クタス
THE FADED SUN: KUTATH
C・J・チェリイ
1979
色褪せた太陽3部作の完結編。クタスもまたケスリスと同様に惑星の名前。ションジル(移ろいの儀式)を経て、ニウン、シーパン、ダンカンが降り立ったのは、砂漠の惑星クタス。そこがムリ族の旅の終着点。
そして、物語のクライマックス。
滅び行く惑星で、武士道が発揮される。
最後までぶれない種属の物語。
それにしても、ダンカンよ。
ああ、おもしろかった。
(2012.6.12)
丸目はる
クタス
THE FADED SUN: KUTATH
C・J・チェリイ
1979
色褪せた太陽3部作の完結編。クタスもまたケスリスと同様に惑星の名前。ションジル(移ろいの儀式)を経て、ニウン、シーパン、ダンカンが降り立ったのは、砂漠の惑星クタス。そこがムリ族の旅の終着点。
そして、物語のクライマックス。
滅び行く惑星で、武士道が発揮される。
最後までぶれない種属の物語。
それにしても、ダンカンよ。
ああ、おもしろかった。
(2012.6.12)
ションジル
THE FADED SUN SHON’JIR
C・J・チェリイ
1978
色褪せた太陽シリーズの2部。ションジルとは、移ろいの儀式。だから、第2部は密室劇になる。ムリ族の戦士ニウンと、ムリ族の指導者のシーパンと、ムリ族の秘密の一端を共有した人類の軍人ステン・ダンカンが、ムリ族の過去を求めて人類の宇宙船で旅をする。宇宙船の外側では、人類と戦争をして敗れ、かつては支配していたムリ族を恐れるレグル族が、複雑な権力闘争を広げていた。ニウン、シーパンとダンカンが訪れる過去は、すべて死に絶えた惑星ばかり。ムリ族が通った後には、死しか残されていないのか。ムリ族とは何者で、何を求めているのか。ダンカンは、人類であることとムリ族とともに生きることの狭間で選択を迫られる。
「ケスリス」はやや冒険活劇的なところがあったが、「ションジル」は移ろいの儀式らしく、心理劇に近い。舞台は宇宙船という密室。登場人物は3人。恋愛はない。常にある緊張関係のなかで、繰り返される理解と誤解。
外側の人類とレグル族のいざこざも物語に深みを与える。
「デューン」が今読んでもおもしろいのと同様に、本作は今読んでも決して色褪せていない。
(2012.5)
ケスリス
THE FADED SUN KESRITH
C・J・チェリイ
1972
色褪せた太陽3部作の1冊目、初読。先日古書店で入手。チェリイは好きな作家だが、食わず放置の作品。読んでよかった。「デューン」のフレーメンのような人たちの話。
フレーメンにあたるのがムリ族。人類とは異種族だが、人類にとてもよく似た種属である。
簡単なストーリーは、商人であるレグル族と流浪の戦士であるムリ族は傭兵関係を永年結んでいた。正確に言うとレグル族の各家(国家のようなもの)とムリ族の各部族がそれぞれ傭兵関係を結んでいた。人類がレグル族と出会い、覇権をかけた戦争が勃発した。人類が直接戦うのはムリ族である。
惑星ケスリス。レグル族と人類の停戦によってレグル族から人類に明け渡されることになった荒涼とした惑星。レグル族とともに、少数のムリ族がこの惑星に城塞を持ち、暮らしていた。ニウンはムリ族の戦士であり、人類との戦いへの出陣を待つ最後の若者である。
滅びの予感を秘めながらも、同時に若者としての未来を夢見ていた。
しかし、その夢は潰える。
戦争は終わり、レグル族はムリ族を裏切ったのだ。
人類とレグル族とムリ族。それぞれの思い、思考、行動の違い。同じ種属の中での思い、思考、行動の違い。そして共通性。
人類とムリ族が惑星ケスリスで出会ったとき、はじめて戦いと死以外の行動が生まれる。
それは何を生むのか…。
この小説になにか教訓を求めたりはしない。
ただただ、ムリ族という種属を生み出したチェリイの力業に恐れ入るばかり。
おもしろい。
(2012.5)
ルナ・ゲートの彼方
TUNNEL IN THE SKY
ロバート・A・ハインライン
1955
気がつかずに再読、再メモしていた。面倒なので、そのまま掲載。前のはこちら。新装版が出ていたのだった。 ルナ・ゲートの彼方に ロバート・A・ハインライン
第三次世界大戦は、人口増加の結果だった。それでも増え続ける人類。その窮地を救ったのは、一人の科学者。空間を超えて星へのゲートが開かれたのだ。人々は、ゲートを超えて星を渡り、通勤し、暮らしていた。無数の未開の星があり、開拓のための調査と踏破は繰り返されていた。
ロッド・ウォーカー少年は、パトリック・ヘンリー・ハイスクールの学生。上級サバイバルコースの授業を受けていた。明日は、単独サバイバルの最終試験。個人、または、チームを組み、48時間から10日間以下の間、未開の惑星に送られ、そこで生き残りながら、帰りのゲートにたどり着くことが求められる。あらゆる惑星、あらゆる気候、あらゆる地形の可能性がある。ルールはなく、いかなる武器、装備を持参しても構わない。チームを組んでも、同じタイミングでゲートをくぐるわけではない。同じ場所にいることはできない。テストまでの猶予は24時間。試験の放棄は可能。
外惑星の植民地行政学の学位を取るには欠かせないテスト。それは、探検家への限られた道でもある。
教官に、家族に、軍人の姉に心配されながらも、ロッドはサバイバルテストに参加する。
しかし、そのテストは、10日を過ぎても終わらなかった。
ロッドと生き残った者たちの過酷なサバイバルがはじまる。
ということで、ハインライン版「十五少年漂流記」です。
ハインラインらしく、前半は身体追求型、後半は社会形成型の物語になる。そして、落ちが、落ちが、大落ちがああああ。
そうだよなあ、現実なんてそんなもんだよなあ。
ジュブナイルなのに、最後まで夢は見せてくれないのが、ハインラインだよなあ。
でもって、アメリカだよなあ。
アメリカ人って言うけれど、そういうときのアメリカ人って、イギリスから入植した人たちを漠然とイメージしてしまうんだよね。それは、小さい頃の昭和40年代とか、1970年代っていう時代のイメージ。支配層は今もそうだけれど、21世紀初頭の今は、ヒスパニック系、ドイツ系、アフリカ系、アイルランド系、イングランド系、そして、アメリカ人、メキシコ系、イタリア系、フランス系、ポーランド系、インディアン、ユダヤ系、スコットランド系…という感じで、様々な人種構成の国家になっている。
それはともかく、開拓期のアメリカって感じの「アメリカ」です。
あ、おもしろいです。
1950年代のジュブナイルだ! って言い聞かせながら読んでください。
2012.5.6
ミラー衛星衝突
KOMARR
ロイス・マクマスター・ビジョルド
1998
マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンのシリーズ。主人公の本編長編シリーズ第7冊である。前も書いたが、翻訳が遅い! いや、翻訳者が悪いわけではなく、出版環境が悪化しているからなのだが、読者を置いて逃げないで、お願い。これを英語で読むのはいや。
さて、シリーズの流れはこんな感じ。今も全部手に入るのかなあ。
1 戦士志願(17歳)
2 ヴォル・ゲーム(20歳)
3 天空の遺産(22歳)
4 親愛なるクローン(24歳)
5 ミラー・ダンス(28歳)
6 メモリー(29歳)
7 ミラー衛星衝突(30歳)
本書は、後作と二部構成になっている感じなので、早く訳して欲しいなあ。
ストーリーは、邦題通り。テラフォーミング中の惑星コマールの気候を変えるためのミラー衛星がひとつ大破した。貨物船がぶつかったのである。なぜ? 事故? テロ? おりしも、バラヤーの皇帝とコマールの女性の結婚を控えて政治的には微妙な時期。主人公マイルズは、軍を辞任して、バラヤー皇帝直属の聴聞卿となっていた。そこで、探偵マイルズの登場である。気になるバラヤー人の人妻も登場して、どきどきのマイルズ君。とはいえ、もう30歳、少しは落ち着きも出てきたかな。一度死んだことだし。
twitter
ロイス・マクマスター・ビジョルド「ミラー衛星衝突」読了。シリーズ11作目なのだが、なかなか翻訳・出版されなくなった。本が売れないからだ。海外SFを読むためには、今後原書にあたるしかないのだろうか? 作品としては安定感がある小休止の回であった。
(2012.4.10)
第六ポンプ
PUMP SIX & OTHER STORIES
パオロ・バチガルピ
2008
パオロ・バチガルビ短編集「第六ポンプ」。「ねじまき少女」のパオロ・バチガルピのおりなす短編集である。所収の「カロリーマン」は2005年発表、「イエローカードマン」は2006年発表の作品。「ねじまき少女」と同じ世界を扱った作品群で、石油エネルギーを失い、遺伝子組み換えと遺伝子資源特許にがんじがらめとなった世界の姿が描かれる。
ほとんどの作品が、欲望の果てに壊れてしまった少し先の世界で生きる人々の姿を描いるが、70年代、80年代にあったようなエコロジー派のような作品ではなく、冷静に条件のいくつかを外挿した結果、表出した世界を描いている。それがこの作者の魅力なのだろう。
どの作品もおもしろく読んだが、なかでも表題作の「第六ポンプ」は圧巻である。主人公は、下水処理システムを保全する中間管理職的技術者。トラブル続きの下水処理・浄水化システムを動かし続けなければ、都市の人々の健康が守れないことを痛いほど分かっている数少ない人間。ある日、深刻なトラブルが発生する。彼は、それをなんとかしようと動き始め、そして、世界の現実の姿が次第に浮かび上がってくる。
長編作品の導入として成立しそうな作品である。
ばりばりの新作だから細かなプロットや落ちは書かない。
早川書房が、新ハヤカワ・SF・シリーズとして昔の銀背を復活させた2冊目である。1600円+税「本シリーズの小口の茶色は手塗りです。機械塗りとはひと味違う趣をご堪能ください」とまで書かなければならないところが泣けてくる。日本の海外翻訳SFは死んだのか? 終わったのか? みんな、読もう!
さて、この回から、読んだ後、twitterでつぶやくことにしている。
読後すぐのメモ
「ところで、私は今どこに立っているのだろう。まだ壊れていないのだろうか。ならば、なんとかしよう。もう壊れているのだろうか。ならば、なんとかしよう」
これに対して、まじめな友人がコメントを返してくれた。
「あなたはそこに立っています。大地に根を下ろし、大樹のように」こそばゆいね。
2012.4.8
プランク・ダイヴ
THE PLANK DIVE
グレッグ・イーガン
2011
イーガンの短編集である。宇宙とは何か、意識とは何か、知性とは何か、ヴァーチャルとリアルの境目は? 科学の、そして人類の知の集積の周辺で語られていること。それを物語にのせていく。クラークが言ったように、「よく発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」から、物語のパターンによく当てはまる。
2011年のうちに読んでいたのに、メモを取るのを忘れていた。
意識して書かなかったのか。
とてもおもしろい作品群なのに。
あと数日で、2012年3月11日になる。1年。地球が太陽の回りをまわる周期。
1年前、地球の片隅で、地殻の一部が震えた。
1年前、そこに生きる生物が40年前に設置したアトムのおもちゃが制御できずに爆発した。
高エネルギーの光を捉えることができたならば、アトムのおもちゃから光が沸き立ち、広がり、広がり、消えない姿を見ることができるであろう。
愛に時間を
TIME ENOUGH FOR LOVE
ロバート・A・ハインライン
1973
「メトセラの子ら」の主人公ラザルス・ロングのその後である。4000年後の未来でも、ラザルス・ロングは生きて、そして、伝説の人となっていた。あらゆることを体験し、何度となく人生を繰り返してきたラザルス・ロングには、「生きる動機」が失われていた。彼を生かし続けるため、逆千夜一夜物語がはじまる。
「自由」と「義務」と「権利」について、独自の視点を持ち、いかにして人生を楽しむか、真剣に追求してきたハインラインならではの「歴史」が書かれていく。
そして、ラザルス・ロングの要求は、「まだ体験していないことを探せ」。その要求に応えた子孫達の答えは。宇宙旅行、人工知能、クローン、タイムトラベルなどを経て、出てきた答えは…。ううん、これは書けない。
それにしても、落ちが、落ちが…。大落ちがああああ。ハインラインらしいというか、しょうがないというか。もう。
久しぶりに読み返したんだよね。今年はとても忙しくて…、ゆっくりとSFを読む気にならなかった。たしか秋に読んでいたんだ。原発事故が起きてから、SFを楽しむより現実の動きの非現実感にゆさぶられていたから。そんなときこそ、こういう大層なSFを読むといい。ほっとする。
(2011年12月24日)
ストーカー
ROADSIDE PICNIC
A&B・ストルガツキー
1980
1972年から間欠的に発表されてきたロシアSFである。タルコフスキーが映画化したことでも知られる作品であるが、タルコフスキーの映画と原作である本書「ストーカー」はモチーフ以外はほとんど違う作品である。当初、作者のストルガツキー兄弟が映画製作に関与していたが、タルコフスキーの視点との違いで離れてしまった。私は、最初映画を見て、その後本作を手に取ったのだが、どちらもとても好きな作品である。
さて、ここからは本作「ストーカー」の話をしよう。英語版のタイトルにあるとおり「道ばたのピクニック」である。誰の? さあ?
地球外からの来訪者と思われる出来事が地球上の5カ所で発生した。その地はゾーンと呼ばれるようになり、国際地球外文化研究所の管理下に置かれた。ゾーンでは、物理法則を無視したような不思議な現象が起き、また、来訪者の落とし物と思われるいくつもの残留物があった。現象を解明し、残留物の使い道を発見することで、新たな科学技術への道が開かれると期待は高まったが、一方でゾーンは非常に危険なエリアでもあった。思いも寄らぬ死や、原因不明の怪我や病気、さらには、遺伝子への影響で本人や子どもにも影響を与えることがあった。ゾーンに入ることは厳しく管理されていたが、それでも、密猟者(ストーカー)は一攫千金を狙って、軍や警察の目をかいくぐり、ゾーンに入るのであった。死と背中合わせでも、それは「生きる」喜びでもあった。
ゾーン。気がつかないうちに死が訪れる場所。入ることができない、人類には制御できないエリア…。
もちろん、本作はチェルノブイリ原子力発電所の事故の前である。また、ソヴィエト崩壊のはるか前の作品である。
それでも、今年、2011年にあらためて読むと、制御できない科学技術の結果に苦しむ我々の姿が重なってしまう。SFは現実を予見することができる。
名作である。
(2011年12月24日)
グリム・スペース
ROADSIDE PICNIC
アン・アギアレイ
2008
21世紀だなあ。しみじみそう思う。21世紀らしいスペースオペラです。王道かもしれない。主人公は、J遺伝子を持ち、異空間グリムスペースに入る超光速航法をナビゲートする能力を持った女性ジャンパー、シランサ・ジャックス。ジャンパーは企業複合体ファーワン社によって独占されており、シランサはその中でも超一流のジャンパーであった。ジャンパーには能力の限界が訪れる。シランサは、長い間能力を発揮し続けていたが、ある事故をきっかけに、パートナーのパイロットを失い、そして、ファーワン社によって軟禁されていた。「私が殺したのだろうか」「本当の原因はなんだったのだろうか」その疑問が彼女を突き動かす。ジャンパーを求めてきた男によって軟禁から救助されたシランサは、惑星や星間宇宙を舞台に、悩みながらも真相を求めて生き抜くのであった。
強力な武器があるわけではない。
敵は、社会そのものと言ってもいい、産軍複合体である。
打って出るのは、おんぼろだったり、ぽんこつだったりする宇宙船。
恋人だったパイロットへの思い。新たな恋愛の予感。そして、生きるために戦う。
21世紀のヒーローは、たくましいのだ。
(2011年12月24日)