TAP

TAP
TAP AND OTHER STORIES
グレッグ・イーガン
1995
 日本オリジナルの中短編集である。作品は、1986年から1995年に書かれたもので、「難解で、最新の科学理論を縦横に駆使した」グレッグ・イーガンらしい作品もあれば、SFらしからぬホラー作品もある。
 現代的な作品は、パンデミックを題材にした「銀炎」と、情報化社会の先を描いた「TAP」であろう。個人的に印象に残ったのは、「自警団」と「森の奥」である。「自警団」はまったくのモダンホラー。「森の奥」はインプラントを使うなどSF的要素もあるが、こちらは現代文学の一作品という趣。「自警団」はある契約によって縛られた「悪魔」のお話し。「森の奥」は、失策をして、殺し屋につかまり、森の奥に連れ込まれながら命乞いをする男の話。
 イーガンの短編を読んでいて安心なのは、長編にありがちな「どこに連れて行かれるのか、読者として立ち位置が分からない」状態がないということだ。この先に落ちがあるという安心感で読める。そういうのって、大切だ。小説を読むという行為は、作者と読者の協働作業なのである。
 ただし、作者は、すでに、テキストを世にさらした時点で作業を完結しており、読者はその後さまざまな状況に応じて、テキストを再解釈することになり、物語は読者によって変容する。読書がそういう作業であることを、イーガンの短編は思い出させてくれる。
(2010.05.20)

アードマン連結体

アードマン連結体
THE ERDMANN NEXUS AND OTHER STORIES
ナンシー・クレス
2010
 ナンシー・クレスの短編集である。書かれているのは、ナノテクによる物質製造器がもたらした社会の混乱と変化、ちょっとしたタイムスリップ小咄、21世紀スタイル「幼年期の終わり」、軍に入った少年の成長譚、耐性菌によるパンデミック、子どもの虐待と精神、人工生命体の進化、そして、老化と死をテーマにした「齢の泉」。
 人は何に執着して生きるのか? なぜ生きのびたいと思うのか、死にたくないと思うのか、幸せに生きるとはどういうことなのか?
 ひとつひとつ、SFとしてのガジェット、プロットは異なり、連作的な要素はまったくない。本当の「短編集」である。
 表題作「アードマン連結体」を除けば、SFとして「難しさ」を感じさせる要素もない。SF的要素がほとんどない作品もある。共通することといえば、「現代」の問題であるということだ。虐待、パンデミック、高齢化社会、技術による急激な社会の変化と混乱など、同時代的なテーマをSFとして外挿し、語っている。
 どの作品も、小説として起承転結が効いていて、とても読みやすくおもしろい。
 私は、「齢の泉」を気に入っている。主人公が生涯を振り返りながら、かつ、「最後の」一仕事に邁進する、その過程で出てくる友人、パートナー、敵、その知人、パートナー。中編にも関わらず、ひとりひとりの個性が生きていて、登場人物の「行動」に感銘を受けたりする。主人公だけが小説の登場人物ではないことを教えてくれるいい小説である。
「プロバビリティ」シリーズでは、登場人物のおもしろさが長編故に目立たなかった。また、筋立ても難しかったのだが、短編集になるとがぜん、登場人物の描写が生きている。
 SFが嫌いな人でも読んで欲しい、いい小説集である。
(2010年5月16日)

スターシップ2 海賊

スターシップ2 海賊
STARSHIP:PIRATE BOOK TWO
マイク・レズニック
2006
 元共和宙域軍艦にて、現在逃亡中の老朽艦セオドア・ルーズベルト、通称テディ・Rは、元中佐にて、敵味方ともに知らぬ者はなき軍功をなしとげ、さらには、逃亡兵として名高いコール船長により、辺境宙域をのんびりと航行していた。クルーのほぼすべては元航宙軍兵士であり、規律も、コール船長への帰属意識も高く、申し分ない。
 問題はただひとつ、「海賊」のやり方である。
 船を動かすにも、停泊するにも、クルーに食べさせるにも、給料を払うにも、病院に運び込むにも、必要なのは金。これまでは、軍人として、軍艦として、金の心配をすることはなかった。しかし、なんとかして金は必要である。
 コールにとって、大切なのは、生きのびること、多くの血が流れる戦争を終わらせることであって、結果的に逃亡することになった共和制政府を倒すことでも、敵であるテロニ連邦を破滅させることでもない。
 だから、金のために海賊になるからといって、誰でも襲うという訳にはいかない。
 どの勢力や種属であれ、一般市民は襲えない。軍艦や商船などの艦艇も襲えない。むやみな略奪はしたくない。
 どうすればいい? 答えはひとつ。海賊は一般市民でも、軍艦や商船などのまじめな仕事をしているわけでもないし、積んでいる財産は略奪品だから、海賊を襲えばいいんだ!
 でも、海賊のやり方って、どんなんだっけ?
 そこで、これまで航宙軍でトリッキーな作戦をこなしてきたコール中佐がとった手は?
 今度の交渉相手は、軍人ではない。海千山千の「裏稼業」の人間たちである。海賊、故買商、賞金稼ぎ、保険会社などなど、経験や対応方法も豊富な人間や異星人たちを相手に、コール中佐は、前作にもましてトリッキーな手を打ってくる。
 さすが、マイク・レズニックである。
 楽しく読める。
 ロイス・マクマスター・ビショルドのヴォルコシガン・シリーズを思わせる、コール中佐の口八丁手八丁。違うのは、「かっこよく」である。現代のヒーローかくありき、という感じかも。
(2010.05.15)

氷上都市の秘宝

氷上都市の秘宝
INFERNAL DEVICES
フィリップ・リーヴ
2005
「移動都市」「略奪都市の黄金」に続く、移動都市シリーズの第三弾。遙かな未来、最終戦争の後、世界は姿を変えてしまった。都市は無数のキャタピラによって移動するようになった。移動都市に変わった理由はひとつ。巨大な都市が、小さな都市を「食い」その資源を奪って都市を維持するようになったからである。
 前作から15年、「氷上都市の秘宝」は、前作までの主人公トムとヘスターの娘レン・ナッツワーシーに話を移す。時は流れ、世代は変わる。トムもヘスターも15年分年を取り、生活も、性格も、心配事も、楽しみも変わっていく。ロストボーイも、15年経てば、15年分年をとる。変わらないものもある、ヘスターのトムへの執着は変わらない。ペニーロイヤルのいい加減さも、もちろん変わらない。
 レン・ナッツワーシーは、世界のことなど知らない。人が15年すると変わり、また、変わらないことも知らない。彼女が知っているのは、自分が住んでいる場所のこと。短い夏、長い冬、せまい世界、世界のすべての人がレンを知っており、世界のすべての人をレンは知っている。小さな小さなコミュニティー都市。動かない都市。アンカレジ。
 学んだ歴史は、言葉だけのこと。世界が争いの絶えない故に、都市が移動している、そんな単純なことも体験に基づかない知識でしかない。だから、知らない。  レンは、知ることになる。
 世界の厳しさを、父と母の物語を。
 レンの物語が、今からはじまる。
 そして、トムとヘスターのもうひとつの物語も。
 21世紀のジュブナイルは、こんな感じなのだろう。
 インターネットや携帯電話といった情報ツールが当たり前になり、地球規模の環境問題や政治、経済問題が、生活に直結することを「実感」できるようになった現在、子どもたちはどこかで一気に世界を知ることが必要になる。物語としてではなく、体験として。
 もちろん、人間の成長とは、知識を得、体験し、経験を蓄え、知恵に転じていくことであり、成長過程で、世界観を変える、あるいは、世界を認識する時期がある。自分と身の回りだけで世界が成り立っているのではなく、世界には、受け手にとって無条件の悪意としか見えない存在や状況も存在する。それを受け止めつつ、世界の一部として存在することを把握する。これは、20世紀でも、19世紀でも変わらない。
 21世紀のジュブナイルの違いはひとつ。確固たる守り手の不在である。主人公である子ども(たち)が、世界観を大きく変えるとき、そこには確固たる守り手が存在する。たいていは大人であり、親であったり、被後見人であることが多い。大人は、その世界にすでに位置を確立しており、ぶれることがない。ゆえに、主人公である子ども(たち)は、物語の最初と最後で自分の変化を確認することができる。しかし、今日の物語では、確固たる守り手すら相対化されてしまう。彼らもまた、変化し、成長し、ぶれ、悩み、決断を繰り返すのだ。主人公である子ども(たち)と何ら変わることはない。年を取り、経験を積んでいるだけで。
 現代の子どもは大変だよなあ。 (2010.05.15)

白鹿亭綺譚

白鹿亭綺譚
TALES FROM THE WHITE HART
アーサー・C・クラーク
1957
 霧の都ロンドン、その裏通り、テームズ川が少しだけ見える場所にパブ白鹿亭がある。毎週水曜日になると常連の科学者や編集者、作家のたぐいが集まり、いつものように誰かの話に耳を傾ける。それは世界中にいるマッドサイエンティストのとっておきのエピソード。音を完璧に消す装置を発明した結果は…、動物の行動をコントロールできるようになると…、脳波を記録する装置は…、究極の軍事コンピュータは…、世界制覇を妄想した科学者は…、熱帯で見つかった奇妙な植物の正体は…などなど。
 歴史の陰に失われていく変わり者の科学者と、その驚くべき発明の数々。
 クラークだけが知っている、地球の科学界の真実。
 SFがユーモアやウィットなどと両立する訳がない!
 だからここに書かれていることは、掛け値なしの真実だ。
 でなければ、SFが荒唐無稽さと両立することを、あのまじめなクラークが証明することになってしまうではないか!
 そんなはずはない。
 断じてない。
 高校の頃だなあ。洗練された連作短編というものを読んで、ため息をついたのは。
 今読んでも、まだおもしろい。
(2010.05.15)

第五惑星の娘たち

第五惑星の娘たち
THE GIRLS FROM PLANET 5
リチャード・ウィルスン
1955
 マレイ・ラインスターの「第五惑星から来た4人」(1959)は、子どもの頃読んだのだが、こちらの「第五惑星の娘たち」は初読である。古本屋さんで入手したのである。読みたかった1冊であった。「第五惑星から来た4人」の方は、未来からの訪問者が、冷戦状況の世界に波紋を投げかける物語であったが、「第五惑星の娘たち」は、宇宙からの来訪者であり、女性の社会進出を「風刺」する物語である。
 舞台は20世紀末、政治、経済をはじめ、あらゆるところで女性が権力を握り、男性の力は衰えていた。そんな風潮を嫌った男たちの一部は、テキサス州を「男の州」として、古き良き、男の時代を生きていた。そこにやってきたのが、「宇宙から来た美女たち」である。
 今、こんな本を出したら、えらいことになるだろうなあ。
 笑えるのが、解説の最後である。翻訳・出版されたのは、1965年。私が生まれた年、45年前。あくまでその当時の話であることを斟酌いただきたいのだが、「考現学的にいうと、日本はだいたい10年遅れてアメリカの流行に追従しているそうだが、もしそうだとすれば、21世紀の初めには、日本にも女性支配の時代、男性の女性か時代が到来するかも知れない。SFファンのみならず、邦家の行く末を案ずる憂国の士にも本書をすすめるゆえんである」とある。そういう時代であった。
(2010.05.10)

宝石世界へ

宝石世界へ
THE JEWELS OF ELSEWHEN
テッド・ホワイト
1967
 中学生の頃に買ったSFのうちの1冊である。
 長時間勤務を終えて家に帰るため地下鉄に乗った中年警官アーサー・フィカラと、傷つき疲れ切った若い娘のキムは、ひょんなことから、別世界の地球に放り込まれる。生き残り、謎を解き、元の世界に帰る。冒険はふたりの間に恋を芽生えさせるには十分であった。
 疲れたとき、傷ついたとき、ここではないどこかへ行きたいと思うことはないだろうか。そういう思いが現実になったとき、人はどうするだろう。ファンタジーの定番なのだが、主人公が中年警官というところがよい。中年と言っても、今の私よりも10歳は年下なのだ。中学生の頃は、この主人公が20歳も年上だったというのにね。
 私はどこを旅しているのだろう。
(2010.05.02)

明日を超える旅

明日を超える旅
JOURNEY BEYOND TOMORROW
ロバート・シェクリイ
1962
 30世紀に残るジョーンズの旅行記の記録である。21世紀、ジョーンズはアメリカ人の両親の仕事で、太平洋上に浮かぶ一小島に育った。その島に他のアメリカ人はおらず、父の死後、父の仕事を太平洋電力会社からの要請で引継、25歳まで働いていたが、事業が停止され、彼は首に。彼は恋人を置いて、アメリカに旅立つこととした。そして、ジョーンズの物語がはじまる。そのタイトルだけでも頼もしい。
 ジョーンズ旅に出ること
 ラムとジョーンズ、会見のこと
 国会調査摘発委員会
 いかにジョーンズは裁かれたか
 ジョーンズとワッツと警官の話
 ジョーンズと三人のトラック運転手
 精神病院でのジョーンズの冒険
 ジョーンズはいかに教え、なにを学んだか
 ユートピアの必要
 いかにしてジョーンズは政府機関の一員となったか
 オクタゴンでの冒険
 ロシアの話
 戦争の話
 いかにしてラムは陸軍に入隊したか
 アメリカからの脱出
 旅路の終わり
 二十世紀がいかにばかばかしいことの連続であったか、軽く楽しませてくれる。
(2010.05.02)

変化の風

変化の風
THE WINDS OF CHANGE AND OTHER STORIES
アイザック・アシモフ
1983
 1986年8月に邦訳されているアシモフの短編集である。
 ここでもマルチヴァクが登場する。超巨大電算機、コンピュータ、動かないロボットである。マルチヴァクの神託を聞くには神官が必要である。つまり、正しい質問と正しいデータを渡し、出てきた答えを解釈する者である。まさしく神官。「接近中」では2030年に、宇宙より接近する何者かが、意味不明のメッセージを送ってきた。解読の可能性があるのはマルチヴァクのみ。さて、どうなる。
 もうひとつ、今日的に気になる作品がひとつある。「最後のシャトル」である。1981年の最初のスペースシャトル「コロンビア」を記念した作品である。シャトル計画は、70年代には本格稼働の予定だった。遅れに遅れて80年代に入る。それでも打ち上げと続くミッションは衝撃的だった。宇宙に行って帰る船である。2003年、帰還時に空中分解、7名の宇宙飛行士も失われた。その後、シャトルのミッションは再開されたが、もうまもなくスペースシャトルは退役し、その後の有人宇宙往還船の計画はない。残念である。この「最後のシャトル」は、ずっと遠くの未来まで使われていたシャトルの話である。
(2010.05.02)

アシモフ初期作品集3

アシモフ初期作品集3 母なる地球
THE EARRY ASIMOV
アイザック・アシモフ
1971
 そして、「鋼鉄都市」「はだかの太陽」と連なる、ロボットものと、宇宙国家と閉塞する人類の話の大元の作品が登場する。「母なる地球」である。地球を閉じ込める宇宙国家のひとつオーロラが登場する。1948年に書かれた作品だが、地球の人口は60億人としている。なかなかの数字じゃないか。
(2010.05.02)