分解された男

分解された男
THE DEMOLISHED MAN
アルフレッド・べスター
1953
 「虎よ! 虎よ!」と並んで名作とされ、栄えある第1回ヒューゴー賞受賞作品ともなった「分解された男」が再版された。1965年に初版が登場し、2008年の再版は28版となる。当時は活字だったのだろうが、それをそのままオフセット用の原稿として使ってある。だから、本をさわって活字のでこぼこは感じられないが、字面は活字のしっとりとした風情がある。とてもいい。
 舞台は西暦2301年2月15日にはじまる。人類は、地球、金星、火星と、月および木星と土星と海王星の衛星に版図を広げていた。
 エスパー、いわゆる超能力者が少しずつ増え、彼らが人類の中で一定の役割を担っていた。その最大の能力は、他人の思考が読めると読心術である。超感覚第一級ともなれば、深層意識まで読むことができるため、相手の思考が相手の意識に上る前に把握することさえできる。そのため、事業における犯罪や、まして、殺人などの異常心理はすぐに探知され、大きな犯罪を起こすことはとても難しくなっている。
 今、ここに、日々悪夢にうなされながら、殺人を計画するひとりの男がいた。
 その男は、ベン・ライク。世界でも名だたる大企業「モナーク物産」の社長である。
 そして、彼が殺そうと願っているのはただひとり。唯一の敵であり、今やモナーク物産を超えた存在になったド・コートニーカルテルの社長であるクレイ・ド・コートニー老だ。
 超能力者にとりかこまれた中で計画された完全犯罪。
 犯罪は実行され、世界は騒然となった。
 その凶悪殺人事件を担当するのが、超一流の超能力者で刑事部長のリンカン・パウエル。
 超能力分野、ミステリ仕立てのSFの分野で一世を風靡したベスターの「分解された男」は、今も語り継がれる名作である。
 よ。
 読んでませんでした。
 実はべスターは、中短編集の「ピー・アイ・マン」しか読んでいなかったのだ。
 本書「分解された男」は、すでに半世紀以上前に書かれた作品であり、そこに出てくる内容には古さを感じさせるところもある。また、文体や翻訳文体も今のはやりとは違って、古い感じを受ける。しかし、ストーリーは現在にも通じる「王道」である。
 事業上の敵を狙った殺人事件。完全犯罪の計画。計画外の出来事。事件を大きな権力を持った犯人と警察の「知恵比べ」…。そして、犯人の心に潜む陰と、明らかにされる真の動機。
 いいなあ。ほっとするなあ。
 古典はきちんと読んでおかなけりゃ。
(2008.04.10)

時の果ての世界

時の果ての世界
THE WORLD AT THE END OF TIME
フレデリック・ポール
1990
 人類は光速を超えることはなかった。そして、太陽系の惑星をテラフォームすることもなかったらしい。しかし、反物質を扱うことと、冷凍睡眠法を確立することはできた。そして太陽に似た恒星や惑星系に探査機を送り出し、地球と近い生命が存在し、かつ知的生命の兆候が見られない惑星を発見した。激しい議論の上に、3隻の恒星間宇宙船が建造され、その惑星に人々を送り出した。惑星は、ニューマンホームと名付けられ。1隻目はニューアーク(新しい箱船)と名付けられた。そして、6年後にニュー・メイフラワーが出発し、船内時間で100年近くが過ぎようとしていた。
 主人公のヴィクターは地球生まれ。12歳の誕生日に、ニューマンホームの近くで冷凍睡眠から目覚めさせられる予定であった。しかし、その予定より30年ほど前に減速する宇宙船で目覚めさせられる。家族ごとまとめて冷凍されていたためで、彼に用事があったわけではない。彼の父は第5航宙士であるとともに天文学者であったからだ。目的とする星系に近い太陽が閃光星に変わったためである。減速のための光子帆にも影響があり、コース修正が必要であった。さらに、その閃光星は地球の天文学や物理学では説明のつかない恒星の爆発であったのだ。その特異な現象を調べるため、ヴィクターの父が目覚めさせられたというわけである。
 やがて、その現象の変化が見られなくなり、ヴィクターはふたたび冷凍睡眠に入る。次に目覚めるのは、惑星ニューマンホーム。すでに先行した入植者が待つ土地である。彼らは大人も子どもも働き、働き、そして子どもは学校にも行かされた。すべてがそろっている惑星地球から、エネルギーと空気と水はあってもすべてを生み出すために働かなければならない開拓者の立場になったのである。やがて、他の恒星の異常現象は忘れられ、次に来るはずの恒星間宇宙船から定期的に届く連絡だけが希望となっていた。
 しかし、そうはならなかった。
 理由は不明だが、ふたたび近隣の恒星に異常現象が起こり、その後、彼らが存在するいくつかの恒星系が既存宇宙に対して加速しながら移動をはじめたのである。もはや人類の科学では理解不可能な現象が起きた。
 さらに、ニューマンホームの太陽が突然減衰しはじめた。それはつまり、ニューマンホームの寒冷化を意味した。すでに成人し、何人もの子をなしたヴィクターは、その理由をさぐるために数人の仲間とともに同時期に異常が発生した内惑星をめざす。そこで突然の攻撃を受け、ヴィクターは命からがら自ら生きるための妻とともに冷凍睡眠に入る他はなかった。次に目覚めさせられたとき、すべてはあまりにも変化していた。そして、さらに…。
 ひとつの物語は、ヴィクターの物語であり、人類には理解不可能な宇宙的現象に翻弄させられる人間たちの物語である。既存宇宙に対し加速しながら光速に近いほどの速度で移動するとは、既存宇宙にとって見たら彼らは存在しなくなり、未来に旅するのと同じことである。ニューマンホームを含む恒星系は、ある時期に減速し、やがて既存宇宙に帰ってくることになった。しかし、それは未来の、時の果ての世界であった。宇宙と時の果てには何があったのか。
 もうひとつの物語は、人類とは異質の知的生命体の物語である。彼の名は、ワン・ツ。住まいは太陽。存在は神に等しい。光速などという低速なものに依存せず、太陽のエネルギーを存分に活かして重力子やタキオンをあやつり、遊び、考え、仲間を増やし、殺し、存在するエネルギー生命体である。
 ワン・ツは生き残りたかった。何者かが自分を殺そうとしている。人類であれば猜疑心と言っていいような状態におそわれ、自らが生み出した仲間を殺していく。それとともに彼らが住む太陽も破壊していく。
 そう、ニューマンホームで翻弄された人類が知るよしもなかったが、すべてはワン・ツの起こしたできごとであったのだ。
 本書「時の果ての世界」は、古老フレデリック・ポールがニューポールと称されるようになった80年代以降の作品である。
 先日、2008年3月19日に、アーサー・C・クラークが90歳で亡くなったため、SF界のビッグ3はついに亡くなってしまった。フレデリック・ポールはビッグ3ほどの名声を得ていないが、まだ存命のようである。アジモフよりも年上で、クラークの2つ下である。本書「時の果ての世界」はまだ亡くなってはいないものの、すでに作品は発表されておらず、作家としては晩年の作にあたる。
 ニューポールの作品は、古典的なコンセプトを新しい知見と書きぶりで読ませる作品として知られている。本書「時の果ての世界」も単純なコンセプトである。人類の新惑星への移住と開拓。光速に近い加速を続けることで読者に示される時の果て、宇宙の果ての世界。非物質的な存在で太陽の中に生きる宇宙規模の生命の存在である。冷凍睡眠によって、いくつもの時代を生きることになる主人公の目を通して、読者は「冷たい方程式」と、その中で生きる人々の変遷を知ることになる。さすがニューポール。しかも、宇宙物理学の基礎をいろいろと教えてくれる。さすがニューポール。勉強になります。
 しかし、70歳の時の作品である。書くだけで偉い、すごい!
 70歳の作品だと思って読むと感慨深い。
 死と生命、永遠について思いを馳せているんだなあ。
 そして、未来を見ているんだなあ。
 ちょっと感動。
(2008.3.30)

マインドスター・ライジング

マインドスター・ライジング
MINDSTAR RISING
ピーター・F・ハミルトン
1993
 冒頭から余談で恐縮だが、本書(2分冊)を、古書店でまとめて購入した。出張先の大学町にある小さな古書店で、古いSF数冊高く売っていて、その価値は押さえているいい店である。本書はそれほど高くなく、どちらかといえば普通の価格であった。読んでいたら、1枚の紙がひらりと落ちた。「乞御高評 東京創元社」とある。ページをめくった形跡はない。あらら、かわいそうな運命の娘だったのね。ということで本書は初読である。
 イギリス人SF作家ピーター・F・ハミルトンの「マインドスター・ライジング」は、「近未来アクション<グレッグ・メンダル>シリーズ」第一作として鶴田謙二イラスト表紙により2分冊にて創元SF文庫より2004年に出版された。作品は1993年に発表しているので、サイバーパンクの影響をしっかりと受けている。さらに、イギリスらしく、スチームパンク、アクション、ハードボイルドを詰め込んで、さらには超能力まで登場させるサービスの良さである。
 舞台は、近未来のイギリス。地球温暖化によって環境難民が生まれ、海岸線と都市を失い、産業崩壊を招いた。世界は資源戦争をへて、12年前、イギリスでは人民社会主義党が政権を奪い、非武装再編、国営化などをの時代を過ごした。内戦の末、人民社会主義党から政権を奪い、元の資本主義民主制に戻ろうとしている、そんな荒れた時代である。
 主人公は、グレッグ・メンダル。元軍人。直感力と人の心の動きを知ることができる超能力を人工腺の移植によって強化しされた特殊技能の持ち主である。人民社会主義党から逃れ、潜み、彼らと戦ってきたひとり。
 本作「マインドスター・ライジング」のもうひとりの主人公はジュリア・イヴァンス。祖父は、イヴェント・ホライズン社の創業経営者であり、人民社会主義党を外側から壊した英雄である。自由公海や軌道上で様々な民需製品や軍需品、コンピュータメモリチップなどを作り、闇ルートで販売し、統制経済を内側から破壊し、かつ、巨万の富を得た。ジュリアの両親は、新興宗教に陶酔し、ジュリアを新興宗教の内側で育てていた。それを祖父が救い出し、彼女に数学的計算能力とデータ処理能力とメモリを生体組織として埋め込み、唯一の後継者として育てていた。
 その、イヴェント・ホライズン社の内部に破壊者の存在が確認された。しかし、完璧を誇る同社の警備陣にはその実態を突き止められなかった。祖父は、グレッグ・メンダルに白羽の矢を立て、そして、魔法のような能力を持つ中年男のグレッグと、人間コンピューターであり自分に見合う男性を探す若きセレブたるジュリアの不思議なコンビによる探偵物語がはじまるのであった。
 気候変動に関する政府間パネルが1988年に国連機関によって設立され、気候変動枠組条約が1992年に作成され、1994年に発効した。そういう世界の流れを受けて、本書「マインドスター・ライジング」では、激しい地球温暖化により変わってしまった人々の暮らしを描いている。地球温暖化の影響については少々変わった解釈だが、書かれた時期を考えればやむを得まい。
 よくある「自然も経済も荒廃した社会」の物語として捉えればよろしい。そこに登場するのが、どこか陰のある、本当は人なつっこい、力持ちの主人公である。ハードボイルドの王道だ。ちゃんと、「少女」ジュリアはグレッグに恋し、グレッグはジュリアを子どものように扱う。うーん、安心できる展開。
 それにしても…超能力である。直感力を増強して読心術に近いものというあたりはよしとして、予知能力を増強というのはどうなんだろう。蓋然性の把握能力というところだろうが、ちょっと違和感はある。
 後半から最後まで一気に「SFアクション」というだけのことがあり、戦闘につぐ戦闘シーンである。とりわけ、システムハックでコントロールできなくなった防衛システムに数人が命を賭けて乗りこむあたりは迫力あるが、SFか? と問われると、どうだろうという感じにもなる。そのあたりが、続編が翻訳されない理由なのだろうか。
 いずれにしても、続編が出たら読むことにしたい。(英語で読むほどの根性はないが…)
(2008.03.30)

虎よ、虎よ!

虎よ、虎よ!
TIGER! TIGER!
アルフレッド・べスター
1956
「…なぜだ? なぜ星や銀河に行くんだ。なんのために?」
「なぜならばあなたは生きているからです。あなたはきっと反問なさるでしょう。なぜ生きるのか? それはおおきになりませぬよう。ただ生きることです」
「すっかりくるっている」
「諸君はブタだ。ブタみたいに阿呆だ。おれがいいたいのはそらだけだ。諸君は自分のなかに貴重なものを持っている。それなのにほんのわずかしか使わないのだ。諸君、聞いているか?…」
「おれは諸君に星をあたえてやるのだ」
 彼は消えた。
 人間の隠された能力「ジョウント」。太陽系時代を迎えた24世紀に発見されたテレポーテーション能力である。人々は、ジョウントの能力差によって職業に差がつく時代が来た。遠くまで確実に行けるものは、それだけ高い生産活動ができるのである。またたくまに太陽系は内惑星の時代から、外惑星も含めた時代を迎え、ふたたび争いの火種が巻き起こった。それが25世紀である。
 ここにひとりの男がいる。170日間宇宙を漂流し、それでも行き、そして助けるべき宇宙船が見捨てていった男。その宇宙船に対する復讐心だけで生きる男。プロファイルには「平凡」「エネルギーは最低」「肉体的には強壮」と言われた貧民出身のガリヴァー・フォイルである。彼は、その復讐心のみで生き、そして宇宙と人類を根底から変えていくことになる。人々は、まだ彼を知らない。
 実は未読であった。未読であることを口に出せないぐらいの古典的名作であり、私の中の「読んでないことが恥ずかしい」リストのトップの方にあった作品である。1978年にハヤカワ文庫SFで登場しており、高校、大学と読む機会は十分にあったのに、手を出しそびれた作品である。このたび、2008年1月晴れてハヤカワ文庫SFで新装版として再版されたことは実に喜ばしい。
 そして、やはり傑作だった。
 アルフレッド・べスターといえば、私は「ピー・アイ・マン」を高校のときに読んだっきりだが、あれもたしか超能力ものであったような記憶がある。
 ジョウントというひとつの変革をベースに、社会の構造を描き、さらには、人類の変容と希望まで描ききるその筆力、いや筆力というより作者の迫力に言葉を失ってしまった。
 冒頭の引用は後半に出てくるが、これがどのシーンで語られるのか、想像もつかない場面なのである。このお説教くさい台詞が、心に染みるのは作品あってのことである。
 しかし、もし、本書「虎よ!虎よ!」を高校生の頃読んでいたとしても、その迫力に感動しただろうか。しなかったような気がする。その迫力を読み取るだけの力が欠けていたのである。年を取ってよかったと思うのは、こういう迫力のある作品を楽しく読むことができるようになったことである。
 でも、読解力がないのは私だけだ。
 若くても読め! 年を取っても、読め!
(2008.03)

がんばれチャーリー

がんばれチャーリー
STAR PRINCE CHARLIE
ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスン
1975
 本書「がんばれチャーリー」は、ホーカシリーズの早川文庫SF3冊目の作品で、長編作品である。
 舞台は惑星ニュー・レムリア。人類に似た非科学技術レベルの知的生命体がいるため汎生物連盟によって地球人の全権大使がいる惑星。地球人の全権大使の指導の下、慎重に技術導入がはじめられていた。
 主人公は、チャーリー。地球人の少年であり、宇宙船船長の息子としてニュー・レムリアを訪れ、人生経験のためニュー・レムリアをひとり旅することとなった。もちろん、本当のひとり旅ではない。父親から離れた旅である。同行者は、ホーカ人で家庭教師の「バートラム」氏。厳格で理屈っぽく、蘊蓄に事欠かない「役」で安定しているホーカ人であり、父親の信頼も厚い。
 ニュー・レムリアの政情不安を理由に旅をしぶる全権大使を理屈でねじふせ、チャーリーとバートラムは意気揚々と未開の惑星の旅に出た。
 ところが、ニュー・レムリア人との出会いでバートラム氏はチャーリー王子の忠実なる家来、へクター・マクレガーになってしまった。ニュー・レムリアに伝わる伝説の星の王子こそ、我がチャーリーという訳である。
 未開惑星政治不介入の原則などそっちのけでチャーリー王子の旅がはじまってしまった。
 ねえ、僕たちどうなってしまうのだろうねえ。
 ということで、出てくるホーカ人はたったのひとり。ちょっと物足りないような気もするが、ホーカに育てられた地球人チャーリー君の素直な少年的行動を陰で支えつつ、一方でめちゃめちゃにするあたり、ひとりで十分という気もする。
 短編のホーカシリーズとはまた違った魅力満載の作品である。
 でも、まずは「地球人のお荷物」を読んで、ホーカのファンになってから読んだ方がしっくりくるよ。
(2008.03)

くたばれスネイクス

くたばれスネイクス
HOKA!
ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスン
1983
 本書「くたばれスネイクス」は、1951年に第一作が書かれ、1957年に6編が掲載された「地球人のお荷物」の続編にあたる短編集である。いわゆる「ホーカシリーズ」であり、地球人の「物語」に熱中しては、現実の中に虚構を取り入れてしまう才能をもった歩く力持ちのテディベアである惑星トーカのホーカ人と地球人が巻き起こすどたばたコメディSFである。本書「くたばれスネイクス」に掲載されているのは4編で、うち3編は1955年~57年に書かれている。最後の「ナポレオン事件」のみが1983年に書かれており、これによってホーカシリーズが復活。1950年代の作品もめでたく日の目を見たのであった。
 さて、そこで最後の「ナポレオン事件」を取り上げてみよう。どんなに危機が起ころうとも、ホーカ人同士では殺し合うことがなかった惑星トーカ。なのに今、ホーカに世界大戦の危機が! 陰では異星人による陰謀が繰り広げられていたのだ。しかも、これまでの危機をすべて乗り越えていた地球人の全権大使であるアレックスは、ホーカ人の宇宙社会でのレベルを引き上げるために奮闘中。妻のタニはついにアレックスにSOSを出す。
 さて、ナポレオンをかかえ、ドーバー海峡をはさんで一発触発のホーカ人の戦争危機は回避できるのか? というのが今回のお話。
 地球を離れることができないアレックスがトーカ星に密航するためにとった手段は、不定期貨物船「千年鳥」のオーナー兼船長ブロブとの友情。部ロブは、放射性物質のゆるやかな核分裂作用によってエネルギーを得る生命体で、日本文化に傾倒し、茶の湯をたしなみ、畳にすわって富士山を描いた掛軸の下の、水盤に生けられた百合と石をみて瞑想することをアレックスに勧めるような通人でもあった…。
 どうです。読みたくなるでしょう。
 タイトルの「くたばれスネイクス」は野球のお話。野球の世界にひたってしまったホーカたち。それを聞きつけたサレン人の野球チーム「スネイクス」が銀河系シリーズの対戦相手としてホーカの「テディーズ」に対戦を求めてきた。このサレン人、トーカ星でかつて覇権を争ってきた知的は虫類原住民スリッシーそっくりである。これはただならぬ予感。そのアレックスの予感はもちろん的中。自らの職と命を賭けて戦う羽目に…。
 ということで、気楽に楽しくホーカたちと遊べるのであった。
(2008.03)

地球人のお荷物

地球人のお荷物
EARTHMAN’S BURDEN
ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスン
1957
 人類は宇宙に進出し、やがて世界連邦共和国としてひとつの地球を達成する。さらに汎生物連盟と連携し、宇宙航行種属の仲間入りをする。未開の異種族を教化し、引き上げることこそ人類の使命であった。惑星トーカには、第一次探検隊がかつて調査を行い、ほ乳類原住民ホーカと、は虫類原住民スリッシーが対立しながら知的生命体として存在していることが確認されていた。今、惑星トーカに星間調査部のアレグザンダー・ジョーンズが不時着した。そこで彼が見たものは、地球人がよく知るテディベアそっくりのホーカたちが、現実と空想の区別がつかないままに「地球のあること」に熱中してしまった姿であった。彼らは西部劇の主人公となり、ドン・ファンになり、宇宙パトロール隊になり、シャーロック・ホームズになり、その役柄に熱中し、なりきる。心から。本気で。間違いなく。アレグザンダー少尉は、やがて惑星トーカのホーカを宇宙種属に引き上げるための駐在全権大使として任命されてしまう。誰も、この「地球人のお荷物」を抱え込む気にはなれないのだ。
 かくして、ホーカ達が「まったく悪気なく」起こす数々の事件と、地球及び汎生物連盟のまか不思議な官僚主義の間で、アレグザンダーの悩みはつきることがないのであった。
 テディベアが、高度な知性を持っており、手先が器用だと思ってくれたまえ。
 しかも、現実と虚構の区別がつかず、すぐに「熱中」するのである。
 映画「スター・ウォーズ」なんて、決して、間違っても、見せてはいけない。
 アル・ゴアの「不都合な真実」もまずいかも知れないが、こちらは、ホーカが熱中するとは思えないから大丈夫だ。
 映画「羊たちの沈黙」なんて、危険だ。危なすぎる。
 映画「シカゴ」は、間違いなく熱中するに違いない。怖い怖い。
 そういうことだから、楽しんで読んで欲しい。
 僕は15歳の冬に買って、これを読んだ記憶がある。高校1年の時だ。もっとこういうのをたくさん読んでいれば、もうすこしくだけた人格になれたかもしれない。そう思っていま、できるだけたくさんこういう作品を読もうと思っている。
 ちなみに2006年に再版されている。いいことである。
 個人的には、新井苑子さんによるかつてのとぼけた感じの表紙が気に入っていたので、機会があれば、表紙だけでも見つけてみて欲しい。
(2008.02.29)

百万年の船

百万年の船
THE BOAT OF A MILLION YEARS
ポール・アンダースン
1989
 紀元前310年、フェニキア人ハンノの登場で物語の幕が開かれる。ハンノは不死人であった。成年後、決して老化が進まず、少々の傷はすぐに治癒し、病気にはほとんどかかることがない。驚異の生命力をもった人間である。ふつうの両親から生まれ、育ったが、ただ彼は不死であった。もちろん、死なないということではない。腕を落とされたら再生はしないし、脳や心臓を貫かれたら、普通の人間のように即死する。老化をしない、免疫や治癒能力が高いだけの人間である。ハンノはもっともっと昔に生まれた。はるかはるか、人類の創世記から存在していた人間である。特別な人間ではない。人間である。
 このような存在は世界では希であるらしい。彼は生き、自らの存在理由を時に問い、結婚し、そして、怪しまれると別の場所に移動して生きた。彼の子孫に不死人は生まれることはなかった。
 中国大陸にも不死人がいた。シリアには、日本には不死人の女がいた。ヨーロッパの北部にも、アメリカ大陸にも、数はわずかだが、不死人はいた。
 時にすれ違い、時に諍い、時に愛し合いながらも、彼らは生き延びるために歴史の陰に隠れ続けていた。人種を偽り、身分を変え、自らにできることを果たしながら。あるものは死に、あるものは生き続けた。
 そして、世界は次第にせまくなり、二十世紀後半には世界はとても隠れにくい世界となりつつあった。彼らは普通人との関わりを再考しなければならなくなる、そんな時代がやってくるに違いなかった。
 キリスト教の台頭、ローマ帝国の崩壊、イスラム教の台頭、アメリカ「新大陸」の発見、ロシアの共産化、第一次世界大戦、大不況、第二次世界大戦…。人は移動し、争い、たくさんの死がある。これまで生きた人々のすべての死が、そこにはあった。その歴史の、死の、生の、喜びの、悲しみの間を生き続ける不死人たちの断片が語られながら、物語は進む。西暦19年、359年、641年、998年、1050年、1072年、1221年、1239年、1570年、1640年、1710年、1855年、1872年、1931年、1938年、1942年、1975年、そして、未来…。
 彼らは、そして人類はどこに行くのか。
 ポール・アンダースンの作風には、「ホーカ」シリーズや「タイムパトロール」シリーズのようにライトでスパイスの効いたものと、初期の「脳波」や「アーヴァタール」のような人類の変容を描いた作品や「タウ・ゼロ」のような本格的ハードSFもある。何でも書ける作家であるが、時間の中でのひとりひとりのドラマに焦点を当てることが多い。
 本書「百万年の船」は、まさしくポール・アンダースンらしい作品である。100万年とはいかないが、章立てで2000~3000年の歴史を少数の人間達が駆け抜けていく。ちなみに、「百万年の船」とは、本書冒頭に引用がされているがおそらく、エジプト王朝の「死者の書」後段に書かれている神が乗る船(神の寿命)を指しているのであろう。このあたりの歴史はくわしくないのでよくわからないが…。
 さて、不老不死を扱ったSFはあまたあるが、代表的なのはハインラインの「メトセラの子ら」や「愛に時間を」あたりであろうか。また、アジモフの銀河帝国シリーズがのちにロボットものと融合し、人間ではないが不死者としてのロボット「ダニール・オリヴォー」などもいる。ペリーローダンも不老不死だなあ。初巻しか読んでいないけれどリバーワールドシリーズ(フィリップ・ホセ・ファーマー)も不老不死だ。最近のSFでは、「ゴールデン・エイジ」(ジョン・C・ライト)などがわかりやすいが、ヴァーチャルな形での不老不死の獲得もある。ただしこちらは、器である人体や自己のありようそのものも変容さえていくので、人間としての不老不死とは少々異なるかも知れない。本書「百万年の船」のすごいところは、理由もなくごく少数がたまたま「不老不死」になって生まれてしまった、という点である。進化ではなく、突然変異としての不老不死なのだ。その点が本作品の特徴なのだろう。だからタイムトラベルをすることなく、同じ人物の視点で歴史を語ることができる。
 ところで、本書「百万年の船」は今回が初読である。だいたい歴史SFは苦手なのである。しかも3部作。ちょっと手を出せずにいたのだ。最後の最後に、未来が登場し、立派なSFになるのだが、やはり食わず嫌いはよくないということか。反省。
(2008.02.25)

反逆者の月2 帝国の遺産

反逆者の月2 帝国の遺産
THE ARMAGEDDON INGERITANCE
デイヴィッド・ウェーバー
1993
 のっけから前作のネタバレになるので恐縮だが、地球のアメリカの一少佐から地球総督にして帝国艦隊戦列艦ダハクの館長となったコリン・マッキンタイア先任大佐は、まもなく来たる銀河規模の生命殲滅侵略に対し、地球人類を守るため、地球人類の祖先である第四帝国の主力軍の力を借りるべく、人類が「月」として知っている戦列艦ダハクを前線基地に向かわせた。その間、地球では、人類社会の統合と防衛のためにこれまで秘されていた帝国技術による軍事化が進められていた。敵の偵察部隊であっても地球や太陽系ぐらいを破壊するのは豆腐をハンマーで叩きつぶすぐらい簡単なことである。コリンたちが助けを連れて戻ってくるまでなんとか地球を防衛したい。そのために地球を要塞化するのである。
 しかし!!!! 5万年の歳月は、帝国そのものを大きく変えるだけの時間でもあった。前線基地に人影はなく、さらに「帝国」ではなく「皇国」になっていたようである。一体何が起こったのか? そして、大侵略を防ぐ力を地球に連れて帰ることができるのか?
 コリンの、そして、地球に残された人々の闘いが、今、はじまる。
 どーん。
 やっぱりペリー・ローダンだよなあ。
 とにかく、ばかばかしくおかしい壮大なスペースオペラである。小惑星規模の戦艦は当たり前、それが数十ではなく、数百でもなく、数万、数百万オーダーで襲ってくるのだ。まあ、宇宙はどうなってしまうのやら、ってなもんだあ。
 軍事作戦大好きSFでもあり、大きいことはいいことだSFでもある。
 銀河帝国ですもの。
 さあ、三部作の最後はどうまとめるかな、楽しみ。
(2008.02.01)

スター・ゲート

スター・ゲート
STAR GATE
アンドレ・ノートン
1958
 惑星ゴースは、人類型のゴース人が自らの文明、文化を開き、暮らしていた。そこに、いつか宇宙船に乗った地球人がやってきて、彼らの高度な科学技術の一部を与えゴース人の世界を変えていった。地球人たちはゴース人から星貴族と呼ばれていたが、なかにはゴース人と結婚し、子をなす地球人もいた。物語は、ほとんどの星貴族が彼らが乗ってきた宇宙船で帰ってしまった直後に幕を開ける。地球人たちは、いくつもの人類居住型惑星にたどり着いていたが、あるとき異星文化、文明に、その異星人たちの科学技術よりも発展した技術などを導入することで社会を大きく変えてしまうことは罪悪であるという価値観が広がったのである。すでに社会が変質してしまい、地球人と共存していたゴース人たちにとっては途方に暮れるような事態が訪れた。
 ここに主人公のキンカーが登場する。彼は、田舎の荘園主の後継者であり、荘園主の祖父はすでに死の床にあった。キンカーの両親は早くに死に、祖父が生きている今はキンカーの叔父が事実上領地を仕切っていた。地球人がいなくなったあとのゴースは混乱し、戦乱が起きていた。その影響はキンカーの荘園にも訪れており、叔父は明らかに正当な後継者であるキンカーの権利を侵そうとしていた。死の床にあった祖父はキンカーを呼び出して告げる。「おまえは、地球人との間の混血である」と。もし、混乱期でなければ、それは問題にならなかったであろう。しかし、混乱した今、混血であるキンカーはその正当性を疑われ、領地内に混乱をもたらすかも知れない。叔父はそれを知って、キンカーと争ってでも領地を奪う気でいるらしい。キンカーは祖父の命により、争いを避けるため、伝説の秘石を引き継ぎ、彼の忠実な友である猛禽類のヴォークンと、使役獣であるシムとともに領地をひとり離れたのであった。行き先は、ゴースにわずかに残った地球人と混血たちにかけられた招集場所である。  残った地球人たちは、あまりにもゴースになじんでしまったため惑星を離れることはできず、しかし、このまま「この」ゴースに留まることもできないため、スター・ゲートを作って、パラレルワールドのゴースを目指すことにしたのであった。
 キンカーは、この星貴族たちと運命をともにすることにした。しかし、降り立った「次の」ゴースには大きな問題があったのである。
 タイトルは「星の門」なのであるが、舞台は「惑星ゴース」とそのパラレルワールドである。ジャンルとしては「平行宇宙」ものなのだが、ストーリーの背景には、混血が可能なほどの類似した人類型種属がいくつもの星系でそれぞれの文明・文化を生んでいることや、地球人が先進人類として異星人に影響を与えることの是非などが問われている。テーマとしては「異文化の出会いと文明導入による課題」であり、文化人類学的な課題である。
 とはいえ、話はジュブナイルみたいなものである。なんといっても作家はアンドレ・ノートンなのだ。少年少女たちをわくわくさせるのが趣味みたいな作家である。本書「スター・ゲート」は安心して読める少年の成長を描いたエンターテイメント作品である。
 表紙や挿絵は岡野玲子が書いている。それをみると、中世的ファンタジーという感じでもある。
(2008.1.31)