ミラー衛星衝突

ミラー衛星衝突
KOMARR
ロイス・マクマスター・ビジョルド
1998
 マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンのシリーズ。主人公の本編長編シリーズ第7冊である。前も書いたが、翻訳が遅い! いや、翻訳者が悪いわけではなく、出版環境が悪化しているからなのだが、読者を置いて逃げないで、お願い。これを英語で読むのはいや。
 さて、シリーズの流れはこんな感じ。今も全部手に入るのかなあ。
 1 戦士志願(17歳)
 2 ヴォル・ゲーム(20歳)
 3 天空の遺産(22歳)
 4 親愛なるクローン(24歳)
 5 ミラー・ダンス(28歳)
 6 メモリー(29歳)
 7 ミラー衛星衝突(30歳)
 本書は、後作と二部構成になっている感じなので、早く訳して欲しいなあ。
 ストーリーは、邦題通り。テラフォーミング中の惑星コマールの気候を変えるためのミラー衛星がひとつ大破した。貨物船がぶつかったのである。なぜ? 事故? テロ? おりしも、バラヤーの皇帝とコマールの女性の結婚を控えて政治的には微妙な時期。主人公マイルズは、軍を辞任して、バラヤー皇帝直属の聴聞卿となっていた。そこで、探偵マイルズの登場である。気になるバラヤー人の人妻も登場して、どきどきのマイルズ君。とはいえ、もう30歳、少しは落ち着きも出てきたかな。一度死んだことだし。
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 ロイス・マクマスター・ビジョルド「ミラー衛星衝突」読了。シリーズ11作目なのだが、なかなか翻訳・出版されなくなった。本が売れないからだ。海外SFを読むためには、今後原書にあたるしかないのだろうか? 作品としては安定感がある小休止の回であった。
(2012.4.10)

第六ポンプ

第六ポンプ
PUMP SIX & OTHER STORIES
パオロ・バチガルピ
2008
 パオロ・バチガルビ短編集「第六ポンプ」。「ねじまき少女」のパオロ・バチガルピのおりなす短編集である。所収の「カロリーマン」は2005年発表、「イエローカードマン」は2006年発表の作品。「ねじまき少女」と同じ世界を扱った作品群で、石油エネルギーを失い、遺伝子組み換えと遺伝子資源特許にがんじがらめとなった世界の姿が描かれる。
 ほとんどの作品が、欲望の果てに壊れてしまった少し先の世界で生きる人々の姿を描いるが、70年代、80年代にあったようなエコロジー派のような作品ではなく、冷静に条件のいくつかを外挿した結果、表出した世界を描いている。それがこの作者の魅力なのだろう。
 どの作品もおもしろく読んだが、なかでも表題作の「第六ポンプ」は圧巻である。主人公は、下水処理システムを保全する中間管理職的技術者。トラブル続きの下水処理・浄水化システムを動かし続けなければ、都市の人々の健康が守れないことを痛いほど分かっている数少ない人間。ある日、深刻なトラブルが発生する。彼は、それをなんとかしようと動き始め、そして、世界の現実の姿が次第に浮かび上がってくる。
 長編作品の導入として成立しそうな作品である。
 ばりばりの新作だから細かなプロットや落ちは書かない。
 早川書房が、新ハヤカワ・SF・シリーズとして昔の銀背を復活させた2冊目である。1600円+税「本シリーズの小口の茶色は手塗りです。機械塗りとはひと味違う趣をご堪能ください」とまで書かなければならないところが泣けてくる。日本の海外翻訳SFは死んだのか? 終わったのか?  みんな、読もう!
 さて、この回から、読んだ後、twitterでつぶやくことにしている。
 読後すぐのメモ
「ところで、私は今どこに立っているのだろう。まだ壊れていないのだろうか。ならば、なんとかしよう。もう壊れているのだろうか。ならば、なんとかしよう」
 これに対して、まじめな友人がコメントを返してくれた。
「あなたはそこに立っています。大地に根を下ろし、大樹のように」こそばゆいね。
2012.4.8

プランク・ダイヴ

プランク・ダイヴ
THE PLANK DIVE
グレッグ・イーガン
2011
 イーガンの短編集である。宇宙とは何か、意識とは何か、知性とは何か、ヴァーチャルとリアルの境目は? 科学の、そして人類の知の集積の周辺で語られていること。それを物語にのせていく。クラークが言ったように、「よく発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」から、物語のパターンによく当てはまる。
 2011年のうちに読んでいたのに、メモを取るのを忘れていた。
 意識して書かなかったのか。
 とてもおもしろい作品群なのに。
 あと数日で、2012年3月11日になる。1年。地球が太陽の回りをまわる周期。
 1年前、地球の片隅で、地殻の一部が震えた。
 1年前、そこに生きる生物が40年前に設置したアトムのおもちゃが制御できずに爆発した。
 高エネルギーの光を捉えることができたならば、アトムのおもちゃから光が沸き立ち、広がり、広がり、消えない姿を見ることができるであろう。

愛に時間を

愛に時間を
TIME ENOUGH FOR LOVE
ロバート・A・ハインライン
1973
「メトセラの子ら」の主人公ラザルス・ロングのその後である。4000年後の未来でも、ラザルス・ロングは生きて、そして、伝説の人となっていた。あらゆることを体験し、何度となく人生を繰り返してきたラザルス・ロングには、「生きる動機」が失われていた。彼を生かし続けるため、逆千夜一夜物語がはじまる。
「自由」と「義務」と「権利」について、独自の視点を持ち、いかにして人生を楽しむか、真剣に追求してきたハインラインならではの「歴史」が書かれていく。
 そして、ラザルス・ロングの要求は、「まだ体験していないことを探せ」。その要求に応えた子孫達の答えは。宇宙旅行、人工知能、クローン、タイムトラベルなどを経て、出てきた答えは…。ううん、これは書けない。
 それにしても、落ちが、落ちが…。大落ちがああああ。ハインラインらしいというか、しょうがないというか。もう。
 久しぶりに読み返したんだよね。今年はとても忙しくて…、ゆっくりとSFを読む気にならなかった。たしか秋に読んでいたんだ。原発事故が起きてから、SFを楽しむより現実の動きの非現実感にゆさぶられていたから。そんなときこそ、こういう大層なSFを読むといい。ほっとする。
(2011年12月24日)

ストーカー

ストーカー
ROADSIDE PICNIC
A&B・ストルガツキー
1980
 1972年から間欠的に発表されてきたロシアSFである。タルコフスキーが映画化したことでも知られる作品であるが、タルコフスキーの映画と原作である本書「ストーカー」はモチーフ以外はほとんど違う作品である。当初、作者のストルガツキー兄弟が映画製作に関与していたが、タルコフスキーの視点との違いで離れてしまった。私は、最初映画を見て、その後本作を手に取ったのだが、どちらもとても好きな作品である。
 さて、ここからは本作「ストーカー」の話をしよう。英語版のタイトルにあるとおり「道ばたのピクニック」である。誰の? さあ?
 地球外からの来訪者と思われる出来事が地球上の5カ所で発生した。その地はゾーンと呼ばれるようになり、国際地球外文化研究所の管理下に置かれた。ゾーンでは、物理法則を無視したような不思議な現象が起き、また、来訪者の落とし物と思われるいくつもの残留物があった。現象を解明し、残留物の使い道を発見することで、新たな科学技術への道が開かれると期待は高まったが、一方でゾーンは非常に危険なエリアでもあった。思いも寄らぬ死や、原因不明の怪我や病気、さらには、遺伝子への影響で本人や子どもにも影響を与えることがあった。ゾーンに入ることは厳しく管理されていたが、それでも、密猟者(ストーカー)は一攫千金を狙って、軍や警察の目をかいくぐり、ゾーンに入るのであった。死と背中合わせでも、それは「生きる」喜びでもあった。
 ゾーン。気がつかないうちに死が訪れる場所。入ることができない、人類には制御できないエリア…。
 もちろん、本作はチェルノブイリ原子力発電所の事故の前である。また、ソヴィエト崩壊のはるか前の作品である。
 それでも、今年、2011年にあらためて読むと、制御できない科学技術の結果に苦しむ我々の姿が重なってしまう。SFは現実を予見することができる。
 名作である。
(2011年12月24日)

グリム・スペース

グリム・スペース
ROADSIDE PICNIC
アン・アギアレイ
2008
 21世紀だなあ。しみじみそう思う。21世紀らしいスペースオペラです。王道かもしれない。主人公は、J遺伝子を持ち、異空間グリムスペースに入る超光速航法をナビゲートする能力を持った女性ジャンパー、シランサ・ジャックス。ジャンパーは企業複合体ファーワン社によって独占されており、シランサはその中でも超一流のジャンパーであった。ジャンパーには能力の限界が訪れる。シランサは、長い間能力を発揮し続けていたが、ある事故をきっかけに、パートナーのパイロットを失い、そして、ファーワン社によって軟禁されていた。「私が殺したのだろうか」「本当の原因はなんだったのだろうか」その疑問が彼女を突き動かす。ジャンパーを求めてきた男によって軟禁から救助されたシランサは、惑星や星間宇宙を舞台に、悩みながらも真相を求めて生き抜くのであった。
 強力な武器があるわけではない。
 敵は、社会そのものと言ってもいい、産軍複合体である。
 打って出るのは、おんぼろだったり、ぽんこつだったりする宇宙船。
 恋人だったパイロットへの思い。新たな恋愛の予感。そして、生きるために戦う。
 21世紀のヒーローは、たくましいのだ。
(2011年12月24日)

セックス・スフィア

セックス・スフィア
THE SEX SPHERE
ルーディ・ラッカー
1983
 数学者ルーディ・ラッカー、はちゃめちゃSF作家ルーディ・ラッカーの本領発揮である。「四次元の世界」という数学解説書を書いているだけのことはある。四次元の生きものがいたら、こんな感じ、というのを小説でしっかり読ませてくれる。
 それだけじゃない。
 タイトル通り「セックス玉」なのである。四次元の生物が、罠にかかって捕まった。なんとか逃げ出したい。四次元の生物である。三次元の生物のことなんかわかっちゃう。セックスだ。セックスを使うのだ。
 そこに目を付けられたのが、主人公の若手物理学者アルウィン・ビターくん。奥さんと子どもとのイタリア旅行の最中に、夜、ちょっと外に出たのが運の尽き。事件に巻き込まれ、やがて、テロリスト呼ばわりされるはめに。
 そして、世界を巻き込んで…。
 えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
 四次元の勉強になるし、若い男の子にはたまらないセックス話。
 高校生や大学1年生に読ませたい作品だ。
 ところで、ラッカーの作品が最近邦訳されない。
 読みたいなあ。
(2011年12月24日)

フリーゾーン大混戦

フリーゾーン大混戦
FREE ZONE
チャールズ・プラット
1989
 世界は戦争と石油不足と地球温暖化でえらいことになったアメリカ。1999年12月。なんでもありの独立エリアフリーゾーンは、危機にあった。
 クリスマスで新年なのに。
 それはおいておいて…。
 未来の機械文明が気にした。
 海中の古の地球の支配者が目をさました。
 タキオン発生器が動き出した。
 生命を食らう異星人が地球に注目した。
 犬がしゃべった。
 はちゃめちゃだ。
「バーチャライズド・マン」のチャールズ・プラットである。
 ところで、このひと、「挑発」っていうSFポルノを書いていたんですね。富士見ロマン文庫から出ていたそうな。読みたいねえ。
 ああ、楽しい。SFっていい。
(2011年12月24日)

スモーク・リング

スモーク・リング
THE SMOKE RING
ラリイ・ニーヴン
1987
「インテグラル・ツリー」の続編。前作の最後で、新しいインテグラル・ツリーに到着し、新しい世界を切り開こうとしたギャヴィングら。それから10数年、子どもたちが生まれ、育っていた。人口14人のシチズン・ツリーは、ふたりの科学者をかかえ、それなりに平穏な日々を過ごしていた。そこに、「きこり」の一家が木の火災によって遭難、シチズン・ツリーの人たちによって救い出される。彼らによると、アドミラルティという町があり、たくさんの人々がひしめきあって暮らし、市場があって、地球産の植物も得られるという。この情報をめぐってシチズン・ツリーの大人達の議論は分かれていく。このまま静かに自立的に生きていくか、新しい知識や種子、道具を得るか。
 さらに、もともと人類をスモーク・リングまで運んできた播種・調査船「規律」号をコントロールし、人類の「反乱」によって残されてしまった人工知能ケンディの思惑が加わる。ケンディは、反乱した人類の末裔たちをふたたび統合し、規律の下に返したいと願っていた。そのためには、都市アドミラルティの状況をつぶさに知る必要がある。唯一ケンディと接触のあるシチズン・ツリーのメンバーをアドミラルティに行かせる必要がある。
 さあ、どうなる、シチズン・ツリー。
 そして、ケンディの秘密とは。
 不思議な、不思議な、物理空間は、実はとてもすごい空間。
 リング・ワールドとは違う世界。
 読むと楽しくなること請け合い。
(2011.08)

ねじまき少女

ねじまき少女
THE WINDUP GIRL
パオロ・バチガルピ
2009
 地球温暖化の進行で、海面上昇が止まらなくなった世界。平野部は次々に水没していく。バイオ技術と経済的混乱、石油の枯渇は、世界を大きく変える。遺伝子組み換え技術は、新たな作物を生み出すとともに、遺伝子組み換えによる新たな病害虫を生み出し、敵対的存在の作物を毒物化し、栽培不能にしていく。遺伝子戦争である。敵は、ライバル企業であったり、言うことを聞かない国であったり、あるいは、テロリストであったりする。その被害に巻き込まれるのは、人々。病にかかり、飢え、死ぬ。世界は混乱し、多くの政府が多国籍企業の軍門に屈す。しかし、その多国籍企業ですら、エンジンであった石油を失い、動力をカロリーをジュールに変える、すなわち、人や動物の力によってエネルギーを生み出さざるを得なくなる。燃やすのは論外。これ以上、炭素を放出することは許されない。
 そんな中でも、独立を保ち続ける、タイ。
 もちろん、タイも安定しているわけではない。高い防潮堤を築き、水を排出し続けなければならない。カロリー企業と言われる多国籍企業の圧力は経済的に、暴力的に、バイオ的に次々とタイの「市場開放」を求める。縮小の時代に、拡張を望むものたちは常にいる。
 登場人物のひとり、アンダースンもそのひとり。ヨーロッパでのビジネス拡張に失敗し、タイで失権回復を狙っている。マレーシアでの中国系マレーシア人大虐殺を逃れたホク・センを雇い、動力源を蓄積する「新型ゼンマイ」の製造工場を足がかりにしながら、タイのバイオ技術の背景を追っている。
 タイ国内も、一枚岩ではない。タイは国王の元に一体であるとともに、政治だけは常に争いを続けてきた。この時代でも変わらない。経済成長と市場開放をめざす通産省と、疫病を防ぎ、温暖化を対応する環境省の間で激しい闘争が続いていた。環境省側には、元ムエタイのチャンピョンで、疫病に対し死を賭して戦った、不正を許さない英雄ジェイディーがいる。いつもジョークを絶やさないジェイディーの部下には、決して笑うことをしない美女の副官カニヤがついている。ジェイディーは、正義を貫くとして、通産省のお膝元で不正を暴き、政界、経済界、外国資本に多大な被害を与えた。  どんな世界になっても、人間の欲望は変わらない。そして、富むものは富み、貧しきものはますます飢える。暴力が生まれ、愛が生まれる。死はあらゆるとろこに存在する。
 そのタイに日本からきたエミコが置き去りにされていた。有能な秘書であり、性的パートナーとしてつくられた新人類のエミコは、肌を美しくするために汗腺が少なく、タイのように暑いところでは生きていくのも苦労する。命令に対して服従する精神を植え付けられ、人間とは明らかに違って見えるように動きにぎくしゃくしたところを与えられた存在。「ねじまき少女」である。
 激動のタイで、エミコとアンダースンが出会い、そして、何かが生まれる。
 石油の枯渇、エネルギー危機、経済危機、食糧危機、気候変動、資源戦争、バイオ技術の暴走、なにもかもそろったディストピア社会。それでも人は生きるしかない。それが世界だから。
 それが世界だから。
 311以降の日本人が繰り返す自問自答。私達が生きている原発事故の後の世界。思わず笑うしかないような世界。その中で読む、ディストピア社会のSF。
 人間って馬鹿だよなあ。自分たちの環境を自ら壊してしまう。今壊れていなくても、潜在的に壊し続ける。その結果、自分たちが壊れてしまうという想像力を持てない。まったく持てないわけではなく、考えないようにしているだけだ。
 そこにこういうSFが登場する。
 21世紀SFの新人類は、「スラン」よりも迫害される。しかし、「スラン」のように希望を持つ。どんなに虐げられても、生あるものとして生まれた以上、希望を持つ。
 私達は、希望とともに生まれてきた。
 泣きたくなければ、笑うのだ。そして、世界が壊れたと思っても、ひとつずつ石を積み上げるしかない。あーあ。SFより現実の方がディストピアになろうとは。SFのわくわく感が減るよね。さ、楽しく読んだら、現実に戻ろう。
(2011.07)