パーンの竜騎士3部作(再読)

竜の戦士(1968)
竜の探索(1971)
白い竜(1978)

アン・マキャフリイ

 約20年前に感想を書いている本編3部作である。その際も再読だったのだが、あらためて本シリーズを読み直したくなった。理由は「テメレア戦記」を読んだからだ。作者のナオミ・ノヴィクも言及している通り、「テメレア戦記」に登場する竜は「パーンの竜騎士」の竜によく似ている。テメレアの竜は竜があたりまえに存在する世界において人が人の役に立つように品種改良したものだが、言語を持ち、人の言語を介し、まだ航空機のない時代に空を飛べない人を乗せて飛ぶ戦闘機でもあり、火を噴いたり、酸を吹いたり、巨大な空中戦艦のような種であったり、身軽な小型種など多様な種がいる。
一方、「パーン」の竜は、そもそもパーンが別の惑星であり、人類は遠い昔に入植し、その現地にいた竜に似た生きもの(火蜥蜴)を人が目的を持って品種改良した生命体である。その目的とは、変動する軌道を持つ別の惑星から不定期に降ってくる糸胞と呼ばれる悪性の侵略物を焼き払うためである。瞬間移動の能力と火を噴く能力を使って人を乗せ、糸胞が地上に落ちるのを防ぐのである。人の言葉を直接しゃべる能力はないが、テレパシーのように特定の人間や竜同士で意志を交わすことができる。
 このどちらの竜も、卵が割れて孵化するタイミングで近くに居て、なおかつ交感できる人間とつながることで、唯一無二のつながりを持つことになる。その関係性は異種間の共生のようなものであり、パートナーシップであり、優劣のない互恵関係でもある。そしてどちらの物語の魅力も、この人間と竜の関係性の深さが中心となる。
 もちろん、人間にも竜にも人間同士、竜同士の関わりがあり、人間と人間、人間と竜、竜と人間の関係性の複雑さが生まれる。この複雑さが物語に最大限に活かされている。読む方もちょっと大変である。人間の名前、竜の名前、それに地名や出来事の名前など把握するのが大変だからだ。特に私のように固有名詞を覚えられない人間にはやっかいだ。還暦近くなると忘却力がさらに増してしまう。おもしろいのにもどかしい。
 それでも、竜に浸りたい。そう思わせてくれたのが「テメレア」であり、あらためて日本で翻訳されている「竜騎士」シリーズをすべて読み直したいと思ったのである。翻訳されている「竜騎士」シリーズは手元にある。「テメレア」も続巻の7巻を入手してある。これからしばらく竜三昧ができそうだ。うれしい。

 さて、パーンの竜騎士であるが、本編3部作は遠い未来、居住可能な惑星パーンに入植した人類が、当初知られていなかった危機である他惑星からの糸胞による生命の破壊と大地の汚染への対応のうちに文明世界との接触を失い、技術や文明を失い、その中で生き延びるために新たな文明、社会を再構築する物語である。人々を守る竜騎士、土地を統べる領主、領地同士の関係性とは独立した立場を持つ職種集団で構成された中世的社会である。しかも前の糸胞の襲来から400年の時が経ち、人々の記憶から危機は薄れ、竜騎士も衰退する中で竜騎士の特権に対する不満が高まる状況において、糸胞が襲来するという物語であった。その解決を図りながら、徐々に世界の実相、失われた世界の秘密が明らかにされ、登場人物は生まれ、成長し、年を取っていく。成長譚としての物語、ファンタジーとしての驚くべき世界の魅力、SFとしての上手な謎解き、どの視点からも読める時を超える作品である。

 今回読み直して、2作、3作目で登場する「火蜥蜴」が実によい働きをしていることに気づかされるとともに、かわいいものだとほのぼのした。肉食の動物だからペットとして飼うのは現代日本では少々難しいが、猫ぐらいの知性と自由を持ち、犬ぐらいの従順さと働きを見せるのである。竜とつながるのはその食事の準備だけでも大変だが、火蜥蜴ならね。

 三部作の感想の詳しくは以前書いた通り。

竜の戦士
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/08/26/dragonflight/
竜の探索
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/09/20/dragonquest/
白い竜
https://inawara.sakura.ne.jp/halm/2007/09/20/the-house-dragon/

テメレア戦記Ⅵ 大海蛇の舌

TONGUES OF SERPENTS

ナオミ・ノヴィク
2010

 黒き気高きドラゴン・テメレアとその乗り手であるローレンスの旅は、ついに北半球を離れ、オーストラリア大陸へ。シドニー、そこは英国が開拓をはじめてそう長くないすさんだ開拓の町である。開拓者とは名ばかりで英国から送られてきた囚人たち。ある意味で島流し的な海兵たち、そこを取り仕切る植民地総督、あまりのひどい扱いに反旗を翻し、事実上統治しているニューサウスウェールズ軍団…。
 軍籍を剥奪されたローレンスと事実上厄介者扱いされたテメレアは、ドラゴンのいない植民地にドラゴンを導入する目的と称して3つのドラゴンの卵を渡され、それを守り孵すという仕事を与えられる。送迎の警備役のドラゴンとなじみ深いドラゴン輸送船に乗ってやってきたのは、そんなシドニー。
 そしてここでもいろいろあってドラゴンの卵のひとつを奪われてしまい、シドニーから大陸を縦断するはめに。広大な乾燥した大陸を、生まれたばかりのふたりの変わったドラゴンとともに旅するテメレアとローレンス。自然の中の新たな脅威、オーストラリアの先住民たち、そして意外な人物たち。ユーラシア大陸でも砂漠を経験し、アフリカ大陸でも果てのない旅を経験しているテメレアたちであるが、人が少なく、集落もほとんどないオーストラリアの地での経験はこれまでにはなかったものだった。

 もちろんナポレオン戦争はまだ続いているし、大航海時代において新天地オーストラリアはヨーロッパ人にも中国人にも、そして独立して間のないアメリカ人にとっても「開拓」すべき土地である。しかしもちろんそこには先住民がいて、さまざまな暮らし方や文化を持つ民族があるのである。
 軍籍はないが、軍にとっては欠かせないドラゴンの乗り手であるローレンスは、不遇の扱いを受けながら、「いま自分にできること」「いま自分がやるべきこと」「いま自分がやりたいこと」を考え、テメレアとともに行動するのであった。
 主戦場から離れたことで、テメレア戦記はまた違った「戦記」となっていく。前作に続き、後半の大きなターニングポイントとなる巻であった。

 それにしても、ローレンスもテメレアも休ませてくれないね。わくわくするけどちょっとかわいそうな気持ちにもなる。

テメレア戦記Ⅴ 鷲の勝利

VICTORY OF EAGLES

ナオミ・ノヴィク
2008

 19世紀初頭、蒸気機関は誕生したもののまだ帆船の時代。ナポレオンがヨーロッパを席巻しようとしていた時代のおはなし。この物語の世界では、ドラゴンが当たり前に存在し、思考し、話し、人とともに生きている。そんな戦争の時代のひとりの竜とその乗り手の物語
 第1巻でフランス軍から奪った竜の卵から孵ったのは中国皇帝ががフランスのナポレオンに贈呈した特別なドラゴンであった。英国海軍士官のローレンスはその竜に選ばれ、テメレアと名付けて空軍のパイロットとして転籍し、海軍と空軍の違いに戸惑いながらも、テメレアとの絆を深めた。第2巻では、その中国に海路で向かうこととなり、中国の竜事情に加え、中国、フランス、英国の大国間の騒動にも巻き込まれる。そして、第3巻では帰路を陸路でトルコ帝国をまずめざすことになる。ユーラシア大陸を西へ西へ。苦難の旅の物語。さらに第4巻では英国に戻ったものの仲間のドラゴンたちを助けるためにアフリカ大陸に渡ることになり、そこで奴隷制について深く怒りを覚えるテメレアであった。
 アフリカ大陸から英国に帰国したテメレアとローレンスの物語は、苦難の幕開けとなる。
 前作のとある事情からローレンスとテメレアは離ればなれとなる。そしてここからは、ローレンスの視点の物語から、ローレンスの視点、テメレアの視点と、人とドラゴンのそれぞれの視点から語られることになる。
 前作までの長い旅を通じて、ローレンスとテメレアの深い絆はより強固になった。それは、ローレンスの思考や行動を大きく変えるものとなる。もともとローレンスは有力な英国貴族の家に生まれ、本来ならば貴族としての道を選ぶべきであったが、生粋の真面目な性格と「国家に尽くしたい」という強い思い、さらには広い世界を見たいという冒険家的な一面から海軍士官となっていた。真面目で優秀かつ有能な青年士官はその出自もあり出世も早く有力艦の艦長となり、厳格かつ公正な上官として部下にも慕われる存在であった。一方で、貴族議員の父とは奴隷制廃止など政治的姿勢は共通するものの、貴族としてのあり方故に衝突していた。似たもの同士でもある。そんなローレンスが、ドラゴンのテメレアのパートナーとなり、世間的には低く見られる空軍の士官に転籍した。空軍とはドラゴンの軍であり、ドラゴンに選ばれた者がキャプテンパイロットであり、そのほかにはドラゴンに乗ってキャプテンを補佐する者、ドラゴンと人の世話をする者たちで構成される軍である。故に、ドラゴンの側に常に居ることとなり世間一般とは離れた存在になる。キャプテン候補は幼少期から空軍で将来のパイロット候補として訓練を受ける。そこに、海軍から突如キャプテンとなって転籍したのがローレンスである。そりゃあ風当たりも強くなろう。
 一方テメレアは生まれついての語学の天才であり、策略家であり、読書家であり、自由を最大の価値と知る、若く正義感あふれる王の風格を持つドラゴンである。他のドラゴンとの関係性、人間社会のありようをまっすぐなまなざしで見続ける。奴隷制を知り、中国でのドラゴンの扱いを知り、野生のドラゴンを知り、国家と法と「基本的人権」を知る。そんなテメレアとのつながりは、ローレンスを少しずつある意味で「解放」していくことになる。それはテメレアも望んだことであったが、それ故に、ローレンスは戦時下の英国軍人、貴族という社会から徐々に乖離してしまう。
 その結果が、第五巻の冒頭である。ローレンスとテメレアは離ればなれ。テメレアはひとり苦悩と寂しさの中にある。一方のローレンスもテメレアのことを思いながらも、せいせいと国家が自分に与えた状況を甘んじて受け入れようとしていた。
 折しも、そのような状況下、フランスのナポレオン軍が英国本土上陸急襲作戦を開始した。ローレンスの身を案じ、英国への忠誠の意義を失いつつある中でも、自分がいまいる場所である英国を守るため戦いをはじめるキャプテンなきテメレア。キャプテンの任を解かれ、テメレアの未来を案じながら英国にある意味で捨てられたのに英国への忠誠故に奮闘するローレンス。それぞれの絶望的な英国防衛戦争が幕を開けるのだった。

 いよいよ「テメレア」戦記である。テメレアの視点の物語描写によって物語は壮大になりアクション感も増し、「戦記」感も増す。ローレンスが悪いわけではないのだが、やはりこのシリーズはテメレアの物語なのだ。それは人間にもうひとつの視点を与える。人間はすぐに「他者」をこしらえる。そして「他者」には自分とは違う思考、行動、心があることを忘れてしまう。しかし、どんなに姿形が違っても、出自が、言葉が違っても、あるいは同じであっても、尊重されるべき存在なのだ。その尊重や尊厳を否定する者や枠組みこそが問題なのだ。テメレアははっきりとそれに気がつきはじめる。そして読者もテメレアの視点に考えさせられるのだ。

テメレア戦記Ⅳ 象牙の帝国


EMPIRE OF IVORY

ナオミ・ノヴィク
2007

 漆黒のドラゴン・テメレアと、その乗り手であるローレンスの物語も4巻目に入った。第3巻では中国からトルコ、プロイセンとユーラシア大陸を西へ西へと旅した一行であった。幾多の出会いと冒険と闘いとそして死と別れ。中国に行く間、ナポレオン戦争といわれるヨーロッパ中を巻き込んだ長い大戦からは少しだけ距離を置いていたテメレアとローレンスであったが、ヨーロッパに近づくにつれ、再びナポレオンの濃い影を見る。そしてそこには思わぬ強敵の姿もあった。苦しみの中でようやくローレンスにとっての故郷である英国に帰還したものの、時をおかずにアフリカ大陸をめざすことになる。
 イギリスをはじめヨーロッパにとってのアフリカとは奴隷貿易の地であった。すでに第2巻で中国に向かう途上、テメレアは奴隷貿易で奴隷船に乗せられるアフリカ人たちの姿を見て、自分達英国におけるドラゴンの位置づけや人間が人間を支配する姿に疑問をもっていた。今度はそのアフリカである治療薬を探すために率先してアフリカに入ることになる。それはローレンスにとっては辛く厳しい旅になり、テメレアにとっては闘うことの意味や竜の基本的権利、人間社会や国家との関係性などについて深く考える機会ともなる。

 父親は国会議員として奴隷制廃止に尽力するも貴族として英国の格式を重んじる存在。その父に反発するように海軍士官を経て軍の中ではもっとも下に見られる空軍士官となった息子のローレンス。しかし、そのローレンスも父親譲りの格式を重んじ、法や作法に厳格であることは変わらない。ゆるい規範の空軍の実務重視の姿勢に慣れつつも、ときおりみせる堅苦しさは隠しようがない。一方、テメレアは天才である。生まれて数年だが、知的にも身体能力的にも、人間よりも他の竜よりも飛び抜けて優れている存在になっていた。
 ただローレンスというパートナーのことになると、見境がなくなってしまう。それは竜の属性でもあるから。ゆえに、たとえ納得がいかなくてもローレンスのために働くこともある。しかし、本質のところではやはり譲れないものもある。
 戦争という殺すことを賞賛される愚かな時代に、生きた究極兵器として扱われる竜たち。そこで生命の尊厳について思考をめぐらすテメレア。
 華やかなアクションと息もつかせぬ展開の物語の影でテメレアの成長とともに思考は深くなっていく。
 それと同時に、21世紀の作品として、奴隷制の時代を描く作者ナオミ・ノヴィクの視点も忘れてはいけない。
 人間は何をしてきたのか、そしてこれから何をするのか。エンターテイメントであっても物語には常に時代と人間のあり方が書かれているものだ。

 もちろん、テメレアかわいい! でも、一向に構わないのだが、このシリーズの魅力はそういう重層的な深みにあることも間違いない。

 さて、アフリカの後はどこにいくのだろうか。次が(ちょっとどきどきしながら)楽しみである。

さよならダイノサウルス

ロバート・J・ソウヤー
1994

 90年代から00年代にまとめて翻訳された人気作家ロバート・J・ソウヤーの初期作品である。「星雲賞」もとっている佳作。タイトルは日本の後付けで、まあしかたないが、タイトルで手を出さないこともある。読むまでに30年ほどかかってしまった。
 時間旅行ものである。時は2013年、約6500万年前の中生代白亜紀が終わりに差しかかかるタイミングに向けてはじめての超過去調査が行なわれようとしていた。搭乗するのはふたりの古生物学者。主人公のブランドン・サッカレー44歳、離婚歴あり。もうひとりはクリックス。サッカレーにとっては古くからの元親友であり、学問上のライバルであり、そして、やはり学友だったサッカレーの元妻と付き合っているとサッカレーは思っている。実に不幸な組み合わせである。
 さてさて、タイムマシンの理論が発見されたのは2005年、2007年に発見者のチン=メイ・ファン教授はノーベル賞が授与され、そして2013年にはタイムマシンが完成したのである。驚くべきことだ。
 さてさてさて、約6500万年前の問題とはなにか。それは中生代から新生代に入る際に起きた恐竜などの大量絶滅問題である。現在では巨大隕石衝突とそれにつづく気候変動が主な原因と考えられているが、火山活動説やそのほかの説もまだ生き残っているようだ。
 ということで、古生物学者にとっては、絶滅直前の進化の頂点にあった恐竜や生態系をこの目で確かめ、可能ならば恐竜を持ち帰ることが使命として与えられていた。
 そして無事過去に「行った」ふたりは、そこで意外な事実を目の当たりにする。いまさらではあるがネタバレになるので細かくは書かないが、ひとつだけ書いておくと重力が小さいのだ。恐竜がなぜ巨大化したのか、それは重力が小さかったからなのだ。いやいや待て待て、重力は質量によって決まるのではないか? どーゆーことよ。いやいやそーゆーことよ。ゼリー状の生物?隊列を作る恐竜? いやいやいやいや、まてまてまてまて。
 しかもタイムトラベルものだから当然タイムパラドックスというものがつきまとう。
 恐竜絶滅直前の恐竜の姿、地球の秘密、さらには過去と現在をむすぶタイムパラドックス。サッカレーとクリックスのからむ三角関係もあって、とにかく話を詰め込みましたよ、ソウヤーさん。でも軽い気持ちでふふふんと読めるザ・エンタメ作品だ。

テメレア戦記Ⅲ 黒雲の彼方へ

ナオミ・ノヴィク
2006

 中国でいろんなことがあった黒く誇り高き竜のテメレアとその担い手であるキャプテン・ローレンス。いよいよ英国に向けて帰ることになるのだが、そこで急報が入る。トルコ皇帝から竜の卵を譲り受け英国に持ち帰るように、と。しかし、とある事情で海路をとることができなくなってしまう。竜の卵がいつ孵化するのか分からない以上、最短ルートで向かうしかない。つまり陸路。幾多の砂漠や山脈を抜けていくほかない。元・海軍士官で海のことならば何でも知り尽くしているローレンスも、陸、しかも砂漠や高山はさっぱりである。幸いテメレアは大きく、必要なスタッフを乗せて遠くまで飛ぶことは可能だが、食料や水の不安もあるし、地図の不安もある。そこで英国からの急使としてやはり陸路をやってきた孤高の男・サルカイに道案内を頼むことになった。どこか得体の知れないサルカイ。不慣れな砂漠や砂漠の町で起きる事件。たどりついたトルコでの暗澹たる出来事。さらには、トルコからヨーロッパに入り、ふたたびナポレオン戦争のまっただ中へ。はたしてローレンスとテメレアは無事竜の卵をもって英国にたどり着けるのか?
 喉の渇くような旅と闘いが続く。

 私的な話で恐縮だが若い頃パキスタンを縦断したことがある。特になにか思い入れがあったわけではなく、たまたま手に入れた航空券がパキスタンの南の商業都市カラチに立ち寄るオープンチケットで、それならばとカラチからペシャーワル、ギルギット、そして、フンザまで鉄道やバスを乗り継いで行ってみることにした。どこまでもどこまでもどこまでも遠くまで見渡せる果てしない乾燥した大地、はるかに脈々とそびえる7000メートル級の山々。厳しい太陽の光。貴重な水。いや若気の至りであるが、後悔はない。まあ多少危ないこともあったが、幸いにしてこうして思い出話にすることができる。
 そうそう、この舞台のトルコにも滞在したことがあって、イスタンブールにものべ10日以上居たし、アジアサイドのアンカラやシノッブ、ギョレメ(カッパドキア)などにも行ったものだ。その旅の記憶を思い起こしてくれた。

 竜は大食漢だし、お世話は大変だけど、パートナーとして馬よりもずっといいなあ。なんといっても飛べる。飛べて話し相手になる。最高。しかもテメレアは頭良いし。まだ若いから思考がまっすぐで猪突猛進なところはあるけれど、多言語を簡単に覚えて使いこなし、数学にも長けているなんて、すばらしい。
 一緒に砂漠の旅を楽しもう。(大変だけど)。

テメレア戦記Ⅱ 翡翠の玉座

THRONE OF JADE

ナオミ・ノヴィク
2006

 フランス軍のイギリス本土上陸作戦を防ぎ、立派な英国のドラゴン空軍の一員として周りから受け入れられた漆黒のドラゴン・テメレアと、元海軍将校のキャプテン・ローレンス。しかしテメレアは中国皇帝がナポレオン皇帝に下賜した卵から生まれた稀少な竜。英仏の海戦による正当な略奪とはいえ、中国側が黙っているはずはなく、第二巻ではいきなり中国側が皇帝の兄ヨンシン皇子を使節団としてイギリスに派遣してきた。いわく皇帝が皇帝に贈ったものだからテメレアを返せ、戦闘に使うなど論外、さらに高貴なる人間以外がテメレアに乗るなど許されないことでありロー4レンスの搭乗は認められない…。
 英国政府は14年前に中国皇帝を怒らせてしまい、その後の貿易と関係拡大があまりうまくいっていないことからなんとか穏便にすませようとする。つまり、テメレアを返す見返りを求めることで利をとろうということ。もちろん、ローレンスが納得できるものではなく、テメレアもローレンスと離れることなど考えられない。
 さまざまな思惑の中で、ローレンスとテメレア、若き英国外交官のハモンド、中国皇子ヨンシンをはじめとする中国使節団一行は、英国海軍の巨大なドラゴン輸送船アリージャンスでとりあえず中国に向かうことになる。艦長はローレンスの画策でかつての優秀な部下トム・ライリーが再登場。一癖も二癖もある登場人物たちのなかで苦労するローレンス、アフリカの喜望峰を回り、インド洋を抜けて中国へ。途中、フランス軍との海戦があったり、巨大な「アレ」に襲われたりしながら、いよいよ中国へ。はたしてローレンスとテメレアの運命は、ローレンスとテメレアの選択は?

 いきなりの中国。いきなりローレンスを苦しめる英中外交問題。自分の運命を勝手に決めようとする人間たちにむかつくテメレア。
 おいおいナポレオンとの戦争はどうなる?
 それにしても海の旅である。テメレアは船上生まれ、海が大好きな竜だが、成長してはじめての長旅である。第一巻ではローレンスとともに空軍(空を飛ぶ竜の軍)で訓練を受ける姿が話の柱になっていたが、第二巻では海の冒険をたっぷりと味わえる。テメレアはアフリカの奴隷貿易を目の当たりにし、人間の愚かさを知る。船上では英国の竜として育てられたテメレアが、中国の様々な文化にも触れる。英国人同士も、海軍と空軍の考え方や行動規範の違いによる衝突、外交官と軍人の行動規範の違い、中国使節団との緊張含みの複雑な関わり。そこに19世紀時点での英中の階級制度による問題。
 そして中国上陸。竜が数少ない英国と違い、竜が人間と共存する中国。その姿を見たことで得られるローレンスとテメレアの新たな視座。
 はたして彼らはどんな選択をするのか。できるのか。
 結末に選択が待ち構える冒険の旅。読者としてはわくわくどきどきするじゃないか。登場人物たちはとても大変だろうけれど。
 ということで、間違いなく第一巻よりも充実し、おもしろく、わくわくして、どきどきして、そして、しっかり考えさせられる。最高のエンターテイメント歴史改変ファンタジー。

ジューマの神々<バルスームふたたび>

THE GODS OF XUMA OR BARSOOM REVISITED

デイヴィッド・J・レイク
1978

 2024年になった。私もまもなく還暦を迎える。ということは、私よりも少し年齢の高い団塊の世代の諸先輩方の中には、いわゆる終活や早逝される方々も出てくる。すると突然古書店に50年代から70年代の書籍がとても美しい状態でごっそり出てくることがある。そんな本を見かけたらなるべく確保。中身は読んでから考えよう。そうやって手にした一冊が本書「ジューマの神々」である。
「火星のプリンセス」が発表されたのは1917年。それから本書「ジューマの神々」は約60年後に発表されたインスパイア作品である。副題の「バルスームふたたび」であるが、「火星のプリンセス」で主人公ジョン・カーターが冒険した「火星」は火星人の「赤色人」たちに「バルスーム」と呼ばれていたのである。だから「バルスームふたたび」は「火星のプリンセス」の火星っぽい惑星ということになる。
 さて、ストーリーであるが、少しだけネタバレも入るけれど、ご容赦いただきたい。
 時は22世紀。地球は20世紀後半の第三次世界大戦とその後の第四次世界大戦で居住不能になり、人々は月のドームで暮らしていた。その月でも、旧超大国間の緊張は続き、人類はある意味で滅亡の危機を迎えていたのだ。
 そこで旧超大国はそれぞれ居住可能な別の星系をめざして探査を行なってきた。冷凍睡眠などをつかい探査と第1次入植を兼ねた恒星移民船である。
 人類が居住可能な惑星には人類と同様の知的生命体がいることは想定されていた。その制圧のための武器も用意して…。
 エリダヌス星系で現地では「ジューマ」と呼び表す赤い惑星の天体観測員カンヨーは惑星周囲の旋回星群のなかに異質な星をみつけた。それは神々の船ではないかと考えられた。
 その船こそ、人類の乗る星間宇宙船リバーホース号であった。時は地球歴2143年3月26日。その惑星は、21世紀初頭に書かれた小説に登場する「虚構の惑星」にとてもよく似ていた。地球より小さく、月より大きく、人類が居住可能な大気があり、やや暑く、乾燥しているが水は存在し、惑星には人類の歴史よりもはるかに長い長い時をかけて構築されたと考えられる運河がはりめぐらされていた。しかし、その惑星の月に惑星の住民が訪れた形跡もなく、宇宙開発や高度な都市開発の形跡もない。文明社会ではあるが、高度な科学社会ではない。「適切な予防措置を講ずる限り、原住民と深刻なもめごとが起きるはずはあるまい」と接触前に船長は記録に残している。

 主人公のトム・カースンはいちはやく「原住民」の言語を習得し、初期の接触要員として地上に降りる。そこで目にしたのは蒸気機関も電力もない中世さながらの王国の姿であった。地球人そっくり、いや「バルスームの赤色人」そっくりな姿である。
 船長は入植船の方針に沿って原住民を制圧、支配下に置き、人類の入植をすすめるつもりである。トム・カースンは、「武力制圧は避ける」ことをめざしながらもやはりジューマの人々から「神」と呼ばれ、人々を未開の人々のように考える傾向にもある。それでも船長の好戦的、高圧的な態度には辟易している。
 そのジューマの人々であるが、基本的には無性として生まれ、やがて男性態になり、その後に女性態を経て、最終形態として無性態に戻る人類よりも長命な種族でもある。いまだ複数の国家として紛争もあるが総じて安定した社会を保っている。
 そこに人類という異質なものたちが入ってきたのだ。
 さあ、どうする。さあ、どうなる。

 物語は主にトム・カースンの視点で描かれるが、次第に明らかになるジューマの秘密、人類の行く末、愚かさ。

 悩ましい本だった。1970年代ということを考えるとところどころに出てくる男性優位な表現はとても今日的ではない。表紙だって、「火星のプリンセス」さながらの王女の精悍なヌードである。もちろん、これは作品中の登場人物を美しく書き上げたすばらしい絵ではあるのだが、やはり今日的ではない。まあ当時であっても、当時中学生の私はこの表紙の本を手に取って本屋のレジに行く勇気はなかっただろうが。一方、成長に応じて性転換していくなかでのマイノリティの存在や扱いなどは21世紀初頭の今日的な視点も込められている。
 SFに性やセックスが、「ベムと美女」ではなくきちんと取り入れられたのは1960年代後半のロバート・シルヴァーバーグあたりからではないかと思うが、エンターテイメント重視ではあるが社会と性についても思考実験をしているあたりは新しい。
 少数でありながら強力な武力を持った宇宙からの侵略者である人類と、侵略される側になる多数を占めるジューマの人々の緊張と緩和。書かれている内容は背景にベトナム戦争や米ソ冷戦、あるいは第二次世界大戦の記憶が色濃く反映されていて強力な武器を持つこと、侵略と対話などの寓意性も込められている。主たる舞台となる国では女王は公選挙で選ばれ、女性である期間は為政者として存在するが、老成して無性に戻るときにはつぎの女王を選ぶ選挙が行なわれる。仮に他の国を武力等で支配下に置いても、その国で選挙に選ばれなければ為政者としては正当であると認められない。そういう民主主義と紛争のあり方みたいな寓意もあったりする。とはいえ、「広島」「長崎」を都市を壊滅させる用語として使うなど、軽々しい表現も多い。
「火星のプリンセス」をインスパイアしているが、アンチテーゼとも読める。
 すくなくとも、21世紀において新たに出版されることはないだろうが、時代背景を含めて考えれば軽めのエンターテイメント作品の中に人類のもつ善と悪の拮抗をうまく取り入れた挑戦的な作品であるとは思う。
「火星のプリンセス」を読んだら、派生作品として本書を楽しみ、かつ、いろいろ考えるきっかけにしてはどうだろう。

テメレア戦記Ⅰ 気高き王家の翼

HIS MAJESTY’S DRAGON

ナオミ・ノヴィク
2006

 ドラゴンが出てくる本格SFといえばアン・マキャフリイの「竜の戦士」にはじまるパーンの竜騎士シリーズが真っ先に思い起こされる。それより前に読んだジャック・ヴァンスの「竜を駆る種族も忘れてはいけない。記録を読み返してみると2005年に読み返していた。そこに「私は、ほとんどファンタジーや「剣と魔法」ものを読まないが、竜(ドラゴン)にはついつい惹かれてしまう。洋の東西を問わず、竜というのは人を魅了してやまない存在なのだ」などと書いている。それから20年近く経った。その間に、竜が登場するこんな歴史改変SFというかファンタジーが生まれていたのだ。
 海外SFばかり読んでいるといってもずぼらなことに新しいSFの動向さえもしっかり把握していないので、ファンタジー領域でヴィレッジブックスから出ていた作品のことはまったく視界に入ってなかった。反省。
 このシリーズは2016年に第9巻が出版され完結したそうだが、日本では第6巻で翻訳が中断されていたようだ。SNSで訳者の那波かおりさんが、読者の続編を求める声を丹念に拾い、その結果7巻以降も別の出版社で刊行されることになったという。そりゃあ読まねば。歴史改変ものはあまり得意ではないが、竜が主人公(?)だし、重い腰を上げることにした。
 前情報を入れずに読み始めた。
 ふむふむ、19世紀初頭、ナポレオン戦争の時代。蒸気機関が普及する直前の時代。陸上は馬、海上は帆船が主流。銃や大砲は実用化されているが、剣が何よりも大切な時代。それなのに、なんと空軍が!空軍がある。
 もちろん、航空機などではない。空軍は竜の軍隊である。さまざまな種類の巨大な竜たちが戦略上重要な要素となる。
 そう、現実世界に竜が存在し、戦争の歴史に大きな役割を果たすのである。
 しかし、竜はただの乗り物でも、空を飛ぶ家畜でも、動物でもない。
 竜は竜であり、人と竜のつながりも他の何にも比べるもののない特殊なものである。
 竜が卵から孵るとき、近くにいた人間を「竜が」選ぶ。一度選んだ人間との絆は切れることがない。ただ、基本的に竜の方が長生きであるのだが。
 そして、竜には知性がある。言葉を話し、人とのコミュニケーションも可能だ。

 さて、イギリス戦艦リライアント号の若き海軍将校・艦長ローレンスは、拿捕したフランス戦艦アミティエ号に積まれていたドラゴンの卵を確保した。この卵から孵化した竜が選んだのはこともあろうにローレンスであった。大航海時代において貴族階級である海軍将校という将来を嘱望されていたローレンスだが、やむなく評判の悪い空軍パイロットの道を歩むことになった。突然人生設計ががらりと変わってしまったローレンスは、竜にテメレアと名付ける。実際の歴史でイギリス海軍でたびたび名付けられた艦船名でもあり、最初に命名されたのは史実ではフランス海軍から鹵獲した戦艦名らしいが、本書でもローレンスが数年前に就航を目撃した艦船の名前とされる。ローレンスとしては海軍に未練たっぷりの御様子。そのローレンスの失意は、やがてテメレアによって新たな喜びへと変わる。物語を好み、数学や物理学にまで興味を持つ好奇心旺盛な唯一無二の竜、テメレアとの絆はテメレアの成長とパイロットとしての自信のうちに深まっていく。ローレンスとテメレアは知恵と勇気と優しさで、ナポレオン戦争の時代を生き抜こうとするのだった。

 まあ、よくしゃべる竜ですこと。とはいえ、生まれたての子供みたいなもので、ちょっとしたことでローレンスに甘える。ローレンスもテメレアがかわいくてかわいくてしょうがない。ふたりともでれでれである。親子とも違う、恋人とも違う、異種間共生の親友といったところだろうか。竜と人間の対等以上の関係こそ、この物語のおもしろさの鍵だと思う。
 副題にある「気高き王家の翼」とはもちろんテメレアのことを指すのだが、その理由はぜひ読んで欲しい。
 大切なことを書き添え忘れた。さすが21世紀のファンタジー。出てくる竜は、西洋だけではない。中国、日本の竜もしっかり出てくる。しかも大きい。巨大な竜にはパイロットとともに多くの兵士が乗り込んでいるのだ。想像して欲しい、巨大な竜が空を飛び交い、地上や海上の戦争に影響を与える様を。
 物語は、1805年に起きたスペイン・フランス連合艦隊とネルソン提督率いるイリギス艦隊が衝突したトラファルガー海戦の直後ぐらいまで描かれている。もちろん、どの戦場にも竜はいるのだ。歴史改変ファンタジーは荒唐無稽になりがちだが、それをしっかり読ませるナオミ・ノヴィクの力量はすごい。これから最終巻までゆっくりたっぷり楽しみたい。

スターフォース 最強の軍団、誕生


SWARM STAR FORCE SERIES #1

B・V・ラーソン
2012

 いまでも続いているのかは知らないが、聞くところによるとアメリカの長距離トラックドライバーの中には、オーディオブックでSFなどエンターテイメント小説の朗読を聞くのを楽しみにしている人たちが多くいて、一定の需要を満たすために、そのための小説などが書かれたりするという。日本ではそうでもないが、オーディオブックは海外ではそれなりの市場となっていて、近年、日本でもamazonなどが積極的に日本市場への導入を図っている。
 滅多にないことだが私も長距離ドライブの際に、落語を聞いて過ごすこともあり、また、子どもの頃寝る前にラジオドラマを聞いていたこともあって、オーディオブックに興味はある。興味はあるが、聞くタイミングが難しい。毎日数時間の手作業の時にはFMラジオを聞いているが、時折、作業音のために聞こえなかったりする。それでも構わないのは聞き流しているからだ。手を動かすことに優先順位はあり、聞く内容がどんなに重要でも、よほどのことがない限り手は止められない。
 運転中のオーディオブックは、もちろん、巻き戻したりすることはできるが、やはり基本は運転に意識を傾けつつ、小説の内容も頭に描きつつ、ということで、最優先すべきは運転であり、ただ運転は荒野のハイウエイなど状況によってある程度意識せずとも自動的に対応できるので小説の内容に意識を向けることが可能になる。
 ただ、複雑な文章や設定、構成、単語などが出てくると、「考える」必要がでてくるので、なるべく単純な文章、平易な語彙、分かりやすい設定や構成が求められる。

 たとえば、本書「スターフォース」の設定。宇宙から突然無数の宇宙船がやってきて、人を一人ずつさらっては何らかのテストをして、テストに合格して生き残った者にその宇宙船の管理権限を渡す。そして、その宇宙船と管理者となった人間は後から来た別の宇宙船と闘う運命が義務づけられる。勝たなければ人類は滅亡する…。
 主人公は従軍経験はあるが、大学でコンピュータ学を教える教授であり、田舎で趣味の農業もやっている妻を亡くし子供がふたりいる中年の男性。多くの試練を経て、やがて超人的な力を得ることになる。そばには若い美しい女性の姿。

 ペリー・ローダンかはたまた火星の王、ジョン・カーターか?
 内容は単純明快。文章も展開もステップバイステップで分かりにくいところはない。登場する軍人の性格はステレオタイプでOK。宇宙戦闘、地上戦闘、ドンパチもきちんと繰り返し登場するし、主人公は悲しんだり怒ったりと忙しいが、偶然そばにいることになった女性への欲求も欠かさない。21世紀の小説とは思えないほど、マチズモ。
 中年男性のためのライトノベルといったところかな。
 本作の作者は2000年代に登場した電子書籍専門で書き始めた新しいタイプの作家らしい。
 かつて1970年代を中心にアメリカで盛んだった抱き合わせペーパーバック小説ぐらいの勢いで次々と多彩な分野で作品を出し続けているという。たしかに、その才能はすごい。

 なお、続編は翻訳されていないが、「ヒーロー爆誕」ということで、あとは読みやすいだろう英語の原書か、オーディオブックでどうぞ。