの問いと思考は、深く深く考えさせられる。「好奇心」こそが、外への鍵だったりするのかな。

(2021.10.1)

TAP


TAP

グレッグ・イーガン
1995

 グレッグ・イーガンの日本版オリジナル編集中短編集第4弾で河出書房新社からでている1冊。編訳者は他の作品と同じく山岸真なので他の中短編集との重なりなどはない。
 本書は、80年代~90年代半ばまでの初期作品が多く、また、SFというよりホラー、サスペンス領域といってもいい作品も多い。イーガンファンからするとちょっと意外性のある作品群である。

新・口笛テスト(1989)
「七色覚」(短編集「ビット・プレイヤー」所収)は人間の色認識能力を高めた人達のみる世界の物語だったが、こちらは人の脳に作用するメロディの話。1度聞くと忘れられなくなるメロディがあったらCMにはもってこい。だけど、その結果、思考まで左右され…。ちょっとしたホラー。

視覚(1995)
 臨死体験すると寝ている自分を空中から見ている自分(意識)という話は、オカルト系の物語の定番。イーガンがオカルトやってます。めずらしい。でも、その状態で生活を送るとするとどうなるのだろう。イーガン、語ります。

ユージーン(1990)
 宝くじで高額の賞金を得た夫婦は、それぞれ身体的精神的に苦労した生活を送ってきた。彼らは子どもを作ろうと考え、遺伝子操作によって子どもがさまざまなリスクを負わないようにしようと考えた。しかし、彼らが大金持ちだと知った医療コンサルは、彼らにささやきかける。天才を生みませんか?と。バイオ技術により徐々に優生学的思想、すなわち良質の遺伝子、形質をもった人間こそ優れているというナチズム・ファシズムに直結する思想が再び台頭しかねない現在において、イーガンは物語る。イーガンのまなざしとユーモア溢れる作品。

悪魔の移住(1991)
 一人語りのホラーです。医療関係の職場で働いていただけあって、医療関係の記述が上手。もともとは数学に関心が深く、そこからハードSFの作品を生み出し、人々を驚愕させているイーガンだが、初期はバイオ関係のストーリーも多い。バイオ関係はSF以上にホラーやオカルトと相性がいいらしい。バイオホラーの短編です。あとは何を書いてもネタバレになるので、バイオホラー好きな人、読んで。

散骨(1988)
 これは、ホラー。SF要素はない。途方もない殺人鬼が出てきます。カメラマンが出てきます。殺人現場を撮影します。殺人鬼とカメラマンが出会います。さて。

銀炎(1995)
 パンデミックのさなかに読むのがぴったりの作品。極めて死亡率が高く、それ故に感染拡大がかろうじて抑えられているが、それでも世界全体で40万人が感染し90%が死亡しているウイルス性の病気・銀炎。ワクチンもなく、治療法も成功していない。生存する1割の患者も、昏睡状態でただ生命を保つのが精一杯。アメリカではときおり発生するクラスターを先手先手で止め、拡大するのを防ぐしかない。ところが、統計上異常な患者のクラスター発生が起きはじめた。その原因を依頼を受けて追求し始めたドクター。そこには。ということで、バイオホラーであり、バイオSF。現実世界では、このようにもっと死亡率が高いパンデミックの発生を想定していたと思う。でも、本当のパンデミックは、今回のCORVID-19のように、ほどほどの死亡率だが、ランダムに見える予後不良、そして死亡率が低いかわりの高い感染率の形で世界を席巻してしまった。ワクチンはできたが、ウイルス変異との時間競争ははじまったばかり。こういう作品は、現実を振り返る上での思考材料になる。
 とはいえ、エンターテイメント性の高いホラーです。銀炎、こわ。

自警団(1987)
 ホラーです。ある契約により、夜の時間、契約に書かれた犯罪を犯した者のみを食べることができる悪魔(?)のお話し。「火の用心」と集団で夜回りするぐらいならともかく、「自警団」を組織して、法にしばられず、「美しい町」をつくろうとし始めると、たいていろくなことにはならない。法治は大事だねえ。

要塞(1991)
 のちの長編「万物理論」(1995)にも登場してくるSF的アイディア。「ユージーン」では遺伝子操作で天才をつくれるという話だが、もっと複雑で高度なバイオ技術のお話し。そして、やはり優生学的発想と差別主義の話が織り込まれている。富と権力を持つ者たちが(ひっそりと)世界を支配し、一方で持たざる者たちは、もっと弱い持たざる者たちを追い落とそうとする。この短編が書かれた当時以上に、「環境難民」は現実となっているが、その難民たちに対する排斥主義的差別思想は、社会に確実に存在する。

森の奥(1992)
 組織によってつかまり殺されるために森の奥に歩かされる主人公。だまって歩けと静かに脅す殺人者。命乞いをする主人公。殺人者は主人公に神経インプラントを渡す。怖くなくなるから、と。これもまたSFホラー。皮肉がたっぷり効いている。

TAP(1995)
 表題作。TAP=総合情動プロトコル(トータル・アフェクト・プロトコル)。脳内インプラントの名称。1か月前、詩人のグレイス・シャープが詩作中に亡くなった。TAPによる事故が疑われていたが、娘は殺人を確信し、私立探偵の「わたし」に調査を依頼してきた。TAPは言語化できないあらゆる概念、情動、精神状態などを言語化してくれる。それは同時に、ユーザーの概念、情動、精神情動などをある言葉で再現しうることでもある。例えば、「玉ねぎの傷んだ匂い」という言葉は、それを記憶している人には、あの悪臭を想起させるだろう。それが実際に知覚できるほどに言葉が力を持つことになる。では、ある人に死をもたらすような言葉はあるのだろうか? もちろん、TAPの開発企業は、様々なリスクに対する備えはとっているだろう。しかし。グレイスは本当に殺されたのか? 殺されたとしたらどうやって。彼女はひとりで詩作をしていたのだ。やはり事故死ではないのか? TAPが社会の中で大きな地位を占めたら、社会は、人間の思考は、コミュニケーションはどうなるのだろうか。
 探偵ものでミステリーカテゴリーに入れてもいいけれど、イーガンらしいSFの中編。最後にSFを読んだという気持ちを取りもどして終わる1冊であった。

ひとりっ子(再)

ひとりっ子(再)
SINGLETON AND OTHER STORIS

グレッグ・イーガン
2006

 日本オリジナル短編集第3集。主なテーマは、「魂」だ。宗教的な意味ではなく、人間が自らを自らと認識する核のようなもの。アニメ「攻殻機動隊」でいうところの「ゴースト」。魂は存在するのか、魂はコピーできるのか、魂は肉体を離れられるのか?この短編集に集められた作品の多くが、そのことを模索する。
 ただ、ひとつの作品だけは異質であり、しかし、とても大切な作品。とりわけ、「シルトの梯子」を読んで、頭をうんうんうならせ、「おもしろいし傑作だけど、なんかよくわかんなかった」という私のような者には最高のプレゼントとなったのが「ルミナス」。「シルトの梯子」とは状況も時代も設定もストーリー展開も違い、近未来の地球で、ちょっとサスペンス的な展開だが、基本的なアイディアは同じ(だと思う)。短編でストーリー重視なだけに、とても分かりやすい。これを読んでから「シルトの梯子」を読むと、まごつきが減るだろう。いや、実際私は、本書「ひとりっ子」を読んでから数年経って「シルトの梯子」を読んだのだが、「ルミナス」の内容はまったく忘却の彼方にあったのだ。今回、イーガンを読み直してよかったと思えた作品でもある。

 では、それ以外の作品。

 愛する人を殺した犯人が刑期を終えて釈放された。復讐をとげるため男が選んだのはインプラントによる行動変容。迷うことなく殺すために必要な頭の回路を生み出すためのインプラント、すなわち「行動原理」。

 愛し合っている二人、でもときどき、相手の言葉にその愛を疑う瞬間がよぎる。再婚同士で、もしかしたら、この愛は永遠ではないのかも知れない。でも、間違いなく、いま、この瞬間はお互い愛しているはず。であれば、この愛を永遠にしても良いのではないか? ふたりは同じナノマシンで自らの脳をロックすることに決めた「真心」。

 強盗して手に入れたアイパッチはブラックマーケットに出回る高性能なバイオフィード装置。その装置の目的や意図は分からないまでも、その装置の魅力にとりつかれる。頭の中で、言葉が、音が、映像が、意味が、意志が再構成されていく。私が決めたから私は読書評を書く。手を動かす、キーボードを打つ、意味のないキーボードの音がする、画面には文字が文章となって形成されていく。その文字も文章も手から記録されていく。頭の中で文字を、文章を、書けとささやく。その私こそが私の「決断者」。

 ここにもまた別の愛し合う二人。ふたりはすでに「宝石」に移行していた。イーガンの作品によく出てくる宝石。生まれたときから脳と結束され、やがて宝石が完全に脳と一致したシステムをくみ上げたところで、自分の(脳の)意志によって宝石への脳機能のスイッチが行なわれる。そうして不死の存在となる。肉体はそのままでも、自らのクローン体でも構わない。ふたりは同じものを見、同じものを食べ、共有し、共感し、互いに互いを深く知り合っていく。より深く理解しあうため、ふたりはそれぞれのクローン肉体に、互い違いに宝石を入れて順応させる。男は女に、女は男に。やがてそれに飽き足らず、男の肉体を2つ用意して、どちらも彼として過ごす。同様に、どちらも彼女として過ごす。
 そして、最後には究極の同一のふたりをためす「ふたりの距離」。

 イーガンにしてはめずらしいタイムトリップもの。ゲーデル、ポランニー、それから、あの人やあの人も登場するのだけど、テーマの中には、量子論と多元宇宙論が含まれていて、それは次の「ひとりっ子」で深く語られる。科学史の素養があったほうが楽しめるのだろうけれど、ちょっと雑に読んでしまった「オラクル」。

 そして表題作「ひとりっ子」。
 愛し合う二人。しかし、子どもは流産してしまう。治療をして新たに子をもうけるか、養子をとるか、それとも。多元宇宙論に確信を持つと、すべての選択は存在していることになる。どの選択もどこかの宇宙で選ばれ、選ばれない。世界は選択のたびに分岐していく。それはとても悲しいことだと男は思った。では、選択を明示させず、選択そのものは世界と関わりを持たせないシステムはできないか?ただひとつの計算結果が世界の分岐をもたらせない量子論にもとづく計算装置、選択装置。「クァスプ」。それを人工知能アンドロイドに組み込むことができれば、それ/彼/彼女/彼人は分岐した多元世界でも分岐をもたらさないたったひとつの存在になるだろう。そうして、クァスプをもったアンドロイドの子を迎える選択をしたふたり。その行く末には。
 実はこの「ひとりっ子」や「オラクル」でもまた、「ゴースト」と「決断」と「分岐」が語られ、知的活動、感情、行動と世界が語られる。

 イーガンの作品を通して、私は自分が見て、聞いて、感じて、体験して、考えているものごとと、自分と、自分が思っている世界と、本当は「触れられない」世界のありよう、世界と自分の関わり、その間にあるものについて様々な階層で考えることになる。
 この感情は、外部からの情報によってもたらされたものなのか、私という肉体の中の電気的、化学的、あるいはそれ以外の作用なのか。この思考や決断はどのようにして起きたのか、知識はどこから。どのように。それは自分が何かを決断するための道具になるのか?
 私はイーガンのように数学という体系を内に持っていないので、とてもあいまいなまに生きている。そんな茫漠とした肉体と精神を持つ私でも、イーガンの作品を通して、そこにある自分の内側から時空の果てまでの様々な階層、レイヤーを感じ取ることができる。それが、難しくても、分からないところがあっても、イーガンを読んでいる理由かも知れない。

(2021.08.28)

しあわせの理由

しあわせの理由
REASONS TO BE CHEERFUL AND OTHER STORIES

グレッグ・イーガン
2003

 早川文庫SFのグレッグ・イーガン日本オリジナル中短編集2冊目。90年代に書かれた作品群。SFのカテゴリーに収めず、21世紀的現代小説と読んでもいいような作品も多く選ばれており、文系、SF敬遠者にもおすすめな1冊となっている。再読。

 事故に遭い瀕死の重傷を負った夫を生命保険会社の指定方法で救う道は妻しかできないことだったのだが「適切な愛」。
 設定は思いっきりハードSFなのだが、平たく言えば闇に閉じ込められた人々を限られた時間内に闇に走り込み、救い出す仕事をしている人の物語、「闇の中へ」。
 これはホラー小説。ある殺人事件の捜査をはじめた主人公。現場の地下には頭が人間で体が動物のキメラの姿が。主人公も巻き込んでいく犯人の目的は「愛撫」。
 2020年代にはちょっと身につまされるパンデミックもの。主人公は道徳的ウイルス学者。彼が生み出したウイルスはパンデミックとなり、世界は震撼し、そして「道徳的ウイルス学者」。
 イーガンのテーマであり、主要作品の舞台となるのが仮想空間。仮想化・データ化された知的生命体とその生存空間および現実世界の関わりである。物質的存在である人間が仮想化された存在に移行(移相)する「間」はどうなるのだろう?夢を見るのか?その夢は覚えていられるのか?「移相夢」。
 原発事故から10年後の1994年に発表された作品。宗教と価値観の物語だが、そこに原発事故の痕跡が「チェルノブイリの聖母」。
 これは仮想空間で仮想的に人が生きるようになって数千年後の物語。真の死と「別れ」の違いはあるのか「ボーダー・ガード」。
 これも人工ウイルスの話。ただこちらは遺伝子特性からきわめて稀な感染を起こし、それは確実に死に至る。主人公は感染し、生存可能性をかけた薬を渡される。一卵性双生児の姉妹に感染のことを伝えると「血を分けた姉妹」。

 表題作「しあわせの理由」。
 イーガンの大きなテーマに情報と反応のはざま、があると思う。たとえば本を読む。目から情報を入れ、神経が反応し、それを脳が処理し、文字として認識、文字を文章ととして認識、知識と照合し、理解を得て、感情と知識と記憶をもたらす。その繰り返し。
 それぞれの間に、光や電気信号や化学物質や量子的効果が作用していたりする。
 私がイーガンの本を読んで快を感じる、あるいは、快を感じようと読む、それは事前、事後に快を感じる反応があるからだ。私はそれを感じるが、それを感じない人もいる。
 しあわせを感じる、不幸を感じる。楽しさや快が感じられない状態、生きる意欲をなくした状態を一般に鬱と呼ぶ。それも原因は様々であるが、起きているのは脳内のできごとだ。常にしあわせを感じていた主人公が、その幸福感は脳の病気の副作用によることが分かった。脳の病気を治療した結果、主人公から幸福感が消えてしまう。それは絶望的な状況だった。そこに…。というストーリー。

 最初に表題作を読むと、イーガンを読みたくなったり、SFが少し好きになったりするかも知れない。

(2021.08.21)

祈りの海

祈りの海
OCEANIC AND OTHER STORIS

グレッグ・イーガン
2000

 日本で編纂されたグレッグ・イーガンの第一短編集である。最初の短編集とあって、イーガン初期のバラエティに富んだ作品が並べられている。意外と言ってはなんだが、ちょっとホラーめいた話が多い。再読。

 目が覚めるたびに住んでいるエリアの別人に憑依してしまう「貸金庫」。
 子どもが欲しくてしかたがない男が数年で寿命を迎える人間そっくりの疑似人間を出産し愛する「キューティ」。
 脳にバックアップの宝石を持ちやがて宝石に自己をスイッチするのがあたりまえになった世界で、「ぼくになることを」。
 同性のパートナーを持つ主人公がバイオ企業へのテロ事件を捜査し、人間の多様性を否定する企てに巻き込まれることになる「
 ある天体現象を利用して未来のできごとを過去に情報として送れるようになった。日記を書いておけばいくつかの出来事は明確にあらかじめ知ることができる。データは秘匿されるから私の日記は過去の私しかみることができない。そんな世界はどうなるの?「百光年ダイアリー」。
 現実世界の妻ではなく仮想世界にバックアップされた妻が誘拐されたら。現実世界の妻は気にしないが、夫は「誘拐」。
 とどまっているとその周辺にいる人の思想に捕らわれてしまい人が増えるとその思想の力が強くなる世界で、自分を守るために歩き続ける「放浪者の軌道」。
 人類の歴史を辿るだけでなく出自まで言及し始めたミトコンドリア・イヴに対し男性優位主義者らは「ミトコンドリア・イヴ」。
 パラレルワールドで複数世界に影響を及ぼす超能力者の存在は、各パラレルワールドにとっての災厄だ。それを食い止めるために闘う男は、しかし「無限の暗殺者」。
 情報技術と医療技術の進展は、パーソナル医療に向かった。しかし、それを得られるのは世界のごく一部の恵まれた人達だけ。なんとかならないのか、その若く、正義感に溢れた医師は、「イェユーカ」。

 そして、表題作「祈りの海」。イーガンらしく、イーガンらしからぬ作品。
 はるかな未来、人類は仮想空間の中で情報的存在として生きていたらしい。しかし、その一部が実体化を望み、ある惑星をテラフォーミングして限りある生を過ごすために実体化して移住したらしい。それから時が流れ、その技術も知識も失い、多くの人々は宗教を持ち、海の人、町の人などいくつかの属性を持ち暮らしていた。実体化した人類といっても、改良を加えられた存在である。主人公は海に生きる少年。ある日、宗教的体験を得るため兄に連れられて海に出て、海中で神の存在の啓示を得る。神と共にある幸せ、幸福感が彼の精神的支柱となった。いくつもの経験を経て、彼は海洋生物学者となり、そして、この惑星と彼らの秘密を知ることとなる。
 人類の変容、宗教と精神、神や愛や感情がどこで発生するのか、大胆に迫るイーガンの中編である。この20世紀終わりから21世紀初頭にかけてのSFには、脳の情報処理や五感といった情報受容体、それに、体内の化学的、電気的機構との関わりと、世界認識のありようについて語る内容のものがでてきている。イーガンは、自己、自己認識、世界認識、情報処理、感情、動機といったものを現実と認知の間の様々な段階、スキマ、機構をめぐって思考を深め、物語を紡ぐ。
 それは時に冷たく感じられ、時に、それを超えた自己認識を持つ存在への限りない信頼を感じることができる。それもまた、イーガンの作品の特徴だと思う。

(2021.8.16)