リングワールドの玉座

リングワールドの玉座
THE RINGWORLD THRONE
ラリイ・ニーヴン
1996
ようやく文庫化された「リングワールドの玉座」を買って読む。「リングワールド」「リングワールドふたたび」に続く、ニーヴンのノウンスペース・シリーズ「リングワールド」の3冊目である。話は、「リングワールドふたたび」に続き、主人公も変わらずルイス・ウーである。
1冊目の「リングワールド」で、想像を絶する世界を提示したニーヴン。その後、「リングワールド」と「ノウンスペース・シリーズ」をめぐっては、世界中で様々な角度から論じられ、科学的欠陥の指摘も多くあった。それを解決したのが「リングワールドふたたび」である。
さて、前著でリングワールド最大の危機を脱した「リングワールド」だが、そのために選択した1兆の人々の犠牲の重みに、ルイス・ウーは押しつぶされていた。まあ、この人は、最初からずっと何かに押しつぶされていたような人なので、それほど同情的な感じではない。
今回リングワールドに押し寄せてきた危機は、外部の侵略者である。人類、クジン人などがリングワールドをめざして艦隊を出してきた。しかし、その先遣隊はことごとくリングワールドからの攻撃にさらされる。一体誰が攻撃しているのか?
一方、危機を脱したリングワールドの一部では、リングワールドに広く適応放散した人類種の末裔の一種属で知性を持たない「吸血鬼」が爆発的に増えつつあった。これに危機を感じた機械人種、草食巨人人種、農業人種、腐肉食人種、狩猟人種、水中人種などがこれまでにない協力関係を結び、吸血鬼人種との闘いを開始した。
てな感じなのだが、今回のキモは、人類種の適応放散の姿である。高い知性を持ちながらも夜に行動し、リングワールドの生態系の底辺を維持する腐肉食の人種にはじまり、川の上から高い山の上まで、さまざまな人類系統が見られる。「指輪物語」に出てくる様々な人間ではない者たちを彷彿とさせるファンタジーワールドである。
そのイメージの世界を楽しるならば、とてもおもしろい作品である。
(2006.06.21)

火星縦断

火星縦断
MARS CROSSING
ジェフリー・A・ランディス
2000
 レイ・ブラッドベリの「火星年代記」から半世紀余、20世紀最後の年、そして、ミレニアム最初の年に生まれた「火星」の物語である。
「火星年代記」のはじまりを覚えているだろうか? 1999年1月「ロケットの夏」がオハイオ州の冬にやってくる。宇宙に飛び立つロケットのもたらした一瞬の夏の華やかで、美しく、そこはかとなく哀しい、わずか1ページの物語。
 ずっと人は空を見つめ、赤い星を見上げ、何かを、できることならば自分を空に打ち上げて、あの赤い星にたどり着きたいと夢見ていた。今も、そんな「夢想家」たちが、夢を少しでも現実に近づけようとありとあらゆる手段を使って努力を続けている。
 本書「火星縦断」の作家、ジェフリー・A・ランディスもまた、そんなものたちのひとりである。SF作家であると同時に、「本職」はNASAの火星探査プロジェクトに携わる研究者・技術者である。同時代に生きる人間たちの中でも、ひときわ火星に焦がれているひとりだと言えよう。
 本書「火星縦断」には、そんなジェフリー・A・ランディスの火星への渇望と知識と夢があふれている。
 物語は2028年、火星の第三次探査隊6名が火星の南半球に降り立ったところではじまる。アメリカ人3名、カナダ人1名、ブラジル人1名、タイ人1名のチーム。第一次探査隊は、北極点に降り立ったブラジルの探査隊2名、第二次探査隊はアメリカを中心としたチーム、いずれも、火星に到着したが、探査そのものは不成功に終わり、全員が火星あるいは帰還途中に死亡。地球への帰還は果たせなかった。世界は不況のただなかにあり、アメリカ政府もまた凋落にあって、第三次探査隊は民間の力を借りてなんとか火星にたどり着いた。しかし、第三次探査隊を待っていたのも、失敗であった。地球への帰還のためには、北極点に降りたブラジルの帰還船を使うしかない。彼らが降り立ったのは、南半球である。限られた時間、限られた設備、限られた帰還船の定員という悪条件の中で、地球への帰還を果たすべく、彼らは火星を縦断する旅に出た。  簡単にまとめるとそういう物語である。火星人なし、異星文明なし、人工知能の反乱なし、地球からの援助なし、特別な解決方法なし、スーパーヒーローなし。現在の火星データと宇宙ミッションの実情を踏まえて、冷静に、冷徹に、物語は進む。ある者は途中で怪我をし、ある者は精神的におかしくなり、ある者は死ぬ。
 もうひとつの物語は、第三次探査隊クルーの人生の物語である。ひとりひとりのクルーに、秘められた過去があり、人に言えない秘密がある。ある者は火星そのものが目的であり、ある者は贖罪であり、ある者は鎮魂である。旅の間に、それぞれのクルーの過去のエピソードをはさみこむことで、長く辛い、そして単調な旅のすき間を埋めていく。まるで火星の砂のように。
 今分かっている火星像が、たっぷりと盛り込まれている。本書「火星縦断」で、クルーと一緒に火星を旅する気持ちになれるといいだろう。
ローカス賞受賞作品
(2006.06.15)

天の声

天の声
GLOS PANA
スタニスワフ・レム
1968
 1996年、トーマス・V・ウォーレン教授は、高名な数学者ピョートル・E・ホーガス教授の遺稿中から発見された未完成の原稿をまとめ、1冊の書とした。それが、本書「天の声」である。ホーガス教授も深く関わった、天の声(マスターズ・ヴォイス)計画については、膨大な文献があり、また、ホーガス教授についてもいくつもの伝記などがまとめられているが、本書は、ホーガス教授自らが、天の声計画のいきさつや加わった科学者らのうち主要な数人と、天の声計画が中止されるまでのいきさつを、ホーガス教授の視点から書きつづった「自伝」である。そもそも、天の声計画とはなんだったのか? 小熊座方向から届いたニュートリノによる信号の解読をめぐる計画である。それは、遠い異星人からのメッセージなのか、それとも、単なる偶然の産物なのか、そのメッセージにはどんな意味が隠されているのか? その言葉を理解することができるのか? そして、何かに役立てることができるのか? 戦後の冷戦下で、アメリカの古い核兵器実験施設に隔離された2500人の研究者らが、テープに記録された信号を解読するために働いていた。ホーガス教授は、その成果がほとんど見られないなかで、1年後に呼ばれ、計画の中心人物のひとりとして取り組むこととなった。
 宇宙からの顔の見えない「信号」とその「解読」、そして軍事目的を含めた「有効利用」の可能性はあるのか?
 同じテーマでは、本書から遅れること9年、ジョン・ヴァーリイの「へびつかい座ホットライン」がある。こちらはへびつかい座からのデータで、そのうちのいくつかを解読し、科学技術として有効に活用していたが、そこはそれ、「ソラリス」「砂漠の惑星」「エデン」のスタニスワフ・レムである。一筋縄ではいかない。
 たとえば、いったい「人工」と「自然」の区別はどうやってつけるのだ? と、レムは問いかける。
 たとえば、メッセージだとして、それが他の知的生命体にあてた「手紙」だということが言えるのか? と、レムは指摘する。
 そして、レムは言う。「何百万年も前から宇宙の深淵を満たしているものを秘匿し隠蔽しようとしているのだ。
 もしそれが狂気でなかったら、狂気など存在しないし、狂気と呼べるものが存在するはずがない」と、受ける側の人間たちの愚かさを言う。
 そして、レムは振り返る。第二次世界大戦中のナチスドイツで繰り広げられたユダヤ人虐殺について、それを実行した者たちにとっての「認識」と「疎外」を。
 レムは、コミュニケーションと認識、疎外について常に考えてきた。
 本書は、そんなレムの哲学、考え方、そこから見えてくる世界が比較的素直に著述されている。故に、本書は、未来予測に満ちており、また、SFの将来を暗示し、SFで取り上げられるべきテーマを次々と提示している。
 現実の世界は、コミュニケーションのあり方、認識と疎外によって成り立っている。SFもまた、多くの作品がコミュニケーションのあり方、認識と疎外について語るジャンルである。
 その意味で、本書はメタSFであると言ってもいい。
 さて、ロバート・シュルツによる黒を基調とした美しくシンプルな表紙は、今はなきサンリオSF文庫である。私の手元には、深見弾氏の訳になる1982年6月発行の「天の声」がある。定価480円。買ったのは、おそらくそれから1年後か2年後のことである。当時は読んでいないか流し読みをしただけではないかと思う。
 この頃のサンリオSF文庫は、誤植が多くあった。また、私にはよく分からないが、文章を読むと意味が通じない誤訳のようなものが多くあった。発行予定が発行予定通りではないというやきもきするような状況もあり、当時として価格は高めで悩ましいところであったが、いくつかの作品をえいやっという気持ちで買っていたように思う。しかし、買ったものの読んでいない本が多いのも事実で、何で買ってしまったのだろうと思う作品も多い。レムは好きな作家なので、おそらくは読んでいると思うのだが、本書についての記憶がない。しょうがないなあ。
 近年、レムの作品が国書刊行会から出版されている。レムについては亡くなられたこともあってか、復刊や新訳、初訳の作品も出ている。情報化、インターネットによってコミュニケーション手段が整ったがゆえに、同じ人間同士であっても「認識」と「疎外」の問題が深刻であること、つまりは、言葉が通じているようで通じていないとか、会話が成立しているようで実はまったく成立していないといったことが問題になってきた。こういうときこそ、レムの作品は貴重である。ぜひ読んで欲しい。
(2006.06.13)

星海の楽園

星海の楽園
HEAVEN’S REACH
デイヴィッド・ブリン
1998
「知性化シリーズ」としてはじまった「サンダイバー」「スタータイド・ライジング」「知性化戦争」に続く、「知性化の嵐」3部作を締めくくるのが、本書「星海の楽園」である。第四銀河系そのものが酸素呼吸種属に対して休閑されていたなか、惑星ジージョには、数千年に渡って次々と酸素呼吸種属たちが、同族から、あるいは敵種属から、あるいはそれぞれの目的のために逃げ、隠れて暮らしていた。謀略と同盟、陰謀と裏切りの渦巻き、その種属と知性化で成り立つ種属系列の存続と強大化をすべてに対して優先する銀河社会から逃れた彼らは、様々な紛争と憎しみを乗り越え、大いなる平和と休閑惑星の生態系に対する配慮に満ちたつつましい生活を是としていた。
 しかし、彼らはいつか銀河社会に見つかり、銀河社会による公平で冷酷な裁きがあることを心得ていた。そして、かつて先達の種属によって知性化された彼らが自ら知性を放棄していく道をたどることで、その祖先と自らの罪の贖罪を果たそうと考えていた。しかし、そんな彼らを突然襲ったのは、違法遺伝子略取者や横暴な軍船によっての蹂躙であった。彼らのねらいは、「スタータイド・ライジング」で登場した地球のネオ・ドルフィンによる探査船ストーリーカーであった。ストーリーカーが、銀河の辺境で発見した「秘密」を求めて、銀河列強がストーリーカーを目指す。そして、この発見が、緊張状況にあった銀河社会の崩壊を招こうとしていた。
 第二部「戦乱の大地」で惑星ジージョを脱出したストーリーカーは、惑星ジージョの種族の若い代表達を乗せて、惑星ジージョを守るべく敵艦を引き連れ星系と第四銀河系からの離脱を図る。果たして、この決死の試みは成功するのだろうか?
 一方、ネオ・チンプで最初の航法協会監視員となったハリー・ハームズは、5銀河系が変革の時を迎えていることを知る。5つの銀河系をつなぐ遷移点が混乱しはじめたのだ。
 銀河系全体が混乱と危機と死を迎える中で、これまでに登場してきた惑星ジージョの若い成員達、それぞれに違うきっかけで宇宙に出ることとなったジージョの3兄姉、ラーク、サラ、ドワー、ストーリーカーのクルー達が、危機の中で、知的生命体同士のつながりを知り、生きる道、死ぬ道を知り、選択を行っていく。
 あるものは、同族に道を指し示すものとして暮らす道を。
 あるものは、残された唯一の希望としての道を。
 あるものは、生命系列を超えてつながり、融合し、生きる道を。
 あるものは、遠き離別をつなぐものとして旅する道を。
 あるものは、新たな生命の世界を拓くものとして離別と希望の道を。
 そして、あるものは、自らが本来いる場所で、本来すべきことをするために帰る道を。
 その次々に訪れるいくつもの選択の道に、長い長い小説の旅を続けたカタルシスが訪れる。
 この1カ月余り、「知性化」シリーズを順番に読み、その登場人物や種属の特徴、エピソードを記憶しているままに本書「星海の楽園」を読むことができた。それゆえのおもしろさ、感動を味わうことができた。出版されるたびに読んでいたが、こうしてまとめて読み返すと、忘れていたり、分からなかったりすることもなく、多くのキャラクターとともに楽しむことができた。
 実は、「知性化」シリーズはまだ続きを書くと作者は言っている。そうなったらまた読み返すことになるのだろうか? 困った。
 とりあえず、今は、「知性化」シリーズの短編で、唯一文庫本に収められている「誘惑」(『SFの殿堂 遥かなる地平1』ハヤカワ)を読んで、余韻を楽しんでおこう。
(2006.6.8)

戦乱の嵐

戦乱の嵐
INFINITY’S SHORE
デイヴィッド・ブリン
1996
 本書「戦乱の嵐」はデイヴィッド・ブリンによる「知性化の嵐」三部作2作目である。原題は、「無限の岸辺」とでも言おうか。邦題でも原題でもどちらでもかまわない。つまりは、三部作の真ん中である。
 あえて章立て風に言えば、第一部「変革への序章」が「人の章」、本書「戦乱の大地」が「地の章」そして、第三部「星海の楽園」は「天の章」とでも名付けたくなる。
 まったくもって、「変革への序章」に続く物語であり、第一部の最後に登場した巨大な宇宙戦艦が、銀河の大種属でももっとも冷酷な存在と目されているジョファーのものであることが明らかにされる。それと同時に、第一部でそれとなく存在をにおわされていた秘密があっけなく明らかにされる。それは、デイヴィッド・ブリンの「知性化シリーズ」の中核をなす「スタータイド・ライジング」に登場し、全銀河系の諸種属系列から追われるネオ・ドルフィンの探査船「ストーリーカー」である。なぜか、ストーリーカーは「スタータイド・ライジング」で危機を脱した後、さらにいくつかの危機を超えて、舞台となる惑星ジージョの海の底深くに隠れていたのである。
 かくして、第一部で6種属を苦しめた宇宙種属ローセンを蹴散らしてあっという間に惑星ジージョに支配と恐怖をもたらしたジョファー、ジョファーの従兄弟種属でありジョファーから逃げ出して惑星ジージョに暮らしていたおだやかな種属である嚢環種属トレーキの賢者アスクスがジョファー化させられたユウアスクス、そして、いまだに6種属には知られていない「ストーリーカー」に乗る、ネオ・ドルフィン、ヒトと預かっている人工知性体、ストーリーカーに乗った両生類型準知性体のキークィーが新たな登場人物として登場し、6種属のみならず、知性を放棄した種属グレイバー、あるいは、惑星ジージョに原住した賢い動物として知られるヌールに加え、惑星そのものまでもが「主要登場人物」となって、物語は、惑星ジージョの各地、ジョファーの巨大戦艦、深海、宇宙を舞台に激しく絡み合い、ドラマティックになっていく。
 この第二部「戦乱の嵐」に比べれば、第一部は登場人物と種属の紹介編でなかったかと思うばかりである。とにかく、一気に読み終えられるであろう。
 第一部で活躍したフーンの子どもでアーサー・C・クラークの名著「都市と星」の主人公の名前を持つアルヴィンと仲間達や、蟹型の種属ケウエンの「刀」、あるいは、嚢環種属トレーキの賢者アスクスがジョファーのユウアスクスとなって物語を引き立てる。
 そして、最初から登場している紙漉師ネロの3人の子どもたちの物語も見逃せない。異端思想の若き賢者ラークは宇宙種属ローセンとともに宇宙から来たヒトのランとともに、数学者のサラは、宇宙から降ってきた言葉を失った賓(まれびと)=エマースンとともに、超常的な共感能力を持つ猟師で旅人のドワーは、一度はローセンの船に乗った辺境出身のレティとその小さな夫となったウルのイーとともに、それぞれが3つのペアとなりながら、すべての登場人物とからまり、物語を導いていく。
 もちろん、ストーリーカーのネオ・ドルフィンや事実上の指導者となっているジリアン・バスキンの物語も見逃せない。
 とにかく楽しめること請け合いである。
 異端であり滅びの道を探していたラークが「おれはほんとうは死にたくないんだ」と自らの生への執着を認識し、個=孤に固執する他種属のありようが理解できないアスクスは個であるヒトの「勇気」という根源的な原動力について洞察する。
 とにかく、登場人物のみんなが「生きること」と仲間を「生かすこと」のために全力をつくし物語がつっぱしっている。そこがいい。そこが物語を一気に読ませる。
 内容については、語ることはない。さあ、第三部「星海の楽園」だ。
(2006.6.3)

変革への序章

変革への序章
BRIGHTNESS REEF
デイヴィッド・ブリン
1995
「サンダイバー」「スタータイド・ライジング」「知性化戦争」に続く、デイヴィッド・ブリンの「知性化」シリーズであり、「知性化の嵐」3部作の第一作にあたるのが、本書「変革への序章」である。これに「戦乱の大地」「星海の楽園」が続く。
 さて、この三部作は、だいたい1~2年の間隔で出版され、日本でも2001年から2003年にかけて年1作ペースで翻訳出版された。私はリアルタイムで翻訳書を購入、読んでいたが、正直なところ1年も経つと話の筋や登場人物の特徴、過去を忘れてしまう。私はもともとがざる頭で、読んだはしから忘れることにしているため、覚えてない。そこでそのたびに、前著を引っぱりだして、なんとか自分の中でつじつまがあっているような気持ちになるのだが、本シリーズでは、ていねいに用語とキャラクターの解説がついているので、それを読めばだいたいのところはなんとかなる。同じことが、フランク・ハーバートの大作「デューン」シリーズにも言えるのだが、とにかく読むのにも根性と記憶力が試される。
 万人にはおすすめはできない。いや、万人におすすめできても、私にはもしかしたらむいていない。それでも、時折果敢に挑戦したくなる。
 もし、「スタータイド・ライジング」の世界に惹かれ、銀河の列強種族に追われる探査船ストーリーカーの行方が気になっているならば、そして、「知性化戦争」での惑星ガースをめぐる人類、チンパンジー、異星人種たちの闘いと知恵比べの物語を楽しんだならば、「知性化の嵐」三部作に手を出すとよいだろう。なお、本書「変革への序章」は、ハヤカワ文庫SFで、上下巻約1100ページ。「戦乱の大地」もほぼ同じ、上下巻約1200ページ弱、「星海の楽園」も、上下巻約1100ページである。つまりは、約3400ページ。6冊ならべると13cmの幅があなたを待っている。しかも、途中でやめようと思ってはならない。なぜならば、「知性化の嵐」三部作は、独立していないからだ。1作品ごとに完結していない。「知性化の嵐」で1作品とみてもいいかもしれない。最初に3部作6冊(ハヤカワで)を手元に用意し、読み始めた方がいい。古本などで部分的に入手したり、本書「変革への序章」だけを手に入れたりすると、続きが気になって夜も眠れなくなってしまう。時間はつぶれる。頭は多数の人類・非人類を含む登場キャラクターの前にこんがらかり、こき使われてしまう。さあ、どうする。
 さて、よけいな話はさておき、本編の内容である。時期は、「スタータイド・ライジング」や「知性化戦争」の少し後と考えればわかりやすい。それほど遠くない先で、直接前二作には関係なく、物語がはじまる。
 場所は、惑星ジージョ。休閑惑星である。休閑惑星とは、知的種属が惑星を利用した後、生態系の回復と次の準知性化種族の誕生まで長期にわたって惑星を立ち入り禁止にする、銀河社会のルールである。惑星ジージョのある星系は、酸素呼吸生物ではなく、水素呼吸型の生物による管轄権があり、酸素呼吸生物はめったなことでは訪れない。それゆえ惑星ジージョは長い休閑の歴史に静かにたたずんでいるはずであった。
 しかし、酸素呼吸型の知的種属のひとめにつきにくいことから、いくつかの知的種属のグループが、それぞれの理由から惑星ジージョに逃げ、不法入植をしていた。その数は7つを数える。あるものは、銀河社会から追われ、あるものは同種族から追われ、あるものは同種族の異端として、それぞれの理想を胸に、不法入植してきた。そして、1種属は、彼らの望み通り、「下への道」すなわち知性を放棄し、準知性体に戻る道を達し、かつては宇宙航行種属だったことも忘れ、言葉の多くを失っていた。のこりの5種属も、同様の道を求め、彼らが乗ってきた宇宙船を棄て、その技術を棄てて、惑星の一部分「斜面」のみにつつましく暮らしていた。彼らもまた、最初の1種属と同様の道をたどり、遠い将来に彼らの不法入植が許され、もう一度「知性化」される日が来ることを願って。そして、もう1種属、孤児種属として銀河社会の仲間入りをした新参の人類のグループも惑星ジージョにいた。彼らは銀河社会に属して間もない頃、人類社会に追われる者たちとして、惑星ジージョに逃れてきた。人類もまた彼らの宇宙船を棄てたが、銀河社会にはない「紙」でできた「本」を大量に持ち込んだ。すでに、「記録」を失っていた先入5種属は、「記録」する技術を手に入れ、そのことから、知性を残していた5種属と人類は、新たな「歴史」を刻みはじめる。当初の不信と戦争を乗り越え、現在は、6種属がともに同じ場所で暮らし、それぞれの種族的特徴や文化を生かしながら、新たなジージョの斜面文化と言えるような共生の道を見つけていた。これを「大いなる平和」と呼ぶ。
「斜面」とは、地殻の動きによって、遠い未来に惑星からマグマの海にすがたを消す部分である。彼ら6種属は、自らが不法入植した先祖の罪をつぐなうため、自らの生存のための行為が、惑星ジージョに将来痕跡を残さないよう、最大限の注意を払い、その行動に規制をかけていた。6種属は、先に脱知性化した1種属を理想としながら、ひそやかに、そして、仲良く暮らしていた。  それは、生き馬の目を抜くような緊張と競争とかけひきにあけくれる銀河社会の知的種属のありようとはかけはなれた光景である。
 しかし、この平和が今崩れようとしている。
 突然、巨大な宇宙船が惑星ジージョに降り立つ。奇しくも、彼ら6種属の祭りであり、決定の場でもある「集い」の日に、その場所に。そして、中からでてきたのは…。
 6種属の間に亀裂が入り、大いなる平和の日々にくさびが打ち込まれる。はたして、6種属は生き残ることができるのか? それとも、彼らの不法入植の罪を問われるのか? それとも、何か別のトラブルに巻き込まれるのか?
 銀河社会からやってきた宇宙船は、この惑星ジージョと、6種属に何を望むのか? 物語の幕が開き、壮大なドラマがはじまる。
 ってな感じである。
 いくつものドラマが、いくつかの視点でそれぞれに語られ、それぞれのエピソードが絡み合いながら、ひとつの大河ドラマを構成していく。そして、それは人類の物語だけではない。嚢環種属トレーキの賢者アスクスによる賢者たちと異星人の物語であり、フーンの少年アルヴィンによる、ヒトを除く5種属の少年少女の冒険の物語であり、紙漉師ネロの子どもであり、物語の主人公ともいえる、サラ、ドワー、ラークの異端の物語でもある。サラは、宇宙から大けがをして落ちてきた賓(まれびと)とともに旅をすることになった数学者で言語学者。ドワーは、斜面の外を旅しながら賢者の依頼で調査と、探査を行う孤独な猟師。ラークは、銀河社会から降りてきた征服者の案内役兼、彼らの意図を探るスパイ役となった男。彼は、ジージョの種属が自然にまかせるのではなくすみやかに自らの脱知性化させるべきと唱える異端の博物学者でもある。惑星ジージョの特異な生態世界を背景に、いくつもの物語が流れていく。そして、積み上がられる疑問の数々。
 惑星ジージョで6種属を結びつけた聖なる卵とは?
 アルヴィンたちは海の底に何を求められ、何にめぐりあうのか?
 惑星ジージョに降り立った異星人の目的は? 彼らは何を探しているのか?
 本書の最後に登場した巨大な宇宙船とは何者か?
 賓はなぜ惑星ジージョに落ちてきたのか? どうして大けがをしているのか?
 ところで、「スタータイド・ライジング」で、再び逃走に成功したネオ・ドルフィンによる探査船ストーリーカーの行方は??
 もったいをつけながら、話はどのエピソードにもなんら結末をつけることなく、「戦乱の大地」へと続く。
 忘れないうちに、次を読まなきゃ。
(2006.05.28)

流れよ我が涙、と警官は言った

流れよ我が涙、と警官は言った
FLOW MY TEARS, THE POLICEMAN SAID
フィリップ・K・ディック
1974
 1988年10月11日、TVショーの司会で歌手のジェイスン・タヴァナーは、世界に存在しない男となった。世界中で彼のことを知らない者はいないエンターテイメントの有名人は、なぜか目覚めると誰もその存在を知らない世界にいた。それは昨日までとまったく同じ世界。ただ、彼のことを知るものがいないだけ。彼が存在していないだけの世界。誰も彼を知らない。恋人も、仕事仲間も、愛人も。そして、彼は何者でもないが故に、注目を集めてしまう。彼のIDカード、すべての政府機関に記録された出生記録、身体記録が存在していなかった。
 密告と監視に満ちた警察国家において、IDを持たない、記録を持たない者は、犯罪者と同義であり、強制労働所へ送られるべき存在である。
 そのことを知り尽くしているタヴァナーは、なんとか偽造のIDや記録を入手し、自らの存在を証明しようと動き始める。しかし、そのタヴァナーの動きは、すでに警察政府に知られ、高官の注目を集めていた。秘密を持ち、秘密を知り、秘密を作ることができる高官の静かな注目を集めていた。
 ニクソン大統領とウォーターゲート事件は、アメリカの民主主義に極めて大きな影を残した。政府機関による盗聴、監視、隠蔽について、人々は、薄々と気がつきながらも、「やむを得ないこと」と知らないふりをしていた。しかし、それらの行為が、正義のためではなく、権力による権力のための行為として容易に行われることに、人々は驚愕し、絶望した。とりわけ、そのことをずっと知っていて、恐怖していた者にとって、ウォーターゲート事件とニクソン大統領の一連の行為は、それらの行為が「もはや隠す必要すらなくなった」事実に、絶望した。
 本書「流れよ我が涙、と警官は言った」は、世界のもうひとつの姿、真実のひとつの姿を見続け、見せ続けたディックが書いた素直な作品である。SF的要素は、遺伝子改変による優生学的実験体、観察者による多元的世界を主観的に変える一定の力を持つ薬物ぐらいである。あとは、ウォーターゲート事件に揺れる1974年にディックが見た、約10年後の世界であった。
 私が今持っている本書は、サンリオSF文庫版である。1981年の冬に初版が出され、1983年3月に第二刷が出されている。1983年過ぎだから、私が大学生の頃に読んだ1冊である。この頃、ディック・ブームが起こっていて、サンリオをはじめ、各社から次々とディックの未訳本が出されていた。1982年、ディックが急死し、そして映画「ブレードランナー」が公開されたからである。それ以前から、わからないながらにディックを読んでいた私は、あらためてディック的なものの見方に衝撃を受けた。
 それから20年以上が過ぎた。サンリオSF文庫がなくなり、1989年には同じ友枝康子氏の訳により、ハヤカワ文庫SFから「流れよ我が涙、と警官は言った」が出されている。物語の舞台となった1988年はこともなく通り過ぎたが、今になってディックを読み返せば、現実の世界の恐ろしさを改めて知ることができる。
 かの国に入国するためには、指紋を提供しなければならない。
 我が国に入国するためにも、もはや同様である。
 そこかしこに、静かに記録をとり続ける目があり、容易にそれらは権力に利用される。
 そして、人々は、「やむを得ないこと」と、その本当の恐ろしさに目をつぶる。
 誰かが異議を唱えれば、それは、異議を唱えた者が「何か」をたくらんでいるのではないかと疑い、あやしむ。そして、「何か」が起こったら、どう責任をとるのかと詰め寄る。
 2006年春、組織犯罪処罰法改正案で「共謀罪」が提出された。5月19日には、強行採決されるはずだったが、なぜか、採決は見送られた。しかし、採決寸前までいったのは事実である。ディックが生きていたら、911以降の世界を、いかにして嗤うだろうか。
(2006.05.22)  

知性化戦争

知性化戦争
THE UPLIFT WAR
デイヴィッド・ブリン
1987
デイヴィッド・ブリンの「知性化」シリーズは、前著「スタータイド・ライジング」で、知性化されたイルカであるネオ・ドルフィンたちの活躍と、不思議な惑星の生命たち、そして人類よりもはるかに古い歴史を持つ銀河列強種族の独特の個性によってブリンと知性化シリーズへの注目を集めた。
「知性化」とは、この宇宙での知性獲得の過程を言う。知性とは天性のものではなく、進化の過程で一定の準知性体とでもよべる段階までに達したものを、すでに知性を獲得し、銀河宇宙のネットワークに参加した宇宙航行種族が発見し、彼らの主族として準知性体種族を知性化していくのである。すべての銀河航行種族達はすべて主族を持ち、列強種族は多くの類族を持つ。しかし、中には、知性化の過程で主族に放置された知性体が発見され、それは「鬼子」として再知性化がはかられる。
 250年前、人類は自ら宇宙航行技術を発見し、銀河社会と接触した。この知性化の流れを生みだしたとされる「始祖」以来、知識を増やしてきたはずの「ライブラリー」にも、人類の記録はなく、そして、人類は自ら知性を獲得したと主張した。その主張は受け入れられず、本来ならばどこかの主族の類族として位置づけられ、再知性化がはかられるはずであったが、人類はすでにチンパンジー、イルカを知性化しており、自ら主族となっていた。やむなく銀河社会は人類を独立した主族として認めた。その多くが、人類を嫌い、ごくわずかな異星種族が人類を好意的に見ていた。
 それから250年。「スタータイド・ライジング」では、初のネオ・ドルフィン中心の恒星船が、その探検航行中に、はからずも銀河種族のすべてが驚愕するような発見をしてしまう。銀河種族の中でも力の強い列強種族は、この宇宙船を追いかけまわす。そして、イルカ船は逃げ、隠れる。その過程で新たな発見をしながらも、地球や主族である人類と接触すらできない。いや、地球と、銀河社会から借り受けたいくつかの植民惑星がどのような状態にあるかすら分からないのだ。ただひとつ、彼らの最初の発見が、銀河社会の安定を乱し、大きな戦乱を招いたことだけははっきりしていた。
 そして、本書「知性化戦争」である。
 宇宙の同時性に意味はないが、ほぼ同時期、辺境の人類植民惑星ガースが舞台である。ガースの異星種族大使たちは一斉に惑星を離れようとしていた。すでに、地球が激しい戦闘に巻き込まれ、人類に好意を持つ種族と人類によって必死の防衛が行われており、他の植民惑星の動向は不明となった。もちろん、このガースでさえ、いつ、どの銀河列強種族によって攻撃を受けるか分からないのだ。
 惑星ガース。ここはかつてある知性化されたばかりの種族に引き渡され、その後彼らは知性を失い、惑星の生態系や将来知性化されたかも知れない動物たちをことごとく滅ぼしてしまった失われた惑星である。人類とネオ・チンプたちは、この惑星ガースの生態系を回復させることを条件にこの植民惑星を借り受けていた。
 そして、惑星ガースに、鳥類型の銀河列強種族グーブルーが、その類族とともに侵略を開始した。
 人類の惑星提督の息子と、人類に似た銀河種族ティンブリーミー大使の娘は、この緊張が高まる中、ある目的を持って、ガースの山中に旅に出る。そして、彼の親友、ネオ・チンプの若者は、死を覚悟して惑星防衛のために宇宙戦闘機に乗り込む。
 こともなく、グーブルーに侵略された惑星ガースで、若き人類、人類に似た若き異星人、若きネオ・チンプたちは、それぞれの思いを胸に、生き残り、銀河社会の中に名誉を勝ち取るためのはてしない冒険と闘いを開始する。
 ということで、本書「知性化戦争」は、数人の主人公の成長譚である。それと同時に、銀河社会の新参者であるネオ・チンプの種としての成長譚であり、生態系を蹂躙され、ここにふたたび侵略を受けた惑星ガースの再生の物語でもある。
 さらには、様々な愛、信頼、相互理解の物語でもある。
 人類の惑星提督の息子と、異星人の大使の娘というヒーロー、ヒロインの恋愛。
 ネオ・チンプという、人類に似ていながらも家族や相互関係がまったく異なる者たちの愛、相互理解、成長。
 いたずら好きで知られるティンブリーミーの大使と、きまじめ、頑固で知られるテナニンの大使が、ふたりっきりで惑星ガース山中を逃亡している道中に、精神的・言語的コミュニケーションが得られないままに相互の尊敬と理解を得ていく様。
 人類により知性化されたネオ・チンプ。彼らにとって、人類は庇護者でもあると同時に、口うるさい頭の固い親でもあった。
 種としての親子関係、あるいは、提督(母)とその息子の親子関係など、物語の王道が冒険の中に語られていく。
 この複雑な「知性体」関係に加えて、もうひとつ、生態系回復というキーワードがある。
 人類は、銀河社会に出会う前に、その唯一の生存の場である地球の生態系を崩壊寸前まで破壊し、多くの将来知性化したかも知れない種を絶滅させた。これは、人類とその類族であるネオ・チンプ、ネオ・ドルフィン共通の秘密である。
 惑星ガースを再生させるのは、人類にとっての贖罪であり、ネオ・チンプにとっては自立への道であった。
 相互理解と生態系を物語の柱にしながら、物語は、宇宙戦争あり、山中でのゲリラ戦あり、スパイあり、大立ち回りあり、なぐりあいあり、秘密あり、いたずらありと、エンターテイメント要素も充実である。
 さらに、結局のところ事件の解決はしなかった「スタータイド・ライジング」と違い、本書「知性化戦争」のラストは、まさしくハリウッド映画そのもの。活躍した彼らが大団円を迎える。映画シナリオといっても通りそうな話である。
 もちろん、ここには書けない、読んだ人だけが知ることのできるきわめつけの痛快なオチもある。そして、ブリンが言いたかった言葉が、最後の最後に素直に語られる。
「……生というものは、公正なものではありません」(中略)「公正だという者、公正であるべきだという者は、愚か者の名にも値しません。生は残酷たり得ます。(中略)宇宙でひとつでもあやまちを犯せば、冷たい方程式によって切り刻まれてしまいますし、うっかり歩道からとびだせば、バスに轢かれてしまうこともあるのです。
 ここはあらゆる惑星のなかで最良の星ではありません。もしそうだったなら、筋が通らない。暴逆は? 不正はそんざいしないのか? 進化でさえ、多様性の源泉でさえ、自然そのものでさえ、きわめてしばしば過酷な過程となり、新たな生命の誕生は死の上に成立しているのです。(中略)しかしながら、公正ではないとしても、少なくとも美しいものではありえます。(中略)このすべてを護りきってこそ、私たちは幸運だといえるのです(略)」(ハヤカワ文庫SF 初版575ページ~)
 このあとに続く言葉こそ、若者の冒険譚をたんなる冒険活劇に終わらせないブリンの本領がある。
 ハヤカワ文庫SFで上下巻1100ページあるのだ。邦訳発行は1990年だから、今よりも1ページあたりの文字数は多い。
 冒険から哲学まで何でも詰め込める一大スペクタクルである。
 最初の宇宙戦を除けば、惑星ガースからは一歩も外へ出ない。じっくり、しっかりと物語を楽しんで欲しい。
 そうそう、ところで、「スタータイド・ライジング」で行方不明になったイルカの探検船ストーリーカーは、どうなってしまったのだろう。本書「知性化戦争」でも、この船の行方は誰も知らないままであり、その後の「知性化の嵐」シリーズを待たなければならない。
ヒューゴー賞受賞
(2006.05.18)

スタータイド・ライジング

スタータイド・ライジング
STARTIDE RISING
デイヴィッド・ブリン
1983
 銀河文明との出会いから250年が過ぎた。人類は、イルカとチンパンジーを知性化していたことで、銀河文明にささやかな地位を与えられ、いくつかの植民惑星を借り受けていた。しかし、銀河列強種族のほとんどは人類を知性化の連鎖を乱すものとして嫌い、そのいくつかは過去に起きたできごとから人類を憎み、あるいは、自らの類族にしてその遺伝子をいじりたいと願っていた。わずかに3つの種族が、それぞれの動機を持って人類に対し友好的であったが、銀河列強種族に対して強い立場を示すほどではなかった。
 人類は、銀河文明のパワーバランスの中で、いつ滅ぼされてもおかしくない状況にあったのだ。
 人類が知性化し、銀河文明の法では人類の類族と位置づけられたネオ・ドルフィンの能力を確かめるために船出した探検船ストーリーカーは、銀河文明を揺さぶる大発見をしてしまった。それは、知性化の連鎖の最古に連なる<始祖>と関わりがあるかも知れない漂流する5万隻の宇宙船団であった。銀河種族が訪れることのない場所で太古の宇宙船団を発見したために、ほとんどすべての銀河列強種族によるストーリーカーの拿捕作戦がはじまった。他の異星種族より先にストーリーカーをとらえ、その発見を独占すべく、ストーリーカーの追跡と、他の異星種族をけ落とすための銀河戦争がはじめられた。
 地球は、なんとか友好種族によって守られているようだが、他の植民星の動向は分からない。なによりも、ストーリーカーは生きのびて、地球に宝となる知識を持ち帰らなければならない。
 しかし、敵は銀河列強種族。そして、すでにストーリーカーは傷ついている。
 ストーリーカーに乗っているのは、150人のイルカと7人の人間、ひとりのチンパンジー。すでに10人のイルカが発見時に死に、そして、銀河列強種族の追跡のストレスに、知性化されて歴史の浅いイルカたちの一部は退行をはじめていた。
 ストーリーカーは、隠れ、補修するために銀河種族が放置している惑星キスラップの海に潜った。ここならば、イルカたちが必要な金属を発見できるかも知れないからだ。しかし、もちろん、銀河列強の種族達は、ストーリーカーがどの星系に転移してきたのか分かっている。追跡の船団は次々と惑星キスラップの星系に入り、お互いが宇宙戦を開始していた。
 はたして、この危機から逃れることができるのか?
 しかし、発見という神様に見初められたストーリーカーは、今度は、この惑星キスラップでも、ふたたび大きな発見をしてしまう。
 銀河列強の異星種族同士の闘い、未知の惑星キスラップをめぐる冒険、イルカ同士、イルカと人類、イルカとチンパンジー、それぞれの思惑、くわだて、陰謀、裏切り、信頼…。そして、作戦。
 癖のあるスタートレックやスターウォーズばりの異星種族達。いかにも、知性化されたイルカやチンパンジーならこうなるであろうという言動や行動。親しみやすいキャラクターと性格付けが、特殊な惑星キスラップの姿を違和感ない背景にしながら物語を展開する。実は、惑星キスラップの姿こそ、SF的なのだが、それを感じさせずに、宇宙戦争やストーリーカーのクルーたちの”人間”関係が軸になるあたり、デイヴィッド・ブリンのうまさである。なに? 人やイルカや異星人がステレオタイプだって? でも、だからこそおもしろいでしょ。
 ステレオタイプの人物描写にはそれなりのよさがあるのだ。
 この「スタータイド・ライジング」は、どうして映画化されないのだろう?
 あ、ちょっと長すぎるんだな。内容が。「スタータイド・ライジング」を映画にしようとすると、かなりはしょらなければならない。読むしかないよ、これは。
 さあ、ストーリーカーに乗って、危機を脱出しよう! って、ゲームっぽいね。
ヒューゴー賞、ネビュラ賞
(2006.5.6)

サンダイバー

サンダイバー
SUNDIVER
デイヴィッド・ブリン
1980
 デイヴィッド・ブリンの代表的なシリーズ「知性化」ものの最初であり、ブリンのデビュー作でもあるのが本書「サンダイバー」である。
 人類が、イルカとチンパンジーに知性をもたらし、宇宙への探検に出た。しかし、それは、いくつもの銀河系にまたがる異星種族による銀河文明による人類の発見でもあった。銀河文明は、伝説の<始祖>と呼ばれる種族にはじまる、知性化によって、各種族が宇宙種族となり、その膨大なデータベースである<ライブラリー>と銀河の諸法によって規定された厳密な階層社会となっていた。すべての異星種族は、その種族を知性化した主族を持ち、その種族はいくつかの類族を知性化していた。そして、知性化された類族は、知性化した主族に10万年に渡る奉仕を要求され、同時に、その主族が滅ぶまで、知性化の連鎖から逃れることはできない。そして、現在の銀河系に知性化の連鎖を持たない知的宇宙種族はいないはずであった。
 そこに人類が登場した。彼らは、イルカとチンパンジーという類族を知性化し、自ら宇宙に乗り出した種族であったが、主族の存在を知らなかった。ときおりこのような主族に放置された類族が見つかることはある。それらの主族は孤児と呼ばれ、どこかの主族に属し、知性化の完成をされることとなる。しかし、人類は自ら類族を生みだしており、<ライブラリー>にも、彼らの主族を暗示する情報はなかった。
 果たして、人類は、自ら知性化を果たした<始祖>と同じような存在なのだろうか、それとも、主族に忘れられ、変質した宇宙の孤児なのだろうか。
 いくつかの異星種族が地球に降り、人類が銀河文明に参加できるようにするため、あるいは、人類を自らの知性化の連鎖に組み込むために人類との接触をはじめていた。
 人類とイルカ、チンパンジーは、銀河文明の真の牙を知らない無垢な存在であった。
 さて、人類が銀河文明に触れて約半世紀が過ぎた。2246年、太陽の調査基地がある水星では、太陽をめぐる新たな発見に驚愕していた。太陽に生命がいるようなのである。
 人類に与えられた<ライブラリー>の小さな分館を探しても、太陽に存在する生命についての記述はない。そもそも、太陽に本当に生命がいるのか? もし、本当に太陽に生命がいるとすれば、もしかすると、この太陽にいる生命こそが、人類を知性化し、その後、銀河の物質的文明から引退した主族なのではないだろうか?
 そこで、人類と人類に好意的な育成協会を担う異星種族カンテン、ライブラリーの管理を担い、人類には冷淡な異星種族ピラ、その類族プリング、それにチンパンジーの研究者が新造船<ブラッドベリ>に乗り込み、水星基地に向かう。
 サンダイバー計画。それは、太陽降下船サンシップに乗って、太陽に直接近づいて調査する計画である。
 銀河文明接触以前にも試みられたが、銀河文明のライブラリーによる科学技術と人類の原始的な技術を加えることで、より優れた調査ができるようになったのだ。
 水星基地とサンシップで繰り広げられる陰謀に次ぐ陰謀。
 それは誰のための陰謀なのか? そして、その陰謀が、人類を危機に陥れる。
 まあ、そういう話である。
 個性豊かな異星種族が出てくる。どの主族も独特の癖があるが、銀河文明はある意味で固定化し、創造性に欠けるらしい。ということで、人類の出番である。なんといっても銀河の「鬼っ子」だから、異星種族には想像もつかないようなことを行う。特に、その中でも、主人公のジェイコブ・デムワは、科学者でありながら、シャーロック・ホームズばりの推理力と直感力、それに加えてばつぐんの行動力を持つ。しかも、過去に心の傷を負う男である。そこに登場するのが、実年齢25歳だが、相対年齢90歳であり、文化的に異質な精神を持つエレン・ダシルヴァ。人類として宇宙に乗り出し、あまつさえ、銀河文明と接触し、それを連れ帰ってくるにいたった探査船のスタッフで、現在は、水星基地の責任者をやっている。現在の地球文化になじめない彼女は、やがてもう一度宇宙に出るつもりだ。
 ジェイコブの心理描写を中心に、物語はブラッドベリ号、水星基地、サンシップという3つの密室の中で激しさを増す。議論あり、心理戦あり、派手なアクションあり、裏切りあり、信頼あり、と、背景に人類の存亡までかかるわけで、なかなか大層な物語となっている。
 デイヴィッド・ブリンの作品は、スタートレックやハリウッドのSF映画を見ているような気持ちになる。難しいことを考えてはいけね。
 太陽という壮大な天体を舞台に広げられるドラマは、これぞスペース・オペラと言わんばかりである。ただ壮大なだけではない。デイヴィッド・ブリンは、同時に天体物理学者であり、歴史学にも造詣が深い。太陽の物理学を肌で感じられるような情景描写もばつぐんである。
 読み終わって、ああおもしろかったと言えるバランスのいいアメリカSFだ。
(2006.5.6)