宇宙消失

宇宙消失
QUARANTINE
グレッグ・イーガン
1992
 2034年に太陽系外の星空が消え、その存在すら確認できなくなった。人々はパニックを起こし、新たな宗教が起こり、科学者は頭を抱えた。それから33年、人々は夜に星がないことに慣れて生きている。
 モッド…ナノマシンで脳の神経などとAIをはじめとするツールを生化学的に結線したもの。たとえば暗号機能付きの寝ているときだけ有効なメッセージ処理装置「夜間交換機」、たとえばアバターとして様々なことを処理してくれる「暗号書記」、人体の神経系、ホルモン系を意志的に制御可能にする「ボス」、地図と観光案内が一緒になったような「デジャヴュ」、そして警官など職業ごとに入れることがある強化モッド。これがあることで、退屈せずに張り込みしたり、危機的な状況で自動起動して、情動に流されずに状況に対処することができる。もちろんそれだけではない。
 いつもハッピーになることもできるだろうし、自分の信念さえも規定することができるだろう。生命の本質、人間の本質、意志の本質…堅苦しいこと言わないでくれ。
 本書でおもちゃにされるのは、この人間の意志と、量子論で必ず出てくる観察者問題である。
 観察者問題で有名なのは「シュレーディンガーの猫」である。生きている状態と死んでいる状態の両者でいる猫である。「エンディミオンの覚醒」で登場人物がおかれた状態もこれに近いものがある。観察者がいないから。
 グレッグ・イーガンは問いかける。どの時点で「観察した」ということになるのか?
 そうして、本書で遊ぶ。読者はグレッグ・イーガンの遊びにはまってしまい、ずぶずぶと現実を見失っていく。
 作者は遊ばさせている読者の目の前で、悠然と宇宙のあり方と人間の意志についての考察をナノテク=モッドと量子論という両極から行っていく。
 なんだか分かったような気になるのが危ない。ちっとも分かっていないのだ。私は。
 ちなみに原題の直訳は「隔離」。読み終わると、なんてストレートな題だろうと思った。
 「万物理論」も原題がずいぶんストーリーの伏線になっていたが、こちらも、タイトルだけで伏線になっている。
(2004.11.24)

辺境の惑星

辺境の惑星
PLANET OF EXILE
アーシュラ・K・ル・グィン
1966
 ル・グィンのハイニッシュ・ユニバースに属する作品。わが家には、竹宮恵子が表紙を書いたサンリオSF文庫版と、岡野玲子が書いたハヤカワSF文庫版がある。竹宮版はこの作品の「動」の面を描き、岡野版は「静」の面を描いている。
 作品に触れる前に、周辺ばかり書きたがるのは悪い癖だが、もうひとつ、サンリオ版と早川版には大きな違いがある。訳者はどちらも脇明子の手になり、後で出された早川版は訳者曰く訳をあらためたとしている。その訳者のあとがきはまったく内容が違っている。その理由は、サンリオ版には著者による「1978年版への序文 女性解放イデオロギーと私」が巻末に掲載されているからである。
 ル・グィンといえば、常に、SF作家としてフェミニズムに向き合ってきた作者である。いや、そう言われている。実際に「女性の」作家としてフェミニズムをとらえ、解釈し、発言し、また、責められてきた。初期の作品に対し、初期の作家である自分に対し、ル・グィンは1978年に何かを書く必要に迫られたわけだ。それが、この作品の印象を大きく変えている。早川版では、この「序文」はつけられておらず、素直な気持ちで、本書を読むことができる。
 エルタニン第三惑星は、自転周期が地球でいう400日=ほぼ1年。公転周期が24000日=ほぼ65年。この惑星の原住知的生命体はほぼ人類と同じであるが、一生の後半を冬に過ごし、死んでいく。この星に200年前に置き去りとされた人類の末裔は不妊に悩み、残りわずかとなっていた。やがて冬が訪れようという時、それまで群れをなすことのなかった蛮族が軍隊のようになって定住性の現地人類と数少ない人類の居留地を襲ってくる。ふたつの人類は手を結び、蛮族に対峙しようとするが…。
 お互いに自らを「人間」と呼ぶふたつの種族が協力しあうことは可能なのか? その扉は、恋愛によって開かれるのか? 信義によって? 契約によって?
 まあ、そう、むつかしい話ではない。
 SFファンタジーと考えてもいい。
 すなおに、楽しく、さらりと読むもよい。
 ただ、その後のル・グィンのテーマともなる異なる者同士の理解、異人とのコミュニケーションの萌芽がここにはある。そこに、男女、恋愛がからんだものだから、「序文」が必要な事態になったのだろうが、その答えは、後の作品で十分だったのだ。
(2004.11.24)

万物理論

万物理論
DISTRESS
グレッグ・イーガン
1995
 上梓されたのは1995年だが、2004年に翻訳されたばかりのぴかぴかの新作を読んだ。グレッグ・イーガンの「万物理論」である。
 時は2055年、主人公は番組作成ディレクター。片目にAI付きのカメラを仕込み、複数の人工知性体を使いこなしてデータの海を泳いでいるが、いまひとつ人とのつきあい方が苦手な男。
 場所はステートレス。無政府主義者の人工島。バイオテクノロジーを使って作られ海に浮かぶ島。100万人が、生命特許も、特定の権力体制も認めずに暮らしている。バイテク企業の圧力から世界中の政府にボイコットされている島。入り口は、東ティモール空港を経由するしかない。
 はじまるのは、国際理論物理学会。ここに3つの万物理論が提示されるという。
 科学者たちが集まり、そして、理論物理学さえも忌避する反科学の様々な立場のカルト集団も集まってくる。
 カルトと科学者の間で、主人公は次第に大きな出来事に巻き込まれていく…。
 といった話である。
 ハードSFのふれこみだが、たしかに、理論物理学の説明がたくさん出てくるので、ハードと言えばハードかも知れない。でも、あんまりハードではないかも。ストーリーの柱に関わってくるのが理論物理学なので、その点ではハードだけど…。何がハードかという議論もあろうが、最初からハードSFだと構える必要はなさそう。
 1995年の話なので、最新の理論物理学から考えるとちょっと古いかなという感じもする。まあ、最新の理論物理学の何が分かっているのかといわれると、正直まったく分かっていないわけで、せいぜい1999年に上梓された「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン)を何とか読んだり、「日経サイエンス」で最近の話題に目を通しては、ぼんやりと理解の周辺にいるぐらいだ。そんな奴が、ハードなのかどうか、話をする資格もないものだ。
 社会情勢は、東ティモールが苦難の末独立するのが2040年になっており、実際には2002年に独立してしまったわけで、そのあたり、近未来物として、残念でしたという感じだ。1990年代前半は、東ティモールの独立運動に対し、世界中が注目していた時期でもあり、この点はやむを得ないところであろうが、翻訳が今年ということもあって、このあたりの国際情勢を知っていると、おや、と思ってしまう。まあ、重箱の隅です。
 今から50年後の未来。バイテク企業の飯の種である生物特許は世界中に力を及ぼし、遺伝子組み換え作物、薬剤、素材、エネルギーなどがバイテクの力で作られている。しかし、富める者、持たざる者の差は変ることなく、飢える者もまた存在し続けるのであった。
 ジェンダーへの向かい方は、その究極に行き着き、男性、女性、転男性、転女性、強化男性、強化女性、微化男性、微化女性という性のほかに、汎性という性からの脱却を成し遂げた人々たちも社会に類型されている。
 そんな社会で主人公が悩むのは、他者との距離と、自己認識、他者認識のありよう。どうやって人と接したらいいのか分からないのだ。インタビューはできる。番組にまとめることもできる。でも、本当に、他者とどう向き合えばいいのかは、分からないまま。
 現代的な悩みである。
 バイテク企業が生命特許をもって世界中に力を及ぼしているというのは、今の延長線上で十分考えられることで、だから、生命特許をなくせば、バイオテクノロジーを野放しにしていいということではないと思う。バイオテクノロジーのあり方について、いや、科学技術の使い方について、社会的な合意が必要ではなかろうか。
 おっと、SF評論から政治的主張に変りはじめた。このあたりでやめておこう。
(2004.11.17)

中性子星

中性子星
NEUTRON STAR
ラリイ・ニーヴン
1968
 ノウンスペースシリーズの短編集であり、表題作はヒューゴー賞受賞作。
 食い詰めた宇宙船乗り、誰もいない惑星で滅んだ支配種族の遺物を探す異星生物学者、パペッティア人の秘密を握った海賊、たいくつのあげく未知の危険を求めるフラットランダー、ふとした自然の気まぐれから宇宙の果てまで逃げることになった男…。
 ヒーローのいないスペースオペラである。「リングワールド」を読んだら、ぜひ、本書にも手を出して欲しい。いくつかの「なぜ」が解き明かされることだろう。
 どれも楽しんで読んだが、「リングワールド」とは直接関係のない「狂気の倫理」「恵まれざるもの」をおすすめの2作品としてあげておきたい。
「狂気の倫理」は、「タウ・ゼロ」(ポール・アンダースン)と同様に、止まれなくなった宇宙船の話である。追う船、追われる船に乗っているのはそれぞれひとり。ただ50年間宇宙船で逃げ続けた男の物語である。ひとりの男の心理描写だけで宇宙を描くのは作者の力量が問われるところだ。そのブラックユーモアな落ちも含めて楽しんで欲しい。
「恵まれざるもの」は、砂漠の中でまったく動かない生物なのに、脳が非常に大きく知的生物であると考えられているグロッグという毛むくじゃらの異星人とフラットランダー(地球人)の商売人の話である。コミュニケーションのとれない異星人とどうやってコンタクトし、何を売りつけるのか? その代償は? 動きのない異星生命を相手にした話である。これも、なんと特殊な条件での作品だろうか。ぜひ読んでみて欲しい。
ヒューゴー賞受賞
(2004.11.17)

地球からの贈り物

地球からの贈り物
A GIFT FROM EARTH
ラリイ・ニーヴン
1968
 ノウンスペースシリーズの長編。
 支配階級と被支配階級が確立された人類社会であるマウント・ルッキッザット星。「病院」「統治警察」という管理機構が、被支配階級を飴と鞭の政策をもってコントロールする。支配階級は、放蕩貴族と化している、臓器移植と長命技術と富を思うままに享受していた。被支配階級には、ほとんど力を持たない反政府革命勢力がいる。彼らは平等を求めて秘密結社を組織している。
 そこに、地球から、彼らの権力構造、社会構造を大きく変える技術が贈られてきた。
 安定していた社会が突然動乱に見舞われる。
 革命の物語である。社会変革の物語である。
 しかし、そんな単純な構図では、ノウンスペースシリーズとならない。
 ここに特異な能力を持つ主人公が登場する。
 彼が思うだけで、人々が彼のことを見えなく感じてしまう能力。
 まるで目に盲点があり、いつも彼が願えば、彼の存在が盲点に隠れてしまうようなひとりの男。革命にも、社会変革にも興味はなく、自分の能力にさえ自覚しないただの男。
 彼が、ノウンスペースシリーズならではの「能力者」なのだ。
 そうして、この主人公の行為をめぐりながら、マウント・ルッキッザット星という特異な植民星と、その植民者たちの特異で、かつありがちな社会が淡々と描かれれる。
 本書に政治的なメッセージはない。
 独裁者に見える人間も、強権者に見える人間も、人間には違いないということぐらいである。いや、追いつめられた空間だからこそ、独裁者も、強権者も、革命者も、支配階級者も、被支配階級者も、中間の者たちも、常に、現状をある程度受け入れているのだ。人間のなんと柔軟なことよ、というのが、メッセージだろうか。
 解説によれば、ひとつの科学技術によって社会や倫理がいとも簡単に変わるということをニーヴンは書いているのだという。なるほど、そういうものかもしれない。
 しかし、結局は、リングワールド同様に、マウント・ルッキッザット星の特異な環境を楽しめばよいのだ。それが、私のラリイ・ニーヴンの読み方だ。
(2004.11.5)

リングワールドふたたび

リングワールドふたたび
THE RINGWORLD ENGINEERS
ラリイ・ニーヴン
1980
 ニーヴンという作者は、本当にSFが好きで、自らも熱烈なSFファンであり、SFファンを大切にする作者である。
 私のようなSFが読めればなんでもいいというファンと違い、SF界には、その設定が科学的に成立するかどうかを検証する人たちがいる。彼らのおかげでSFは科学とフィクションの境目を自由に旅しているのだが、時として、作品の穴をその評価が定まった後に見つけるときがある。名著”リングワールド”もまた、その特異な宇宙構造に関心が集まり、人工のものであれ、その構造を維持することが実に難しいことを解き明かす人たちがいた。彼らの多くの指摘と声を受けて、終止符を打ったはずの”ノウンスペースシリーズ”の、しかも、集大成と言える”リングワールド”の続編が、前著から10年後に出されることとなった。
 これもひとえに、熱烈なSFファンと、それに応えるニーヴンという作者の人柄のゆえんである。
 前著では、あきれんばかりに広大なリングワールドのほんのわずかな領域を旅しただけであったが、今回は、もっと広い範囲を旅し、そこに生きる、人類と同じ祖先を持つものたちの様々な社会、生態と出会うこととなる。
 主人公は、前著と同じ地球人ルイス・ウー、クジン人スピーカー(話し手)あらためハイミー、それに、パペッティア人のネサスの配偶者となったハインドモースト。
 ルイスとハイミーを誘拐同然で旅に連れ出したハインドモーストの目的は?
 軌道がずれはじめたリングワールドの謎とは?
 そして、リングワールドにいる30兆人の知性を持つ人々の運命は?
 今回も、リングワールドの驚くべき光景が広がる。しかし、前作ほどに驚きはない。当たり前である。きつい書き方をすれば、あとから理屈をつけた前作の謎解きにすぎないからだ。意外性も、おもしろさも、前作を超えてはいない。では、つまらないかというとそんなことはない。並のSFには引けを取らないであろう。  なにぶんにもリングワールドは、地球300万個分の広さがあるのだ。それだけの広さと、30兆の知性生命が暮らす陸続きに、今、立っていて、危機にさらされていて、それを何とかするために旅をしている。そう考えただけで、ふるえが来ないか? この設定ゆえに、リングワールドはSFファンを惹きつけてやまないのである。
(2004.11.5)

シャドウ・パペッツ

シャドウ・パペッツ
SHADOW PUPPETS
オースン・スコット・カード
2002
「エンダーズ・シャドウ」「シャドウ・オブ・ヘゲモン」に続く、「エンダーのゲーム」のサイドストーリーシリーズ第三弾である。つい先日、早川SF文庫から邦訳が出されたばかりの作品だ。このサイトではできるだけ古い作品から再読し、感想や紹介を書いているのだが、シリーズものは取り扱いが難しい。読むならば一気に読んでしまいたいが、時間の都合や、本書のように、まだシリーズとして続いているものもあるからだ。
たまには、最新作の書評もよいだろう。
本書は、2001.9.11以降に書かれた作品であり、著者自身があとがきにあたる「謝辞」の中でそのことに触れている。先のこととは言え、国際政治を舞台に据えた作品だけに、現実の国際社会のあり方が本書と関わりを持つことは否定できない。
一方で、エンダーの腹心であり、真の天才であったビーンをはじめ、「子どもたち」は少年少女の時期をすぎ、思春期を迎え、大人となりつつある。すでに大人社会の中で、戦争を指揮し、国際政治の裏舞台にいた彼らが、地球の政治、宗教、社会のリーダーとして表舞台に登場する。そのいきさつを描いたのが本書である。
おおまかに言って、中国がインド、パキスタン、タイ、ミャンマーを含むアジア大陸中南部を支配し、世界最大の勢力となっていた。イスラム諸国は、イスラエルとの関係を修復し、イスラムの宗教世界と現実世界の大統一へ向けて静かにその準備を整えつつあった。ロシアは中国を恐れながらもにらみつつあり、ヨーロッパ、アメリカは世界の中での主導的力を失いつつあった。エンダーの舞台となった異星人戦争のために生まれた汎地球政府である、覇権政府は、事実上の権力を失い、中国の拡張主義に正面切って対立するとの一点において中国を恐れる国々の支持を得ている。その微妙なバランスの中で、彼ら主人公たちが立ち回り、世界を変えるのだ。
国際政治シミュレーションゲームである。
シリーズを通しての主人公であるビーンは、成長し続ける知能と引き換えに、止まらない身体の成長と限られた寿命を持つ。その余命はあと1年か、2年か、あるいは数年か。すでに巨人となっており、同時に思春期を迎え、そばにいるペトラとの新しい関係がはじまろうとしている。一方の主人公であるヘゲモン=ロック=ピーターは、そばにいる父母との関わりを深め、新たな家族関係をむすびはじめる。このふたつの「家族」を軸に、親子関係や家族関係が語られる。
結局は、宗教と、家族と、コミュニティの話になっていく。それが、オースン・スコット・カードである。
もう慣れたけど。
もうひとつ、本書の特徴に、アメリカ社会、キリスト教世界の中にいる作者が、その視点と、「敵を知るには、愛するほどに、敵の考え方、見方、感性など敵そのものにならなければならない」という、「エンダーのゲーム」で提示された「敵への愛」をあらためて表現していることである。これもまた、現実世界への敬虔な家族人であり、宗教人でもある、作者の答えなのだろう。
ということで、前作までついてきた人ならば、読むのになんの抵抗もないだろう。複雑な国際政治もすうっと身体に入っていくに違いない。
本作だけを読むような独立した作品ではない。あくまでもシリーズの途中なのだ。この作品だけを読めばいいというおすすめはできない。「エンダー」シリーズの中で、単独で読んでもおもしろいのは、「エンダーのゲーム」と「死者の代弁者」「エンダーズ・シャドウ」の3作品だけである。あとの作品群は、やはり、どうしても、おまけなのだ。
(2004.10.26)

リングワールド

リングワールド
RINGWORLD
ラリイ・ニーヴン
1970
 今読んでも傑作である。
 ルイス・ウー200歳。冒険家。話から読みとると、時は28世紀、かな? 地球上で移動手段としての転移ボックスができて3世紀半になる。人類は、肉食の虎型異星人クジン人と出会い、星間戦争がはじまった。アウトサイダー人が、人類の星のひとつウイ・メイド・イット星に漂着し、ハイパードライブ装置を彼らにもたらすことで、クジン人との戦争に勝ち、その後、植物食の蹄を持つ二頭型異星人パペッティア人に出会い、他の異星人とも出会うこととなった。
 パペッティア人ネサスの誘いで、ルイス・ウーは、クジン人スピーカー・トウ・アニマル(獣への話し手)、20歳の地球人ティーラ・ブラウンとともに、不思議な星系リングワールドへの冒険旅行に出かける。
 リングワールド-地球の公転軌道を考えて欲しい。太陽を回る地球が描く線のことだ。この線が幅160万kmのリボンだとする。ちなみに、地球をぐるっと一周回ると4万kmだ。
 このリボンの太陽を向いた面の面積は地球の表面積の300万倍。つまり、300万個の惑星が同じ軌道上を一緒に回っていると考えればよい。陸続きの地球より300万倍の平たい世界がそこにある。地球の各地を1年で探検したり旅行するとして、どのくらい見て回ることができるだろう。それが300万倍である。3000000年かけても、ざあっとしかこの世界を知ることができないのだ。想像つきますか?
 そして、そこから見上げる空の光景…。
 たとえ、地球の人口許容量が100億人であっても、リングワールドならばその300万倍の許容量となるのだ。それがひとつの世界なんて。
 SFのおもしろさは、見たこともない世界を見ることだ。旅をしても、旅をしても、旅をしても、いきつけないリングの端。そして、リングには終わりはない。
 誰がつくったのか? どうして、放棄したのか?
 そんなことさえも、どうでもよくなってしまうほどに不思議で巨大な人工の世界。
 4人は、リングワールドに到着し、そして、不時着する。
 幸運を運命づけられた女性ティーラ・ブラウンとともに…。
 典型的な珍道中記であり、4人の性格、関係性、関わりが、物語に奥行きと楽しさと深みと、擬似的な体験を与える。
 ロードストーリーとしての「リングワールド」の展開は、その後、ダン・シモンズの「ハイペリオン」シリーズにも色濃く反映している。同じようなおもしろさが得られるだろう。「ハイペリオン」を読んで気に入った人は、ぜひ、「リングワールド」も読んでみて欲しい。
 今読んでも、そして、同じ宇宙を描いたノウンスペース・シリーズの他の作品を知らなくても、本書は、SFの傑作であり、色あせることはない。
(2004.10.26)

マーシャン・インカ

マーシャン・インカ
THE MARTIAN INCA
イアン・ワトスン
1977
 今はなきサンリオSF文庫である。大学生のときに購入したのだが、実は今の今まで放置してあった。どうも、ディックなど一部の作家の作品を除いて、サンリオSF文庫の作品は取っつきにくいのだ。なぜかは分からない。それでも、いくつかの作品は、表紙に惹かれたり、釣り書きに引っかかって購入し、読まないままに本棚に眠っていた。本書もまたその一冊で、広島-熊本-東京を20年かけて旅をして、ようやくこのたび私の目に触れることとなった。
 アメリカは、有人火星探査機を送っているところで、3人の宇宙飛行士が探査とテラフォーミングのために火星に向かう途上にあった。
 一方の大国ソヴィエトは、金星をテラフォーミングするための準備をすすめていたが、アメリカの火星探査に先駆けようと火星に無人探査機を送り、火星の砂を積んで地球に帰ってきたが、パラシュートがきちんと開かずに、ボリビアの山中に落ちてしまう。
 ボリビアは、ソヴィエトともアメリカとも国交を持たず独自の革命路線を歩んでいた。
 火星の探査機が落ち、砂がこぼれ落ちたのは、かつてのインカ人がケチュア語を守りながら暮らしていた集落であった。砂に接触したものは、しばらくすると身体が硬直し、高熱の中意識を失う。しかし、治療をほどこされなかった者はやがて独力で回復し、二重意識を持つにいたる。
 今、ふたりのインカ人が、自らの意識に目覚め、インカ帝国の再興をめざして立ち上がる。
 一方、アメリカの有人火星探査機では、常に3人のうち2人が起きて当直につき、ローテーションを組んでいる。3通りの組み合わせ。ひとりは常に別のふたりに対し、別の性格、行動をみせる。それが人間関係というものだ。閉鎖された空間での微妙な関係…。ひとりのときの意識、ふたりのときの意識、そして、火星が近づき、3人が同時に接するときの意識、行動は違ったものになる。
 ボリビアの情報を求めるアメリカの情報局と火星探査当局…、その情報は、細切れになって火星探査船にも伝えられていく。
 やがて火星に到着した探査船。そして、ふたりのインカ人の「革命」。その行方は…。
 そして、火星の生命とは。
 ということで、イギリスというより、ヨーロッパ、東欧的なSFの感じがする。スタニスワフ・レムのような作品といったらよいか。
 ハリウッド映画と、かつてのフランス映画の違いだ。
 別に火星でなくても、インカでなくてもいいのだ。
 砂でなくてもいいのだ。
 ただ、火星とインカは遠くて近いと、イアン・ワトスンは感じ、意識について想いをはせたのだ。
 うーん、難しい。ニュー・アカデミズムだ。80年代だ。
 スタニスワフ・レムの作品が好きな方にはおすすめしたい。
 ヨーロッパ映画は小難しすぎる、エンターテイメントがいいよ、という方には、おすすめできない。
(2004.10.19)

タイム・パトロール 時間線の迷路

タイム・パトロール 時間線の迷路
THE SHIELD OF TIME
ポール・アンダースン
1990
 日本に紹介された「タイム・パトロール」が1960年発表の1冊。本書「タイム・パトロール 時間線の迷路」は、シリーズ第4冊目をまとめたものである。その間、30年の歳月が経っている。しかし、主人公は変わらず、1924年生まれのマンス・エヴァラード。もはや実年齢は分からない。長命化措置を受けているので、年を取るのも遅いのだ。本シリーズでは、1965年生まれ、初登場当時21歳のワンダ・タンバーリィが登場する。どうやら彼女は、この直前の、つまり未訳の巻で時間犯罪者”称揚主義者”に誘拐され、それをマンス・エヴァラードが救出、その後、彼女はタイム・パトロールにスカウトされたようである。
 本書では、1987年・88年のアメリカ、1985年のアフガニスタン、紀元前209年のバクトリア王国、紀元前976年のエーゲ海、1902年のパリ、紀元前31275389年のアメリカ大陸、紀元前13212年~13210年のアメリカ大陸、1965年のアメリカ、1990年のアメリカ、1137年のシチリア、紀元前1765年、紀元前15926年、紀元前18244年、1146年、それに、ありえなかった時間軸の日々…をめまぐるしく動き回る大きく3編の作品からなっている。そのいずれも、マンス・エヴァラードとワンダ・タンバーリィの年の離れた二人の活躍があり、二人のささやかな愛のはぐくみが薬味を添える。
 そして、彼らを導く上位のタイム・パトロールの存在、無任所員としてのマンスの活躍、専門職としてのワンダと他のタイム・パトロールとの葛藤、多くのタイム・パトロールとの邂逅と協力関係…、何かに似ている。前作とは違う何かのにおいがする。
 そうだ。この組織と、このヒーロー、ヒロインは…レンズマンだ。
 ドク・E・E・スミスが生んだ永遠のスペースオペラ「レンズマン」シリーズのレンズマンという組織、そして、それを生み出した上位の存在、自由でありながらも軍隊的であり、ヒーローは無任所員的な扱い”グレーレンズマン”で、まったく別の部署であるヒロインと接しながら、いつか、ヒロインも重要な役回りとなり、活躍する。そして、他の隊員たちが、彼らを支え、その姿が物語を盛り上げる。
 そうか。タイム・パトロールシリーズは、いつしか時間SFのレンズマンになっていたのか。
 そう思うと、楽しく読めるぞ。
 もちろん、行ったことのない歴史との遭遇、人類の創生期の姿、もしかしたらあり得たかも知れない世界など、時間SFには欠かせない要素が今回もみっちり詰め込まれている。
 気兼ねなく楽しんで欲しい。そして、ヨーロッパの古い歴史に関心を寄せてみるのもいいだろう。
(2004.10.19)