宇宙の小石

宇宙の小石
GALAXY OF THE LOST
アイザック・アシモフ
1950
 本書「宇宙の小石」は、アイザック・アシモフの未来史の中で、トランターものとして位置づけられている作品であり、銀河帝国=トランターの歴史としては最初期のものと位置づけられている。
「銀河帝国の興亡」(創元、ハヤカワでは原題通り「ファウンデーション」)シリーズは長く、続編が書かれることはなく、1880年代に入ってから、アシモフ自身によって続編やロボットシリーズとの融合が行われ、アシモフの死後、公式に新三部作がBのつく3人のSF作家によって書かれ、その際に、過去の作品群の矛盾を回避するための工夫がされていた。
 そういうこともあって、本書「宇宙の小石」もまた、銀河帝国の歴史の一こまとなっている。特に、主人公の1949年というはるか過去から来た男であり、仕立屋のご隠居ジョゼフ・シュワーツが、未来で開花させた能力である読心力と精神操作能力は、ファウンデーションのミュールやその後登場する能力者たちの先駆けとして位置づけられる。また、地球がかつて核戦争によって汚染されていたことなども「地球」をめぐる未来の物語の大きな鍵となっている。
 本書「宇宙の小石」を、独立した作品ではなく、ファウンデーションシリーズに位置づけて読むと、そういうところばかりに目がいってしまう。
 しかし、独立した作品として読むと、1949年、50年当時のSFの姿が見えてくる。  1949年から主人公の知るよしもない核関連実験によって遠い未来に飛ばされ、言葉も通じず、自暴自棄になって、未来の地球での科学実験材料になり、その結果、比類なき能力を発揮する。その未来の地球と地球人は、銀河帝国の中で差別され、厭われていた存在であった。あまねく広がり、2億の有人惑星と約50万兆人の人口を持つ銀河帝国にあって、唯一放射線に汚染された惑星が地球であり、地球人は他の銀河帝国人とは混血することはできない亜人間だと思われていた。もちろん、地球が人類発祥の地であるという説は異端であり、主流は惑星ごとに汎発生した結果であるとされていた。地球人は、銀河帝国と帝国群の支配のもとで、わずか2千万人の人口を維持するのも容易ではない状態であった。人口を維持するために、60歳になったら人々は死ななければならない。地球人の寿命は60歳であったのだ。それは、銀河帝国では考えられないことであったが、地球の常識であった。地球政府の総理大臣は地球こそが人類の発祥であるという古代教団の大僧正であり、銀河帝国の支配から逃れるための秘策を考えていた。
 ひょんなことから、過去からやってきたシュワーツは、未来の地球が核戦争の結果衰退し、地球人の誇りすら失われていることを知る。
 異端の人類地球発祥説を唱える銀河帝国の科学者と地球人の利発な娘の恋や、銀河帝国政治家と地球の政治家たちの丁々発止のやりとりを目の当たりにしながら、シュワーツは、銀河帝国と地球の未来に関わる大きな決断をする。
 そう、彼は懐かしき1949年に帰ることができないのだから、未来を選択するしかないのである。
 核戦争の恐怖、宗教的な偏った思想が政治力を持つときに現われる凶器、無知と偏見による差別と迫害など、当時のアメリカや世界の政治状況、軍事状況を色濃く反映した作品である。
 アシモフはほとんど政治的な発言をしなかったし、本書も「政治色」はない。しかし、時代背景が第二次世界大戦の終わった安心感よりも、次の戦争への不安感に満ちていたことを感じる作品となっている。軽い絶望といってもいいかもしれない。
 そして、絶望で終わらないのがアシモフである。必ず最後に、ちょっと楽天的な落ちをつけて読者を安心させる。
 アイディアよりも、むしろアシモフのこういった楽天的なところが長く人気を博していた理由かも知れない。
 とりわけ、初期の作品群は読んでいてほっとするところがある。まだ、アシモフが若かったからかも知れないが。
ところで、本書「宇宙の小石」は創元推理文庫SFとして1972年に邦訳出版され、手元には1976年の第9版がある。表紙は司修氏による赤い背景にロケットが飛んでいるイラストであった。その後、新装版としてイラストも現代風になり出版されている。また絶版になっているようだが。
(2007.05.11)

焦熱期

焦熱期
FIRE TIME
ポール・アンダースン
1974
 遠い未来、地球人類は他の惑星に移住していた。異星種属ナクサ星人が入植しているムンドマル星では、地球人がナクサ星人入植地以外に入植することで棲み分けしていたが、やがて地球人とムンドマル星のナクサ人との間に戦争が起こり、それまで良好な交易関係を続けてきた地球とナクサ星はムンドマル星をはさんで戦争状態にあった。
 人類は好戦的であるばかりではない。
 アヌ、ベル、エアと3つの太陽によって複雑な軌道を描く惑星イシュタルでは、地球人は長きにわたってイシュタル人の異星文明調査を続け、地球人のコロニーを形成していた。
 イシュタル星は地球とよく似ており、おおむね人類が生存に適する星である。イシュタル人も人類によく似ており、違いは2腕4足のケンタウロス型であるということである。イシュタル人は、植物や昆虫と共生関係にあり、そのたてがみや体毛は植物からできている。その共生関係のせいか、イシュタル人は社会的に64歳で成人し、300~500歳と長命である。それは、イシュタル星の特異な気候変動がもたらした独特の生態系に由来するのかも知れない。1000年に一度、3つのうちのひとつの太陽アヌがイシュタルに近づくのである。焦熱期が訪れ、干ばつと気候変動によって多くの個体が死に、イシュタル人の文明が崩壊する。それゆえにイシュタルでは科学文明が長期に発展してこなかったのかも知れない。そして、今、新たな焦熱期が近づきつつあり、本来無益な争いを避けるイシュタル人たちの生き残りをかけた闘争がはじまっていた。
 イシュタルの人類は、統括領と呼ばれるイシュタルでもっとも文明的な地域と人々とその文明を守ろうと手を貸すことを決意していた。そこに、地球の宇宙軍がナクサ星との戦争の一拠点としてイシュタル星に基地を建設するとやってきて、イシュタルの地球人の資材を徴発してしまった。  地球人とイシュタルの人類、統括領のイシュタル人と統括領を落とそうとする蛮族の戦い、そして、宇宙規模の戦い…。
 そんななかで描き出される人間・イシュタル人の物語…。
 そして、もうひとつ、イシュタル星に潜んでいた古代文明の跡…。
 ポール・アンダースンがハル・クレメントへのオマージュとして描いた異世界の生態系の物語である。
 ポール・アンダースンは、本格的なSFも書けば、ファンタジー、ファンタジーを背景に置いたSFもうまく書ける器用な作家である。
 1000年に1度、焦熱期が来て生態系と文明が大きな変動を迎える星…。
 1度夜を迎える惑星のお話であるアイザック・アシモフの「夜来る」(1941)を彷彿とさせる設定。
 作者が書いているようにハル・クレメントの「重力の使命」(1954)を彷彿とさせる、魅力あるイシュタル人。
 ファンタジーでおなじみの半人半馬型のイシュタル人が、「三国志」ばりの陸戦、海戦を繰り広げ、さらには、イシュタル人の独特の共生体とエコロジーに加え、古代異星文明、宇宙戦争、戦争と平和、さらには愛と性まで加わってもうなにがなにやらの詰め込みようである。
 脂がのっているとも言えるし、もったいないとも言える。
 これだけの内容を1冊に詰め込みながらも、読みにくくないようにストーリー立てはシンプルであり、読みづらいことはない。
 登場してくるガジェットが少々古くさいが、1974年の作品であり翻訳も1983年ということでそのあたりは頭の中で現代風に翻訳して読めばよい。それ以外は、今でも楽しく読める作品である。
 絶版なのがちょっと残念。
(2007.05.09)

メテラーゼの邪神

メテラーゼの邪神
MONSTER OF METELAZE
グレゴリイ・カーン
1973
「異次元の陥穽」「サーガンの奴隷船」に続く、キャプテン・ケネディ・シリーズの第三弾。作者はグレゴリイ・カーンことE・C・タブ。
 2巻では早々に主要登場人物であるケネディの3人のクルーが登場しなかったためちょっと不安であったが、幸い3巻では3人とも再登場し、それぞれの特質を活かしてケネディを助けていく。
 今回の舞台は惑星メテラーゼ。独裁者と異質な新興宗教で社会不安が巻き起こっていた。独裁者は議会を事実上制圧し、人民を動員して何か特殊な設備を惑星中に張り巡らせようとしていた。一方新興宗教の指導者は、これまた古代超文明の影響を受けたような信仰で人々を虜にしている。この非科学的、非民主的な状況に、惑星メテラーゼを版図に持つ地球政府と地球軍は、キャプテン・ケネディらによる特殊工作を命じた。
 他の惑星や宇宙政治に影響を与える前に、独裁政治を崩壊させ、同時に新興宗教を収めようという作戦で、ケネディとそのクルーたちがメテラーゼに乗り込み、スパイ工作を行うのであった。
 惑星メテラーゼは、まるで大戦前夜のナチスドイツのような状況であった。
 しかし、その陰には、やはり古代超文明の科学力の陰があり、ケネディは、独裁者の背後にいる真の命令者の存在を見つけたのであった。
 それは…。
 ということで、宇宙スパイ大作戦である。
 このあと、2作品が翻訳されたし、アメリカではシリーズが合計17作品あるというが、私の力はここで尽きるのであった。
 ひとつの時代を物語る、スペースオペラである。
 ただ、タイトルの「異次元の陥穽」「サーガンの奴隷船」「メテラーゼの邪神」というのは、とても頭にこびりついていて、いまだに時折、口について出ることがある。このタイトルのコピーのよさは、翻訳の小隅黎氏の本領発揮というところであろうか。
(2007.04.21)

サーガンの奴隷船

サーガンの奴隷船
SLAVE SHIP FROM SERGAN
グレゴリイ・カーン
1973
「異次元の陥穽」につづく、グレゴリイ・カーンことE・C・タブによるキャプテン・ケネディ・シリーズ第二弾である。今回は、肝心要のケネディクルーが出てこない。キャプテン・ケネディの単独行であり、数人のエージェントと地球軍の司令ぐらいのものである。
 さて、今回は最初に敵の正体が明かされる。辺境の星系、父親からもっとも過酷な惑星を相続した末の弟がその星の王として、参謀に耳を傾ける。王はとさかのある恐竜のような男であり、参謀は狡猾な猫のような男であった。
 その惑星には、装飾品としても、メモリーバンクとしても最高級の宝石チョムバイトが眠っていた。あとは、掘削機械と技術者と労働者が必要なだけである。そして、亡き父と兄たちへの恨みと欲に固まった王と、密かに真の欲望を持つ参謀の悪巧みが始まった。
 小さな自主的な鉱山惑星が襲撃され、人々が消える。
 完全に管理されているはずのチョムバイトが裏市場で出回る。
 そのあやしくも銀河社会に多大な経済的混乱を招く不穏な自体に、キャップ・ケネディが単独調査に乗り込んだ。
 どーん。
 おいおい、2作目で、主要登場人物はお休みですか。
 ケネディは強い、そして、苦しむ、しかも自力で戦う。
 えらい!
 覚えているのだが、このころ、この手のスペースオペラにはまりながらも、このシリーズの続編を買うかどうか、このあたりで迷い始めたのであった。
(2007.04.21)

異次元の陥穽

異次元の陥穽
GALAXY OF THE LOST
グレゴリイ・カーン
1973
 グレゴリイ・カーンことイギリス人SF作家E・C・タブによる、キャプテン・ケネディ・シリーズ第一弾である。万能の地球人キャップ・ケネディと、繊細なエンジニアの指と高重力惑星で生まれ育った万力の体格を持つサラトフ、天才的科学分析力を持つルーデン、透明化の特殊能力を持つパイロットケミルの4人が地球勢力と宿敵デルタン勢力との緊張が高まる中に起こる事件を解決する。第一巻は顔見せを兼ねながら、この世界とキャプテン・ケネディとゆかいな仲間たちの紹介だ。
 地球勢力圏の辺境エリアで次々と輸送船が救難信号だけを残して消えていった。後には、宇宙船の破片もなんの痕跡も残していない。宇宙海賊の仕業とも疑われたが、その手並みの良さは尋常ではない。
 伝説の古代文明種属の科学力の残存によるものか? キャプテン・ケネディは次にねらわれそうな輸送船に身分を偽って搭乗し、その身の危険を冒して事件の解決に乗り出した。
 そこには驚くべき謎が。
 そして、ケネディの知恵と勇気とど根性、クルーの機転で危機を脱出、無事事件は解決するのであった。しかし、多くの謎を残したまま…。
 ということで、アメリカン・コミックばりの4人の特殊技能クルーによるスペース活劇である。あとがきによれば、かのペリー・ローダンシリーズがアメリカで英訳され人気を博したことに出版社がアメリカらしいSFヒーローの復活を求めた結果登場したらしい。そして、作者名は秘したままシリーズは重ねられたが、後に、E・C・タブであることが判明し、イギリス人SF作家であったことにさらなる驚きを招いたらしい。
 ということで、今や絶版のキャプテン・ケネディの紹介と相成った。
(2007.04.20)

大宇宙を継ぐ者

大宇宙を継ぐ者
PERRY RHODAN 1 / UNTERNEHMEN STARDUST / DIE DRITTE MACHT
K・H・シェール、クラーク・ダールトン
1961
 宇宙英雄ローダン・シリーズ第一弾は、ドイツで1961年にスタートし、日本では松谷健二の訳によって1971年に出版がスタートした。私がペリー・ローダンシリーズに出会ったのは中学生の終わり際で、友人が自宅に置いていたペリー・ローダンシリーズを親に捨てられそうになったためしばらく預かってほしいと持ってきたのがきっかけである。当時はまだ1巻からそろえることが可能な時期であった。最初のうちは背表紙が当時のハヤカワSF文庫と同じ白背であったが、ちょうど私が出会い始めた頃に、背に色がつけられるようになった。
 友人から借りたのがたしか20巻ぐらいで、私もその後15巻程度を買ったと記憶している。その後は、時々買ったり、立ち読みしていたが、読んでいたのは主に松谷氏の後書きであったのを記憶している。
 なにせ、日本の訳者はひとり、一方、ドイツでは多くの作者が連作し、次々と書かれている。決して追いつかない作品といわれたが、松谷健二氏にとっては、亡くなるまでのライフワークとなってしまった。今も、お弟子さんなどによる翻訳が続けられている。
 そして、今も、ペリー・ローダンシリーズは新たに発刊され続けており、ドイツでは本編が2300巻を超え、別シリーズ、外伝なども信じられない量が出ているらしい。
 日本では、2007年4月現在、334巻(つまり、668作目)までが翻訳されている。遠いなあ。
 さて、本書「大宇宙を継ぐ者」であるが、1971年、アメリカ宇宙軍のペリー・ローダン少佐ら4人が初の有人月ロケットに乗って月へ旅立つ。しかし、着陸直前になって月からの攻撃により不時着。当初は、敵国の月ロケットからの攻撃かと思われたが、それは、宇宙からのはるかに進んだ文明を持つ宇宙船による攻撃であった。アトラン人と名乗る彼らは、人類によく似た種属であるが、宇宙船が動けなくなり、月に滞在していたのである。その高度な科学技術を目の当たりにしたローダン少佐は、この技術が地球の一勢力に渡れば、西側、東側、アジア側による核戦争の危機にある地球上で、相互不信による終末戦争が起こると確信し、宇宙人の技術が一勢力に渡らないよう、そして、人類が宇宙に進出できるようにするため、地球のすべての勢力に対して、独立を宣言するのであった。
 かくして、ペリー・ローダンの地球、太陽系、そして銀河宇宙を超えての冒険と戦いの幕が開いた。
 そうか、最初の1巻2編は、本当に導入だけなんだ。ペリー・ローダンはまだ地球を平定していないし、不死にもなっていないし、月より遠くにもたどりついていないのか。
 ゆっくりしているのだなあ。
 と、本書「大宇宙を継ぐ者」と初期設定が似ている「反逆者の月」(デイヴィッド・ウェーバー、1991)のスピード感あふれる作品を読んだ後に思うのだった。まったりとしたいい時代だったなあ。
 今のペリー・ローダンシリーズって、どんなスピード感なのだろう。
 手元にはこの1巻しかないが、実家には15巻ぐらいまではあったはずだ。今度取り寄せて読んでみようっと。
(2007.04.09)

反逆者の月

反逆者の月
MUTINEER’S MOON
デイヴィッド・ウェーバー
1991
 いまだ未読ではあるのだが、「紅の勇者・オナー・ハリントン」シリーズの作者デイヴィッド・ウェーバーによる単独処女長編が本書「反逆者の月」である。オナー・ハリントンシリーズの方が有名でたくさん執筆されている。たしかに、ハヤカワの背表紙には見覚えがある。読んでいないのは、なんとなく、であるのと、シリーズものに手を出すのにちょっと躊躇したからでもある。女性作家によるミリタリーSFであるマイルズ・ヴォルコシガンシリーズには違和感がないのだが、男性作家によるミリタリーSF、しかもシリーズものということで、食わず嫌いでいた。
 その作者の作品が新訳されたのだが、3作ということと、「月が実は巨大な宇宙船だった」という設定に惹かれてついつい買ってしまった。というか、実は同時期にハヤカワから出たジョン・スコルジーの「老人と宇宙」を買おうと思っていて、間違えちゃったんだが。
 とにかく、食わず嫌いを直すには、突然食べてみるのがよい。
 時代は2040年頃、舞台は月、そして地球。主人公はNASAのエース・パイロットであるコリン・マッキンタイア少佐。月での単独調査飛行を行っているときに、未確認飛行物体との接近遭遇を体験。そして、彼は月が実は巨大な宇宙船であることを知らされ、大いなる使命を与えられた。
 この銀河には、強大な帝国があり、地球の月はその帝国軍の主力戦闘調査宇宙戦艦が偽装したものであったのだ。5万年前に起きた乗員の反乱によって、宇宙戦艦は地球軌道上から動くことができなくなっていた。しかし、宇宙戦艦は死んだわけではなく、その能力を保っていたのだ。帝国の真の敵は、銀河系の生命を定期的に殺戮するために訪れるアチュルタニと呼ばれる伝説の存在である。アチュルタニがどんな存在で、どのような兵器をもって銀河の生命体を滅ぼすのかは帝国にも分かっていない。しかし、帝国や銀河の生命体は幾度も壊滅の危機を迎えていた。
 そして、今、再びアチュルタニがこの銀河系に侵入したらしい。
 地球も数年後にはアチュルタニの侵略を受けるであろう。
 しかし、いまだ地球はいくつかの勢力に分かれて争いを続け、テロは終わることを知らない。
 この銀河的危機の前に、コリン・マッキンタイアの活躍がはじまる!
 おっとお、これはペリー・ローダン少佐じゃないのか?
 ドイツの連作スペースオペラ「ペリー・ローダン」シリーズは、アメリカ宇宙軍のペリー・ローダン少佐ら4人が月への初有人ロケットに搭乗し、月にたどり着く寸前に未知の攻撃を受けて不時着。地球の敵国からの攻撃と思われたが、実は人類より遙かに進んだ宇宙種属の不時着した宇宙船からの攻撃であった。ペリー・ローダンは、彼らと接触し、その高い技術力が、核戦争の危機にある地球に大きな影響をもたらすことに気づく。そして、地球の統一と宇宙時代の幕開けによる人類の発展に向けて単独の戦いをはじめるのである。
 似てる。構図が似てる。
 しかし、「反逆者の月」とペリーローダンが似ているのはここまでだろう。
 なんといっても、月が宇宙戦艦なのである。
 しかも、人類の成り立ちにも大きな秘密が!
 人類の歴史にも!
 やあやあ、なんとなく、SFというよりもUFOもののエセ科学ストーリーや、「人類は宇宙人がつくった」とか、「人類の歴史の陰には宇宙人の策謀が」みたいなストーリーを思わせる展開だが、それをSFとして読ませ、ミリタリーSFファンを喜ばせる筆力が、デイヴィッド・ウェーバーにはある。
 やりたい放題であるが、月が宇宙戦艦だって言われたら、あとのことはなんとなく納得させられるからしょうがない。大きなホラの前には、小さな違和感が違和感にならないのだ。だから本書「反逆者の月」はおもしろい。
 さて、ところで、あと2作あるらしいが、どうなるだろう。
 楽しみだなあ。
 っと、ペリー・ローダンも読まなきゃ。
(2007.04.09)

老人と宇宙

老人と宇宙
OLD MAN’S WAR
ジョン・スコルジー
2005
 21世紀の戦争SFがやってきた。
「宇宙の戦士」(ロバート・A・ハインライン 1959)、「宇宙兵ブルース」(ハリイ・ハリスン 1965)、「終わりなき戦い」(ジョー・ホールドマン 1974)、「エンダーのゲーム」(オースン・スコット・カード 1977,1985)
 いずれも、代表的な戦争SFであり、新兵の成長を通じて宇宙の戦争の姿を描き出す名作ばかりである。そもそもは、ハインラインの「宇宙の戦士」によってこのカテゴリーが築かれ、それを、ハリイ・ハリスンがみごとにパロディ化して「宇宙兵ブルース」をしたためた。その後、第二次世界大戦よりもベトナム戦争に影響を受けたであろう「終わりなき戦い」や「エンダーのゲーム」を生み出すこととなる。
 そして、21世紀。911以前に主なプロットは書き上げられていたという、ブログ発のSF「老人と宇宙」が登場する。著者も表明しているように「宇宙の戦士」の21世紀版である。というよりも、老人版というべきか。
 宇宙に進出した人類は、宇宙がすでに多くの異星種族によって支配され、激しい紛争が続いていることを知る。人類もコロニー連合をつくり、植民を開始した。しかし、それは、人類もコロニー獲得と人類と他の異星種族との椅子とりゲームに参加したことでもある。
 コロニー連合は、人口過剰な貧困国から植民者を受け付けた。条件は一方通行。つまり、二度と地球に帰ることはできない。それでも、貧困国にとってみれば口減らしができるのだから否応もない。
 そして、もうひとつコロニー連合が、地球に求めたことがある。
 それが、コロニー防衛軍への志願兵である。
 地球はコロニー連合によって封鎖状態に置かれており、地球人はコロニー連合が異星種族との競合の中で得た高度な宇宙技術によって宇宙から閉め出されていた。
 今、宇宙やコロニー連合がどうなっているか、地球人たちには知るよしもない。
 地球は停滞していたのだ。
 そんななかで、すべての人に宇宙への機会が与えられていた。
 それこそが、コロニー防衛軍への志願である。
 コロニー防衛軍の志願死角はただひとつ。75歳以上であること。健康状態不問、本人の意志で志願すれば、75歳の誕生日に入隊することができる。登録の受け付けは65歳からだが、75歳になり自ら申し込めばそれだけで入隊完了。もちろん、本人が入隊手続きまでに辞退すれば、それはそれで認められる。特に罰則もない。ただし、入隊手続きは生涯1度だけしか認められない。1度辞退すれば、2度目はない。
 コロニー防衛軍に入隊すれば、地球人としては当該政府の市民権がなくなり、死亡したとしてすべての保険なども含む財産は、死者と同様に相続等の処分がなされる。コロニーの植民者同様、地球に帰ることはできない片道切符となる。兵役は2年だが、最長10年とされている。人生経験を積んだ大人ならば誰でも分かる。10年の兵役が予定されているということを。
 しかし、それでも、75歳以上の志願兵は後を絶たない。なぜならば、「戦闘即応性の向上のために防衛軍が必要とみなす、あらゆる内科的、外科的、治療的療法および処置を受け入れる」という項目があるから。75歳以上の人間にとって残る人生は数えるほどしかない。この時代になっても90歳を超えて生きるのは容易ではない。地球では得られない技術によって宇宙の苛酷な条件でも軍人として戦えるほどの治療が施されるのである。もちろん、誰も実例を見た者はいない。なぜならば、地球はコロニー連合から隔離されているから。地球上にはコロニー連合の市民やコロニー防衛軍の軍人はひとりもおらず、エージェントがいるだけである。彼らは、国連や各国政府から認められてリクルート活動を行う。少しあやしいが、宇宙にいるコロニー連合や異星種族の持つ高い技術力は地球人は誰でも知っている。だから、75歳以上の人たちは思うのだ。賭けてみよう、と。どうせ、そのままでも数年から十数年で死ぬのだから、と。
 ジョン・ペリーの最愛の妻は8年前に死んだ。そして、75歳の誕生日を迎えた。生前、妻とともにコロニー防衛軍の説明を聞き、事前登録を済ませていた。だから、ペリーは、コロニー防衛軍に入隊した。ほかに思い残すことはなかったから。
 そして、ジョン・ペリーは、二等兵として宇宙に跋扈する地球人よりもはるかに優れた技術やまったく異なる宗教、文化、社会、生理、生態を持つ異星種族たちと闘うことになる。なぜ闘うのか、それは命令を受けたからである。二等兵は、なぜ、を考えてはいけない。それを考えるのはもっと上のものだから。闘うこと、従うこと、そして、生き残ること。少しでも気を抜いたりすれば、せっかく長らえた命を無駄に散らすことになるのだから。
 本書「老人と宇宙」は、75歳という設定を除けば、「宇宙の戦士」そのものである。しかし、75歳なのである。私にはまだ30年以上もある存在である。もしかしたら耄碌したり、身体が動かなかったりするかも知れないが、間違いなく75年分の経験を積んだ存在である。
 頭の回転や記憶や体力はともかくとして、75年分の経験を存分に活かすことができれば、それはすごいことになるだろう。老齢にして健啖な政治家を見ればいい。その知略は、経験がものを言う。40代、50代ではできないことができるようになるのだ。
 ということで、おもしろい。
 いやあ久しぶりに一気読みしてしまった。
 入隊条件75歳以上で、老人を主人公にするだけでこれほどおもしろくなるとは。ハリイ・ハリスン真っ青である。しかもパロディ作品ではなく、正統なミリタリーSFであり、「宇宙の戦士」の直系後継者である。
 恐れ入りました。
 そうそう、老齢での変化といえば、ニーヴンの「プロテクター」なんていうのもあるが、そっち方面ではないのでご安心を。
(2007.04.02)

銀河パトロール隊

銀河パトロール隊
GALACTIC PATROL
E・E・スミス
1937(1950)
 レンズマン。その言葉の響きは、ウルトラマンやウルトラセブン、マグマ大使、キャプテンウルトラ、仮面ライダー、鉄腕アトムや宇宙戦艦ヤマトを何よりも楽しみにしていた少年にとって、名前だけでもどきどきするフレーズであった。
 私が最初にSFと出会ったのは、おそらく「ぽんこつロボット」(古田足日)で、その後、「宇宙ねこの火星たんけん」(ルースブン・トッド)あたりだと思う。その後、田舎の城跡公園の中にあった小さな公立図書館や古い小学校の図書室で岩崎書店やあかね書房、ポプラ社、講談社などのジュブナイルを読みあさり、SFに耽溺していった。
 このときに、レンズマンシリーズには出会っている。ただ、「三惑星連合軍」と、レンズマンシリーズのストーリーがごちゃごちゃになっており、何種類かあったが、何となく似ているけれど違うストーリーであった。それでも、探し回っては読んでいたのだから、レンズマンの語は心にしっかりと刻み込まれていた。
 そして、小学校5年生の時に転機が訪れる。はじめて文庫本という存在を知ったのだ。大人向けの文庫本というジャンルに、SFがあるではないか。しかもたくさん。そのことを知ったときには興奮で眠れなかったほどだ。
 そうして、親に頼んで注文してもらったのが、本書「銀河パトロール隊」にはじまるレンズマン・シリーズである。当時は、「三惑星連合軍」までしか出ておらず、シリーズ6冊であった。田舎の本屋には在庫はほとんどなく、この6冊が2回か3回に分けて、順番ももばらばらに届いたことを覚えている。そう、我が家まで本屋が本を届けてくれていた時代である。古いなあ。届く度に、その間のストーリーに思いをめぐらせながらも間が届くのを待ちきれずに読んでいた。墓場に面した2階の自分の部屋で繰り返し読んでいた。全巻揃ったときには、朝まで一気読みをして翌朝辛かったことを覚えている。
 そういえばこの頃から、授業中に寝て、夜更かしをするようになったなあ。その癖は、大学を卒業するまで抜けなかった。今でも明け方まで本を読んでいることがある。
 最初に読書で徹夜したのも、このシリーズだった。
 もし、小学生のうちにこのシリーズを読むことがなかったら、これほどまでにSF漬けの人生にはならなかったであろう。
 当時の私は今よりももっと馬鹿だから、なぜか知らないが表紙をはがしてノートに貼りつけたりしており、最初期に購入した文庫本に表紙は残っていない。そして、よせばいいのに、内表紙にSFの購入通し番号を振ろうとしていた形跡がある。ちなみに、本書「銀河パトロール隊」は栄えある1番が万年筆によって振られている。もちろん、本はぼろぼろ、手あかと染みのついたおどろおどろしい紙の束になっている。
 1966年5月に、小西宏訳によって完訳された創元版は、その後確実に版を重ね、私の手元にある1976年版は29版となっている。また、2002年には、小隅黎訳による新訳シリーズとして同じ創元より発行されている。このほかにも、シリーズ1巻の「銀河パトロール隊」は、ハヤカワで井上一夫、角川で小笠原豊樹訳があるという。
 私は、小西訳のシリーズを何度となく読み返している。おそらく10回はくだらないのではないだろうか。馬鹿である。
 実は、4年ほど前にも1度全シリーズを小西訳で読み返していた。そのときには、感想を書き連ねる「行」を自分に課していなかったのだが、その後、何を思ったか、この海外SF感想を書くようになってしまった。読み返したばかりだったので、なかなか手が伸びない。そこで、小隅黎訳の新シリーズを読むことにした。
 やはりいい。レンズマン。どっちの訳も好きです。
 キムボール・キニスン、レンズマン候補生学校をかつてない成績で首席卒業し、レンズマンになったばかりのルーキーである。
 レンズマンが身につけるレンズとは、誰も姿を見たことのないアリシア人により与えられるもので、人類や宇宙の宇宙の通常の知性体の理解が及ばない物質でできており、身につけたものが生きている限り輝き続けるが、死んだり、別の者が着用しようとすると完全に分解し、着用しようとした者を殺してしまう存在である。認識票であり、レンズマン同士が思念で通信を送る、どんな言語も自動翻訳するなど「思考」に関わる存在でもある。
 アリシア人にレンズをレンズを与えられたものは、人類、非人類に関わらず銀河社会の正義と公正の執行者である銀河パトロール隊の中心的存在として宇宙海賊や麻薬商人たちと闘うのである。
 宇宙は広い。しかし、無慣性航法(自由航行)によって光速の壁は簡単に超え、銀河中を飛び回ることができる。しかし、自由航行ができるのは銀河パトロール隊だけではない。謎の宇宙海賊ボスコーンもまた、強大な軍事力を持ち、銀河社会を脅かしていた。
 そして、今、ボスコーンは銀河パトロール隊をしのぐ力を持ち、銀河社会の宇宙貿易は壊滅の危機にあった。キムボール・キニスンは特命を受け、ボスコーンの宇宙海賊船の力の秘密を解き明かすために、新造戦艦ブリタニア号を発進させた。
 謎が謎を呼ぶ強大な敵、キニスンが遭遇する苛酷で奇妙な惑星と、そこに住む異星人の特徴ある姿や行動は、スペースオペラならでは。さらには、光年単位で行われる激烈な宇宙戦、敵の基地に単身乗り込み活躍するキニスンの知略、そして、大河小説につきものの美しく力強い美女。主人公のキニスンも、ただ頭がよく、力が強く、かっこいいだけではない。あるときは、命からがら脱出し、入院先では暴れ回り、人間くささを見せつける。
 だからこそ、彼が単身、命がけで銀河社会のために、無謀とも思える作戦を展開するときに、読者はキニスンに肩入れをすることになる。
 永遠のヒーロー。
 あら探しをする小説ではない。1930年代に、銀河を駆け回ることができたのだ。
 その想像の羽に感謝である。
 ちなみに、80年代に日本ではアニメ化されているらしい(見てない)が、どうして、ハリウッドが映画化しないのだろう? シリーズ後半の思念戦などもあるから、映像化しにくいのかなあ。「指輪物語」も映画化したことだし、そろそろ誰か挑戦しないかなあ。
 このシリーズばかりは、ぜひハリウッドで、監督にも俳優にもCGにも巨額を投じて無茶苦茶やってくださいな。
 QX?
(2007.04.01)

アイアン・サンライズ

アイアン・サンライズ
IRON SUNRISE
チャールズ・ストロス
2004
 人類文明からシンギュラリティ(特異点)を迎え、エシャトンが誕生した。生みだした人類には計り知れない知性を持つ存在エシャトンは、人類の存在する宇宙で時間・空間を超えて自らの目的を持った作為を行う。シンギュラリティを迎えたとき100億人いた人類の90億人は、時空を超えた宇宙の荒っぽいテラフォーミングされた世界にばらばらに放逐された。そして、姿なきエシャトンの統べる世界で、それぞれに独自の世界を作り、やがて地球の人類と再び遭遇した。人類はエシャトンによって短い期間で宇宙の多くに存在する生命体となっていたのだ。
 前作「シンギュラリティ・スカイ」では、多くの人類世界の中でも超保守・封建的な世界が軍事的な暴走をはじめ、それを主人公・地球国際連合多星間軍縮常設委員会の特別査察官・大使館づき武官のレイチェル・マンスール大佐がなんとか解決しようとするアクションハードSFである。さらに、もうひとり、誰かの指揮の下に動いているとみられるマーティン・スプリングフィールド技師とレイチェルの不思議な恋愛ストーリーでもあった。
 本作「アイアン・サンライズ」は、レイチェルとマーティンの時間軸で前作「シンギュラリティ・スカイ」の直後に幕を開ける。レイチェルが前作で使った多額の費用が違法ではないかという監査が入ってしまったのだ。
 ということで、続編のような趣だが、独立した作品でもある。
 何人かの主要登場人物の中で、主人公と言えるのは、ウェンズディこと、16歳のちょっと切れ気味な女の子。黒ずくめ、無造作な黒髪、青白い顔、親も学校も退屈も嫌いな独立独歩が信条。いじめられても、嫌われても、親に文句を言われても、自分がやりたいことをやる。ま、協調性っていうのはゼロだけど。
 4年前に惑星モスコウの太陽が突然暴発し、モスコウは一瞬にして崩壊。4光年先のコロニーにもその衝撃波面が近づきつつあった。ウェンズディが育ったコロニーは全員が避難を開始。ところが、ウェンズディはとんでもないトラブルに巻き込まれてしまう。
 そのトラブルは、人類世界の新たな脅威のはじまりでもあった。
 太陽の中心部に鉄のコアが人工的に作り出され、それにより太陽が暴発する。その科学的な表現と、それによって起こる星系の崩壊、人類の受難。
 その筆力と想像力には舌を巻いてしまう。
 そこだけでもおもしろいのだが、ウェンズディやレイチェル、あるいは、フリーの戦争ブロガーやウェンズディにとっての「敵」であるリマスタードの変な社会など、その世界設定やキャラクターもおもしろい。さらに、ネズミ型の旅行チケットが案内役兼セールスマンとなって喋りまくるなど、小物にも凝っている。前作「シンギュラリティ・スカイ」では、ハードな宇宙アクションと唐突な専門用語で読む方も大変だったが、今作「アイアン・サンライズ」は、ウェンズディという少女が主人公ということもあってとても読みやすくなっている。
 とにかく、本書はおもしろい。おすすめ。
 それにしても、エシャトンという超知性体のいる存在は、読みようによっては顕在化した神の世界である。この神は、自分の都合を忘れない。エシャトンの禁忌を犯すものには、その世界を崩壊させるという罰さえも与えかねない。エシャトンが選び、エシャトンのために働いたものには、現世的な利得を与える。小さな奇跡である。エシャトンをたたえる必要はないが、エシャトンとともに宇宙に存在することは、エシャトンがいないよりもまあよい世界であることもある。難しい問題だが、エシャトンは人類を嫌ってはいない。むしろ、人類を助けている。それも、実はエシャトンの都合でもあるのだが。
 神が顕在化したハードSF。
 人工知性体の超越的存在化というのは、SFに神が宿る作品群を生み出すことになるのだろうか。
 そういえば、ヴァーナー・ヴィンジの「遠き神々の炎」「最果ての銀河船団」には超越的存在が出てくるし、「マイクロチップの魔術師」も特異点ものだなあ。「マイクロチップの魔術師」って1981年かあ。
 アーサー・C・クラークは、「高度に発達した科学は魔法と見わけがつかない」って言ってたけれど、特異点を迎えた存在は、神と区別できないのかなあ。
 あ、本書はエンターテイメント作品です。難しいこと考えずに、SFの醍醐味を味わえる楽しい作品。長くても、長さを感じさせません。
(2007.03.31)