宇宙兵士志願

宇宙兵士志願
マルコ・クロウス
TERMS OF ENLISTMENT
2014
 最近、翻訳SFが売れないからなのか、そもそも本が売れていないからなのか、翻訳されるSFのなかでミリタリー系が多い気がする。いや、多い。間違いなく、多い。ミリタリー系はミリタリー系としての需要がある。それは分かる。分かるんだけど、なんだかなあ。でもって新兵物はあいかわらずの人気。「宇宙の戦士」(ハインライン)にはじまり、「エンダーのゲーム」「終わりなき戦い」「老人と宇宙」「戦士志願」などなど。あまたの作者が手を染めている。実際名作も多い。ここに上げた5作品はどれもおすすめだ。ある意味深い。
 さて、ドイツからアメリカに移住した作者。ドイツ軍歴をもつだけに、迫真の新兵訓練。舞台は22世紀2108年。世界は中国系とアメリカ系に二分され、第三次世界大戦後、世界の荒廃は進み、人の格差は大きくなり、主人公のアンドリュー・グレイスンは公共住宅エリアでかつかつの福祉的生活しか知らないままに成長してきたのだった。希望は宇宙に出ること。そして、今の絶望的ななにもない生活から抜け出すこと。その唯一の道は、軍に志願すること。軍に志願し、新兵訓練を経て軍人として雇用されれば、その生活から抜け出すことができる。
 しかも、新兵訓練の初日から、本物の食べものを腹一杯食べることができるのだ。
 最高!
 新兵訓練の小隊は男女混成。まあ、それがあたりまえの社会。
 やがて配属され、紛争の現場に入り、現実を目の当たりにし、それでも生き抜く術を身につけ、失敗し、なんとか生き延び(主人公だから)、もてる能力をフルに発揮し、望みを少しずつ(ちょっとズルしつつ)勝ち取っていく。そんなストーリー。
 ほんと、どうなるんだろうね。これから先。
 いつまでもちゃんと飯が食えるのだろうか?
 いつまでもちゃんと医療が受けられ、いまのふつうの暮らしが続けられるのだろうか?
 人口はやがて80億、90億、100億となる。
 農地は減り、気候変動がすすみ農業が厳しくなる。つまり食料、本物の食料が減る。
 水が不足する。エネルギー開発の手立てが限られている。
 21世紀初頭、結構きわどいところにいる。
 そんなとき、この「宇宙兵士志願」を読んで、笑っておくと良い。
 そして、考えるのだ。
 どうやって生き延びる?
 戦士としてではなく、人間として。
 この手の作品は、ネタバレすると面白くないから、なーんにも書かない。
「老人と宇宙」「戦士志願」を楽しく読める人にはおすすめ。
(2019.10)

高い城の男(再)

高い城の男
THE MAN IN THE HIGH CASTLE
フィリップ・K・ディック
1962
 2007年に再読して、詳細なあらすじや感想を書いていた。
http://www.inawara.com/SF/H291.html
 読み直した理由はたったひとつ。「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」(ピーター・トライアス 2016)を読んだから。21世紀の「高い城の男」と評され、日本とドイツの枢軸国側がアメリカなど連合国側に勝利した、「日本の占領下にあるアメリカ」を描いた作品である。「高い城の男」の舞台は1962年。一方の「USJ」は1988年。それだけでも、ずいぶんと違う。「高い城の男」の世界は、戦後の成長が起きなかったアメリカであり、「USJ」の世界はものすごく経済と科学技術の成長があり、そして退廃的だ。
「USJ」はどちらかといえば、「ブレードランナー」に親和性がある。
 しかし、「高い城の男」を再読して思った。たしかに、同じところがある。主題は同じなのかも知れない。
「高い城の男」をその設定やディックならではの世界の真実性と虚構性の混在をはぎとってみれば、そこには「人の救済」が描かれている。誰かが誰かのために救済するのではなく、誰かのちょっとした意図しない善意がそれを受ける人にまったく伝わることなく誰かを救済しているのだ。それは「高い城の男」で描かれ、「USJ」でも描かれている。ディックの作品ではよく描かれている。この「意図しない善意」を分かりやすく「本意ではないが意図をもって行った行為が善意であり救済になる」形で描いたのが「ブレードランナー」という作品であった。
 ディックは「救済」についてずっと考えていたのだと思う。誰かを救おうとして行った行為ではなく、「救済」はどこにでもころがっていて、それは、誰かのなんとなくの「善意」であったり「行為」であったりするのだ。
「高い城の男」では、終わりの方でいくつかの殺人が起きる。そして、殺人をきっかけとした「救済」が起きる。殺した人は罪の意識をもったりもたなかったりするが、殺人がきっかけとなって、一見無関係な人が救済される。ディックらしい書きぶりである。
 2007年に感想を書いたとき、いまよりももしかすると賢かった私は、こう書いている。
—幾人かの登場人物がそれぞれの価値観から、「徳を積む」としかいいようのない行為をしていることに注目したい。人種でもなく、身分でもなく、地位でもなく、ただ人間としてできうる自分のためだけでない行為をするのだ。それがまがいものの世界に住んでいることを自覚していたディックが終生持ち続けた希望である—
 今回読み直していて、この「徳を積む」行為は、意図的でなかったのかもと思えてきた。意図的でなくても、徳を積むことはできるのだ。そして、それは「よく生きたい」という思いがあればこそなのだ。なんとむつかしいことだろう。でもディックはあきらめるな、と言う。
(2019.10)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン
ピーター・トライアス
UNITED STATES OF JAPAN
2016
 この10年、日本は東日本大震災、ゆるやかな経済的衰退、高齢化、人口減少、相対的な海外との経済格差など、それ以前からの長い閉塞感にある。その中でうんざりした人々には、「日本すごい」「他国は劣っている」といった、狭量なナショナリズムが蔓延している。いまの政権はそのナショナリズムによって維持され、「日本すごい」「やることは間違っていない」といった姿勢を拡大再生産している。この「ゆるい」ナショナリズムは、次第に個人の世界観の拡大投影となって自分と国=政権・権力・権威を重ね合わせ、その全能感を一方的に共有しはじめている。自覚なき全体主義者の誕生である。
 そういう世界の中で生きるのはうんざりするのだが、もともと、この社会の中にはそれを求める要素があって、それが顕在化してきただけとも言える。
 身近な異文化である韓国、中国を嫌悪し、戦後の権威となっているアメリカを同盟者として擁護する姿勢、マイノリティ、少数者、外国人、非日本語話者を見下す醜さ。女性や子ども、老人、病人にまでそういった姿勢をあからさまにしているえげつなさ。
 恥ずかしさ。
 恥ずかしいので、こういうタイトルの作品は読むのを躊躇してしまう。ディックファンとして、20代の頃から「高い城の男」で「もしアメリカが日本に負けていたら」という仮想社会と、その虚構感を読んでいたにもかかわらず。
「21世紀の高い城の男」と評判の作品である。作者本人もディックと「高い城の男」に謝意を述べている。そういう意味では、最初から読むのに抵抗を持つ必要はない、そんなことは分かっていた。それでも、読むまでに心理的な抵抗が続いた。いや、買うまでに心理的な抵抗が続いたのだ。本屋で、いつまでも平積みにされている「日本がアメリカに勝った世界」を読みたがる戦後70余年の日本の人たち。それだけで気色悪い。でも、きっと読んだ方がいい。3年が過ぎて、ようやく手に取る。ますます気色悪い社会が生まれつつある中で。
 舞台はアメリカ・ロサンジェルス1988年に始まる。プロローグの40年後のことだ。主人公は石村紅功、通称ベン。中国人・日本人ミックスの父と日本人の母から生まれ、幼い頃に両親を告発した功績をもつ。大日本帝国大尉として検閲局に勤務する。彼の前に登場するのは特別高等警察の槻野昭子。ベンがかつて師事した上司六浦賀将軍のゆくえを探す捜査につきあわされることになる。六浦賀将軍の娘の動向をさぐり、六浦賀将軍が開発し、流布したUSAというゲームプログラムの出元を押さえるために。USAは、その名の通り、アメリカが日本に勝利した架空の世界で広げられるゲームである。アメリカ人の独立抵抗組織がUSAを活用しているというのだ。
 片腕のガンアーム、巨大人型兵器とそのパイロットなど、日本のアニメやガジェットがふんだんに盛り込まれていく中で、たしかに21世紀の「高い城の男」の物語が展開されていく。もちろん、ディックよりはるかに分かりやすく、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」をもとに映画「ブレードランナー」ができたように、「高い城の男」が「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」になったのかも知れない。もういちど「高い城の男」を読み直す必要があるようだ。いまだから、こそ。
(2019.10)
 

女の国の門

女の国の門
THE GATE TO WOMEN’SCOUNTRY
シェリ・S・テッパー
1988
 ずいぶん前に古本屋で入手していた未読の一冊。ようやく読了。読み始めると一気だった。「大戦争後」の世界もの。かつて核戦争が起き、人類はほぼ滅亡状態になった。いまも核の影響は各地に残っている。そんな世界。小さな社会集団が独自の文化を形成し、生存を保っている。スタヴィアの世界は、塀に囲まれた女の国。男は5歳になると塀の外にある男達の兵舎に送られ、15歳になると一度だけ女の国で母親と面会し、選択を告げることになる。外で男として、兵士として生きるか、臆病者として女の国に戻り、そこでどこか別の女の国の従僕として生きるかという選択である。そして、男達が女達と直接交わるのは謝肉祭の二週間。その間に男達と女達は出会い、恋に落ち、あるいは、ゲームとしてお互いを知る。
 女の国はいくつかあって、それぞれに同じような社会システムとなっている。
 もちろん、規範にはずれた人たちはいて、ならずものの小集団、ジプシーとよばれる小集団、旅芸人一座などがそれにあたる。
 スタヴィアの生涯を通じて、女の国とは、兵士と従僕とは、その社会のしくみ、危機、人類を生き残らせるための思想が語られる。
 話としてはおもしろいが、今日的にはちょっとつらい作品だ。ひとつは、性的マイノリティを完全に否定している。そもそも男女二項対立の社会構造になっている。
 その背景には、男達は戦い、社会を急速に変え、戦いを拡大し、自分と他者と世界を壊す存在であり、女達は産み、協調し、世界を守り、育てる存在として位置付いている。従僕とは男性の攻撃性を、非理性性を排除した望ましい姿であり、独立はしていても女達に従属する存在として描かれる。
 1988年発表という時期を考えても、少々古くさい。
 あとがき解説によると、作者は1929年生まれ。つまり発表当時59歳。50歳代後半に執筆した作品である。第2次世界大戦が、アメリカによる広島、長崎への原爆投下をもって終結したのが16歳の時。その後、10代の終わりから20代の前半をソ連との冷戦、核開発、核実験、そして朝鮮戦争、ベトナム戦争を見てきている。そのことを考えると、ずっとたまりにたまっていた怒りが作品になったとも言える。
 物語そのものは、スタヴィアという女の国でも傑出した人物の波乱に満ちた半生を軸に、作者が構築した世界を鮮やかに描き出している点でおもしろい。
 冒険あり、陰謀あり、恋愛あり、親子間の複雑な関係ありで、決して教条主義的な作品ではない。
 性的マイノリティのことなど、そういう古い社会思想があることを理解した上で、当時議論を呼んだ作品を読むのも大切な読書体験だと思う。
(2019.9.30)

凍りついた空 エウロパ2113

凍りついた空 エウロパ2113
THE FROZEN SKY
ジェフ・カールソン
2012
 なんだい、おもしろいじゃないか。22世紀、人類はいまだ混沌としている。太陽系でもっとも生命の可能性が高い木星の衛星エウロパは、人類の重水素供給源として自動採掘マシンが氷の星を掘り、内惑星に向けて打ち出している。しかし、南極エリアの氷の下を探索していたマシンが微生物を発見、その調査のために国際科学探査チームが地球から派遣される。3人の科学者のリーダーはアレクシス・フォンデラハ、通称ボニー。物語は、彼女がたったひとりでエウロパに閉じ込められ、未知の攻撃に負傷し、次の攻撃に備えるところから始まる。すでに仲間のふたりは死に、そのうち一人を、宇宙服のスーツAIを利用して、仮想人格(ゴースト)としてよみがえらせ、機能制限をおこない制御しながら支援にあたらせていた。しかし、ゴーストは自らの人格の統合とスーツAIののっとりを望んでいる。負傷した肉体はマイクロマシンである程度までなら修復できる。もっとひどい怪我ならばクローン移植による再生も可能だ。しかし、死んでしまってはなすすべもない。
 エウロパには、彼らの科学チームの他にも、あとから高速船で追いかけてきたEU、ブラジル、中国のチームがそれぞれの思惑の中でエウロパに降り立っている。
 先行したボニーのチームがみつけたのは、サンフィッシュと名付けられた、おそらくは知能をもつ生命体と、それらがつくる構造、そして氷の壁に記された文字のような文様。
 知性生命体なのか、それとも単なる反応としての構造や装飾なのか、そして、コミュニケーションはとれるのか、重水素採掘利権や、地球における政治状況を反映しながら、エウロパの世界の小さな人間達の物語が進む。
 釣書で「未知の生物に襲撃される。さらには探査の方針をめぐり深刻な対立も発生」などと書かれているから、「エイリアンかよ!」っとつっこんでちょっと触手を伸ばすのが遅れてしまった。エウロパの自然環境、そこで発生しうる生態系と知性、地球・人類の進化の歴史と、他の惑星・衛星での進化の「時間軸のずれ」問題、AI、仮想人格、先端医療、クローン培養、国際政治、エネルギーなどいろんな要素を詰め込んだ良質なエンターテイメント作品であった。
 ちょっと「中性子星」(ロバート・L・フォワード)を思い出してみたり。
 続編もあるらしい。楽しみ。
(2019.9.7)

迷宮の天使

迷宮の天使
AFTERPARTY
ダリル・グレゴリイ
2014
 認知学、大脳生理学などが導き出したひとつの答えである「自由意志という幻想」を正面から捉え、脳の配線を変えてしまう新薬「ヌミナス」と、ドラッグなどの化学物質をレシピと原料から簡単に合成できる「ケムジェットプリンタ」を外挿することで近未来の、かなりハードボイルドなSFが誕生した。
 アメリカSFと「神様」というのは結構微妙な関係にあって、とくにキリスト教に造詣が深くないと、何を書いてあるのか分からないこともある。「アークエンジェル・プロトコル」(ライダ・モアハウス、2001)をハヤカワ文庫SFで読んだとき、「天使」が当たり前に出てきたのを頭で受け入れられず読み終えてから「天使」が本当に「天使」だったことに思い至ったということをやらかした。なので、わりと冒頭から「天使」などが頭の中にいて、見えて、アドバイスや赦しを与えてくれるストーリーにちょっと怯えたのは事実。しかし、設定がしっかりしていて、ヌミナスにより脳の配線が変わり、認識としての神を持つことになった人間がいるという導入があったので、その線に沿って読み進めれば、アクションあり、謎解きあり、近未来SF的ガジェットありのとても読みやすい話であった。
 しかも、「自意識」とか、「認知」など様々な脳をめぐる科学的問題がストーリーに織り込まれ、SFとしての完成度も高い。
 ストーリーは、主人公の神経科学者ライダ・ローズが、精神科病棟に長期入院しているところからはじまる。最近、病棟に入れられた少女が自殺した。その少女の症状が、10年前に自分たちが開発し、封印した新薬「ヌミナス」によるものではないかと疑いを持ったライダは、病棟で恋人となったオリー(オリビア)の「自主退所」を支援し、「ヌミナス」の出所を突き止め、流通を止めるために動き出した。「ヌミナス」は大量摂取すると不可逆的に脳の配線を変え、服用者に「神」を顕在化させるのである。ライダは10年前に、開発チームを組んでいたメンバー達と新薬開発成功のパーティで大量摂取し、ひとりの天使を幻覚として持つことになっていた。
 はたして5人の新薬開発関係者のうち誰が関わっているのか。ひとりはライダの婚姻パートナーで実質的な開発者だがすでに死亡している。ひとりは刑務所におり、ひとりは大富豪となって姿を隠している、そしてもうひとりは製薬メーカーの管理職。それにライダである。
 ライダは、ドラッグの製造売人、大麻の元締め、タバコの密輸業者などをたぐりながら、住んでいるカナダからアメリカへと向かう。偏執症を持つオリーの調査能力とライダの人脈は、ふたりを真実に向けた旅に向かわせる。謎の殺人者が、ふたりの行く手を複雑にしていく。
 愛すべきサブキャラのオリーが無神論者であるというのも実におもしろく、それぞれにキャラ立ちしていて、ハードSFなんだけど、ライトな読み物にもなっている。
 いいねえ21世紀のSFだ。
 このところ20世紀前半的なSFばかり読んでいたから、すごく楽しめた。
 神の存在にも慣れたかな。
 でも、おせっかいな神はいらない。
 この不自由な自意識と不自由な自由意志にもてあそばれながら、これからもSFを読むのだ。
(2019.8.14)

リゲルのレンズマン

リゲルのレンズマン
LENSMAN FROM RIGEL
デイヴィッド・カイル
1982
 本書は、レンズマンシリーズの外伝としてデイヴィッド・カイルの手になる第二段階レンズマンシリーズ三部作の2作目、トレゴンシーを主人公とした作品である。前作「ドラゴンレンズマン」の後、そして、「レンズの子ら」の手前、まだ子どもたちが生まれる前の物語。リゲル星系第四惑星の第二段階レンズマン・トレゴンシーが暗殺された! いやそんなばかな。だって、「レンズの子ら」でも活躍するトレゴンシーである。もちろん、その暗殺は未遂に終わり、そして、このトレゴンシー暗殺をめぐっていくつもの物語が展開する。トレゴンシーは、銀河パトロール隊の調査、諜報、特殊部隊の創設者であると同時にリーダーだったのだ。キニスンが銀河系の光とすれば、トレゴンシーは銀河系の影となってこの宇宙の平和を守っていたのだ!じゃーん。アメリかっぽーい。
 前作「ドラゴンレンズマン」では、第二段階レンズマンのウォーゼルと並んで、不思議な能力を持つふたりのレンズマンが登場し、物語を深めたが、本作では、レンズマンどころか、銀河パトロール隊の士官でさえない、自ら「技官」を名乗るクラウドという青年が大きな役割を担う。それと同時に、ボスコーンとは違う異質な「観察者」とでも言うべき新たな存在が登場してくる。
 そして、ブラックホール兵器、ウォーゼルの幻覚操作とは比べものにならない規模の非現実的現実を生み出す力、不思議な力を持つクリスタルなど、新たな要素も登場する。
 残念ながら、本作品ではこの「観察者」的な存在の謎は回収されておらず、想像するに、おそらくこれに続く「Zレンズマン」のテーマとなっているのだろう。
 前作の「ドラゴン・レンズマン」は単独作品の要素が濃かったが、本作「リゲルのレンズマン」は明らかに三部作を意識して、その中継ぎ的要素もある。また、「渦動破壊者」のクラウドと名字が同じ存在で、立ち位置も似ている存在が登場するなど、オリジナルシリーズのリスペクト、オマージュも色濃く出ているのが特徴である。
 さて、個人的なことになるが、前作は奥付に鉛筆で金額が書かれていたので古書店で求めたのが明らかだが、本作はそういうのがみあたらない。訳出されたのが1992年で、そうなると、数年前の個人的ばたばたからちょっと落ち着いた時期であり、その時期に本書を買い求め、同時に古書店で前作を探し求めたのかも知れない。忘却の彼方の話だ。
 人の記憶はこのように曖昧に過ぎていくが、1920年代に登場したレンズマンという世界は、60年後にもこうして書かれていく。設定は古くなり、社会状況としても、作品群には今日では書くことが認められない要素もあるが、それでも、作品は残り続ける。SF史の中で欠くことのできない作品だからだ。
 それに果敢にもチャレンジしたカイルのレンズマンは、いまどのような位置づけなのだろう。ひとつ訳者後書きには書かれていたが、あるレンズマンを登場させたことで、ファンの中では正史と認めない動きもあるようである。難しいね。
 ちなみに、「Zレンズマン」は未訳のままだ。
(2019.8.13)

ドラゴン・レンズマン

ドラゴン・レンズマン
DRAGON LENSMAN
デイヴィッド・カイル
1980
 E・E・スミスのレンズマンシリーズは本編6作、その後、「渦動破壊者」という番外編で成り立っている。「渦動破壊者」が出されたのは1960年。それでも本編からは15年以上離れていて、まさしくサイドストーリーという内容だった。小学生の頃、本編6作を繰り返し読んでいたので、1977年に「渦動破壊者」が出たときには本当に驚いたし、その内容は心躍る感じではなく、少年には少々微妙だったのを覚えている。
 本書「ドラゴン・レンズマン」は、1989年に、「渦動破壊者」の翻訳者、小隅黎氏が訳出したもので、実は、ずいぶん後になってから古書店で入手した作品である。久しぶりに再読。
 内容は、レンズマンシリーズの中心人物であるキムボール・キニスンの最初の異星人相棒であり、第二段階レンズマンとなったヴェランシアのウォーゼルが主人公の作品で、「第二段階レンズマン」と「レンズの子ら」の間に位置するエピソードという話である。ウォーゼルが機械知能との対決をはじめ、様々な事件に関わっていくストーリー。さらに、これまでにはいなかったタイプのレンズマンが登場する。まるでアンドロイドのように機械化されたレンズマン、不思議な能力をもつレンズマン。そして、作品の物議を醸すことになったレンズマン。
 作者のデイヴィッド・カイルはとても難しい仕事にチャレンジしている。たしかに、レンズマンの世界は確立しているし、「語られていない」物語はたくさんある。とくに、この「第二段階レンズマン」から「レンズの子ら」の間には、長い時間があり、その間の銀河パトロール隊の活躍はいくらでも物語があるだろう。原作者のドク・スミスも、語るべき要素を本編にちりばめており、それらをうまく拾い出せば、レンズマンの世界は、その時間軸の範囲内だけでもずいぶんと深めることができる。
 しかし、SFの世界はずいぶんと先に進んでしまい、ドク・スミスが生み出したスペースオペラの姿も変容している。その中で、現代においてレンズマンの世界観を物語として産み落とすのはとても厳しいことだ。このカイルのシリーズは、第二段階レンズマンであるウォーゼル、トレゴンシー、ナドレックの三部作から成り立っているが、ナドレックが主人公となる三作品目の「Zレンズマン」とうとう翻訳されずじまいになっている。
 残念なような、しかたがないような。
 でもね、レンズマンシリーズのファンは、読んで置いた方がいい。入手困難でも。
(2019.8.12)

渦動破壊者

渦動破壊者
THE VORTEX BLASTER
E・E・スミス
1960
 1977年8月にレンズマンシリーズ第7巻として小隅黎氏により訳出されたのが本書「渦動破壊者」である。12歳のときだ。奇遇にも、レンズマンシリーズを文庫ですべて揃えたのが1977年のことである。小学生の時からジュブナイルでなじんでいたレンズマンシリーズを大人向け!の文庫で読み終わり、まあ分からないところもあったものの楽しんでいたところに、6巻ではなく7巻があったというのだ。びっくりだね。はじめて読んだときには、正直言って、「レンズマン」が活躍しないのでがっかりした記憶がある。
 主人公のニール・(ストーム)・クラウドは天才核物理学者。原子爆発により発生し、人間にはコントロールできない「渦動」により最愛の妻を失ったクラウドは、宇宙の各地で起きる渦動による被害を食い止めようと、渦動を破壊する方法を考えつく。それには、電子計算機でさえ追いつかないほどの速度で渦動の変動周期を予測し、正確に爆弾を渦動に投下する必要があった。簡単にできる話ではない。しかし、天才クラウドは、まさしく考えるより早く予測のための高度な方程式を解き、対応することができる能力を持っていた。かつてレンズマンになれなかった男は、いま、どのレンズマンにも、電子装置にもできない渦動破壊者として宇宙に知られることになったのだ。
 レンズマンが追う宇宙的な麻薬犯罪組織の陰謀などにも巻き込まれつつ、クラウドは宇宙船渦動破壊号にメンバーを揃え、やがてパートナーも得ながら、渦動を破壊し、なおかつ、その宇宙の深遠なる謎にも迫るのであった。
 さて、宇宙は奇遇でできている。
 ものすごく久しぶりにレンズマンシリーズを読み返し、本書「渦動破壊者」を読みつつ、たまたま電車に乗る機会があり、「SFマガジン創刊700号記念アンソロジー海外編」を本棚から手にとって、最初の「○○○」アーサー・C・クラーク、小隅黎訳1947年作品を読んでいた。未読の方には申し訳ないのでタイトルは伏せ字にしておくが、恒星の中に生きる知的生命体がコロナとともに冷たい宇宙空間に放出され、惑星の重力に引かれながらもエネルギーがないためにやがて消滅してしまうという話なのだが、「渦動破壊者」のアイディアの中にも、そういう要素が入っている。
 人類など炭素やメタンといった「冷たい」物質でできた生命系とは別に、太陽とかあるいは太陽系ならば木星といった「熱い」場所で、電離化した物質やエネルギーでできた生命体があるのではないか、というSFでは欠かせない問いである。
 原子力時代の訪れとともに、「渦動破壊者」はひとつの大きな物語として、核というテーマで遊んでいる。もちろん、今となっては「渦動」はあり得ないし、核で遊ぶのはもってのほかなのだが、そういう時代だったことも思い起こさせてくれる。
 そして、今頃気がつくのだが、小隅黎氏は、新訳レンズマンシリーズの前に「渦動破壊者」を訳していたのだ。むしろ、「渦動破壊者」のあと、時間をおいて「小隅版レンズマン」を順番に新訳したということか。これも新たな気付き。さらに気がつく。「渦動破壊者」も小隅黎氏自身による再訳されていることに。
 あともうひとつの気付き。ドク・スミスは、冒頭の献辞に「ボブ・ハインラインへ 称賛と尊敬をこめて」とある。1890年生まれのドク・スミスは、1960年に70歳。1907年生まれのハインラインは53歳。この頃、ハインラインは「太陽系帝国の危機」「銀河市民」「夏への扉」「大宇宙の少年」「宇宙の戦士」など次々に傑作をものにしている。
 ドク・スミスは1965年に亡くなっているが、この「スペースオペラの父」は本当にSFが大好きだったんだな。
(2019年7月)

三惑星連合軍

三惑星連合軍
TRIPLANETARY
E・E・スミス
1948
 レンズマンシリーズ6冊の最終刊であり、シリーズの前日譚であり、レンズマン以前の話であり、書かれたのが最初の1934年である作品が本書「三惑星連合軍」である。
 で、本シリーズは新訳の小隅黎訳と旧訳小西宏訳がある。小隅訳はシリーズ最初の「銀河パトロール隊」しか読んでいなくて、子どもの頃から小西訳だけを読んできた。翻訳の初版は1968年! 手元には1977年19版!がある。SFと文庫本には良い時代だ。19版って!1965年生まれの私は、本書を12歳の頃に読んでいる。最初にレンズマンシリーズに遭遇したのは10歳前後に小学校の図書館で読んだジュブナイル。その本筋は、この三惑星連合軍をベースにレンズマンの色づけがしてあったように思う。もう40年以上前の遠い記憶だ。
 本書「三惑星連合軍」では、シリーズ全体の背景を地球の歴史から書き起こす。それはもちろん仮想、空想の物語であり、アトランティス、ローマの次は第1次世界大戦の1918年、第2次世界大戦の1941年、第三次世界大戦と続き、第三部で三惑星連合軍の物語が語られる。レンズマンシリーズだが、まだレンズはない。シリーズ5作品目の「ファーストレンズマン」が「三惑星連合軍」と「銀河パトロール隊」の間に入るのだ。
 どうしてこういう出版になったかというと、書かれたのは「三惑星連合軍」の主要部分が最初だけど、太陽系を軸にした「三惑星」は評判が悪く、その後書かれた「銀河パトロール隊」は「銀河」だから評判が良くてシリーズ化され4部作が第2次世界大戦をまたぐ形で出版され、大成功をもたらす。そこで、この4部作に、前史である「三惑星連合軍」と、そのミッシングリングにある「ファースト・レンズマン」が書かれ、整理されて出版となった、そういうわけである。
 一度でも「レンズマン」に触れているならば「三惑星」からだと時系列的に正しいが、やはり出版順に読む方がいいような気がする。
 新訳は読んでいないが、正直言って、訳は古い。50年前だもん、古くて当然。
 心の中で翻訳し直して読もう。
「レンズマン」シリーズの主人公であるキニスンの先祖がたくさん登場するから、楽しみにしていて。
(2019年7月)