大いなる天上の河

大いなる天上の河
GREAT SKY RIVER
グレゴリイ・ベンフォード
1987
「夜の大海の中で」「星々の海をこえて」に続く作品。前作から遠く、遠い未来。機械知性と有機知性の銀河系をめぐる静かな、凄烈な戦いは、圧倒的に機械知性が勝利を飾っていた。有機知性は、機械知性にとっては面倒な害虫程度に過ぎなくなっていた。地球に源を発する人類は、有機知性の中では頑張っていた。一時は、シャンデリアと呼ばれる宇宙空間での大規模な人工物を建築し、機械知性と相対し、一次的な勝利を何度も得ていた。しかし、その後、人類は撤退をよぎなくされる。機械知性が見逃すと想定されるいくつかの惑星に降り、機械知性の目を避けながら、そして、機械知性と戦いながら、惑星の上で生きていた。彼ら人類は、人類であるが大きく変わっていた。人類が生み出したインターフェース、機械知性が作った工作物をまとい、遺伝子的にも改変を加えられた強力な生命力を持つ存在となっていた。可視光だけでなく、様々な波長の電磁波を見、化学物質を嗅ぎ、磁力線を感じることができ、独自のコミュニケーション能力を持つものたち。もはや、新しい工作物を生み出すことはできないが、持ち運ぶ「ご先祖」たちの知識によって「使う」ことができる存在。少しずつ知識は失われるが、生きていくことに必死なものたち。
彼らは、自らが属するグループに名を持っていた。本書「大いなる天上の河」の主人公となるキリーンが属すのはビショップ族。惑星の名は、スノーグレイド。かつては、緑と水に包まれていたが、機械知性が惑星を改変しはじめ、乾燥し、寒冷化していた。キング族やルーク族もいる。なぜ、その名がついているか、彼らは知らない。ただ、部族が集まって生きることこそが、喜びである。
 キリーンは、偉大なるリーダーであったアブラハムの息子。アブラハムは機械知性(メカ)によるビショップ族の城塞に対する攻撃で死に、キリーンは、息子のトビーと、他のビショップ族とともに、長い長い戦いと生き延びるための逃避行を続けている。トビーにとっては、物心ついてからずっと逃走と戦いしか知らない。
 メカは、執拗に人類を追い詰める。殺す、そして、時には人類の記憶や思考パターンを抽出する。メカにとっても、スノーグレイドは、豊かな星ではない。わずかな資源をめぐっての生存闘争はメカにもある。理由はない。知性と知性の、相容れない戦いが続くだけである。キリーンは、いつしかビショップ族を率いる役割を得、そして、トビーとビショップ族を生き延びさせるために自らを成長させていく。
 そして、メカの中に、マンティスという特異な存在がいることを知る。マンティスこそが、キリーンの仇敵となった。メカの中でも独自の動きをするマンティスは、何を考え、何を望み、惑星スノーグレイドの人類をどうしようとしているのか? キリーンに接触してきた磁気生命は、何で、何を目的にしているのか?
 ベンフォードは、何を書きたかったのかな? 人類の変容? 宇宙規模の戦い。知性のありよう? 生命のありよう。 うーん。ハードSFエンターテイメント?
 主人公がひたすら移動しているという点では、ロードムービー的なところもある。惑星の中だけだが、とにかく動き回っている。追われながら、追いながら。そして成長し、代わり、世界をつまびらかにする。エンターテイメントの鏡ではある。
 壮大ではあるし、80年代SFとしてはとてもおもしろいのだ。が、シリーズを通して読まないと、この本当のおもしろさが分からない。長い長いつきあいをしなければならない。
(2011.4)

星々の海をこえて

星々の海をこえて
ACROSS THE SEA OF SUNS
グレゴリイ・ベンフォード
1984
 機械知性が宇宙を支配しており、有機知性体がほとんどいない、それは、有機生命体が時間・空間に制約を受けるのに対し、機械知性体は、制約が少ない故の必然なのかも知れない。「夜の大海の中で」では1999年から2019年にかけて、ナイジェル・ウォームズリーが直面した機械知性との邂逅を描いた。同時に、人類社会の退廃も描いている。
 本書は、2056年から2061年の、やはりナイジェル・ウォームズリーの物語である。
 狂った機械知性の情報を得て、恒星間ラムスクープ船ランサー号を建造し、人類は、有機知性体の存在を求めて宇宙に出た。そこで、滅び、あるいは後退した有機知性体の存在に接することとなるが、同時に、機械知性体の存在を深く感じる旅となった。
 一方、地球上では、地球外の有機生命体が海に入り込み、海を危険な場所と変えていた。前世紀からの人類の後退は、海という共通の場を奪われることでますますその速度を高めていた。
 危機と退廃は、遠く旅立ったランサー号にも影響する。その中での、「古老」となってしまったナイジェル・ウォームズリーは、延命措置を受けながらも、宇宙の真実を求めて、ひたすらつきすすむ。人間とは、有機知性体とは、生殖とは、生命とは、そして、機械知性体とは…。
 正直、イギリス的な暗さがある。よくよく考えてみると、地球外知性体とのコンタクト物語なのである。ちょっとだけネタバレにもなるが、地球でも、恒星船がたどり着いたいくつかの星でも、有機知性体同士のコミュニケーションが成立するかどうか、というテーマが頭をもたげてくる。もっとうきうきわくわくしてもよさそうだが、有機知性体が追い詰められる宇宙という状況が、全体を暗くしてしまう。
 翻訳なのか、原文なのか分からないが、文体に癖があるので、その点は好き嫌いがはっきりしそう。
 さて、同シリーズの「大いなる天上の河」「荒れ狂う深淵」「輝く永遠への航海」「光の潮流」を、このまま一気に通して読んでみよう。
 そうそう、大切なことを忘れていた。本書のラストは結構暗いのだが、実は続きがちょっとだけある。続編?「大いなる天上の河」の下巻最後に「星々の海をこえて増補」がついているのだ。1987年のペーパーバック版が出版される際に、第10部に第8章が書き足されているのである。気になる?
(2011.2.27)

木星プロジェクト

木星プロジェクト
JUPITER PROJECT
グレゴリイ・ベンフォード
1980
 木星の惑星ガニメデのテラフォーミングがはじまった。そして、ガニメデと同じ軌道上には「ブリキ缶」が浮いていた。木星天文生物軌道研究所(JABOL)が正式名称の数百人が暮らし、研究する宇宙の孤島である。木星にいると推定される生命を探すこと、それがこの研究所の目的。長期にわたる研究活動のために、家族連れが多い。主人公のマット・ボウレスも子どもの頃地球から家族とともにやってきて、まもなく18歳となる、「ブリキ缶」しか知らない男の子。
 地球は、人口増加が止らず、飢餓と配給の世界へ。仕事が少なく、危機的な状況になっていた。そんな中で、食べ物には(それほど)困らず、全員に仕事があり、人類の夢を乗せた辺境の「ブリキ缶」。しかし、実際には、単調な宇宙空間の日々が続くだけである。
 人は、慣れるのだ。どんな環境でも。
 そして、人は育つのだ。どんな環境でも。
 環境が人を作る。人が環境を作る。
 ところで、ガニメデに生命がいるかなあ。
 火星にもいそうだよね。
 意外と生命って、氾宇宙的かも。
 早く、木星プロジェクトでも立ち上がらないかしらん。
(2011.2.14)

天の筏

天の筏
RAFT
スティーヴン・バクスター
1991
 わーい、SFだ、SFだ。これぞSFだ。おもしろいぞう。背表紙の釣書を見ると「重力定数が10億倍の宇宙に迷いこんだ宇宙船乗組員の末裔たちは、呼吸可能な大気に満たされた<星雲>で生き延びていた」とある。「重力定数が10億倍」なんて、もう、いけず、である。でも、難しいことが分からなくても大丈夫。次第に、この世界に慣れるから。小さな小さなこの宇宙の、この星雲に。そして、主人公のリースとともに、この滅び行く星雲の、滅び行く人類のコロニーの中で、夢と希望を求めて冒険し、成長し、そして旅立つのだ。
 光を求めて動く木を光をうまく遮ることでコントロールして呼吸可能な宇宙を飛ぶなんて、まるでおとぎ話ではないか。しかも、ハードSF。しっかりした宇宙ができあがり、人が生まれ、育ち、そして死んでいくのであった。
 ところで、最初に主人公が厳しい生活状況から密航し、都市に入る設定って、どこかで最近読んだような気がする。よくあるパターンではあるのだが、同じようなSFだった。最近といっても5年、10年あっという間だしなあ。それを調べ直す余裕がなくて、なあ。
 本書「天の筏」は今回、古本として購入したのだが、もしかして読んでいたのかも知れない。
 作者のバクスターが書いている通り、ニーヴンの「インテグラル・ツリー」とも設定が似ている。「インテグラル・ツリー」も遠い昔に読んでいるのだが…。覚えがない。少なくとも言えることは「天の筏」は手元になく、「インテグラル・ツリー」は手元にある。
 記憶とはおぼつかないものだ。
 おかげで、何度でも楽しめるのだが。
 さて、飢餓が迫る鉱山星のリース君、頭がよくて好奇心も旺盛。学問は体系だって受けていないけれど、科学的思考は備わっていて、原因と結果を追求する。そうして彼がたどり着いた疑問はひとつ「なぜ、この星雲は死にかけているのか」「生きる道はないのか?」その答えを知りたくて、密航し、世界を統べる天の筏へ行くのだった。
 こういう作品を若い頃に読みたいね。年を取ってくるとどうにも夢、とか、希望とかではなく、終わり、とか、悪くなる、といったことを考えがちになる。超高齢社会が近くなると、社会全体が終わりかけるような気持ちになる。それはよろしくない。どんな世界でも、若い人には夢や希望がある。世界はまだ開けていない。だから、夢や希望が必要だ。年を重ねても、夢や希望を失ってはいけない。
(2011.02.10)

デューン 砂丘の大聖堂1・2

デューン 砂丘の大聖堂1・2
CHAPTERHOUSE:DUNE 1
フランク・ハーバート
1985
 フランク・ハーバートによる「デューン」シリーズ正編の第6部、1985年にアメリカで発表され、1986年12月に日本で矢野徹により翻訳出版された。同年2月にフランク・ハーバートが亡くなったため、「砂丘の大聖堂」が最後の作品となった。日本では、それ以前の後半2作品と同様に3分冊となって発表されている。
 1986年12月といえば、私が卒論を書いていた頃である。卒論を書き、4年間過ごした都市から離れる準備を行い、就職した企業の最初の研修を受けるために一時的な引っ越しを行い、東京、大阪の研修を経て、ふたたび卒業して、離れたばかりの都市へ戻ることとなった。別れを告げたはずの友人、知人達への少し恥ずかしい再開、慣れ親しんだ都市での新しい立場、環境、生活。時代はバブル経済のまっただ中に突入していた。
 その都市の書店で本書「砂丘の大聖堂」が並んでいて、一度手に取ったのを覚えている。しかし、そのときに買わなかった。前作があまりにもややこしくなってしまっていて、追いかけるのが精神的に難しくなっていたのだ。そのことを後になって後悔することになる。
 さて、前作にて大離散を経て帰ってきたのは「偉大な誇りある女」たち。ベネ・ゲゼリットと似ているようでまったく異なる世界観を持つ女たちは、徹底的に攻撃的で功利的で破壊的な存在。いやあ怖い。ついに、デューンの舞台であり、かつてアラキスと呼ばれた惑星さえも破壊されてしまう。その破壊の中で、ベネ・ゲゼリットたちは、別の惑星に隠れ、アトレイデ家の血と、最後の砂虫を移し、新たなスパイス供給源をつくろうとする。
 激化するふたつの女たちの戦い。
 このあとどうなるのだろう。
 そして、ここにきて、地球の近現代にある「ユダヤ経」という言葉が実名で出てくる。たしかに、これまでもいろんな思想が出てきてはいたが…。ふうむ。
 希少となった「砂丘の大聖堂」は、内容よりも希少故に高くなった。数年間悩んだ末、心を決して第1巻をほどほどの値段で購入。未読・未入手は2巻、3巻。さて、どうする私。
(2010.09.10)
砂丘の大聖堂2
 ということで、買いました。amazonの中古ショップで。2巻がちょっと安くなっていたので買いましたとも。3巻は高いねえ。最後だもん、しかたないねえ。
 内容については、うーん、会話劇です。
 同時に、大聖堂の「砂丘化」も進んできます。
 以上、かな。
 果たして3巻を読む機会は来るのか?
 そして、フランクの息子は、この続編をどう書くのか?
(2011.02.01)

復讐の船

復讐の船
THE SHIP AVENGED
S・M・スターリング(アン・マキャフリー原案)
1997
「歌う船」シリーズ第7弾。「戦う船」に続く、スターリングの手による作品の主人公は、前作で晴れて宇宙ステーション頭脳シメオン・ハップと、彼のプローン・シャンナの正式な養子となったジョート・シメオン=ハップちゃん。いや、もう子どもではない。かつての天才ハッカーは、商船ワイアルの船長として、1人のクルーと、様々なプログラムを追加したAIとともに、「まっとうな」自由貿易船長をやっていた。とはいえ、そこは、シメオンとシャンナの子、中央諸世界の保安局の覚えめでたく、時には、貴重な「情報」を運ぶ仕事も請け負っていた。
さて、「戦う船」でこてんぱんにやられてしまったコルナー人宇宙海賊の生き残り。復讐と再興を誓ってふたたび中央諸世界と、彼らが敗北するきっかけとなったベセル人のリーダーを狙っていた。そのベセル人のリーダー、アモス・ベン・シエラ・ヌエヴァがコルナー人に誘拐されてしまう。この秘密奪回作戦に巻き込まれることになったジョートは、さらなる大きなトラブルに見舞われ、大借金の末、愛船ワイアルを借金の形にとられかねない事態に。さあ、どうする、どうなる。
「歌う船」シリーズの世界で、主人公がついに頭脳船でも宇宙ステーション頭脳でもなくなり、マキャフリーの世界で出てくるような若い「これから」の女性となった。この中央諸世界には頭脳船があり、植民星があり、異星社会があり、変容した人類社会がある。どれだけでも話を広げられるのである。
が、本書を最後に「歌う船」シリーズは終了したようである。うーん、残念。
(2011.2.1)

伝説の船

伝説の船
THE SHIP ERRANT
ジョディ・リン・ナイ(アン・マキャフリー原案)
1996
マキャフリーの「歌う船」シリーズが、ついにマキャフリーの手を離れた第6弾である。「魔法の船」の続編として、頭脳船キャリエルとケフのコンビが大活躍。しかも、登場人物は「魔法の船」で出会った異星の知的種属。それだけではない、彼らの真の母星がもうひとつの舞台。さらに、別の知的種属、もうひとつおまけに宇宙海賊と、新たな魅力ある登場人物が続々。そして、伏線にはかつてキャリエルが事故にあったときに起きた出来事の真実を探す旅も。 「魔法の船」とあわせて前後編と言ってもいい感じである。すべての謎解きがここにある。おもしろいじゃないか。この「伝説の船」を読むために「魔法の船」のちょっとしたまどろっこしさを乗り越えたような気がする。
ジョディ・リン・ナイと言えば、ロバート・アスプリンの魔法世界シリーズ「マジカルランド」を後半の共著者として書き綴っている人でもある。乗り移り系ライターなのだな。
ところで、私はロールプレイングゲームが苦手だ。ほとんどやったこともない。まだコンピュータゲームが始まる前に、ロールプレイングゲームブックをぱらぱら見てみたり、初期の海外版PC用RPGをやってみて、すぐに飽きてしまった。任天堂のファミコンはちょうどはざまで、友人がドラゴンクエストにはまっていたが、横目で見ているだけで、せいぜい、スポーツゲームかスーパーマリオブラザーズぐらいしかやらなかった。
その後も、パズル、シューティングなどをやることはあっても、RPGはない。同居人は、若い頃RPGをよくやっていたが、さすがに最近は手を出さないようである。
それで困ることもたまにある。RPGで登場する世界のルールや魔法の用語が分からないのだ。もちろん、調べられるのだが、身につかない。こればかりはいかんともしがたい。
その替わりに、「歌う船」シリーズなどを読むのだ、と思っているが、両方やる方、どうなんですかね?
(2011.2.1)

魔法の船

魔法の船
THE SHIP WHO WON
アン・マキャフリー&ジョディ・リン・ナイ
1994
歌う船シリーズの第5弾は、キャリエルとケフのコンビ。キャリエルはかつて事故に巻き込まれ、宇宙空間で隔絶された経験を持ち、それゆえに大監察官によって心理的に不安定であるとして、「船」勤務からの解除を迫られ続けてきた。キャリエルはリハビリ期間中に「絵を描く」ことを覚え、その絵は高く評価されていた。キャリエルとケフは、異星探検局に属し、新たな知的生命体を探す長期探査を仕事としている。筋肉(プローン)のケフの趣味は、「神話と伝説」。ぶっちゃけて言えば「剣と魔法」のロールプレイングゲーム。長期の航行中、キャリエルが作り出すゲーム空間で冒険し、戦い、勇者となる。
そのふたりが探索した新たな星系の惑星には、ほぼ人類型の知的生命体が暮らしていた。しかも、類縁と見られる2種類。なんと支配種属は、「魔法」を使うのだ。
「魔法」の力に翻弄されるキャリエルとケフ。絶体絶命!
「パーンの竜騎士」のマキャフリーである。「魔法」が出てきても、それはファンタジーの魔法とは異なる。必ず「科学的な根拠」があるはずだ。たとえ魔法使い側が、自分たちがふるう力は魔法だと信じていても。
かのアーサー・C・クラーク氏は言った「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と。まさに、まさに。GPSを利用したカーナビや位置情報確認システム。SUICAなどの電子記録式のプリペイド決済システム。インターネットによる放送、通信、無線が統合された情報記録、伝達システム。太陽光発電、高断熱窓、ヒートポンプなどの新エネルギーシステム。ちょっと前の私にさえ、魔法と区別がつかない。ただ、時系列的につきあっているので「驚き」が少ないだけである。
それにしても、絨毯が飛び、杖から火花を飛び出させ、テレポーテーションまでされれば、それは理屈はともあれ魔法でしょう。ということで、頭脳船&筋肉のリアル世界と魔法使いの支配するおとぎの国という不思議な組み合わせでキツネにつままれた気分を味わえる作品となっている。
これも「歌う船」シリーズの世界設定がしっかりしているからこそできるのだろうなあ。
(2011.2.1)

友なる船

友なる船
PARTNERSHIP
アン・マキャフリー&マーガレット・ベル
1992
アン・マキャフリーの代表作のひとつ「歌う船」が共作者を迎えて還ってきた。その第一弾となるのが本書「友なる船」である。時は「歌う船」ヘルヴァから200年。主人公のナンシアも、ヘルヴァ同様、16歳を迎え、実験学校を卒業し、中央諸世界の頭脳船をコントロールする殻人(シェルパーソン)となって、初ミッションを待つ立場となっていた。まだ、非殻人の筋肉(プローン)も選んでいないのに、異例の初飛行をすることになった。乗客は5人。いずれも華族(ハイファミリー)の子弟達。新卒で、新しい仕事に就くところであり、彼らを送る仕事が割り当てられたのだ。ナンシアもまた、生まれは華族。ただ、身体に不具合があり、そのままでは生きられなかったため殻人への道を生きることになったが、ナンシアの父は、ナンシアを見捨てることなく、華族の一員としてナンシアに接してきた。
女性2人、男性3人のナンシアよりは数歳年上の華族が、ナンシアの船に乗り込んできた。いずれも名門の出なのに、いずれも辺境に着任することとなった。その理由は? 出発して早々に、ナンシアは彼ら5人の忌まわしい秘密と忌まわしい約束の一端を知る。しかし、事もなく、5人を送り出し、そして初めてのプローンを得た。ナンシアの日常、仕事がはじまる。
やがて、辺境で事件が起き始める。
ナンシアは初飛行の5人の華族を忘れられない。彼らが事件の裏にいる。しかし、航行中のプライベートな事実を人に伝えるわけにはいかない。華族としての責任感、頭脳船としての倫理観、悩みながら、ナンシアはミッションに立ち向っていく。
これもまた、船の成長譚である。他の作品に比べれば「恋愛」色は薄い。すなおな少女成長譚という感じである。それだけにストーリー展開がポイントである。主人公が動ける人間ならばハードボイルドものになりそうだが、主人公が「船」であるところに、ひねりの妙味がある。
「歌う船」シリーズの設定のおもしろさである。
(2010.12)

戦う都市

戦う都市
THE CITY WHO FOUGHT
アン・マキャフリー&S・M・スターリング
1993
「歌う船」シリーズ第3弾、原書発表順では、「歌う船」「友なる船」「旅立つ船」に続く第4弾となる本作「戦う都市」は、その名の通り頭脳船が主人公ではなく、辺境のスペースステーションSSS-900の頭脳であるシェルパーソンのシメオンが主人公となる。「友なる船」「旅立つ船」でもちょっとだけ登場していたが、初の男性である。しかも、若々しい新人ではなく、何十年もキャリアを積んだちょっと気難しい軍事戦略ゲームおたくのおっさんである。長年連れ添ったパートナーの男性を亡くし、新たに若いパートナーがプローン(筋肉)としてやってきた。どうにも相性が合いそうにないが、そこはそれ、経験を積み、ステーションを切り回すという人間関係にも長けたブレインである。うまくやっていこうと、それなりの努力をはじめた矢先、身動きの効かないスペースステーションSSS-900に事件が起った。深辺境の空間より非道な海賊船団が迫ってきたのだ。中央諸世界の軍が救出に来るまでは長い時間が必要になる。それまでステーションのクルーや滞在者が殺されず、かつ、ステーションを破壊されないようにしなければならない。まして、ステーションがシェルパーソンによってコントロールされていることを知られれば、シメオンそのものが格好の略奪品となりかねない。
シメオンとプローンの史上最大の作戦がはじまった。
マキャフリーの作品の主人公はたいていの場合、女性であることが多い。「パーンの竜騎士」シリーズでは時々男性が主人公になるが、それ以外は、元気で、自立して、ちょっと気の強い、そして、時にはファザコンみたいな女性が出てきて、活躍する。大人の女もいれば、少女もいる。少女から大人までの成長譚もある。「歌う船」シリーズでも、主人公のシェルパーソンは女性のことが多い。しかも少女。成長譚である。ところが、本書「戦う都市」の主人公はおっさん。若い仕事上のパートナーに手を焼き、やんちゃな子どもにも手を焼く。手を焼くけれど、このおっさんのいいところは、基本的に落ち込まないところ。いつも明るく、何とかしようとする。基本的に前向き。社交的。
私ももはや日本の古典で言うところの「初老」。おっさん視点に学ぶところは多い。
「歌う船」シリーズでは異色中の異色だが、個人的なおもしろさでは随一かもしれない。
(2010.12)